転生バドは勝利を夢見る   作:ぶーく・ぶくぶく

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ブラジル編開始!

/*/ シャフト・エンタープライズ・ジャパン 本社会議室 /*/

 

 

 

 会議室の空気は、重かった。

 

 長机の上には、複数のファイルが並んでいる。

 

 東京レイバーショウ襲撃事件に関する社内報告書。

 

 篠原重工および警察当局の動向調査。

 

 ASURA商品化計画。

 

 ブラジル支社における実証試験計画。

 

 そして、もう一つ。

 

 バドリナート・ハルチャンドに関する身分整理書類。

 

 徳永専務は、会議室の上座に座っていた。

 

 その表情は硬い。

 

 横には法務部長、人事部長、海外事業部の担当役員。

 

 黒崎は壁際に控えている。

 

 内海は、いつものように薄く笑って座っていた。

 

 そしてバドは、内海の隣の椅子で足をぶらぶらさせていた。

 

 その場にいる大人たちの緊張感と、自分の足の長さがまるで合っていない。

 

 徳永は、まず内海を見た。

 

「内海」

 

「はい」

 

「君の処遇について決定した」

 

「おや」

 

「シャフト・エンタープライズ・ブラジル支社への異動を命じる」

 

 会議室が静かになった。

 

 内海は目を丸くした。

 

 だが、それは驚きというより、面白い札を引いた時の顔だった。

 

「ブラジルですか」

 

「そうだ」

 

「南米ですね」

 

「地理の確認は不要だ」

 

「広いですねえ」

 

 徳永の眉間に皺が寄る。

 

「旅行ではない」

 

「もちろんです」

 

「左遷だ」

 

 人事部長が咳払いをした。

 

「専務。形式上は、ブラジル支社におけるASURA適応試験および海外市場向け制御OS実証計画の統括責任者、という辞令になります」

 

「形式上はな」

 

 徳永は冷たく言った。

 

「実質は、日本国内でこれ以上余計な騒ぎを起こさせないための隔離だ」

 

「隔離」

 

 内海は嬉しそうに繰り返した。

 

「いい響きですね」

 

「喜ぶな」

 

「いえ、反省しております」

 

「その顔で言うな」

 

 黒崎は、壁際でわずかに目を伏せた。

 

 いつものことだった。

 

 徳永はファイルを一つ開く。

 

「東京レイバーショウ以降、警察および篠原重工の調査は継続中だ。表向き、シャフト・エンタープライズ・ジャパンとしては関与を否定している。しかし君が日本にいれば、必ずまた動く」

 

「必ず、とは」

 

「必ずだ」

 

「信用されていますねえ」

 

「信用していないから言っている」

 

 バドが小さく手を上げた。

 

「専務」

 

「何だね」

 

「内海さん、ブラジルで何するん?」

 

 徳永は、バドへ視線を移した。

 

 内海を見る時より、少しだけ声が柔らかくなる。

 

「ASURAの実証試験だ」

 

「ASURA?」

 

「グリフォン本体ではなく、ASURAを既存レイバーへ搭載した場合の姿勢制御、転倒復帰、対レイバー格闘補正、作業用レイバーへの適応性を検証する」

 

 バドの目が動いた。

 

「ブロッケン?」

 

 森川政治が、会議室の端で身を乗り出した。

 

 彼も呼ばれていた。

 

 机上の資料には、ブロッケンの断面図と、ASURA試験系の増設箇所が描かれている。

 

「正確には、ブロッケンを母体としたASURA搭載試験機だ。完全版ASURAではない。判断系、姿勢補正、ログ収集、緊急遮断系を組み込んだ試験用パッケージになる」

 

 磯口豊が楽しそうに続ける。

 

「既存のブロッケンに、無理やりもう一つ脳を詰め込むようなものだね。かなり窮屈になる」

 

 バドは椅子の上で前のめりになった。

 

「コックピット、狭くなるん?」

 

「かなり」

 

「大人乗れる?」

 

 森川が首を振った。

 

「現状では難しい。成人男性では肩と膝が干渉する。緊急脱出動作も保証できない」

 

 バドは、ぱっと内海を見た。

 

 内海はにこにこしている。

 

 黒崎は、嫌な予感がしていた。

 

 徳永は、重々しく言った。

 

「そこで、バドリナート君」

 

「はい」

 

「君にも、ブラジル支社へ同行してもらう」

 

 バドの足が止まった。

 

「僕も?」

 

「そうだ」

 

「内海さんと?」

 

「内海課長、黒崎君、土浦研究所の技術者数名、医療担当、法務担当が同行する」

 

「黒崎さんも?」

 

 黒崎は淡々と答えた。

 

「同行します」

 

「監視?」

 

「監視です」

 

「言い切った」

 

「隠す理由がありません」

 

 内海が笑った。

 

「楽しい旅になりそうだねえ」

 

 徳永が即座に言った。

 

「旅ではない」

 

「では研修旅行」

 

「違う」

 

「海外実証試験」

 

「それだ」

 

「つまり出張ですね」

 

「君の場合は謹慎に近い」

 

「専務、どんどん言葉が悪くなっていますよ」

 

「君がそうさせている」

 

 バドは、少し考え込んだ。

 

「僕、ブラジル行けるん?」

 

「そのための話を今からする」

 

 徳永は、机の上に置かれた別のファイルを手に取った。

 

 それは、他の報告書よりも薄い。

 

 だが、バドはなぜか、それが一番気になった。

 

 徳永は、バドの前へファイルを滑らせた。

 

「開けなさい」

 

「僕が?」

 

「君の書類だ」

 

 バドは、少しだけ緊張した顔でファイルを開いた。

 

 一枚目に、写真が貼られていた。

 

 自分の顔。

 

 真正面を向いた、少しむっとした顔。

 

 その横に、名前が印字されている。

 

 バドリナート・ハルチャンド。

 

 生年月日欄には、推定と注記がある。

 

 国籍欄。

 

 日本。

 

 所属欄には、シャフト・エンタープライズ・ジャパン特別研究協力者。

 

 保護責任部署、海外事業部・技術開発本部共同管理。

 

 実務担当、黒崎。

 

 統括責任者、徳永専務。

 

 備考。

 

 未成年保護対象。

 医療・教育・生活管理対象。

 ASURA実証計画における特別技能協力者。

 国外渡航は会社管理下に限る。

 日本国旅券交付済み。

 

 バドは、黙ってその紙を見ていた。

 

 会議室の大人たちも、しばらく黙った。

 

 徳永が言う。

 

「君の国籍整理については、会社として可能な範囲の手続きを進めた。事情は特殊だが、関係各所との調整の結果、君は日本国籍を持つ者として扱われる」

 

 バドは、紙から目を離さなかった。

 

「日本」

 

「そうだ」

 

「僕、日本人なん?」

 

「書類上はそうなる」

 

「書類上……」

 

 バドは、指で国籍欄をなぞった。

 

 日本。

 

 たった二文字。

 

 だが、それはバドにとって、グリフォンの装甲より重い文字だった。

 

「僕の名前、ある」

 

「ある」

 

「写真もある」

 

「ある」

 

「国籍、日本って書いてある」

 

「ある」

 

「所属もある」

 

「ある」

 

「僕、書類の中に入ったん?」

 

 徳永は、少しだけ言葉に詰まった。

 

 それから、静かに頷いた。

 

「そうだ。君は、もう会社の倉庫に隠された子供ではない。少なくとも、書類の上では、国に属する人間だ」

 

 バドは、指で自分の名前をなぞった。

 

 その仕草は、いつもの悪知恵を働かせる子供のものではなかった。

 

 もっと単純で、もっと危ういものだった。

 

「……僕、存在する人間になった?」

 

 黒崎は、わずかに視線を下げた。

 

 徳永は答えた。

 

「前から存在していた。書類が追いついたんだ」

 

「書類が、追いついた」

 

「そうだ」

 

「僕、日本の人間なんや」

 

「そうだ」

 

 その言葉に、バドの肩が少しだけ緩んだ。

 

 内海は、それを見ていた。

 

 楽しそうな笑みではなく、少しだけ静かな笑みだった。

 

 だが、すぐにいつもの顔に戻る。

 

「よかったねえ、バド。強いパスポートだ」

 

 バドは、顔を上げた。

 

「パスポート?」

 

 徳永が法務部長へ目を向ける。

 

 法務部長は、黒いケースを机の上へ置いた。

 

 バドの前に、紺色の旅券が差し出される。

 

 表紙には、日本国旅券と金色の文字。

 

 その下に菊花紋章。

 

 バドは、しばらくそれを見つめていた。

 

 触っていいのか分からない顔だった。

 

 徳永が言った。

 

「取りなさい」

 

 バドは両手で旅券を受け取った。

 

 恐る恐る開く。

 

 そこには、また自分の顔があった。

 

 名前。

 

 国籍。

 

 日本。

 

 旅券番号。

 

 発行官庁。

 

 有効期限。

 

 バドは、ぱちぱちと瞬きした。

 

「これ、本物?」

 

 黒崎が即答した。

 

「本物です」

 

「偽物ちゃう?」

 

「違います」

 

「内海さんが作ったやつでもなく?」

 

「違います」

 

 内海が笑う。

 

「僕は作ってないよ」

 

 バドは旅券を胸の前で持った。

 

「僕、日本のパスポート持っとるん?」

 

 徳永が頷く。

 

「持っている」

 

「強い装備や」

 

 黒崎が低く言う。

 

「装備ではありません」

 

「強い装備やろ」

 

「違います」

 

「でも、これ持ってたら僕、ブラジル行けるんやろ」

 

「行けます。ただし会社管理下です」

 

「帰ってこられる?」

 

「帰ってこられます」

 

「僕、どこかに置いていかれへん?」

 

 会議室が、また静かになった。

 

 黒崎は、少しだけ表情を変えた。

 

 徳永は、ゆっくりと言った。

 

「置いていかない」

 

 バドは徳永を見た。

 

「ほんま?」

 

「本当だ」

 

「内海さんは?」

 

 内海は笑って言った。

 

「僕は置いていかないよ。面白いからね」

 

 黒崎が即座に言う。

 

「理由が最悪です」

 

 徳永は内海を睨んだ後、バドへ視線を戻した。

 

「この旅券は、君を自由に放り出すためのものではない。君を守るためのものだ」

 

「守る?」

 

「国外へ出る時、君が何者かを証明する。どこの国の保護を受ける者かを示す。会社の書類だけでは足りない場面で、この旅券が君を守る」

 

 バドは、また旅券を見た。

 

 パレット。

 

 人買い。

 

 香港。

 

 シャフト。

 

 グリフォン。

 

 どこにも属していない子供。

 

 それが、急に日本という文字の中へ入っている。

 

 重い。

 

 怖い。

 

 嬉しい。

 

 バドは小さく笑った。

 

「僕、だいぶ人間っぽくなったな」

 

 徳永が静かに言った。

 

「前から人間だ。君がそう扱われていなかっただけだ」

 

 バドは、少し困ったように笑った。

 

「専務、たまにええこと言うな」

 

 黒崎が即座に言う。

 

「失礼です」

 

 徳永は疲れた顔で答えた。

 

「褒め言葉として受け取っておく」

 

 黒崎は、法務部長からもう一枚のカードを受け取り、バドへ差し出した。

 

「これは会社の携帯用身分証です。旅券とは別です。現地法人、医療機関、航空会社、入管対応時に使います。失くさないで下さい」

 

 バドはカードも受け取った。

 

 顔写真。

 

 名前。

 

 所属。

 

 管理番号。

 

 シャフトのロゴ。

 

 実務担当、黒崎。

 

「カード装備もある」

 

「だから装備ではありません」

 

「パスポートとカード。二つ装備や」

 

「違います」

 

「これで僕、強くなった」

 

「あなたの戦闘能力とは関係ありません」

 

「消されにくくなった」

 

 黒崎は、言葉を止めた。

 

 バドは、旅券とカードを見比べた。

 

「強いパスポートは、強い装備や」

 

 黒崎は少しだけ目を伏せる。

 

 それから、静かに言った。

 

「そういう意味では、間違っていません」

 

 バドが目を丸くする。

 

「珍しく認めた」

 

「珍しくではありません」

 

 徳永は咳払いをした。

 

「話を戻す。ブラジル支社では、ASURA搭載ブロッケン試験機による動作データ収集を行う。目的は、ASURAの商品化に向けた既存機体への適応性検証だ」

 

 内海が口を挟む。

 

「そしてついでに、グリフォン用ASURAの判断系も鍛えられる」

 

「ついでではない」

 

「では副次的成果」

 

「君が言うと主目的に聞こえる」

 

「実に鋭い」

 

「褒めていない」

 

 徳永は資料をめくった。

 

「試験内容は制限する。実戦行為は禁止。第三者の機体を巻き込むことも禁止。武装使用も原則禁止。試験場はブラジル支社管轄の閉鎖区域とする」

 

 内海はにこやかに頷いた。

 

「もちろんです」

 

「信用していない」

 

「ひどいなあ」

 

「だから黒崎君を同行させる」

 

 黒崎が一礼した。

 

「現地での実務管理、安全停止権限、搭乗時間管理、医療連携、機体ログ保全、旅券管理を担当します」

 

 バドが黒崎を見る。

 

「パスポートも黒崎さん管理?」

 

「原則、移動時以外は私が保管します」

 

「えー」

 

「失くされたら困ります」

 

「僕のやのに」

 

「あなたのものです。ですが、管理はします」

 

「検閲やん」

 

「保護です」

 

「似てるなぁ」

 

「違います」

 

 バドは、旅券を抱え込むように持った。

 

 黒崎はすぐには取り上げなかった。

 

 今日くらいは、持たせておくべきだと思ったからだ。

 

 徳永は、さらに厳しい声で言った。

 

「バドリナート君の搭乗には条件をつける」

 

「条件?」

 

「医師の事前確認。搭乗時間の制限。緊急停止権限は黒崎君。内海課長の独断による試験は禁止。危険度が基準を超えた場合は即時中止。学習、医療、生活記録の作成も義務とする」

 

 バドは、少し不満そうな顔をした。

 

「学校みたいやな」

 

「実際に教育計画も組む」

 

「ブラジルで?」

 

「日本語、英語、基礎学科、技術教育、安全教育、法的身分に必要な教育記録。全てだ」

 

「僕、日本のパスポート貰ったのに、まだ勉強いるん?」

 

「旅券は卒業証書ではない」

 

「うへえ」

 

 内海が笑った。

 

「バド、宿題だって」

 

「内海さんも書類いっぱい書かされるで」

 

 内海の笑みが一瞬だけ止まった。

 

 黒崎が淡々と言う。

 

「その通りです。内海さんには、週次報告書、試験計画書、リスク評価表、現地法人向け説明書、徳永専務宛て進捗報告の提出義務があります」

 

「黒崎君」

 

「はい」

 

「聞いていないよ」

 

「今お伝えしました」

 

「専務、これは少し厳しすぎませんか」

 

 徳永は即答した。

 

「君には足りないくらいだ」

 

「左遷先で報告書漬けとは」

 

「それが謹慎だ」

 

「僕はてっきり、広い試験場と緩い監視と多様なレイバー環境をいただけるのかと」

 

「それを防ぐための報告書だ」

 

「なるほど。では報告書に広い試験場と多様なレイバー環境について書けばいいわけですね」

 

「内海」

 

「はい」

 

「反省しろ」

 

「しています」

 

「その顔で言うな」

 

 バドがくすっと笑った。

 

 徳永はバドへ視線を移す。

 

「君もだ」

 

「僕?」

 

「この計画は、君の遊びではない」

 

「うん」

 

「アルフォンスと戦うための準備でもない」

 

 バドは黙った。

 

 徳永は続ける。

 

「表向きは、ASURAの商品化試験だ。会社として認めるのはそこまでだ」

 

 バドは少し考えた。

 

 そして、真面目な顔で頷く。

 

「分かった」

 

「本当に分かったかね」

 

「うん。表向きは、やろ」

 

 徳永は額に手を当てた。

 

「そこを理解するな」

 

 内海は肩を震わせて笑っていた。

 

 黒崎は胃が痛くなった。

 

 徳永は深く息を吐く。

 

「いいか、バドリナート君。君は日本国籍を持つ未成年だ。会社の協力者ではあるが、同時に保護対象でもある。危険な試験に際して、君の意思だけでは判断させない」

 

「でも僕しか乗られへんのやろ」

 

 会議室の空気が少しだけ重くなった。

 

 バドは、机の上のブロッケン断面図を見る。

 

 ASURAの演算ユニット。

 

 冷却装置。

 

 ログ記録装置。

 

 大人が入らなくなったコックピット。

 

 自分程度の体格でなければ乗れない穴。

 

「グリフォンだけやなくて、ブロッケンASURAも僕用なんやな」

 

 森川が慎重に言う。

 

「現状では、君の体格が必要になる」

 

 磯口は少し軽い調子で言った。

 

「ASURAが小型化できれば、大人でも乗れるようになるさ」

 

 バドはにっと笑った。

 

「ほな競争やな」

 

「競争?」

 

「僕が大きくなるのが先か、ASURAが小さくなるのが先か」

 

 内海が嬉しそうに手を叩いた。

 

「いいねえ」

 

 徳永は睨んだ。

 

「よくない」

 

「でも専務」

 

 バドは、徳永を見た。

 

「僕、乗るで」

 

「君の意思だけでは決めないと言った」

 

「うん。でも、言うとく」

 

 バドは旅券と身分証カードを大事そうに机へ置いた。

 

「僕、グリフォンでアルフォンスに勝ちたい。でも、そのためにグリフォンを無駄に壊したらあかん。ブロッケンで転んで、捕まって、押し負けて、ASURAに負け筋を食わせる。それが一番ええ」

 

 徳永は何も言わなかった。

 

「それに」

 

 バドは、日本国旅券の表紙を軽く叩いた。

 

「僕、日本のパスポート貰ったやろ。ちゃんと国の中に入ったんやろ。なら、勝手に消されへん。逃げるためだけやなくて、ちゃんと戻ってくるために使う」

 

 黒崎が目を細めた。

 

「その理解は、悪くありません」

 

「褒めた?」

 

「褒めてはいません」

 

「でも悪くないって言った」

 

「はい」

 

 徳永は静かに言った。

 

「ただし、保護されたから働かなければならない、という理屈にしてはいけない」

 

 バドは、少しだけきょとんとした。

 

 徳永も黒崎を見た。

 

 黒崎は淡々と続ける。

 

「あなたは、働くために保護されたのではありません。国籍も旅券も、会社に奉仕するために与えられたものではない。保護された上で、制限付きの協力を求められている。順番を間違えないで下さい」

 

 バドはしばらく黙った。

 

 それから、小さく言った。

 

「……黒崎さん、たまにまともな大人みたいなこと言うな」

 

「常にまともです」

 

「内海さんの部下やのに?」

 

「それは関係ありません」

 

 内海が楽しそうに笑う。

 

「黒崎君はまともだよ。僕の部下をやっていること以外は」

 

「内海さん」

 

「はい」

 

「黙って下さい」

 

「はいはい」

 

 徳永は黒崎を見て、少しだけ頷いた。

 

「その通りだ。バドリナート君。君は会社の所有物ではない」

 

 バドは、不思議そうな顔をした。

 

「ほんまに?」

 

 徳永は言葉に詰まった。

 

 その問いが、冗談ではなかったからだ。

 

 バドは本当に確認していた。

 

 自分は会社の所有物ではないのか。

 

 パレットの商品ではないのか。

 

 グリフォンの部品ではないのか。

 

 ASURAの入力装置ではないのか。

 

 徳永は、ゆっくりと言った。

 

「本当だ」

 

 バドは、少し困ったように笑った。

 

「ほな、変な感じやな」

 

「慣れなさい」

 

「うん」

 

 会議室に、わずかな沈黙が落ちた。

 

 それを破ったのは、内海だった。

 

「それで専務」

 

「何だ」

 

「出発はいつです?」

 

「二週間後だ」

 

「準備期間としては短いですね」

 

「君が余計なことをする前に出す」

 

「信用がないなあ」

 

「ない」

 

「でも、バドの旅券、渡航準備、機体搬送、ASURA試験系の組み込み、ブラジル支社の試験場調整。二週間で?」

 

 徳永は海外事業部担当役員を見た。

 

 担当役員は苦い顔で頷いた。

 

「可能にします」

 

「可能なのですか」

 

「可能にします」

 

 黒崎が静かに言った。

 

「既に一部手配済みです」

 

 内海は笑った。

 

「おや。僕に内緒で?」

 

「あなたに事前に伝えると、勝手に計画を広げるためです」

 

「ひどいなあ」

 

「事実です」

 

 バドが旅券を抱えたまま聞いた。

 

「ブラジルって暑い?」

 

「暑い地域も多いですね」

 

「グリフォン、熱ダレしやすいからちょうどええな」

 

 徳永が鋭く言う。

 

「グリフォンを動かすとは言っていない」

 

「でもデータいるやろ?」

 

「ASURA搭載ブロッケンが主だ」

 

「主はな」

 

「バドリナート君」

 

「はい」

 

「君も、表向きと裏向きを使い分けるな」

 

「難しいなぁ」

 

 内海が小さく拍手した。

 

「実に順応が早い」

 

「褒めるな!」

 

 徳永の怒声が飛ぶ。

 

 内海は楽しそうに肩をすくめた。

 

 黒崎の胃がまた痛んだ。

 

 徳永は最後に、書類を閉じた。

 

「決定事項を確認する」

 

 会議室の全員が姿勢を正す。

 

「内海課長は、ブラジル支社へ異動。ASURA搭載ブロッケン試験計画の統括責任者とする。ただし、試験内容は本社承認制。週次報告義務あり」

 

「はい」

 

「黒崎君は同行し、現地での安全管理、法務連絡、バドリナート君の実務保護および旅券管理を担当」

 

「承知しました」

 

「土浦研究所は、ASURA試験系の搭載、ログ解析、グリフォン用制御系への変換研究を担当」

 

 森川と磯口が頷く。

 

「バドリナート・ハルチャンドは、日本国籍を有する未成年として、シャフト・エンタープライズ・ジャパン特別研究協力者、および未成年保護対象に登録。ブラジル支社へは日本国旅券を用い、会社管理下で渡航。教育、医療、生活記録を整備し、身分関係書類を継続管理する」

 

 バドは、自分の名前と国籍が大人の声で読み上げられるのを聞いていた。

 

 変な気分だった。

 

 怖いような。

 

 嬉しいような。

 

 くすぐったいような。

 

 自分が、書類上の存在として読み上げられている。

 

 しかも、日本国籍を持つ人間として。

 

「質問は」

 

 徳永が言った。

 

 内海が手を上げた。

 

「ブラジル支社でサンバの練習は業務に含まれますか」

 

「含まれない」

 

 バドも手を上げた。

 

「僕のパスポート、今日持って帰ってええ?」

 

 黒崎が即答した。

 

「移動時以外は私が保管します」

 

「えー」

 

「失くさないためです」

 

「今日だけ」

 

「今日だけなら、専務」

 

 黒崎は徳永を見る。

 

 徳永は、少し考えてから頷いた。

 

「今日だけだ。明日からは黒崎君が保管する」

 

 バドは、旅券を胸に抱えた。

 

「よし」

 

 その顔は、グリフォンに初めて乗った時とは違う。

 

 勝つための玩具を手に入れた顔ではない。

 

 自分の名前と国を、ようやく手の中に持った子供の顔だった。

 

「内海さん」

 

「何だい」

 

「僕、ちょっと人間っぽくなった」

 

 内海は笑った。

 

「前から人間だよ」

 

「内海さんが言うと嘘っぽい」

 

「ひどいなあ」

 

 徳永は静かに言った。

 

「前から人間だ。書類が追いついていなかっただけだ」

 

 バドは、徳永を見た。

 

 少しだけ、いつもの悪知恵の顔ではなくなった。

 

「……ありがとう、専務」

 

「礼は、ブラジルで余計なことをしないことで返しなさい」

 

「それは難しい」

 

「難しくするな」

 

 内海が楽しそうに立ち上がった。

 

「では、南米ですか。いやあ、忙しくなりますね」

 

「内海」

 

「はい」

 

「最後に言っておく」

 

 徳永は、内海をまっすぐ見た。

 

「これは、君に自由な遊び場を与えるための異動ではない」

 

 内海は、にこりと笑った。

 

「もちろんです」

 

「バドリナート君は、君の玩具ではない」

 

「友達です」

 

「その言い方も禁止したいくらいだ」

 

「残念です」

 

「ブラジルで問題を起こした場合、今度こそ君を切る」

 

 内海は笑ったまま答えた。

 

「努力します」

 

「何をだ」

 

「切られない程度に面白くやることを」

 

「内海!」

 

 会議室に徳永の怒声が響いた。

 

 バドは、日本国旅券を握ったまま笑った。

 

 黒崎は、今日何度目か分からない胃痛を覚えた。

 

 南米行きが決まった。

 

 ASURA搭載ブロッケンの試験が始まる。

 

 内海は左遷された。

 

 だが、その顔は、新しい遊び場を与えられた子供のようだった。

 

 バドには、日本国籍と旅券ができた。

 

 それは彼を守る盾であると同時に、彼をブラジルの試験場へ連れていく札でもあった。

 

 紙の束。

 

 旅券一冊。

 

 カード一枚。

 

 それでもバドは、それを大事そうに胸元へしまった。

 

「よし」

 

 小さく呟く。

 

「南米編、開始やな」

 

 黒崎がすぐに言った。

 

「南米編ではありません」

 

 内海が笑った。

 

「いいじゃないか、黒崎君。南米編。実にいい響きだ」

 

「内海さんまで乗らないで下さい」

 

「だって始まるんだろう?」

 

 内海は、バドを見た。

 

 バドも、内海を見た。

 

 二人は同時に笑った。

 

 黒崎は思った。

 

 やはり、この二人を同じ飛行機に乗せてはいけない。

 

 だが、辞令はもう出ていた。

 

 そして、旅券も発行されていた。

 

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読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

愛と勇気と正義にかけて、市民をお守りいたします!(作者:イングラマン)(原作:機動警察パトレイバー)

某巡査の娘が特車二課第二小隊に配属される、原作再構成二次小説です。▼自分が読みたいがために投稿しました。▼・TVアニメ版を軸にOVA、漫画版や小説版をミックスしています。▼・転生オリ主最強です。▼・一部キャラクターの生年と経歴を変更しています。▼・作者は警察組織やコンピュータについてはネットで調べた程度の知識しかありません。▼以上の点を踏まえて、本文をお読み…


総合評価:2905/評価:9.07/連載:15話/更新日時:2026年06月26日(金) 21:00 小説情報

アルカンフェル転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:強殖装甲ガイバー)

気が付くとアルカンフェルに転生していた▼お仕置きビリビリは嫌だが、巨大小惑星の衝突は回避しないと地球丸ごと死ぬとか草。▼原作開始まで何万年?忘れない様に石板に覚えてる原作内容を書き込んでおこう。気が付いたら眠りの神殿に石板が飾られてて笑う。日本語は不味くないか?


総合評価:2518/評価:8.72/連載:35話/更新日時:2026年07月01日(水) 04:00 小説情報

トローラ・ロージン転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

星団暦2988年、アドラー。▼ユーバー・バラダに雇われた傭兵騎士トローラ・ロージンは、目覚めた瞬間に自分が「もう詰んでいる」ことを悟る。▼視界いっぱいに迫る黄金の電気騎士、K.O.G.。▼本来ならここでトローラは、MHバルンシャごと潰されて死ぬはずだった。▼だが、転生者としての記憶を得たトローラは、咄嗟にバルンシャの姿勢を沈め、頭部を差し出すことで胸部コック…


総合評価:807/評価:8.9/連載:12話/更新日時:2026年06月30日(火) 18:00 小説情報

ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

ニナリスのA-B1-B1-B2-B2:VVS1・L型って見てさ。クリアランスVVS1が嫁いでくるのにジィッドくん残念過ぎないと思って妄想を形にしてみます。これミースを誘拐したり、エンジン爆破しそうにないから、死なないで済むかしら?▼ラストまで投稿したぜ。2026年6月18日完結。▼トローラ・ロージン転生「https://syosetu.org/novel/4…


総合評価:724/評価:8.68/完結:161話/更新日時:2026年06月18日(木) 00:00 小説情報

忍の世界とか割と詰みである(作者:こうすけ増田劇場版)(原作:NARUTO)

面白いからを理由に転生させられる極々普通の転生者の話。▼それはそうとこの世界線、アニナルっぽいので割と手厳しいと言うかNARUTOの世界ってチートを貰ってようが普通に厳しくね?な話▼ヒロイン?最終回発情期とかあるし息子世代の話もあるし、まぁ、500話以上あるアニナルを見てどうすんか考えるっぺ。


総合評価:2973/評価:7.25/連載:13話/更新日時:2026年06月30日(火) 21:09 小説情報


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