/*/ サターン改 それはモーキャプです /*/
篠原重工がSR-70サターンを購入したのは、展示会から数日後のことだった。
名目は、競合製品調査。
民間警備用レイバー市場に投入された新型機の性能確認。
HSS向けに大量納入される機体の保守性、価格帯、制御系、安全規格、装備互換性の調査。
どれも嘘ではない。
だが、篠原重工の技術者たちは、もっと別のものを探していた。
AV-98イングラムの影。
東京レイバーショウの後、篠原重工の社内には重苦しい空気が残っていた。
イングラム二号機が腰椎部を破壊された。
エコノミーが実戦の場で一方的に潰された。
一号機と二号機の起動ディスクが盗まれた。
それは、機体が壊された以上の問題だった。
AV-98の運動データ。
操縦者ごとの補正。
転倒復帰。
市街地での足運び。
射撃姿勢移行。
捕縛動作。
警察機としての制圧判断。
それらが、外に出た。
篠原重工は、対策を進めていた。
起動ディスク暗号化。
動作パターン更新。
腰椎部防護強化。
操縦補正の再学習。
エコノミー計画の見直し。
だが、対策をしても、一度盗まれたデータは戻らない。
だから、サターンのデモ映像を見た時、篠原の技術者たちは黙った。
見覚えがあった。
似ている、では済まないものがあった。
SR-70サターン。
SEJ製。
トヨハタオートOEM。
HSS向け警備用レイバー。
その中身に、何かがいる。
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篠原重工八王子工場の奥にある解析棟。
サターンは、そこに運び込まれていた。
外装はHSS仕様のダークブルーと黒。
背中にはSCHAFTの文字。
民間警備用という建前の割に、機体は妙に精悍だった。
42mmオートカノンは未装備。
だが、スタンベイル、スタンナイフ、各種警備用補助装備は揃っている。
解析チームの主任である河野技師は、整備台の上に立つサターンを見上げ、短く言った。
「制御系から見る」
分解は慎重に行われた。
外装。
背面ユニット。
操縦系。
制御コンピュータ。
姿勢補正パッケージ。
安全制限モジュール。
記録装置。
各部の構成は、民間警備用として説明できる範囲に収まっていた。
少なくとも、表向きは。
だが、制御データを吸い出し、試験台上で模擬運動を走らせた時、解析室の空気が変わった。
サターンの仮想モデルが、モニター上で転倒しかける。
右足が滑る。
腰が流れる。
通常なら、腕を出して支える。
あるいは、膝をつき、復帰動作へ入る。
だが、サターンの制御補正は違った。
腰が落ちる。
左足の接地がわずかに遅れて入る。
上体が揺れを逃がす。
腕を出す前に、重心を戻す。
河野技師は、モニターを見たまま動かなかった。
隣の若い技術者が呟く。
「これ……」
「一号機だ」
河野の声は低かった。
「完全一致ではない。だが、戻し方が似すぎている」
別のシミュレーションを走らせる。
暴走作業機を模した相手が突進してくる。
サターンは受け止めない。
半歩外す。
スタンベイルで腕の軌道を変える。
そのまま相手の重心を流し、最小限の力で制圧姿勢に移る。
過剰に壊さない。
倒しきらない。
止める。
若い技術者の顔が歪んだ。
「これも、一号機の対暴走レイバー制圧ログに近いです」
河野は黙っていた。
次に射撃姿勢移行を確認する。
模擬火器を構える。
サターンの腰が沈む。
足が開く。
上体が前へ出る。
腕が伸びる。
速い。
だが、少し荒い。
重心の決め方に、独特の勢いがある。
解析室の誰かが言った。
「二号機です」
河野は短く息を吐いた。
「そう見える」
「偶然でしょうか」
「偶然で済ませるには、箇所が多すぎる」
さらに、関節部防護反応。
腰部への攻撃を受けた時の逃がし。
腕を掴まれた時の肩の抜き方。
転倒後の視界再取得。
市街地障害物回避時の足裏接地補正。
それらを一つずつ検証していく。
完全なコピーではない。
むしろ、巧妙に薄められている。
サターンのフレームに合わせて、数値も角度も変えられている。
危険な高機動は削られている。
警察機特有の動作も、警備用に名前を変えている。
だが、根にある順序が同じだった。
右に崩れた時、最初にどこを戻すか。
相手が腕を伸ばした時、どの角度で逃がすか。
腰を狙われた時、どの部位を守るか。
射撃へ移る時、どこで踏むか。
それは、機械の癖だった。
そして、機械だけではない。
操縦者と機体が何度も現場で積んだ経験の癖だった。
河野はモニターを睨んだ。
「一号機と二号機の起動ディスクから抜かれた動作パターンだ」
誰も反論しなかった。
反論したかった。
反論できる証拠を探したかった。
だが、画面の中のサターンは、否定しがたいほどAV-98に似ていた。
しかも、腹立たしいことに、ただの盗用ではなかった。
最適化されている。
商業化されている。
警備用に磨かれている。
それが、余計に腹立たしかった。
「法務を呼べ」
河野が言った。
「それから、上へ報告だ」
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篠原重工本社の会議室に、重い空気が満ちていた。
テーブルには解析報告書。
サターン制御パッケージ比較資料。
AV-98運用ログとの相似点一覧。
安全制限の違い。
抽象化された動作パターン。
そして、東京レイバーショウ事件後の起動ディスク盗難報告。
篠原重工の役員たちは、皆、険しい顔をしていた。
遊馬の父である篠原重工幹部もそこにいた。
彼は報告書を読み終え、静かに言った。
「つまり、SEJはうちのAV-98の運用データを使っている、と」
河野技師が頷く。
「断定は慎重にすべきですが、技術的には極めて疑わしいです。特に一号機の転倒復帰、二号機の射撃姿勢移行、腰部防護反応に近いパターンがあります」
「近い、では弱い」
法務担当が言う。
「証拠として使うには、由来を示す必要があります。単に似ている、では人型レイバーの一般的安定制御だと言われるでしょう」
「似すぎています」
「それでもです」
会議室に沈黙が落ちる。
問題はそこだった。
篠原重工は怒れる。
だが、強く出るには、起動ディスク盗難事件を表に出さなければならない。
盗まれたデータが使われている。
そう言うためには、盗まれたデータの中身を説明しなければならない。
AV計画の運用データが外部流出したと認めることになる。
それは篠原重工の管理責任問題になる。
警察庁との関係にも響く。
AV-98の安全性にも疑義が出る。
エコノミー計画どころではない。
別の役員が、苦々しく言った。
「やられたな」
誰も否定しなかった。
SEJは、盗んだとは言わない。
モーキャプで作ったと言う。
警備業務用の一般的動作だと言う。
人型レイバーが人型として安定を取れば似るのは当然だと言う。
そして、篠原重工が怒れば怒るほど、盗まれたデータが本物であることを認める形になる。
河野は拳を握った。
「それでも抗議はすべきです」
「もちろんする」
幹部は即答した。
「証拠として弱いとしても、黙っていれば認めたことになる。SEJへ正式照会を出す。トヨハタにも確認を入れる。HSS向け納入分についても、安全性評価の名目で情報開示を求める」
法務担当が頷く。
「表現は慎重にします。弊社製AV-98シリーズの運用データに酷似した制御挙動が確認されたため、技術的説明を求める、という形で」
「酷似、か」
河野が吐き捨てるように言う。
「中身は、うちの子の癖です」
その言葉に、会議室の何人かが反応した。
うちの子。
機械に対して使う言葉ではない。
だが、AV-98イングラムは、単なる商品ではなかった。
篠原重工が作り、警察が育て、特車二課が現場で鍛えた機体だった。
特に一号機。
泉野明のアルフォンス。
あの機体の動きは、図面だけでは作れない。
整備と操縦と現場の積み重ねでできたものだ。
それが、知らない警備レイバーの中にいる。
薄められ、商品名を変えられ、スタンベイルを持たされている。
幹部は静かに言った。
「抗議しよう」
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SEJ側の会議室は、白々しいほど明るかった。
大きな窓。
整った机。
壁にはSR-70サターンの販促ポスター。
HSS仕様のダークブルーと黒の機体が、夜間警備施設の前に立っている。
背中にはSCHAFTの文字。
その前で、篠原重工の技術者と法務担当が座っていた。
向かいにはSEJの担当者。
技術部門の部長。
法務担当。
商品企画担当。
そして、少し離れた席に内海課長がいた。
彼は正式な出席者ではない。
だが、そこにいる。
黒崎は内海の背後に立っていた。
明らかに嫌そうな顔をしている。
バドはいない。
徳永専務の命令で、この会議には近づけられなかった。
それは正しい判断だった。
もしバドがいたら、余計なことを言うに決まっている。
会議が始まり、篠原重工側の河野技師が資料を開いた。
「SR-70サターンの制御パッケージについて、弊社で確認した挙動に関して説明を求めます」
SEJの担当者は、柔らかい笑顔を浮かべる。
「もちろんです。弊社としても、競合他社様からの技術的ご関心には誠実に対応いたします」
黒崎は心の中で思った。
白々しい。
河野はモニターに映像を出す。
サターンの転倒復帰シミュレーション。
次にAV-98一号機の運用ログから抽出した動作。
一般公開できない部分は隠しているが、比較には十分だった。
「この復帰動作です。腰部の戻し、左足接地遅延、上体の逃がし方。AV-98一号機の実運用ログに酷似しています」
SEJ技術部長は頷く。
「人型レイバーが転倒から復帰する際、最適解が似ることは十分にあり得ます」
「一箇所なら、そうでしょう」
河野は次の映像を出す。
「対象制圧時の腕の逃がし方。腰部防護反応。射撃姿勢移行。こちらはAV-98二号機の挙動に近い」
「警備レイバーにも射撃姿勢は必要です」
「二号機の癖に似すぎている」
「癖、ですか」
SEJの商品企画担当が、わずかに笑った。
「御社は、機体の動作に著作権を主張されるのでしょうか」
河野の眉が動く。
法務担当が静かに制する。
「弊社は、弊社製品の運用データが不正に利用された可能性について説明を求めています」
SEJ法務担当が答える。
「弊社は不正利用を否定します。SR-70の動作パターンは、警備業務に必要な動作を独自に収集・設計したものです」
「独自に?」
「はい。警備員、格闘技経験者、重機オペレーター、射撃訓練経験者によるモーションキャプチャーを実施しています。そこから警備用レイバーに適した動作を作成しました」
黒崎は目を閉じた。
予想通りだった。
内海課長は、薄く笑っている。
河野は表情を変えずに言った。
「この腰部防護反応も、モーションキャプチャーですか」
「人間の護身動作、格闘姿勢、機械的安定化処理を組み合わせたものです」
「この転倒復帰補正も」
「一般的な人型作業機の安定化処理です」
「この射撃姿勢移行は、二号機そのものに見える」
SEJ技術部長は微笑んだ。
「射撃姿勢に著作権はありません」
篠原側の空気が冷えた。
黒崎の胃が痛くなった。
内海課長は、笑いそうになるのを抑えているように見えた。
河野はゆっくりと息を吸う。
「では、この制圧動作における過剰出力抑制のタイミングは?」
「警備用として当然の安全設計です」
「この足裏接地補正は?」
「市街地運用を想定すれば、どのメーカーでも必要になるものです」
「この腰部破損回避の反応は?」
「近年、腰部損傷事故が業界全体で問題になっています。弊社でも対策を進めています」
黒崎は、内心で呻いた。
嘘ではない。
すべて、嘘ではない形にしてある。
腰部損傷対策は確かに業界課題だ。
市街地運用には足裏接地補正が必要だ。
警備用レイバーには非破壊制圧が求められる。
射撃姿勢に著作権はない。
ひとつひとつは説明できる。
だが、全体として見れば、AV-98の影が濃い。
それを法的に刺すには、決定的証拠が足りない。
そして、決定的証拠を出すには、篠原側も傷を負う。
河野は言った。
「弊社のAV-98シリーズの運用データが、過去に不正取得された事案があります」
SEJ側の目が動く。
内海課長の笑みは変わらない。
「弊社は、その流出データがSR-70に利用された可能性を強く懸念しています」
SEJ法務担当は、穏やかに答えた。
「その件について、弊社は承知しておりません」
河野の目が鋭くなる。
「承知していない?」
「はい。弊社は、御社の運用データを取得した事実も、利用した事実もありません」
「では、誰がこれを作ったのです」
SEJ技術部長が答える。
「弊社の開発チームです」
「モーキャプで?」
「はい」
「偶然、AV-98一号機と二号機の特徴が混じった?」
「人型レイバーとして合理的な動作を追求した結果、類似する部分があったのかもしれません」
河野は、机の上の資料を握りしめた。
法務担当が、もう一度制した。
「本件について、弊社は詳細な技術説明書の提出を求めます」
「可能な範囲で対応いたします。ただし、弊社の営業秘密に関わる部分については開示できません」
「HSS向けに二十機納入される機体です。公共性の高い警備業務で使用される以上、安全性に関する説明責任はあるはずです」
「安全性については、すでに必要な認証を取得しております」
会話は、噛み合っているようで噛み合っていなかった。
篠原は怒っている。
SEJはしらばっくれている。
互いに、それを分かっている。
会議の最後に、河野は内海課長を見た。
「内海さん」
黒崎の眉が動いた。
内海は、少しだけ首を傾げる。
「何でしょう」
「あなたは、この制御パッケージの開発に関わっているのですか」
「僕は営業と調整が主でしてね。技術的な細部は専門の者が」
「ゲームの開発でモーションキャプチャーも?」
会議室の空気がさらに冷える。
SEJ側の法務担当が口を開きかける。
しかし内海が、それより先に笑った。
「色々な仕事をしています」
「AV-98の起動ディスク盗難事件について、何か知っていることは」
「ニュースで聞いた程度ですね」
黒崎は、内心で頭を抱えた。
その顔で言うのはやめてほしい。
河野も同じことを思ったに違いない。
だが、証拠はない。
内海は、柔らかい声で続けた。
「それに、篠原さん。SR-70は警備用レイバーです。AV-98とは用途が違う」
「用途が違っても、動作の根が同じなら問題です」
「人型レイバーは、似たような身体をしていますからねえ。転べば手をつく。撃つなら腰を落とす。相手を止めるなら腕を取る。似るのは自然じゃありませんか」
「自然にしては、似すぎている」
内海は笑みを深めた。
「なら、御社のAV-98が、それだけ自然で優れた動きをしているということでしょう」
河野は一瞬、言葉を失った。
褒められている。
だが、侮辱でもある。
盗んだものを使っておいて、元が優秀だから似たのだと言っている。
黒崎は心の中で呟いた。
課長。
本当に性格が悪いです。
会議は、結論の出ないまま終わった。
篠原重工は、正式な技術照会を継続する。
SEJは、独自開発とモーションキャプチャーを主張する。
トヨハタオートは販売代理として、認証と安全性を強調する。
HSSへの納入計画は止まらない。
サターンは市場へ出る。
会議室を出たあと、黒崎は内海に近づいた。
「課長」
「何だい、黒崎君」
「楽しそうでしたね」
「そう見えた?」
「見えました」
「困ったなあ」
「困っていないでしょう」
内海は笑った。
黒崎は低い声で言った。
「篠原重工は本気で怒っています」
「そうだろうねえ」
「特車二課も、いずれ気づきます」
「そうだろうねえ」
「野明さんは、嫌がるでしょう」
内海の笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。
「バドも同じことを言っていたよ」
「そうですか」
「彼は、少し分かり始めている」
「何をです」
「データを使うことと、使われることは同じ線の上にある、ということを」
黒崎は黙った。
内海は廊下を歩きながら言う。
「サターンは売れる。篠原は怒る。特車二課は警戒する。バドは考える。面白いじゃないか」
「面白くありません」
「黒崎君はいつもそう言う」
「課長がいつも面白がるからです」
内海は笑った。
その笑みはいつも通りだった。
だが、黒崎には少しだけ分かった。
内海は、ただ商売をしているだけではない。
盤面を増やしている。
グリフォン対イングラムだけではない。
ASURA対篠原。
サターン対特車二課。
商品対原型。
盗まれた動き対育った動き。
その全部を、面白がっている。
黒崎は、また胃が痛くなった。
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その夜。
シャフト側の宿舎で、バドは黒崎から会議の概要を聞いた。
もちろん、機密部分は伏せられている。
だが、必要なところは伝えられた。
篠原重工が怒っていること。
サターンにイングラム由来と見られる動作があると抗議したこと。
SEJがモーキャプだと主張したこと。
HSSへの納入は止まらないこと。
バドはベッドの上で膝を抱え、少しだけ黙っていた。
「野明のお姉ちゃん、怒るかな」
「怒るというより、傷つくかもしれません」
黒崎は正直に答えた。
「アルフォンスの中身が、知らない警備レイバーに使われているように感じるでしょう」
「……嫌やな」
バドは小さく言った。
「僕がやったことやけど、嫌やな」
黒崎は何も言わない。
バドは続けた。
「アルフォンスの起動ディスク盗んだ時は、攻略本手に入れたみたいで嬉しかった。でも、サターンに入ると、なんか違うな」
「違いますか」
「うん。僕が使うのは、まだ勝負のためやん。いや、悪いのは分かっとるで。でも、アルフォンスに勝つためや。でも商品になると、知らん人が使う。知らん現場で、知らんレイバーが、ちょっとアルフォンスみたいに動く」
バドは顔をしかめた。
「気持ち悪いな」
黒崎は静かに言った。
「その感覚は、忘れない方がいい」
「うん」
「盗まれた側は、そう感じます」
バドは、身分証カードを指で触った。
「僕の動きも、ASURAが覚えるやろ」
「はい」
「グリフォンの動きも」
「はい」
「データランドセルで、めっちゃ取ったやろ」
「取りました」
「それも、いつかサターンみたいな商品になる?」
黒崎は答えに迷った。
嘘をつくことはできた。
慰めることもできた。
だが、バドには必要ない気がした。
「可能性はあります」
バドは頷いた。
「そっか」
「嫌ですか」
「ちょっと」
バドは正直に言った。
「でも、売られたら、それより強くなるしかない」
「またそれですか」
「それや」
バドは顔を上げた。
「だって、サターンはアルフォンスやない。グリフォンでもない。僕でも野明のお姉ちゃんでもない。薄めた動きや。商品や」
「はい」
「ほな、本物が負けたらあかん」
黒崎は、少しだけ疲れたように笑った。
「本物、ですか」
「うん」
「あなたにとっての本物は、グリフォンとアルフォンスなのですね」
「せや」
バドは即答した。
「サターンは強いと思う。HSSに二十機入ったら、普通の警備会社や作業レイバー相手にはめっちゃ強いやろ。でも、僕が勝ちたいのはサターンやない」
「アルフォンス」
「うん」
バドは、窓の外を見た。
夜の日本。
ブラジルとは違う湿り気。
遠くに工場の灯りが見える。
「サターン見て、ちょっと分かった」
「何をです」
「盗んだデータは古くなる。売ったデータも古くなる。でも、野明のお姉ちゃんは新しくなる」
黒崎は黙る。
「アルフォンスは、また変わる。特車二課も、篠原も、サターン見て怒って、考えて、対策する。そしたら、僕が持ってる起動ディスクのデータも、サターンの商業OSも、どんどん古くなる」
バドは笑った。
「だから、本物とやりたい」
黒崎は、深く息を吐いた。
「結論としては危険ですが、理解としては間違っていません」
「褒めた?」
「褒めてはいません」
「ちょっと褒めたやん」
「褒めていません」
バドは笑った。
だが、その笑いは少しだけ静かだった。
サターン。
ASURAの商業化。
篠原重工の怒り。
野明の不快感。
自分の動きもいつか誰かに使われるかもしれないという感覚。
それらが、バドの中に残っていた。
黒崎は思った。
この子供は、少しずつ分かっている。
自分が何をしているのか。
自分が何を奪ったのか。
自分が何に使われるのか。
そして、それでもアルフォンスに勝ちたいと思っている。
だから危険だ。
だが、まったく分からないまま笑っているよりは、ずっとましだった。
「黒崎さん」
「何です」
「サターンと戦うことあるかな」
「できれば避けたいですね」
「でもHSSに二十機やろ」
「街で見かける機会は増えるでしょう」
「アルフォンス、嫌やろな」
「そうでしょうね」
「太田のおっちゃんは怒るやろな」
「間違いなく」
「遊馬のお兄ちゃんは、めっちゃ嫌な顔しそう」
「するでしょう」
「後藤隊長は?」
黒崎は少し考えた。
「笑うでしょう」
「怖いやつや」
「はい」
二人は少しだけ黙った。
その沈黙の中で、サターンの姿が思い浮かぶ。
ダークブルーと黒。
背中のSCHAFT。
薄められたASURA。
少しだけアルフォンスに似た警備レイバー。
市場に出る怪物の影。
バドは、ベッドの上でぽつりと言った。
「ASURA、就職したけど、ブラック企業かもしれんな」
黒崎は目を閉じた。
「その言い方は、やはりやめて下さい」
だが、少しだけ笑いそうになった。
笑ってはいけない。
この状況は笑い事ではない。
篠原重工は怒っている。
サターンは売れる。
内海課長は面白がっている。
バドはまた次の勝負を考えている。
黒崎の胃は、今日も痛い。
それでも、バドが少しだけ嫌だと言ったことは、覚えておこうと思った。
盗んだものが商品になる気持ち悪さ。
それを覚えている限り、まだ引き返す線は残っている。
たとえ本人が、その線を越えたり戻ったりしながら、アルフォンスに向かって走っているとしても。
夜の宿舎で、バドはノートを開いた。
日本語で一行書く。
サターン。
ASURA商業版。
アルフォンスの薄い影。
本物は、もっと強くなる。
黒崎がそれを見て、何も言わなかった。
言えば、また長くなる。
それに、その一行だけは、否定しにくかった。
バドはペンを置き、窓の外を見た。
「待っときや、アルフォンス」
小さな声。
黒崎には聞こえた。
「偽物が増えるなら、本物同士でやらなあかんな」
黒崎は、何も言わなかった。
ただ、胃のあたりを押さえた。