転生バドは勝利を夢見る   作:ぶーく・ぶくぶく

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データ比較試験

/*/ 小笠原諸島 シャフト系列試験場 /*/

 

 

 

 小笠原で恥をかかされた。

 

 SE-USAの技術責任者は、そう言った。

 

 表向きは言わない。

 

 議事録にも残さない。

 

 アメリカ陸軍、海兵隊、SE-USA、シャフト・エンタープライズ・ジャパン。

 

 それぞれの顔がある。

 

 正式採用機。

 

 TYPE-M5。

 

 エイブラハム。

 

 CFRM複合装甲を持ち、アメリカ陸軍と海兵隊に正式採用された軍用レイバー。

 

 民間警備会社にも販売され、世界中で運用されている優秀な機体。

 

 そのエイブラハムが、小笠原でグリフォンにあっさりと撃破された。

 

 しかも、勝負というより、片手間だった。

 

 SE-USAにとって、それは笑って済ませられる話ではなかった。

 

 もちろん、表向きは事故だ。

 

 非公式試験。

 

 機密映像。

 

 原因調査中。

 

 そういう言葉で覆われた。

 

 だが、技術者も軍人も、分かっていた。

 

 あの黒い機体は、エイブラハムを敵として見ていなかった。

 

 障害物として処理した。

 

 だからこそ、再戦の話が出た。

 

 正式な試験ではない。

 

 社内評価でもない。

 

 記録上は、系列企業間の運用データ比較試験。

 

 だが、現場の誰もが理解していた。

 

 これは勝負だった。

 

 小笠原で恥をかかされたSE-USAが、もう一度エイブラハムを出す。

 

 相手は、グリフォン。

 

 ただし、飛行ユニットはない。

 

 アクアユニットもない。

 

 ほぼ素体。

 

 背中に装着されているのは、小型のデータ収集バックユニットだけだった。

 

 バドはそれを「データランドセル」と呼んだ。

 

 黒崎は何度もやめさせようとした。

 

 結局、誰も止められなかった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 試験場は、海に近い岩場と造成地を組み合わせた閉鎖区域だった。

 

 空は曇っている。

 

 風は強い。

 

 海からの潮が、金属に薄くまとわりつく。

 

 格納用の仮設シェルターの中で、グリフォンは膝をついていた。

 

 黒い装甲。

 

 細い四肢。

 

 獣じみた輪郭。

 

 背面には、飛行ユニットではなく、小さな箱状のユニットが取り付けられている。

 

 左右の小型カメラ。

 

 慣性計測装置。

 

 接触圧センサー。

 

 外部記録装置。

 

 背面ロック試験用の簡易接続フレーム。

 

 戦うための装備ではない。

 

 逃げるための装備でもない。

 

 覚えるための装備。

 

 ASURAに、これまでより多くのデータを食わせるためのランドセルだった。

 

 森川政治は、端末を見ながら恍惚に近い表情をしていた。

 

「背面接触圧、正常。慣性計測系、同期。外部映像記録、開始。肩部・背部負荷センサー、全系統正常」

 

 磯口豊も別の端末を確認している。

 

「装着ロック、左右差なし。重心補正も許容範囲内だね。飛行ユニットよりずっと軽い。素体に近い動作はできるはずだ」

 

 黒崎は、二人の背後で腕を組んでいた。

 

「できるはず、では困ります」

 

「試験だからね」

 

 磯口は悪びれない。

 

「試験で困るのは、だいたい現場担当です」

 

「黒崎君は大変だねえ」

 

 内海課長が言った。

 

 いつもの薄ら笑い。

 

 試験場の片隅に設けられた観測室には、シャフト関係者、SE-USA関係者、技術担当者、軍関係者が揃っていた。

 

 その中に徳永専務の姿もある。

 

 徳永は、笑っていなかった。

 

 まったく笑っていなかった。

 

 バドがコックピットに入る前、徳永は彼を呼び止めた。

 

「バドリナート君」

 

「はい」

 

 バドは珍しく素直に返事をした。

 

 徳永の顔が、あまりにも怖かったからだ。

 

「今日は試験だ。勝負ではない」

 

 バドは一瞬だけ黙った。

 

「……はい」

 

「はいは一回でいい」

 

 バドは黒崎を見る。

 

「それ黒崎さんの台詞やん」

 

「今日は専務に譲ります」

 

 徳永は続けた。

 

「Bシステムをカットするという報告を受けた」

 

「データ欲しいから」

 

「理由になっていない」

 

「なっとるやん」

 

「なっていない」

 

 徳永の声は低かった。

 

 バドは少しだけ口を閉じた。

 

「Bシステムはリミッターです。安全のためにある」

 

 黒崎が補足する。

 

「それをカットした状態のグリフォンは、操縦者にも機体にも負担が大きい」

 

「分かっとる」

 

「分かっていません」

 

 黒崎はいつものように言った。

 

 しかし今回は、森川も磯口も黙っていた。

 

 技術屋としては、Bシステムカット時の稼働データが欲しい。

 

 欲しくてたまらない。

 

 だが、それを口にすれば徳永の視線で焼かれる。

 

 内海課長だけが、楽しそうだった。

 

「バド。勝つことより、戻ることだよ」

 

 バドは内海を見た。

 

「内海さんがそれ言うん?」

 

「僕は意外と安全運転なんだ」

 

 黒崎が即座に言った。

 

「どの口で言うのですか」

 

 内海は笑った。

 

 バドも少し笑った。

 

 だが、すぐに真顔になる。

 

「分かっとる。飛ばへん。潜らへん。逃げる必要もない。ここで勝って、ここで分解して帰る」

 

 徳永が眉をひそめる。

 

「分解?」

 

「データランドセルを現地で外して、ログ回収するんやろ」

 

 森川が小さく咳払いした。

 

「はい。試験後、背面ユニットは現地で分解・回収します。機体本体は別経路で輸送します」

 

 徳永は森川を見た。

 

 森川は目を逸らした。

 

 磯口も見ないふりをした。

 

 徳永は深く息を吐く。

 

「無茶をするな」

 

 バドは頷いた。

 

「うん」

 

「君が怪我をするなら、この試験は即時中止する」

 

「分かっとる」

 

「本当に分かっているのかね」

 

「分かっとる」

 

 バドは、グリフォンを見上げた。

 

 黒い機体。

 

 羽根のない怪鳥。

 

 背中にランドセルだけを背負った、ほぼ素体の身体。

 

「今日は飛ぶ勝負ちゃう。地面の勝負や」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 相手のエイブラハムは、堂々としていた。

 

 全高八・三メートル。

 

 太い胴体。

 

 CFRM複合装甲。

 

 柱状の脚。

 

 膝や足首の関節が判然としない、独特の下半身。

 

 重量感のある腕。

 

 アメリカ軍正式採用機らしい、実直な威圧感。

 

 操縦者はSE-USA側のテストパイロットだった。

 

 軍出身。

 

 エイブラハムの運用時間は長い。

 

 小笠原での屈辱は知っている。

 

 相手のグリフォンが異常な機体であることも分かっている。

 

 それでも、今回の条件なら勝機はあると彼は思っていた。

 

 グリフォンに飛行ユニットはない。

 

 背中にあるのは小型のデータユニット。

 

 逃げも奇襲も限られる。

 

 こちらは正式採用機のエイブラハム。

 

 防御力と押し合いなら負けない。

 

 Bシステムをカットしているという情報は、彼には伏せられていた。

 

 開始合図が出る。

 

 エイブラハムが構える。

 

 グリフォンは、構えなかった。

 

 膝をわずかに沈め、腕を下げる。

 

 前傾。

 

 低い。

 

 人型レイバーの構えではない。

 

 獣でもない。

 

 もっと奇妙な、地面に手をつく前の人間のような姿勢。

 

 観測室のSE-USA関係者が、怪訝な顔をした。

 

「何だ、あの構えは」

 

 森川が小さく言う。

 

「始まる」

 

 バドの声が、コックピット内で低く響いた。

 

「Bシステム、カット」

 

 警告表示。

 

 リミッター解除。

 

 関節負荷上限拡大。

 

 姿勢制御安全域縮小。

 

 ASURA補正、拡張。

 

 データランドセルの外部記録装置が、すべての値を吸い上げ始める。

 

 背部加速度。

 

 回転角。

 

 接地衝撃。

 

 肩部荷重。

 

 腰部捻転。

 

 腕部支持圧。

 

 ログ記録。

 

 グリフォンが動いた。

 

 エイブラハムのパイロットは、最初の一歩を見失った。

 

 速い。

 

 だが、それだけではない。

 

 低い。

 

 グリフォンが、地面へ手をついた。

 

 人型レイバーが、戦闘開始直後に手をつく。

 

 常識外れの動作。

 

 エイブラハムの腕が反応する前に、グリフォンの身体が低く回った。

 

 カポエイラの低い回転。

 

 脚が、鞭のように伸びる。

 

 蹴り。

 

 狙いは胴体ではない。

 

 エイブラハムの頭部センサーだった。

 

 黒い脚部が、横から頭部を打つ。

 

 衝撃。

 

 映像が乱れる。

 

 エイブラハムが一歩下がる。

 

 その時には、グリフォンはもう正面にいない。

 

 手をついたまま、身体を反転させている。

 

 側転。

 

 いや、側転に似た何か。

 

 レイバーがやる動きではなかった。

 

 腕で地面を押し、脚を高く上げる。

 

 その脚が、回避と攻撃を同時に行う。

 

 エイブラハムの腕が空を切る。

 

 すれ違いざま、グリフォンの踵がもう一度、エイブラハムの頭部を蹴った。

 

 観測室がざわめく。

 

 SE-USAの技術者が身を乗り出した。

 

「何だ、あの運動は」

 

 磯口は端末を見ながら笑っていた。

 

「取れてる。取れてるぞ。背面加速度、肩部接地荷重、側転時の腰部捻転。これまでのログと解像度が違う」

 

 森川も目を輝かせる。

 

「Bシステムカット時の補正遅延がほとんどない。ASURAが追従している。いや、違う。操縦者が先に投げて、ASURAが拾っている」

 

 黒崎は呻いた。

 

「嬉々として言わないで下さい」

 

 内海課長は笑っている。

 

「素晴らしいねえ」

 

「課長」

 

「何だい」

 

「笑っている場合ではありません」

 

「笑わずにいられるかい?」

 

 黒崎は返事をしなかった。

 

 返事をすれば、たぶん怒鳴るからだ。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 エイブラハムは、決して弱い機体ではなかった。

 

 装甲は厚い。

 

 重量もある。

 

 正式採用機としての信頼性も高い。

 

 普通のレイバーなら、押し合いで勝てる。

 

 掴めば潰せる。

 

 耐えれば相手が疲れる。

 

 だが、このグリフォンは、普通ではなかった。

 

 掴ませない。

 

 正面にいない。

 

 押し合わない。

 

 腕を取らない。

 

 腰を狙わない。

 

 ただ、相手の視界の端に滑り込み、地面に手をつき、脚で蹴る。

 

 足。

 

 膝。

 

 頭部。

 

 肩。

 

 センサー。

 

 腕の付け根。

 

 蹴る。

 

 蹴る。

 

 蹴る。

 

 エイブラハムが腕を振る。

 

 グリフォンは側転で外れる。

 

 腕で地面を支え、身体を浮かせ、そのまま脚を振り抜く。

 

 また頭部。

 

 また肩。

 

 エイブラハムの外装に凹みが増える。

 

 頭部カメラが片側死ぬ。

 

 補助センサーが乱れる。

 

 パイロットが距離を取ろうとする。

 

 グリフォンは逃がさない。

 

 地面に片手をつき、低い姿勢から滑り込む。

 

 蹴り上げる。

 

 エイブラハムの腕が跳ね上がる。

 

 その隙に、もう一方の脚が胴体側面へ入る。

 

 装甲は抜けない。

 

 だが、衝撃で姿勢が乱れる。

 

 エイブラハムの柱状脚が踏ん張る。

 

 そこへ、グリフォンが手をついたまま回り込む。

 

 低い。

 

 あまりにも低い。

 

 エイブラハムのパイロットは、相手がどこにいるのかを何度も見失った。

 

 黒い機体が視界の下を走る。

 

 レイバー戦ではない。

 

 大型の機械同士の格闘ではない。

 

 人間の格闘技を、十メートル級の黒い機体が無理やりやっている。

 

 しかも、成立していた。

 

「こいつ……!」

 

 エイブラハムが両腕を広げて突っ込む。

 

 捕まえる。

 

 抱え込む。

 

 そう判断した。

 

 グリフォンは下がらない。

 

 むしろ前へ入る。

 

 手をつく。

 

 身体を斜めに倒す。

 

 エイブラハムの両腕の間を潜るようにして、側転する。

 

 その途中、脚が真上から落ちた。

 

 踵が、エイブラハムの頭部を打ち抜くように叩く。

 

 頭部外装が割れた。

 

 カメラが死ぬ。

 

 エイブラハムの視界が半分以上消える。

 

 観測室のSE-USA側から声が漏れた。

 

「頭部ばかり……」

 

 徳永専務は、無言で画面を見ていた。

 

 その横で、SE-USAの役員が険しい顔をしている。

 

 内海課長は楽しそうだった。

 

「嫌な戦い方をするねえ」

 

 黒崎が言う。

 

「課長が育てたのです」

 

「僕だけじゃないよ。豚と鉱山とRPGとメイドのおかげだ」

 

「言い訳としては最悪です」

 

 バドはコックピットの中で笑っていた。

 

 だが、笑いながらも息は荒い。

 

 Bシステムをカットしたグリフォンは速い。

 

 反応する。

 

 思った以上に動く。

 

 だが、中の身体へも負担が来る。

 

 横G。

 

 回転。

 

 接地衝撃。

 

 背面ユニットの振動。

 

 データランドセルが、容赦なく数値を記録する。

 

 警告が出る。

 

 肩部負荷上昇。

 

 腰部捻転限界接近。

 

 操縦者負荷増大。

 

 ASURA補正継続。

 

 バドは舌を出した。

 

「もうちょい」

 

 エイブラハムは、ボロボロだった。

 

 装甲はまだ持っている。

 

 だが、センサーが死に、腕の動きが鈍り、姿勢補正が遅れている。

 

 重装甲機を破壊するには、まだ手間がかかる。

 

 しかし、戦闘能力はもう半分以上失われていた。

 

 グリフォンは、最後に真正面へ立った。

 

 初めて、エイブラハムの正面に。

 

 エイブラハムが反応する。

 

 腕を上げる。

 

 遅い。

 

 グリフォンは前へ跳ばない。

 

 手をつく。

 

 低く沈む。

 

 片脚が軸になり、もう片脚が横から振り抜かれる。

 

 回転蹴り。

 

 エイブラハムの頭部が、完全に横へ持っていかれた。

 

 外装が弾ける。

 

 首部の保持機構が歪む。

 

 頭部センサーが沈黙する。

 

 同時に、グリフォンは腕で地面を押し、反対側へ側転して離脱した。

 

 エイブラハムの腕が空を切る。

 

 そして、膝をつくように降着した。

 

 柱状の脚が崩れ、正座に近い姿勢で沈む。

 

 動けない。

 

 試験終了信号が出た。

 

 グリフォンは追撃しなかった。

 

 ただ、低い姿勢のままエイブラハムを見ていた。

 

 黒い機体の背中で、小さなデータランドセルが青い確認灯を点滅させている。

 

 ログ保存完了。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 勝負は、圧勝だった。

 

 しかも、飛ばなかった。

 

 潜らなかった。

 

 消えなかった。

 

 その場で、エイブラハムを蹴り回して沈黙させた。

 

 SE-USAの役員たちは、黙っていた。

 

 怒り。

 

 屈辱。

 

 驚愕。

 

 そして、欲。

 

 そのすべてが、彼らの顔に出ていた。

 

 グリフォン本体の性能も異常だ。

 

 ASURAも異常だ。

 

 だが、それ以上に、あのパイロット。

 

 バドリナート・ハルチャンド。

 

 小柄な少年。

 

 国籍不明だった子供。

 

 今はシャフト・エンタープライズ・ジャパンの特別研究協力者。

 

 彼が、Bシステムを切ったグリフォンを、あそこまで動かした。

 

 SE-USAの役員の一人が、小さく言った。

 

「あの子供は、アメリカ国籍を望んでいると聞いたが」

 

 隣の技術責任者が頷く。

 

「ええ。日本かアメリカ。強いパスポートが欲しい、と」

 

 その言い方には、わずかな笑みがあった。

 

 商品を見る目。

 

 人材を見る目。

 

 兵器を見る目。

 

 徳永専務は、それを聞き逃さなかった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 試験場では、勝負が終わってすぐ、グリフォンの背面ユニット分解が始まっていた。

 

 飛行ユニットもアクアユニットもない。

 

 だから、逃げる必要はない。

 

 現地で、データランドセルを外す。

 

 ロック解除。

 

 外部記録装置取り外し。

 

 慣性計測ユニット回収。

 

 接触圧センサー確認。

 

 背面フレーム点検。

 

 森川と磯口は、明らかに嬉しそうだった。

 

「取れてる。全部取れてる」

 

 森川が端末を抱えるようにして言う。

 

「Bシステムカット時の肩部支持、側転中の腰部捻転、蹴り動作時の反力、接地手側の負荷。今まで取れていなかった部分が全部ある」

 

 磯口も興奮している。

 

「データランドセル、成功だな。これはいい。飛ばない、泳がない、だが覚えるには最高だ」

 

 バドはコックピットから降ろされ、医療チェック用の椅子に座らされていた。

 

 顔色は悪くない。

 

 だが、少し汗をかいている。

 

 黒崎がその前に立つ。

 

「医療チェックです」

 

「分かっとる」

 

「気分は」

 

「ちょっとぐるぐるする」

 

「当然です」

 

「でも勝った」

 

「勝ちました。ですが、あとで説教です」

 

「はい」

 

「はいは一回」

 

「はい」

 

 バドは素直だった。

 

 その素直さが、黒崎には余計に胃に悪い。

 

 バドは反省している。

 

 だが、後悔していない。

 

 得たものが大きすぎるからだ。

 

 バドは森川たちの方を見た。

 

「データ、取れた?」

 

 森川が満面の笑みで答える。

 

「取れた」

 

「めっちゃ?」

 

「めちゃくちゃ取れた」

 

「やった」

 

 黒崎が言う。

 

「そこで喜ばないで下さい」

 

「だってデータランドセル成功やん」

 

「その呼び方もやめて下さい」

 

 内海課長が近づいてきた。

 

「バド、良かったよ」

 

「内海さん、見た?」

 

「見たとも。実にいい。レイバーが手をついて蹴る。側転しながら頭部を蹴る。あれは嫌だねえ」

 

「エイブラハム、頭高いから蹴りやすかった」

 

「感想がひどい」

 

「でもほんまや」

 

 黒崎が低く言う。

 

「相手方の前で言わないで下さい」

 

「言わへんよ」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「絶対に言わないで下さい」

 

 バドは笑った。

 

 その時、徳永専務が近づいてきた。

 

 バドは背筋を伸ばした。

 

「専務」

 

「無事か」

 

「うん」

 

「痛むところは」

 

「ちょっと首」

 

 徳永の視線が黒崎へ向く。

 

 黒崎が即座に答えた。

 

「医療チェック中です。負荷はありますが、現時点で重大な異常は確認されていません」

 

「そうか」

 

 徳永はバドを見た。

 

「よく戻った」

 

 バドは少し驚いた。

 

 怒られると思っていたからだ。

 

 もちろん、あとで怒られるのだろう。

 

 だが、その前に「戻った」と言われた。

 

 バドは少しだけ笑った。

 

「うん」

 

 徳永はそれ以上言わなかった。

 

 その背後から、SE-USAの役員が近づいてくる。

 

 スーツ姿の白人男性。

 

 柔らかい笑み。

 

 だが、目は柔らかくない。

 

 バドは、その目を見て少しだけ警戒した。

 

 ロベルタの目とは違う。

 

 内海の目とも違う。

 

 値段をつける目だ。

 

「素晴らしい操縦でした」

 

 男は流暢な英語で言った。

 

 バドは英語で答えた。

 

「ありがとうございます」

 

 黒崎の眉がわずかに動いた。

 

 バドは英語もできる。

 

 それは分かっている。

 

 だが、こういう場面でそれを見せることは、相手に餌を与えるようなものだった。

 

 男は笑みを深める。

 

「バドリナート君。君は、アメリカ国籍が欲しいそうですね」

 

 空気が変わった。

 

 黒崎の顔から表情が消える。

 

 内海課長の笑みが、少しだけ細くなる。

 

 徳永専務が男を見る。

 

 バドは一瞬、黙った。

 

 それは事実だった。

 

 強いパスポート。

 

 消されにくい身分。

 

 書類の中に入ること。

 

 彼はずっと、それを欲しがっていた。

 

 男は続ける。

 

「どうですか。一度、渡米してみては。君ほどの才能なら、我々も歓迎します。SE-USAには、君の力を活かせる環境がある」

 

 甘い言葉だった。

 

 身分。

 

 国籍。

 

 保護。

 

 研究環境。

 

 機体。

 

 アメリカ。

 

 バドの欲しいものが、いくつも含まれている。

 

 だが、徳永専務が一歩前に出た。

 

「バドリナート君は、うちの特別協力者だ」

 

 日本語だった。

 

 しかし、通訳を待つ必要はなかった。

 

 男は意味を理解している。

 

 徳永は静かに続けた。

 

「欲を出さないでもらいたい」

 

 その声は、会議室で内海を叱る時よりも冷たかった。

 

 SE-USAの男は笑みを崩さない。

 

「もちろん、無理にとは申しません。ただ、彼自身の将来を考えれば、選択肢は多い方がよい」

 

「その選択肢を餌にして、子供を釣るなと言っている」

 

 黒崎がわずかに目を伏せた。

 

 内海課長は、珍しく黙っていた。

 

 バドは徳永の背中を見上げた。

 

 大きくはない。

 

 レイバーでもない。

 

 銃も持っていない。

 

 だが、その背中は、今、自分の前に立っている。

 

 SE-USAの役員は、少しだけ肩をすくめた。

 

「誤解があったなら失礼」

 

「誤解はない」

 

 徳永は言った。

 

「だから言っている」

 

 短い沈黙。

 

 やがて、SE-USAの男は一礼し、離れていった。

 

 バドは、しばらく黙っていた。

 

 それから小さく言う。

 

「専務」

 

「何だね」

 

「僕、アメリカ国籍欲しいって言うたことある」

 

「知っている」

 

「強いパスポート、欲しい」

 

「知っている」

 

「でも、今の言い方、なんか嫌やった」

 

 徳永はバドを見た。

 

 バドは少し困った顔をしている。

 

「僕を見てるんやなくて、グリフォンの中身見てるみたいやった」

 

 徳永は静かに頷いた。

 

「そうだ」

 

「そっか」

 

 バドは、データランドセルを外されたグリフォンを見た。

 

 黒い機体。

 

 自分が乗った機体。

 

 自分が欲しい機体。

 

 自分を欲しがらせる機体。

 

 ロベルタの言葉を、ふと思い出した。

 

 銃を持つ子供は、いつか銃に使われる。

 

 レイバーでも同じ。

 

 使いこなすことと、手放せること。

 

 両方を覚えなければならない。

 

 バドは小さく息を吐いた。

 

「難しいなぁ」

 

 黒崎が言った。

 

「だから、簡単に返事をしないで下さい」

 

「うん」

 

「はいは」

 

「一回」

 

 バドは笑った。

 

 徳永は、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

 内海課長がようやく口を開く。

 

「人気者だねえ、バド」

 

「内海さん」

 

「何だい」

 

「僕、アメリカ行った方がええと思う?」

 

 内海課長は笑った。

 

 いつもの笑み。

 

 何を考えているのか分からない笑み。

 

「行きたければ行けばいい。行きたくなければ行かなければいい」

 

「止めへんの?」

 

「僕は君の保護者じゃないからね」

 

 黒崎が低く言う。

 

「その自覚があるなら、普段からもう少し慎重に扱って下さい」

 

 内海課長は笑う。

 

 バドは少しだけ考えた。

 

 そして言った。

 

「今は行かへん」

 

 徳永が見る。

 

 黒崎も見る。

 

 内海課長も、少しだけ目を細めた。

 

「何で?」

 

 内海が聞く。

 

 バドはグリフォンを指差した。

 

「アルフォンスに勝ってへん」

 

 黒崎は額を押さえた。

 

「結局そこですか」

 

「そこや」

 

 バドは、にっと笑った。

 

「怪獣戦帰りのアルフォンスと、南米帰りでランドセル背負って勉強したグリフォン。まだ本番残っとるもん」

 

 内海課長は吹き出した。

 

 徳永は深く息を吐いた。

 

 黒崎は胃を押さえた。

 

 森川と磯口は、データを抱えて嬉々として走り回っていた。

 

 試験場の向こうでは、頭部を壊されたエイブラハムが、正座のような姿勢で沈黙している。

 

 その姿は、敗北というより、授業を受けた後の教材のようだった。

 

 バドはそれを見て、小さく呟いた。

 

「エイブラハム先生、ええデータありがとうな」

 

「相手方の前で絶対に言わないで下さい」

 

 黒崎の声は、今日一番疲れていた。

 

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トローラ・ロージン転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼星団暦2988年、アドラー。▼ユーバー・バラダに雇われた傭兵騎士トローラ・ロージンは、目覚めた瞬間に自分が「もう詰んでいる」ことを悟る。▼視界いっぱいに迫る黄金の電気騎士、K.O.G.。▼本来ならここでトローラは、MHバルン…


総合評価:1473/評価:8.72/連載:21話/更新日時:2026年07月09日(木) 18:00 小説情報

ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

ニナリスのA-B1-B1-B2-B2:VVS1・L型って見てさ。クリアランスVVS1が嫁いでくるのにジィッドくん残念過ぎないと思って妄想を形にしてみます。これミースを誘拐したり、エンジン爆破しそうにないから、死なないで済むかしら?▼ラストまで投稿したぜ。2026年6月18日完結。▼トローラ・ロージン転生「https://syosetu.org/novel/4…


総合評価:771/評価:8.57/完結:161話/更新日時:2026年06月18日(木) 00:00 小説情報

愛と勇気と正義にかけて、市民をお守りいたします!(作者:イングラマン)(原作:機動警察パトレイバー)

某巡査の娘が特車二課第二小隊に配属される、原作再構成二次小説です。▼自分が読みたいがために投稿しました。▼・TVアニメ版を軸にOVA、漫画版や小説版をミックスしています。▼・転生オリ主最強です。▼・一部キャラクターの生年と経歴を変更しています。▼・作者は警察組織や軍事関係、コンピュータについてはネットで調べた程度の知識しかありません。▼以上の点を踏まえて、本…


総合評価:3028/評価:9.06/連載:16話/更新日時:2026年07月03日(金) 18:00 小説情報

アルカンフェル転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:強殖装甲ガイバー)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼気が付くとアルカンフェルに転生していた▼お仕置きビリビリは嫌だが、巨大小惑星の衝突は回避しないと地球丸ごと死ぬとか草。▼原作開始まで何万年?忘れない様に石板に覚えてる原作内容を書き込んでおこう。気が付いたら眠りの神殿に石板が…


総合評価:3054/評価:8.71/連載:51話/更新日時:2026年07月09日(木) 17:00 小説情報

起きたら仁義なき転生、それから。(作者:函南)(原作:仁義なき戦い)

起きたら仁義なき戦いの世界にいた。そんな話。


総合評価:3267/評価:8.93/連載:40話/更新日時:2026年07月10日(金) 01:00 小説情報


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