転生バドは勝利を夢見る   作:ぶーく・ぶくぶく

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盗用じゃないですぅ

/*/ サターン改 それはモーキャプです /*/

 

 

 

 篠原重工がSR-70サターンを購入したのは、展示会から数日後のことだった。

 

 名目は、競合製品調査。

 

 民間警備用レイバー市場に投入された新型機の性能確認。

 

 HSS向けに大量納入される機体の保守性、価格帯、制御系、安全規格、装備互換性の調査。

 

 どれも嘘ではない。

 

 だが、篠原重工の技術者たちは、もっと別のものを探していた。

 

 AV-98イングラムの影。

 

 東京レイバーショウの後、篠原重工の社内には重苦しい空気が残っていた。

 

 イングラム二号機が腰椎部を破壊された。

 

 エコノミーが実戦の場で一方的に潰された。

 

 一号機と二号機の起動ディスクが盗まれた。

 

 それは、機体が壊された以上の問題だった。

 

 AV-98の運動データ。

 

 操縦者ごとの補正。

 

 転倒復帰。

 

 市街地での足運び。

 

 射撃姿勢移行。

 

 捕縛動作。

 

 警察機としての制圧判断。

 

 それらが、外に出た。

 

 篠原重工は、対策を進めていた。

 

 起動ディスク暗号化。

 

 動作パターン更新。

 

 腰椎部防護強化。

 

 操縦補正の再学習。

 

 エコノミー計画の見直し。

 

 だが、対策をしても、一度盗まれたデータは戻らない。

 

 だから、サターンのデモ映像を見た時、篠原の技術者たちは黙った。

 

 見覚えがあった。

 

 似ている、では済まないものがあった。

 

 SR-70サターン。

 

 SEJ製。

 

 トヨハタオートOEM。

 

 HSS向け警備用レイバー。

 

 その中身に、何かがいる。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 篠原重工八王子工場の奥にある解析棟。

 

 サターンは、そこに運び込まれていた。

 

 外装はHSS仕様のダークブルーと黒。

 

 背中にはSCHAFTの文字。

 

 民間警備用という建前の割に、機体は妙に精悍だった。

 

 42mmオートカノンは未装備。

 

 だが、スタンベイル、スタンナイフ、各種警備用補助装備は揃っている。

 

 解析チームの主任である河野技師は、整備台の上に立つサターンを見上げ、短く言った。

 

「制御系から見る」

 

 分解は慎重に行われた。

 

 外装。

 

 背面ユニット。

 

 操縦系。

 

 制御コンピュータ。

 

 姿勢補正パッケージ。

 

 安全制限モジュール。

 

 記録装置。

 

 各部の構成は、民間警備用として説明できる範囲に収まっていた。

 

 少なくとも、表向きは。

 

 だが、制御データを吸い出し、試験台上で模擬運動を走らせた時、解析室の空気が変わった。

 

 サターンの仮想モデルが、モニター上で転倒しかける。

 

 右足が滑る。

 

 腰が流れる。

 

 通常なら、腕を出して支える。

 

 あるいは、膝をつき、復帰動作へ入る。

 

 だが、サターンの制御補正は違った。

 

 腰が落ちる。

 

 左足の接地がわずかに遅れて入る。

 

 上体が揺れを逃がす。

 

 腕を出す前に、重心を戻す。

 

 河野技師は、モニターを見たまま動かなかった。

 

 隣の若い技術者が呟く。

 

「これ……」

 

「一号機だ」

 

 河野の声は低かった。

 

「完全一致ではない。だが、戻し方が似すぎている」

 

 別のシミュレーションを走らせる。

 

 暴走作業機を模した相手が突進してくる。

 

 サターンは受け止めない。

 

 半歩外す。

 

 スタンベイルで腕の軌道を変える。

 

 そのまま相手の重心を流し、最小限の力で制圧姿勢に移る。

 

 過剰に壊さない。

 

 倒しきらない。

 

 止める。

 

 若い技術者の顔が歪んだ。

 

「これも、一号機の対暴走レイバー制圧ログに近いです」

 

 河野は黙っていた。

 

 次に射撃姿勢移行を確認する。

 

 模擬火器を構える。

 

 サターンの腰が沈む。

 

 足が開く。

 

 上体が前へ出る。

 

 腕が伸びる。

 

 速い。

 

 だが、少し荒い。

 

 重心の決め方に、独特の勢いがある。

 

 解析室の誰かが言った。

 

「二号機です」

 

 河野は短く息を吐いた。

 

「そう見える」

 

「偶然でしょうか」

 

「偶然で済ませるには、箇所が多すぎる」

 

 さらに、関節部防護反応。

 

 腰部への攻撃を受けた時の逃がし。

 

 腕を掴まれた時の肩の抜き方。

 

 転倒後の視界再取得。

 

 市街地障害物回避時の足裏接地補正。

 

 それらを一つずつ検証していく。

 

 完全なコピーではない。

 

 むしろ、巧妙に薄められている。

 

 サターンのフレームに合わせて、数値も角度も変えられている。

 

 危険な高機動は削られている。

 

 警察機特有の動作も、警備用に名前を変えている。

 

 だが、根にある順序が同じだった。

 

 右に崩れた時、最初にどこを戻すか。

 

 相手が腕を伸ばした時、どの角度で逃がすか。

 

 腰を狙われた時、どの部位を守るか。

 

 射撃へ移る時、どこで踏むか。

 

 それは、機械の癖だった。

 

 そして、機械だけではない。

 

 操縦者と機体が何度も現場で積んだ経験の癖だった。

 

 河野はモニターを睨んだ。

 

「一号機と二号機の起動ディスクから抜かれた動作パターンだ」

 

 誰も反論しなかった。

 

 反論したかった。

 

 反論できる証拠を探したかった。

 

 だが、画面の中のサターンは、否定しがたいほどAV-98に似ていた。

 

 しかも、腹立たしいことに、ただの盗用ではなかった。

 

 最適化されている。

 

 商業化されている。

 

 警備用に磨かれている。

 

 それが、余計に腹立たしかった。

 

「法務を呼べ」

 

 河野が言った。

 

「それから、上へ報告だ」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 篠原重工本社の会議室に、重い空気が満ちていた。

 

 テーブルには解析報告書。

 

 サターン制御パッケージ比較資料。

 

 AV-98運用ログとの相似点一覧。

 

 安全制限の違い。

 

 抽象化された動作パターン。

 

 そして、東京レイバーショウ事件後の起動ディスク盗難報告。

 

 篠原重工の役員たちは、皆、険しい顔をしていた。

 

 遊馬の父である篠原重工幹部もそこにいた。

 

 彼は報告書を読み終え、静かに言った。

 

「つまり、SEJはうちのAV-98の運用データを使っている、と」

 

 河野技師が頷く。

 

「断定は慎重にすべきですが、技術的には極めて疑わしいです。特に一号機の転倒復帰、二号機の射撃姿勢移行、腰部防護反応に近いパターンがあります」

 

「近い、では弱い」

 

 法務担当が言う。

 

「証拠として使うには、由来を示す必要があります。単に似ている、では人型レイバーの一般的安定制御だと言われるでしょう」

 

「似すぎています」

 

「それでもです」

 

 会議室に沈黙が落ちる。

 

 問題はそこだった。

 

 篠原重工は怒れる。

 

 だが、強く出るには、起動ディスク盗難事件を表に出さなければならない。

 

 盗まれたデータが使われている。

 

 そう言うためには、盗まれたデータの中身を説明しなければならない。

 

 AV計画の運用データが外部流出したと認めることになる。

 

 それは篠原重工の管理責任問題になる。

 

 警察庁との関係にも響く。

 

 AV-98の安全性にも疑義が出る。

 

 エコノミー計画どころではない。

 

 別の役員が、苦々しく言った。

 

「やられたな」

 

 誰も否定しなかった。

 

 SEJは、盗んだとは言わない。

 

 モーキャプで作ったと言う。

 

 警備業務用の一般的動作だと言う。

 

 人型レイバーが人型として安定を取れば似るのは当然だと言う。

 

 そして、篠原重工が怒れば怒るほど、盗まれたデータが本物であることを認める形になる。

 

 河野は拳を握った。

 

「それでも抗議はすべきです」

 

「もちろんする」

 

 幹部は即答した。

 

「証拠として弱いとしても、黙っていれば認めたことになる。SEJへ正式照会を出す。トヨハタにも確認を入れる。HSS向け納入分についても、安全性評価の名目で情報開示を求める」

 

 法務担当が頷く。

 

「表現は慎重にします。弊社製AV-98シリーズの運用データに酷似した制御挙動が確認されたため、技術的説明を求める、という形で」

 

「酷似、か」

 

 河野が吐き捨てるように言う。

 

「中身は、うちの子の癖です」

 

 その言葉に、会議室の何人かが反応した。

 

 うちの子。

 

 機械に対して使う言葉ではない。

 

 だが、AV-98イングラムは、単なる商品ではなかった。

 

 篠原重工が作り、警察が育て、特車二課が現場で鍛えた機体だった。

 

 特に一号機。

 

 泉野明のアルフォンス。

 

 あの機体の動きは、図面だけでは作れない。

 

 整備と操縦と現場の積み重ねでできたものだ。

 

 それが、知らない警備レイバーの中にいる。

 

 薄められ、商品名を変えられ、スタンベイルを持たされている。

 

 幹部は静かに言った。

 

「抗議しよう」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 SEJ側の会議室は、白々しいほど明るかった。

 

 大きな窓。

 

 整った机。

 

 壁にはSR-70サターンの販促ポスター。

 

 HSS仕様のダークブルーと黒の機体が、夜間警備施設の前に立っている。

 

 背中にはSCHAFTの文字。

 

 その前で、篠原重工の技術者と法務担当が座っていた。

 

 向かいにはSEJの担当者。

 

 技術部門の部長。

 

 法務担当。

 

 商品企画担当。

 

 そして、少し離れた席に内海課長がいた。

 

 彼は正式な出席者ではない。

 

 だが、そこにいる。

 

 黒崎は内海の背後に立っていた。

 

 明らかに嫌そうな顔をしている。

 

 バドはいない。

 

 徳永専務の命令で、この会議には近づけられなかった。

 

 それは正しい判断だった。

 

 もしバドがいたら、余計なことを言うに決まっている。

 

 会議が始まり、篠原重工側の河野技師が資料を開いた。

 

「SR-70サターンの制御パッケージについて、弊社で確認した挙動に関して説明を求めます」

 

 SEJの担当者は、柔らかい笑顔を浮かべる。

 

「もちろんです。弊社としても、競合他社様からの技術的ご関心には誠実に対応いたします」

 

 黒崎は心の中で思った。

 

 白々しい。

 

 河野はモニターに映像を出す。

 

 サターンの転倒復帰シミュレーション。

 

 次にAV-98一号機の運用ログから抽出した動作。

 

 一般公開できない部分は隠しているが、比較には十分だった。

 

「この復帰動作です。腰部の戻し、左足接地遅延、上体の逃がし方。AV-98一号機の実運用ログに酷似しています」

 

 SEJ技術部長は頷く。

 

「人型レイバーが転倒から復帰する際、最適解が似ることは十分にあり得ます」

 

「一箇所なら、そうでしょう」

 

 河野は次の映像を出す。

 

「対象制圧時の腕の逃がし方。腰部防護反応。射撃姿勢移行。こちらはAV-98二号機の挙動に近い」

 

「警備レイバーにも射撃姿勢は必要です」

 

「二号機の癖に似すぎている」

 

「癖、ですか」

 

 SEJの商品企画担当が、わずかに笑った。

 

「御社は、機体の動作に著作権を主張されるのでしょうか」

 

 河野の眉が動く。

 

 法務担当が静かに制する。

 

「弊社は、弊社製品の運用データが不正に利用された可能性について説明を求めています」

 

 SEJ法務担当が答える。

 

「弊社は不正利用を否定します。SR-70の動作パターンは、警備業務に必要な動作を独自に収集・設計したものです」

 

「独自に?」

 

「はい。警備員、格闘技経験者、重機オペレーター、射撃訓練経験者によるモーションキャプチャーを実施しています。そこから警備用レイバーに適した動作を作成しました」

 

 黒崎は目を閉じた。

 

 予想通りだった。

 

 内海課長は、薄く笑っている。

 

 河野は表情を変えずに言った。

 

「この腰部防護反応も、モーションキャプチャーですか」

 

「人間の護身動作、格闘姿勢、機械的安定化処理を組み合わせたものです」

 

「この転倒復帰補正も」

 

「一般的な人型作業機の安定化処理です」

 

「この射撃姿勢移行は、二号機そのものに見える」

 

 SEJ技術部長は微笑んだ。

 

「射撃姿勢に著作権はありません」

 

 篠原側の空気が冷えた。

 

 黒崎の胃が痛くなった。

 

 内海課長は、笑いそうになるのを抑えているように見えた。

 

 河野はゆっくりと息を吸う。

 

「では、この制圧動作における過剰出力抑制のタイミングは?」

 

「警備用として当然の安全設計です」

 

「この足裏接地補正は?」

 

「市街地運用を想定すれば、どのメーカーでも必要になるものです」

 

「この腰部破損回避の反応は?」

 

「近年、腰部損傷事故が業界全体で問題になっています。弊社でも対策を進めています」

 

 黒崎は、内心で呻いた。

 

 嘘ではない。

 

 すべて、嘘ではない形にしてある。

 

 腰部損傷対策は確かに業界課題だ。

 

 市街地運用には足裏接地補正が必要だ。

 

 警備用レイバーには非破壊制圧が求められる。

 

 射撃姿勢に著作権はない。

 

 ひとつひとつは説明できる。

 

 だが、全体として見れば、AV-98の影が濃い。

 

 それを法的に刺すには、決定的証拠が足りない。

 

 そして、決定的証拠を出すには、篠原側も傷を負う。

 

 河野は言った。

 

「弊社のAV-98シリーズの運用データが、過去に不正取得された事案があります」

 

 SEJ側の目が動く。

 

 内海課長の笑みは変わらない。

 

「弊社は、その流出データがSR-70に利用された可能性を強く懸念しています」

 

 SEJ法務担当は、穏やかに答えた。

 

「その件について、弊社は承知しておりません」

 

 河野の目が鋭くなる。

 

「承知していない?」

 

「はい。弊社は、御社の運用データを取得した事実も、利用した事実もありません」

 

「では、誰がこれを作ったのです」

 

 SEJ技術部長が答える。

 

「弊社の開発チームです」

 

「モーキャプで?」

 

「はい」

 

「偶然、AV-98一号機と二号機の特徴が混じった?」

 

「人型レイバーとして合理的な動作を追求した結果、類似する部分があったのかもしれません」

 

 河野は、机の上の資料を握りしめた。

 

 法務担当が、もう一度制した。

 

「本件について、弊社は詳細な技術説明書の提出を求めます」

 

「可能な範囲で対応いたします。ただし、弊社の営業秘密に関わる部分については開示できません」

 

「HSS向けに二十機納入される機体です。公共性の高い警備業務で使用される以上、安全性に関する説明責任はあるはずです」

 

「安全性については、すでに必要な認証を取得しております」

 

 会話は、噛み合っているようで噛み合っていなかった。

 

 篠原は怒っている。

 

 SEJはしらばっくれている。

 

 互いに、それを分かっている。

 

 会議の最後に、河野は内海課長を見た。

 

「内海さん」

 

 黒崎の眉が動いた。

 

 内海は、少しだけ首を傾げる。

 

「何でしょう」

 

「あなたは、この制御パッケージの開発に関わっているのですか」

 

「僕は営業と調整が主でしてね。技術的な細部は専門の者が」

 

「ゲームの開発でモーションキャプチャーも?」

 

 会議室の空気がさらに冷える。

 

 SEJ側の法務担当が口を開きかける。

 

 しかし内海が、それより先に笑った。

 

「色々な仕事をしています」

 

「AV-98の起動ディスク盗難事件について、何か知っていることは」

 

「ニュースで聞いた程度ですね」

 

 黒崎は、内心で頭を抱えた。

 

 その顔で言うのはやめてほしい。

 

 河野も同じことを思ったに違いない。

 

 だが、証拠はない。

 

 内海は、柔らかい声で続けた。

 

「それに、篠原さん。SR-70は警備用レイバーです。AV-98とは用途が違う」

 

「用途が違っても、動作の根が同じなら問題です」

 

「人型レイバーは、似たような身体をしていますからねえ。転べば手をつく。撃つなら腰を落とす。相手を止めるなら腕を取る。似るのは自然じゃありませんか」

 

「自然にしては、似すぎている」

 

 内海は笑みを深めた。

 

「なら、御社のAV-98が、それだけ自然で優れた動きをしているということでしょう」

 

 河野は一瞬、言葉を失った。

 

 褒められている。

 

 だが、侮辱でもある。

 

 盗んだものを使っておいて、元が優秀だから似たのだと言っている。

 

 黒崎は心の中で呟いた。

 

 課長。

 本当に性格が悪いです。

 

 会議は、結論の出ないまま終わった。

 

 篠原重工は、正式な技術照会を継続する。

 

 SEJは、独自開発とモーションキャプチャーを主張する。

 

 トヨハタオートは販売代理として、認証と安全性を強調する。

 

 HSSへの納入計画は止まらない。

 

 サターンは市場へ出る。

 

 会議室を出たあと、黒崎は内海に近づいた。

 

「課長」

 

「何だい、黒崎君」

 

「楽しそうでしたね」

 

「そう見えた?」

 

「見えました」

 

「困ったなあ」

 

「困っていないでしょう」

 

 内海は笑った。

 

 黒崎は低い声で言った。

 

「篠原重工は本気で怒っています」

 

「そうだろうねえ」

 

「特車二課も、いずれ気づきます」

 

「そうだろうねえ」

 

「野明さんは、嫌がるでしょう」

 

 内海の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

 

「バドも同じことを言っていたよ」

 

「そうですか」

 

「彼は、少し分かり始めている」

 

「何をです」

 

「データを使うことと、使われることは同じ線の上にある、ということを」

 

 黒崎は黙った。

 

 内海は廊下を歩きながら言う。

 

「サターンは売れる。篠原は怒る。特車二課は警戒する。バドは考える。面白いじゃないか」

 

「面白くありません」

 

「黒崎君はいつもそう言う」

 

「課長がいつも面白がるからです」

 

 内海は笑った。

 

 その笑みはいつも通りだった。

 

 だが、黒崎には少しだけ分かった。

 

 内海は、ただ商売をしているだけではない。

 

 盤面を増やしている。

 

 グリフォン対イングラムだけではない。

 

 ASURA対篠原。

 

 サターン対特車二課。

 

 商品対原型。

 

 盗まれた動き対育った動き。

 

 その全部を、面白がっている。

 

 黒崎は、また胃が痛くなった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 その夜。

 

 シャフト側の宿舎で、バドは黒崎から会議の概要を聞いた。

 

 もちろん、機密部分は伏せられている。

 

 だが、必要なところは伝えられた。

 

 篠原重工が怒っていること。

 

 サターンにイングラム由来と見られる動作があると抗議したこと。

 

 SEJがモーキャプだと主張したこと。

 

 HSSへの納入は止まらないこと。

 

 バドはベッドの上で膝を抱え、少しだけ黙っていた。

 

「野明のお姉ちゃん、怒るかな」

 

「怒るというより、傷つくかもしれません」

 

 黒崎は正直に答えた。

 

「アルフォンスの中身が、知らない警備レイバーに使われているように感じるでしょう」

 

「……嫌やな」

 

 バドは小さく言った。

 

「僕がやったことやけど、嫌やな」

 

 黒崎は何も言わない。

 

 バドは続けた。

 

「アルフォンスの起動ディスク盗んだ時は、攻略本手に入れたみたいで嬉しかった。でも、サターンに入ると、なんか違うな」

 

「違いますか」

 

「うん。僕が使うのは、まだ勝負のためやん。いや、悪いのは分かっとるで。でも、アルフォンスに勝つためや。でも商品になると、知らん人が使う。知らん現場で、知らんレイバーが、ちょっとアルフォンスみたいに動く」

 

 バドは顔をしかめた。

 

「気持ち悪いな」

 

 黒崎は静かに言った。

 

「その感覚は、忘れない方がいい」

 

「うん」

 

「盗まれた側は、そう感じます」

 

 バドは、身分証カードを指で触った。

 

「僕の動きも、ASURAが覚えるやろ」

 

「はい」

 

「グリフォンの動きも」

 

「はい」

 

「データランドセルで、めっちゃ取ったやろ」

 

「取りました」

 

「それも、いつかサターンみたいな商品になる?」

 

 黒崎は答えに迷った。

 

 嘘をつくことはできた。

 

 慰めることもできた。

 

 だが、バドには必要ない気がした。

 

「可能性はあります」

 

 バドは頷いた。

 

「そっか」

 

「嫌ですか」

 

「ちょっと」

 

 バドは正直に言った。

 

「でも、売られたら、それより強くなるしかない」

 

「またそれですか」

 

「それや」

 

 バドは顔を上げた。

 

「だって、サターンはアルフォンスやない。グリフォンでもない。僕でも野明のお姉ちゃんでもない。薄めた動きや。商品や」

 

「はい」

 

「ほな、本物が負けたらあかん」

 

 黒崎は、少しだけ疲れたように笑った。

 

「本物、ですか」

 

「うん」

 

「あなたにとっての本物は、グリフォンとアルフォンスなのですね」

 

「せや」

 

 バドは即答した。

 

「サターンは強いと思う。HSSに二十機入ったら、普通の警備会社や作業レイバー相手にはめっちゃ強いやろ。でも、僕が勝ちたいのはサターンやない」

 

「アルフォンス」

 

「うん」

 

 バドは、窓の外を見た。

 

 夜の日本。

 

 ブラジルとは違う湿り気。

 

 遠くに工場の灯りが見える。

 

「サターン見て、ちょっと分かった」

 

「何をです」

 

「盗んだデータは古くなる。売ったデータも古くなる。でも、野明のお姉ちゃんは新しくなる」

 

 黒崎は黙る。

 

「アルフォンスは、また変わる。特車二課も、篠原も、サターン見て怒って、考えて、対策する。そしたら、僕が持ってる起動ディスクのデータも、サターンの商業OSも、どんどん古くなる」

 

 バドは笑った。

 

「だから、本物とやりたい」

 

 黒崎は、深く息を吐いた。

 

「結論としては危険ですが、理解としては間違っていません」

 

「褒めた?」

 

「褒めてはいません」

 

「ちょっと褒めたやん」

 

「褒めていません」

 

 バドは笑った。

 

 だが、その笑いは少しだけ静かだった。

 

 サターン。

 

 ASURAの商業化。

 

 篠原重工の怒り。

 

 野明の不快感。

 

 自分の動きもいつか誰かに使われるかもしれないという感覚。

 

 それらが、バドの中に残っていた。

 

 黒崎は思った。

 

 この子供は、少しずつ分かっている。

 

 自分が何をしているのか。

 

 自分が何を奪ったのか。

 

 自分が何に使われるのか。

 

 そして、それでもアルフォンスに勝ちたいと思っている。

 

 だから危険だ。

 

 だが、まったく分からないまま笑っているよりは、ずっとましだった。

 

「黒崎さん」

 

「何です」

 

「サターンと戦うことあるかな」

 

「できれば避けたいですね」

 

「でもHSSに二十機やろ」

 

「街で見かける機会は増えるでしょう」

 

「アルフォンス、嫌やろな」

 

「そうでしょうね」

 

「太田のおっちゃんは怒るやろな」

 

「間違いなく」

 

「遊馬のお兄ちゃんは、めっちゃ嫌な顔しそう」

 

「するでしょう」

 

「後藤隊長は?」

 

 黒崎は少し考えた。

 

「笑うでしょう」

 

「怖いやつや」

 

「はい」

 

 二人は少しだけ黙った。

 

 その沈黙の中で、サターンの姿が思い浮かぶ。

 

 ダークブルーと黒。

 

 背中のSCHAFT。

 

 薄められたASURA。

 

 少しだけアルフォンスに似た警備レイバー。

 

 市場に出る怪物の影。

 

 バドは、ベッドの上でぽつりと言った。

 

「ASURA、就職したけど、ブラック企業かもしれんな」

 

 黒崎は目を閉じた。

 

「その言い方は、やはりやめて下さい」

 

 だが、少しだけ笑いそうになった。

 

 笑ってはいけない。

 

 この状況は笑い事ではない。

 

 篠原重工は怒っている。

 

 サターンは売れる。

 

 内海課長は面白がっている。

 

 バドはまた次の勝負を考えている。

 

 黒崎の胃は、今日も痛い。

 

 それでも、バドが少しだけ嫌だと言ったことは、覚えておこうと思った。

 

 盗んだものが商品になる気持ち悪さ。

 

 それを覚えている限り、まだ引き返す線は残っている。

 

 たとえ本人が、その線を越えたり戻ったりしながら、アルフォンスに向かって走っているとしても。

 

 夜の宿舎で、バドはノートを開いた。

 

 日本語で一行書く。

 

 サターン。

 ASURA商業版。

 アルフォンスの薄い影。

 本物は、もっと強くなる。

 

 黒崎がそれを見て、何も言わなかった。

 

 言えば、また長くなる。

 

 それに、その一行だけは、否定しにくかった。

 

 バドはペンを置き、窓の外を見た。

 

「待っときや、アルフォンス」

 

 小さな声。

 

 黒崎には聞こえた。

 

「偽物が増えるなら、本物同士でやらなあかんな」

 

 黒崎は、何も言わなかった。

 

 ただ、胃のあたりを押さえた。

 

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