/*/ 小笠原諸島 シャフト系列試験場 /*/
小笠原で恥をかかされた。
SE-USAの技術責任者は、そう言った。
表向きは言わない。
議事録にも残さない。
アメリカ陸軍、海兵隊、SE-USA、シャフト・エンタープライズ・ジャパン。
それぞれの顔がある。
正式採用機。
TYPE-M5。
エイブラハム。
CFRM複合装甲を持ち、アメリカ陸軍と海兵隊に正式採用された軍用レイバー。
民間警備会社にも販売され、世界中で運用されている優秀な機体。
そのエイブラハムが、小笠原でグリフォンにあっさりと撃破された。
しかも、勝負というより、片手間だった。
SE-USAにとって、それは笑って済ませられる話ではなかった。
もちろん、表向きは事故だ。
非公式試験。
機密映像。
原因調査中。
そういう言葉で覆われた。
だが、技術者も軍人も、分かっていた。
あの黒い機体は、エイブラハムを敵として見ていなかった。
障害物として処理した。
だからこそ、再戦の話が出た。
正式な試験ではない。
社内評価でもない。
記録上は、系列企業間の運用データ比較試験。
だが、現場の誰もが理解していた。
これは勝負だった。
小笠原で恥をかかされたSE-USAが、もう一度エイブラハムを出す。
相手は、グリフォン。
ただし、飛行ユニットはない。
アクアユニットもない。
ほぼ素体。
背中に装着されているのは、小型のデータ収集バックユニットだけだった。
バドはそれを「データランドセル」と呼んだ。
黒崎は何度もやめさせようとした。
結局、誰も止められなかった。
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試験場は、海に近い岩場と造成地を組み合わせた閉鎖区域だった。
空は曇っている。
風は強い。
海からの潮が、金属に薄くまとわりつく。
格納用の仮設シェルターの中で、グリフォンは膝をついていた。
黒い装甲。
細い四肢。
獣じみた輪郭。
背面には、飛行ユニットではなく、小さな箱状のユニットが取り付けられている。
左右の小型カメラ。
慣性計測装置。
接触圧センサー。
外部記録装置。
背面ロック試験用の簡易接続フレーム。
戦うための装備ではない。
逃げるための装備でもない。
覚えるための装備。
ASURAに、これまでより多くのデータを食わせるためのランドセルだった。
森川政治は、端末を見ながら恍惚に近い表情をしていた。
「背面接触圧、正常。慣性計測系、同期。外部映像記録、開始。肩部・背部負荷センサー、全系統正常」
磯口豊も別の端末を確認している。
「装着ロック、左右差なし。重心補正も許容範囲内だね。飛行ユニットよりずっと軽い。素体に近い動作はできるはずだ」
黒崎は、二人の背後で腕を組んでいた。
「できるはず、では困ります」
「試験だからね」
磯口は悪びれない。
「試験で困るのは、だいたい現場担当です」
「黒崎君は大変だねえ」
内海課長が言った。
いつもの薄ら笑い。
試験場の片隅に設けられた観測室には、シャフト関係者、SE-USA関係者、技術担当者、軍関係者が揃っていた。
その中に徳永専務の姿もある。
徳永は、笑っていなかった。
まったく笑っていなかった。
バドがコックピットに入る前、徳永は彼を呼び止めた。
「バドリナート君」
「はい」
バドは珍しく素直に返事をした。
徳永の顔が、あまりにも怖かったからだ。
「今日は試験だ。勝負ではない」
バドは一瞬だけ黙った。
「……はい」
「はいは一回でいい」
バドは黒崎を見る。
「それ黒崎さんの台詞やん」
「今日は専務に譲ります」
徳永は続けた。
「Bシステムをカットするという報告を受けた」
「データ欲しいから」
「理由になっていない」
「なっとるやん」
「なっていない」
徳永の声は低かった。
バドは少しだけ口を閉じた。
「Bシステムはリミッターです。安全のためにある」
黒崎が補足する。
「それをカットした状態のグリフォンは、操縦者にも機体にも負担が大きい」
「分かっとる」
「分かっていません」
黒崎はいつものように言った。
しかし今回は、森川も磯口も黙っていた。
技術屋としては、Bシステムカット時の稼働データが欲しい。
欲しくてたまらない。
だが、それを口にすれば徳永の視線で焼かれる。
内海課長だけが、楽しそうだった。
「バド。勝つことより、戻ることだよ」
バドは内海を見た。
「内海さんがそれ言うん?」
「僕は意外と安全運転なんだ」
黒崎が即座に言った。
「どの口で言うのですか」
内海は笑った。
バドも少し笑った。
だが、すぐに真顔になる。
「分かっとる。飛ばへん。潜らへん。逃げる必要もない。ここで勝って、ここで分解して帰る」
徳永が眉をひそめる。
「分解?」
「データランドセルを現地で外して、ログ回収するんやろ」
森川が小さく咳払いした。
「はい。試験後、背面ユニットは現地で分解・回収します。機体本体は別経路で輸送します」
徳永は森川を見た。
森川は目を逸らした。
磯口も見ないふりをした。
徳永は深く息を吐く。
「無茶をするな」
バドは頷いた。
「うん」
「君が怪我をするなら、この試験は即時中止する」
「分かっとる」
「本当に分かっているのかね」
「分かっとる」
バドは、グリフォンを見上げた。
黒い機体。
羽根のない怪鳥。
背中にランドセルだけを背負った、ほぼ素体の身体。
「今日は飛ぶ勝負ちゃう。地面の勝負や」
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相手のエイブラハムは、堂々としていた。
全高八・三メートル。
太い胴体。
CFRM複合装甲。
柱状の脚。
膝や足首の関節が判然としない、独特の下半身。
重量感のある腕。
アメリカ軍正式採用機らしい、実直な威圧感。
操縦者はSE-USA側のテストパイロットだった。
軍出身。
エイブラハムの運用時間は長い。
小笠原での屈辱は知っている。
相手のグリフォンが異常な機体であることも分かっている。
それでも、今回の条件なら勝機はあると彼は思っていた。
グリフォンに飛行ユニットはない。
背中にあるのは小型のデータユニット。
逃げも奇襲も限られる。
こちらは正式採用機のエイブラハム。
防御力と押し合いなら負けない。
Bシステムをカットしているという情報は、彼には伏せられていた。
開始合図が出る。
エイブラハムが構える。
グリフォンは、構えなかった。
膝をわずかに沈め、腕を下げる。
前傾。
低い。
人型レイバーの構えではない。
獣でもない。
もっと奇妙な、地面に手をつく前の人間のような姿勢。
観測室のSE-USA関係者が、怪訝な顔をした。
「何だ、あの構えは」
森川が小さく言う。
「始まる」
バドの声が、コックピット内で低く響いた。
「Bシステム、カット」
警告表示。
リミッター解除。
関節負荷上限拡大。
姿勢制御安全域縮小。
ASURA補正、拡張。
データランドセルの外部記録装置が、すべての値を吸い上げ始める。
背部加速度。
回転角。
接地衝撃。
肩部荷重。
腰部捻転。
腕部支持圧。
ログ記録。
グリフォンが動いた。
エイブラハムのパイロットは、最初の一歩を見失った。
速い。
だが、それだけではない。
低い。
グリフォンが、地面へ手をついた。
人型レイバーが、戦闘開始直後に手をつく。
常識外れの動作。
エイブラハムの腕が反応する前に、グリフォンの身体が低く回った。
カポエイラの低い回転。
脚が、鞭のように伸びる。
蹴り。
狙いは胴体ではない。
エイブラハムの頭部センサーだった。
黒い脚部が、横から頭部を打つ。
衝撃。
映像が乱れる。
エイブラハムが一歩下がる。
その時には、グリフォンはもう正面にいない。
手をついたまま、身体を反転させている。
側転。
いや、側転に似た何か。
レイバーがやる動きではなかった。
腕で地面を押し、脚を高く上げる。
その脚が、回避と攻撃を同時に行う。
エイブラハムの腕が空を切る。
すれ違いざま、グリフォンの踵がもう一度、エイブラハムの頭部を蹴った。
観測室がざわめく。
SE-USAの技術者が身を乗り出した。
「何だ、あの運動は」
磯口は端末を見ながら笑っていた。
「取れてる。取れてるぞ。背面加速度、肩部接地荷重、側転時の腰部捻転。これまでのログと解像度が違う」
森川も目を輝かせる。
「Bシステムカット時の補正遅延がほとんどない。ASURAが追従している。いや、違う。操縦者が先に投げて、ASURAが拾っている」
黒崎は呻いた。
「嬉々として言わないで下さい」
内海課長は笑っている。
「素晴らしいねえ」
「課長」
「何だい」
「笑っている場合ではありません」
「笑わずにいられるかい?」
黒崎は返事をしなかった。
返事をすれば、たぶん怒鳴るからだ。
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エイブラハムは、決して弱い機体ではなかった。
装甲は厚い。
重量もある。
正式採用機としての信頼性も高い。
普通のレイバーなら、押し合いで勝てる。
掴めば潰せる。
耐えれば相手が疲れる。
だが、このグリフォンは、普通ではなかった。
掴ませない。
正面にいない。
押し合わない。
腕を取らない。
腰を狙わない。
ただ、相手の視界の端に滑り込み、地面に手をつき、脚で蹴る。
足。
膝。
頭部。
肩。
センサー。
腕の付け根。
蹴る。
蹴る。
蹴る。
エイブラハムが腕を振る。
グリフォンは側転で外れる。
腕で地面を支え、身体を浮かせ、そのまま脚を振り抜く。
また頭部。
また肩。
エイブラハムの外装に凹みが増える。
頭部カメラが片側死ぬ。
補助センサーが乱れる。
パイロットが距離を取ろうとする。
グリフォンは逃がさない。
地面に片手をつき、低い姿勢から滑り込む。
蹴り上げる。
エイブラハムの腕が跳ね上がる。
その隙に、もう一方の脚が胴体側面へ入る。
装甲は抜けない。
だが、衝撃で姿勢が乱れる。
エイブラハムの柱状脚が踏ん張る。
そこへ、グリフォンが手をついたまま回り込む。
低い。
あまりにも低い。
エイブラハムのパイロットは、相手がどこにいるのかを何度も見失った。
黒い機体が視界の下を走る。
レイバー戦ではない。
大型の機械同士の格闘ではない。
人間の格闘技を、十メートル級の黒い機体が無理やりやっている。
しかも、成立していた。
「こいつ……!」
エイブラハムが両腕を広げて突っ込む。
捕まえる。
抱え込む。
そう判断した。
グリフォンは下がらない。
むしろ前へ入る。
手をつく。
身体を斜めに倒す。
エイブラハムの両腕の間を潜るようにして、側転する。
その途中、脚が真上から落ちた。
踵が、エイブラハムの頭部を打ち抜くように叩く。
頭部外装が割れた。
カメラが死ぬ。
エイブラハムの視界が半分以上消える。
観測室のSE-USA側から声が漏れた。
「頭部ばかり……」
徳永専務は、無言で画面を見ていた。
その横で、SE-USAの役員が険しい顔をしている。
内海課長は楽しそうだった。
「嫌な戦い方をするねえ」
黒崎が言う。
「課長が育てたのです」
「僕だけじゃないよ。豚と鉱山とRPGとメイドのおかげだ」
「言い訳としては最悪です」
バドはコックピットの中で笑っていた。
だが、笑いながらも息は荒い。
Bシステムをカットしたグリフォンは速い。
反応する。
思った以上に動く。
だが、中の身体へも負担が来る。
横G。
回転。
接地衝撃。
背面ユニットの振動。
データランドセルが、容赦なく数値を記録する。
警告が出る。
肩部負荷上昇。
腰部捻転限界接近。
操縦者負荷増大。
ASURA補正継続。
バドは舌を出した。
「もうちょい」
エイブラハムは、ボロボロだった。
装甲はまだ持っている。
だが、センサーが死に、腕の動きが鈍り、姿勢補正が遅れている。
重装甲機を破壊するには、まだ手間がかかる。
しかし、戦闘能力はもう半分以上失われていた。
グリフォンは、最後に真正面へ立った。
初めて、エイブラハムの正面に。
エイブラハムが反応する。
腕を上げる。
遅い。
グリフォンは前へ跳ばない。
手をつく。
低く沈む。
片脚が軸になり、もう片脚が横から振り抜かれる。
回転蹴り。
エイブラハムの頭部が、完全に横へ持っていかれた。
外装が弾ける。
首部の保持機構が歪む。
頭部センサーが沈黙する。
同時に、グリフォンは腕で地面を押し、反対側へ側転して離脱した。
エイブラハムの腕が空を切る。
そして、膝をつくように降着した。
柱状の脚が崩れ、正座に近い姿勢で沈む。
動けない。
試験終了信号が出た。
グリフォンは追撃しなかった。
ただ、低い姿勢のままエイブラハムを見ていた。
黒い機体の背中で、小さなデータランドセルが青い確認灯を点滅させている。
ログ保存完了。
/*/
勝負は、圧勝だった。
しかも、飛ばなかった。
潜らなかった。
消えなかった。
その場で、エイブラハムを蹴り回して沈黙させた。
SE-USAの役員たちは、黙っていた。
怒り。
屈辱。
驚愕。
そして、欲。
そのすべてが、彼らの顔に出ていた。
グリフォン本体の性能も異常だ。
ASURAも異常だ。
だが、それ以上に、あのパイロット。
バドリナート・ハルチャンド。
小柄な少年。
国籍不明だった子供。
今はシャフト・エンタープライズ・ジャパンの特別研究協力者。
彼が、Bシステムを切ったグリフォンを、あそこまで動かした。
SE-USAの役員の一人が、小さく言った。
「あの子供は、アメリカ国籍を望んでいると聞いたが」
隣の技術責任者が頷く。
「ええ。日本かアメリカ。強いパスポートが欲しい、と」
その言い方には、わずかな笑みがあった。
商品を見る目。
人材を見る目。
兵器を見る目。
徳永専務は、それを聞き逃さなかった。
/*/
試験場では、勝負が終わってすぐ、グリフォンの背面ユニット分解が始まっていた。
飛行ユニットもアクアユニットもない。
だから、逃げる必要はない。
現地で、データランドセルを外す。
ロック解除。
外部記録装置取り外し。
慣性計測ユニット回収。
接触圧センサー確認。
背面フレーム点検。
森川と磯口は、明らかに嬉しそうだった。
「取れてる。全部取れてる」
森川が端末を抱えるようにして言う。
「Bシステムカット時の肩部支持、側転中の腰部捻転、蹴り動作時の反力、接地手側の負荷。今まで取れていなかった部分が全部ある」
磯口も興奮している。
「データランドセル、成功だな。これはいい。飛ばない、泳がない、だが覚えるには最高だ」
バドはコックピットから降ろされ、医療チェック用の椅子に座らされていた。
顔色は悪くない。
だが、少し汗をかいている。
黒崎がその前に立つ。
「医療チェックです」
「分かっとる」
「気分は」
「ちょっとぐるぐるする」
「当然です」
「でも勝った」
「勝ちました。ですが、あとで説教です」
「はい」
「はいは一回」
「はい」
バドは素直だった。
その素直さが、黒崎には余計に胃に悪い。
バドは反省している。
だが、後悔していない。
得たものが大きすぎるからだ。
バドは森川たちの方を見た。
「データ、取れた?」
森川が満面の笑みで答える。
「取れた」
「めっちゃ?」
「めちゃくちゃ取れた」
「やった」
黒崎が言う。
「そこで喜ばないで下さい」
「だってデータランドセル成功やん」
「その呼び方もやめて下さい」
内海課長が近づいてきた。
「バド、良かったよ」
「内海さん、見た?」
「見たとも。実にいい。レイバーが手をついて蹴る。側転しながら頭部を蹴る。あれは嫌だねえ」
「エイブラハム、頭高いから蹴りやすかった」
「感想がひどい」
「でもほんまや」
黒崎が低く言う。
「相手方の前で言わないで下さい」
「言わへんよ」
「本当に?」
「たぶん」
「絶対に言わないで下さい」
バドは笑った。
その時、徳永専務が近づいてきた。
バドは背筋を伸ばした。
「専務」
「無事か」
「うん」
「痛むところは」
「ちょっと首」
徳永の視線が黒崎へ向く。
黒崎が即座に答えた。
「医療チェック中です。負荷はありますが、現時点で重大な異常は確認されていません」
「そうか」
徳永はバドを見た。
「よく戻った」
バドは少し驚いた。
怒られると思っていたからだ。
もちろん、あとで怒られるのだろう。
だが、その前に「戻った」と言われた。
バドは少しだけ笑った。
「うん」
徳永はそれ以上言わなかった。
その背後から、SE-USAの役員が近づいてくる。
スーツ姿の白人男性。
柔らかい笑み。
だが、目は柔らかくない。
バドは、その目を見て少しだけ警戒した。
ロベルタの目とは違う。
内海の目とも違う。
値段をつける目だ。
「素晴らしい操縦でした」
男は流暢な英語で言った。
バドは英語で答えた。
「ありがとうございます」
黒崎の眉がわずかに動いた。
バドは英語もできる。
それは分かっている。
だが、こういう場面でそれを見せることは、相手に餌を与えるようなものだった。
男は笑みを深める。
「バドリナート君。君は、アメリカ国籍が欲しいそうですね」
空気が変わった。
黒崎の顔から表情が消える。
内海課長の笑みが、少しだけ細くなる。
徳永専務が男を見る。
バドは一瞬、黙った。
それは事実だった。
強いパスポート。
消されにくい身分。
書類の中に入ること。
彼はずっと、それを欲しがっていた。
男は続ける。
「どうですか。一度、渡米してみては。君ほどの才能なら、我々も歓迎します。SE-USAには、君の力を活かせる環境がある」
甘い言葉だった。
身分。
国籍。
保護。
研究環境。
機体。
アメリカ。
バドの欲しいものが、いくつも含まれている。
だが、徳永専務が一歩前に出た。
「バドリナート君は、うちの特別協力者だ」
日本語だった。
しかし、通訳を待つ必要はなかった。
男は意味を理解している。
徳永は静かに続けた。
「欲を出さないでもらいたい」
その声は、会議室で内海を叱る時よりも冷たかった。
SE-USAの男は笑みを崩さない。
「もちろん、無理にとは申しません。ただ、彼自身の将来を考えれば、選択肢は多い方がよい」
「その選択肢を餌にして、子供を釣るなと言っている」
黒崎がわずかに目を伏せた。
内海課長は、珍しく黙っていた。
バドは徳永の背中を見上げた。
大きくはない。
レイバーでもない。
銃も持っていない。
だが、その背中は、今、自分の前に立っている。
SE-USAの役員は、少しだけ肩をすくめた。
「誤解があったなら失礼」
「誤解はない」
徳永は言った。
「だから言っている」
短い沈黙。
やがて、SE-USAの男は一礼し、離れていった。
バドは、しばらく黙っていた。
それから小さく言う。
「専務」
「何だね」
「僕、アメリカ国籍欲しいって言うたことある」
「知っている」
「強いパスポート、欲しい」
「知っている」
「でも、今の言い方、なんか嫌やった」
徳永はバドを見た。
バドは少し困った顔をしている。
「僕を見てるんやなくて、グリフォンの中身見てるみたいやった」
徳永は静かに頷いた。
「そうだ」
「そっか」
バドは、データランドセルを外されたグリフォンを見た。
黒い機体。
自分が乗った機体。
自分が欲しい機体。
自分を欲しがらせる機体。
ロベルタの言葉を、ふと思い出した。
銃を持つ子供は、いつか銃に使われる。
レイバーでも同じ。
使いこなすことと、手放せること。
両方を覚えなければならない。
バドは小さく息を吐いた。
「難しいなぁ」
黒崎が言った。
「だから、簡単に返事をしないで下さい」
「うん」
「はいは」
「一回」
バドは笑った。
徳永は、ほんの少しだけ表情を緩めた。
内海課長がようやく口を開く。
「人気者だねえ、バド」
「内海さん」
「何だい」
「僕、アメリカ行った方がええと思う?」
内海課長は笑った。
いつもの笑み。
何を考えているのか分からない笑み。
「行きたければ行けばいい。行きたくなければ行かなければいい」
「止めへんの?」
「僕は君の保護者じゃないからね」
黒崎が低く言う。
「その自覚があるなら、普段からもう少し慎重に扱って下さい」
内海課長は笑う。
バドは少しだけ考えた。
そして言った。
「今は行かへん」
徳永が見る。
黒崎も見る。
内海課長も、少しだけ目を細めた。
「何で?」
内海が聞く。
バドはグリフォンを指差した。
「アルフォンスに勝ってへん」
黒崎は額を押さえた。
「結局そこですか」
「そこや」
バドは、にっと笑った。
「怪獣戦帰りのアルフォンスと、南米帰りでランドセル背負って勉強したグリフォン。まだ本番残っとるもん」
内海課長は吹き出した。
徳永は深く息を吐いた。
黒崎は胃を押さえた。
森川と磯口は、データを抱えて嬉々として走り回っていた。
試験場の向こうでは、頭部を壊されたエイブラハムが、正座のような姿勢で沈黙している。
その姿は、敗北というより、授業を受けた後の教材のようだった。
バドはそれを見て、小さく呟いた。
「エイブラハム先生、ええデータありがとうな」
「相手方の前で絶対に言わないで下さい」
黒崎の声は、今日一番疲れていた。