/*/ 小笠原諸島沖 夜間 /*/
小笠原諸島の外れ。
一般航路から外れた海域に、小さな無人島があった。
表向きには、何もない島だった。
だがその夜、砂浜と岩場を利用した演習区域には、照明を落とした自衛隊レイバーと米軍レイバー部隊が展開していた。
極秘の夜間合同訓練。
通信は絞られ、外部への発信も制限されている。
そこへ、黒い影が落ちた。
「なんだ?」
誰かが言った。
次の瞬間、上空から降ってきた黒いレイバーが、米軍機の肩を掴んで砂浜へ叩きつけた。
砂が爆ぜる。
自衛隊のレイバーが反応するより早く、黒い機体はもう横へ跳んでいた。
速い。
軽い。
夜そのものが、形を持って動いているようだった。
サーチライトが追いつかない。
照準が合わない。
訓練中の部隊は、混乱した。
相手が何なのか分からない。
どこから来たのかも分からない。
そして、どの距離が安全なのかも分からない。
グリフォンは、砂浜を滑るように走った。
飛ぶ。
沈む。
回る。
踏み込む。
米軍レイバーの一機が腕を伸ばした瞬間、その腕は外側から絡め取られ、肘を殺される前に肩口から押し返された。
別の機体が援護に入る。
だが、グリフォンはそこにいない。
背後。
膝裏。
足元。
黒い手が腰を押し、脚を払う。
巨体が崩れた。
バドはコックピットの中で、操縦桿を握っていた。
楽しい。
楽しいに決まっている。
グリフォンは、思った通りに動く。
いや、思った以上に動く。
フィリピンでブロッケンに乗って、何度も失敗した踏み込み。
旋回の遅れ。
相手を掴んだ後の重心の残し方。
押した時に、どの角度で膝が抜けるのか。
あの鈍い機体で学んだことが、グリフォンでは一瞬で形になった。
だが。
「……ちゃうな」
バドは小さく呟いた。
最後の一機が後退する。
恐怖している。
混乱している。
こちらの性能も、間合いも、癖も、何も知らない。
グリフォンは懐へ入った。
胴を押さえ、脚を払う。
レイバーは抵抗らしい抵抗もできず、砂浜に倒れた。
通信が乱れる。
訓練場だった島に、波の音だけが戻ってくる。
グリフォンは、夜の砂浜に立っていた。
勝った。
誰が見ても、圧勝だった。
バドは操縦席の中で、少しだけ考えた。
それから、グリフォンを砂浜にしゃがませる。
黒い指先が、白い砂に文字を書いた。
大きく。
丸っこく。
子供の落書きのように。
『ぐりふぉんさんじょう』
バドはそれを見て、ようやく少し笑った。
「これくらいは、ゲームっぽくてもええやろ」
そして、黒い機体は再び夜に跳んだ。
/*/ シャフト地下施設 帰還後 /*/
回収は成功した。
機体温度は危険域手前。
冷却系には負荷が出ていたが、許容範囲内。
関節部の消耗も、想定より少ない。
土浦研究所から来ていた磯口は、モニターに流れる機体ログを食い入るように見ていた。
「すごい……本当にやったぞ」
隣で森川が、別の端末に表示された姿勢制御ログを追っている。
「この反応速度で、ASURAが破綻していない。いや、むしろ想定より安定している。夜間、砂地、不整地、相手複数……それでこの補正値か」
磯口は興奮を隠せない。
「関節も持ってる。熱も、この範囲なら冷却で戻せる。いやあ、作っておいて何だけど、これは凄いものになったな」
「趣味の産物としては、上出来ですね」
森川の声にも、抑えきれない熱があった。
グリフォンを囲む大人たちは、まるで祭りのようだった。
現時点における最高性能のレイバー。
法定規格も、生産性も、整備性も、すべてを脇に置いた怪物。
それが本当に、実戦めいた場で既存レイバー部隊を圧倒した。
内海も満足そうに笑っている。
「おめでとう、バド。初陣は大成功だ」
バドは、ヘルメットを外した。
額に汗が張りついていた。
けれど、子供の顔に浮かんでいるのは勝利の高揚ではなかった。
妙に渋い顔だった。
「……あんなん、不意打ちで叩き潰しただけや」
周囲の空気が、少し止まった。
磯口が目を瞬かせる。
森川も端末から顔を上げた。
内海が面白そうに片眉を上げる。
「ほう?」
バドはグリフォンを見上げた。
黒い装甲。
冷却の白い霧。
帰ってきたばかりの獣みたいな機体。
「相手は極秘訓練中やった。こっちが来ると思ってへん。飛ぶとも思ってへん。あの速さで突っ込んでくるとも思ってへん。そんなん、初見殺しや」
黒崎が静かに言った。
「それでも、自衛隊と米軍のレイバー部隊を行動不能にした事実に変わりはありません」
「事実はそうや。でも勝負とはちゃう」
バドは即答した。
「正面から、パイロットの技量と機体性能、全部乗せてぶつかり合わんと、本当に勝ったとは言えへん」
内海が喉の奥で笑った。
「言うねぇ、バド」
バドは唇を尖らせる。
「だって、内海さん。今のままやったら、僕、ヘルダイバーに組みつかれたら関節極められて制圧されるもん」
磯口が思わず声を上げた。
「まさか。グリフォンの出力なら、多少組まれても振りほどけるよ」
「多少ならな」
バドは、そちらを見ずに言った。
「でも、ちゃんと訓練したパイロットが乗ったヘルダイバーが、最初からこっちの脚を殺すつもりで入ってきたら? 飛ぶ前に膝を押さえられたら? 腕を取りに来るんやなくて、肩の可動を潰しに来たら? こっちが出力で外そうとした瞬間、逆に姿勢制御を崩されたら?」
格納庫が静かになった。
森川が、わずかに眉を寄せる。
バドは、フィリピンでブロッケンに乗った時のことを思い出していた。
あの時はまだ、グリフォンではなかった。
重い。
鈍い。
思った通りに動かない。
だからこそ、何度も転んだ。
力任せに動かそうとして、逆に機体を泳がせた。
相手を振りほどこうとして、足裏の接地を抜かれた。
腕を外したつもりで、肩から体勢を奪われた。
その失敗は、グリフォンに乗っても消えない。
「グリフォンは強い。めちゃくちゃ強い。でも、強い機体ほど崩された時の癖が怖いんや」
内海は笑っている。
ただし、さっきまでの祝勝気分の笑みではなかった。
もっと深く、もっと楽しそうな顔だった。
「つまり、君はまだ満足していない」
「してへん」
「小笠原であれだけ派手にやって?」
「不意打ちで勝っただけやもん」
「しかも砂浜に落書きまでして?」
「あれは勝利演出や」
「実にいい」
「そこだけ褒めんといて」
内海は肩をすくめた。
「では、何が欲しい?」
バドは答えた。
「組み合いのデータ」
その目は、グリフォンではなく、格納庫の奥に並ぶブロッケン用の搬入資料へ向いていた。
「ヘルダイバー役が要る。イングラム役も要る。こっちが飛べへん状況も要る。冷却が落ちて、動きが鈍った状態のログも要る。片腕を取られた時、片脚を潰された時、倒された後にどう起きるかも要る」
黒崎が言う。
「日本国内でも、ブロッケンに乗るつもりですか」
「乗る」
「フィリピンでの訓練とは事情が違います」
「分かっとる」
「日本でブロッケンを動かすとなれば、痕跡もリスクも大きい」
「でも要る」
バドは、真っ直ぐに言った。
「フィリピンで取ったデータだけやと足りへん。あれはあれで役に立った。でも、日本でイングラムとやるなら、日本の地面と、日本の警察機の動きに合わせたログが要る」
森川が低く呟く。
「ASURAに捕縛・制圧からの離脱パターンを追加する気か」
「うん」
バドは頷いた。
「イングラムは警察機や。多分、警察柔道とか捕縛術とか、そういう考え方が入っとる。相手を壊さんと止める動きや。そんなんに捕まったら、グリフォンでも危ない」
磯口が困ったように笑った。
「グリフォンを作った側としては、危ないと言われるのは複雑だな」
「褒めとるんやで」
「そうかなあ」
「強いから、負け筋をちゃんと潰さなあかんのや」
バドはグリフォンを見上げた。
「今日分かったんは、グリフォンが知らん相手を一方的に潰せるってことだけや」
そして、少しだけ悔しそうに笑った。
「僕が本当に勝ちたいんは、そういう相手やない」
内海が楽しそうに尋ねる。
「泉野明?」
バドは答えなかった。
ただ、冷却霧の中のグリフォンを見上げた。
「仕事で乗ってるお姉ちゃんたちは、怖いで」
その声には、子供らしい憧れと、ゲーマーの警戒心が混じっていた。
「ああいう人らは、負けそうになってからが強いんや」
内海は、ゆっくりと拍手した。
「いいねえ。実にいい。初陣に勝って、最初に出てくる言葉がそれか」
「笑うとこちゃうで」
「笑うさ。君は今、勝ったのに負け筋を探している」
「負け筋潰さんと、ラスボスには勝てへんやろ」
「ラスボスか。なるほど」
内海はグリフォンを見上げた。
黒い機体は冷却霧の中で沈黙している。
完成した怪物。
だが、その操縦者は、まだ完成だと思っていない。
「黒崎君」
「はい」
「ブロッケンの国内運用計画を検討しよう。もちろん、派手にやる必要はない。バドの言う通り、次は組み付きと制圧への対処を重点に」
黒崎は一瞬だけ沈黙した。
それから、淡々と頷いた。
「承知しました」
森川は端末に向き直り、ログを保存し始めた。
「ASURA側にも、離脱パターンの枠を作っておきます」
磯口は、まだ興奮の残る顔でグリフォンを見上げた。
「いやあ、初陣で勝ったその日に、もう負けた時の話か」
バドは小さく息を吐いた。
初陣は終わった。
勝った。
砂浜に落書きも残した。
けれど、これはまだ一面クリアにすぎない。
グリフォンの本当の敵は、性能差で怯む相手ではない。
警察官として、仕事として、壊さず、逃がさず、止めに来る相手だ。
バドは操縦席を振り返った。
「次は、投げられた後の練習やな」
内海が笑う。
「勝ったその日に、負ける練習かい?」
「せや」
バドは、今度は少しだけ笑った。
「負け方知らん奴は、最後に負けるんや」