/*/ サターン改 薄い影 /*/
最初にそれを見つけたのは、進士だった。
第二小隊の詰所。
午後のやや眠い時間。
机の上には書類が積まれ、コーヒーは冷めかけていた。
進士はパソコン画面を見ながら、眼鏡の位置を直す。
「……あれ?」
その声に、遊馬が顔を上げた。
「どうしたんです」
「HSSの新型警備レイバー、運用開始の記事です」
「HSS?」
太田が反応した。
「警備会社のレイバーなど、警察の敵ではない!」
「敵とは限らないでしょう」
進士が苦笑する。
しかし、画面を覗き込んだ遊馬の顔から、笑みが消えた。
そこに映っていたのは、ダークブルーと黒のレイバーだった。
警備員風のカラーリング。
だが、妙に悪役めいた輪郭。
背中には、はっきりとSCHAFTの文字。
SR-70サターン。
HSS向け警備用レイバー。
遊馬は、しばらく画面を見ていた。
「……シャフトか」
その声で、野明も顔を上げた。
「シャフト?」
「見てみろ」
野明が遊馬の横に来る。
画面の中のサターンは、施設警備のデモ映像で模擬作業レイバーを制圧していた。
突進してくる相手を、スタンベイルで受ける。
受け止めるのではなく、流す。
腰を落とす。
足を半歩ずらす。
相手の腕を殺す。
ナイフを突きつける。
そこで止める。
野明は、画面を見たまま動かなくなった。
太田が鼻を鳴らす。
「ふん。こざかしい動きだ」
だが、遊馬は太田を見なかった。
彼は野明を見ていた。
野明の顔が、少しずつ強張っていく。
「野明?」
「……今の」
野明が小さく言った。
「アルフォンスに似てた」
詰所の空気が止まった。
進士が慌てて映像を巻き戻す。
もう一度、サターンが動く。
半歩外す。
腕を流す。
腰を沈める。
止める。
野明の手が、ぎゅっと握られる。
「似てる」
太田が立ち上がった。
「何だと!?」
遊馬は黙って映像を見ていた。
似ている。
完全に同じではない。
サターンの機体はイングラムではない。
重心も違う。
関節も違う。
制御の反応も、警備用に丸められている。
だが、順番が似ていた。
相手の力を真正面から受けず、角度を変える。
壊しすぎない位置で止める。
転びかけた時に、腕へ逃げる前に腰と足で戻す。
それは、AV-98一号機が現場で何度もやってきた動きだった。
野明が、アルフォンスと一緒に覚えてきた動きだった。
太田が画面を睨む。
「おい遊馬! これはどういうことだ!」
「俺に聞くなよ」
「シャフトの連中が、また何かしたに決まっている!」
「たぶんな」
遊馬の声は低かった。
「一号機と二号機の起動ディスク、盗まれただろ」
太田の顔が一気に怒りで赤くなる。
「貴様、それを言うな!」
「言わなくても分かるだろ。あれが外に出た。今度は商品に混じって戻ってきた」
「商品だと!?」
太田が机を叩く。
「人の機体の動きを盗んで売り物にするなど、断じて許せん!」
進士が小さく言う。
「でも、証明は難しいですよね。人型レイバーの動作が似ているだけ、と言われたら……」
遊馬が頷く。
「そういうことだ。向こうは絶対そう言う。モーキャプで作りました。警備用の一般動作です。射撃姿勢に著作権はありません。そんなところだろうな」
野明は画面を見つめたままだった。
「……嫌だな」
その声は、とても小さかった。
太田の怒鳴り声より、遊馬の分析より、進士の不安より、ずっと重かった。
野明はもう一度言った。
「なんか、嫌だな」
遊馬は黙る。
野明は画面の中のサターンを見る。
ダークブルーと黒。
背中のSCHAFT。
アルフォンスではない。
けれど、少しだけアルフォンスに似ている。
外側だけではない。
中の動きが。
彼女がアルフォンスと一緒に転んで、起き上がって、暴走レイバーを止めて、街を壊さないように踏ん張って、少しずつ覚えてきたもの。
その薄い影が、知らない警備レイバーの中で動いている。
商品として。
営業資料として。
デモ映像として。
「アルフォンスの中身、知らないところで使われてるみたい」
野明はそう言った。
詰所に、重い沈黙が落ちた。
そこへ、後藤隊長が湯飲みを持って入ってきた。
「何、みんな怖い顔して」
遊馬が振り返る。
「隊長。見ました?」
「見たよ。サターンだろ」
後藤は、いつもの調子で答えた。
「HSSに二十機だってさ。世の中、景気がいいねえ」
太田が詰め寄る。
「隊長! これは明らかに我々への挑発です!」
「挑発かどうかは知らないけど、嫌な商売だねえ」
後藤は画面を見る。
そこには、サターンが模擬標的を非破壊で制圧する姿が映っている。
「ま、あちらさんも商売だからね。グリフォンみたいな一点物は売れない。だけど、あれで得たものは売れる」
「得たものって……」
進士が言う。
後藤は湯飲みを机に置いた。
「動きだよ。経験値と言ってもいい。レイバーは機械だけど、現場で育つからね。うちの一号機も二号機も、ずいぶん育った」
野明の顔が曇る。
後藤は、少しだけ声を柔らかくした。
「だから、盗まれた時点で、いつかこうなる可能性はあった」
「でも……」
野明は唇を噛んだ。
「でも、アルフォンスはアルフォンスです」
「もちろん」
後藤は即答した。
「サターンはアルフォンスじゃない。あれは薄い影だよ」
「薄い影?」
「そう。データを使ったって、同じにはならない。中身が違う。操縦者も違う。整備する人間も違う。現場も違う」
後藤は、画面のサターンを見ながら続けた。
「でも、影は影で厄介だ。本人じゃないから、遠慮なく商品になる」
遊馬が小さく言う。
「最悪ですね」
「まあね」
後藤は笑った。
だが、その笑みはいつもより少し薄かった。
「で、たぶん近いうちに、実物と会うよ」
太田が拳を握る。
「望むところです!」
「太田、撃つなよ」
「まだ何も言っていません!」
「顔に書いてある」
遊馬がため息をつく。
「HSSの機体ですから、民間警備ですよね。敵じゃない」
「そう。敵じゃない」
後藤は言った。
「だけど、現場で揉める相手にはなり得る」
*
その機会は、思ったより早く来た。
都内湾岸部。
大型物流施設の建設現場。
隣接するHSS管理の倉庫エリアで、作業用レイバーが暴走した。
原因は操作ミスと整備不良。
幸い人的被害はまだない。
だが、暴走した作業機は資材置き場へ突っ込み、燃料タンクに近づいていた。
HSSは自社警備レイバーを出した。
SR-70サターン、二機。
そのうち一機は、納入されたばかりの最新制御パッケージ搭載機。
現場責任者は、自社対応で収めるつもりだった。
だが、近隣から通報が入り、警視庁にも連絡が入る。
特車二課第二小隊、出動。
一号機、二号機。
現場に到着した時、HSSのサターンはすでに暴走機と対峙していた。
ダークブルーと黒の機体が、夜間照明の中に立っている。
背中にはSCHAFT。
野明はモニター越しにそれを見た瞬間、息を止めた。
「……あれ」
遊馬の声が通信に入る。
『サターンだ。落ち着け、野明』
「うん」
アルフォンスのコックピットの中で、野明は操縦桿を握り直した。
サターンが動く。
暴走作業機が腕を振り回し、資材を弾き飛ばす。
サターンはスタンベイルを構える。
もう一機は後方で警戒。
HSSの現場指揮車から通信が入る。
『こちらHSS警備指揮。対象は当社管理区域内。現在、自社レイバーにて対応中です。警察機は待機願います』
太田が即座に怒鳴る。
「何を言うか! 暴走レイバー対応は我々の職務だ!」
遊馬が慌てて制する。
『太田さん、まだ怒鳴らない!』
『まだとは何だ!』
後藤の声が入る。
『第二小隊、現場状況を確認。HSSとの指揮系統を整理するまで不用意に前へ出ないこと』
「了解」
野明は答える。
しかし、視線はサターンから離れなかった。
暴走作業機が突進する。
サターンは、正面から受けない。
半歩外す。
スタンベイルを斜めに入れる。
相手の腕を流す。
腰を沈める。
野明の喉が鳴った。
似ている。
やっぱり似ている。
アルフォンスが、何度も暴走レイバーを止める時にやった動き。
全部が同じではない。
サターンの方が少し硬い。
腰の戻しも浅い。
安全制限のせいか、一瞬遅い。
だが、考え方が似ている。
相手を壊しすぎず、止める。
野明は、胸の奥がざわざわした。
サターンは暴走機の腕を流し、そのままスタンナイフを関節部へ当てようとした。
だが、暴走機の出力が思ったより高かった。
資材を巻き込んで、足場が崩れる。
サターンの片足が滑った。
一瞬、転倒しかける。
そこで、また動いた。
腰を落とす。
反対側の足で踏む。
腕を出す前に、上体を戻す。
野明の目が見開かれる。
「今の……」
遊馬も見ていた。
『一号機だな』
野明は返事をしなかった。
太田が怒鳴る。
『おのれ、真似を!』
『太田さん、現場!』
遊馬の声が飛ぶ。
HSSのサターンは転倒を免れた。
しかし、復帰が遅れた分、暴走作業機が横へ抜ける。
その先には、燃料タンク。
HSSのもう一機が進路を塞ごうとするが、間に合わない。
後藤の声が短く入る。
『一号機、行ける?』
野明は答えた。
「行けます!」
アルフォンスが前に出た。
サターンの横を抜ける。
HSS指揮車から抗議が飛ぶ。
『警察機、待機を――』
遊馬が通信を切り替える。
『緊急回避優先! 文句は後で聞きます!』
暴走作業機が燃料タンクへ突っ込む。
アルフォンスは、その正面へは出なかった。
少し斜め。
足場の悪い資材の隙間。
野明は、相手の腕ではなく、腰を見る。
アルフォンスの足が沈む。
腰を低くする。
片腕を出す。
受けるのではなく、軌道をずらす。
暴走機の勢いを横へ流す。
サターンと似た動き。
だが、違う。
アルフォンスは、野明の入力に合わせてもう半歩、深く入った。
暴走機の重心が崩れる。
倒す。
しかし、燃料タンク側には倒さない。
資材置き場の空いた場所へ向ける。
遊馬が叫ぶ。
『今!』
「うん!」
アルフォンスが踏ん張った。
暴走作業機が横倒しになる。
衝撃。
資材が跳ねる。
燃料タンクまで、あと数メートル。
ぎりぎりだった。
サターンが遅れて近づく。
HSSの指揮車から、沈黙の後、通信が入った。
『……対象停止を確認。協力に感謝する』
太田が吠える。
「最初から我々に任せればいいものを!」
遊馬がため息をつく。
『太田さん、黙ってる方が格好いい時もありますよ』
『何だと!』
野明は、倒れた暴走機を確認してから、サターンの方を見た。
ダークブルーと黒の機体。
サターンは、アルフォンスを見ているように立っていた。
顔のない機械。
だが、野明には、それが何かを言っているように見えた。
お前の動きは、もうお前だけのものではない。
そんなふうに。
野明は小さく呟いた。
「嫌な感じ」
遊馬が通信で聞く。
『野明?』
「大丈夫」
野明は答えた。
「でも、あれ、やっぱり嫌」
遊馬は少し黙った。
『分かるよ』
「アルフォンスの真似、してるみたい」
『薄い影だって隊長が言ってたろ』
「うん」
野明はサターンを見る。
「でも、影でも、勝手に動かれると嫌だよ」
*
現場処理は、その後しばらく揉めた。
HSSは、自社エリア内での事故対応に警察機が介入したことについて、形式的に抗議した。
警察側は、燃料タンクへの二次被害防止を理由に、緊急対応の正当性を主張した。
結論は、どちらも面子を潰さない形で処理された。
暴走作業機は停止。
人的被害なし。
燃料タンク損傷なし。
HSSサターン一機は軽微損傷。
イングラム一号機は異常なし。
だが、特車二課の空気は重かった。
帰投後、格納庫で整備を受けるアルフォンスの足元に、野明は立っていた。
アルフォンスを見上げる。
いつもの顔。
いつもの白い装甲。
肩の回転灯。
胸の警視庁マーク。
野明は、その足に軽く手を当てた。
「真似されたね」
返事はない。
レイバーだから。
でも、野明は続けた。
「でも、アルフォンスの方が上手かったよ」
それは、慰めでもあり、確認でもあった。
サターンは似ていた。
でも、最後の半歩が違った。
暴走機の勢いを流す時、どこまで深く入るか。
どこへ倒すか。
燃料タンクを避けるために、どの角度へ押すか。
それは、データだけではなく、現場を見て決めることだった。
野明とアルフォンスが、その瞬間に決めたことだった。
遊馬が後ろから歩いてくる。
「整備班が言ってた。足回り、少し負荷が出てるけど問題なしだってさ」
「うん」
「野明」
「何?」
「あいつ、似てたけどさ」
「うん」
「アルフォンスじゃないよ」
野明は振り返らない。
「分かってる」
「分かってても嫌か」
「嫌」
即答だった。
遊馬は頭をかく。
「だよな」
野明は、アルフォンスの足元を見た。
「アルフォンスが覚えたことを、勝手に知らない子が使ってるみたいだった」
「サターンは子じゃないだろ」
「でも、そう感じたの」
遊馬は黙った。
野明の言い方は感覚的だ。
だが、間違っているとは思わなかった。
AV-98は機械だ。
データはデータだ。
動作パターンはコピーできる。
理屈ではそうだ。
でも、操縦者と機体が現場で積んだものを、ただのデータとして売られた時、納得できるかは別だった。
太田が格納庫に入ってきた。
「泉!」
「太田さん」
「あのサターンという機体、次に出てきたら俺が叩きのめす!」
遊馬が呆れる。
「相手は民間警備会社ですよ」
「知るか! 人の動きを盗んだ機体など、許せん!」
「だから証明できないんですって」
「証明などいらん! 俺が見た!」
「それを証明とは言わないんですよ」
野明は少しだけ笑った。
太田の怒りは騒がしい。
でも、その騒がしさが少しありがたかった。
「太田さん」
「何だ」
「ありがとう」
太田は一瞬、固まった。
「な、何がだ」
「怒ってくれて」
太田は顔を赤くした。
「当然だ! 一号機の動きは一号機のものだ! 二号機の射撃姿勢も二号機のものだ! 断じて警備会社の玩具ではない!」
遊馬がぼそっと言う。
「二号機の射撃姿勢は、もう少し安全にした方がいいと思いますけどね」
「篠原ァ!」
太田が叫ぶ。
野明は笑った。
少しだけ、胸のざわざわが薄くなった。
そこへ、後藤隊長がやってきた。
「盛り上がってるねえ」
遊馬が振り返る。
「隊長。今日のサターン、見ましたよね」
「見たよ」
「どう思います」
後藤は、アルフォンスを見上げた。
「似てたねえ」
野明の顔が少し曇る。
後藤は続ける。
「でも、最後のところは似てなかった」
「最後?」
「燃料タンクを避けて、倒す方向を変えたところ」
野明は黙る。
「あれは、サターンにはできなかった。あの機体の制御パッケージは優秀だよ。たぶん、普通の警備レイバーとしてはかなり強い。でも、現場を見て、責任を持って、壊しちゃいけないものを選んで、そのうえで踏み込むのは、また別」
後藤は湯飲みを持ったまま言った。
「データは真似できる。でも、責任は真似できない」
格納庫が静かになった。
遊馬が小さく頷く。
「責任、ですか」
「うん。警察機の動きってのは、結局そこだからね。壊すためじゃない。勝つためでもない。止めるために動く。それを、どこまで本気で背負ってるか」
野明は、アルフォンスを見上げた。
アルフォンスは何も言わない。
でも、野明には少し分かった気がした。
サターンは、アルフォンスの影を持っている。
でも、アルフォンスが背負っているものまでは持っていない。
それは、データではない。
現場で毎回、選ぶものだ。
後藤は、のんびりと言った。
「だから、嫌がっていいよ、泉」
野明が振り返る。
「え?」
「嫌なものは嫌でいい。でも、影に引っ張られすぎないこと。向こうが真似するなら、こっちはまた変わればいい」
遊馬が苦笑する。
「簡単に言いますね」
「難しく言っても変わらないからねえ」
野明は、もう一度アルフォンスに触れた。
「変わる……」
後藤は頷く。
「起動ディスクを盗まれた。サターンに似た動きが出た。なら、もうその動きは古い。今日の現場で、アルフォンスはまた新しい動きをした」
野明は少しだけ目を見開いた。
遊馬も同じことに気づいた。
盗まれたデータ。
商品化された動き。
それらは、過去のものだ。
今日の現場で野明とアルフォンスが選んだ半歩は、まだ盗まれていない。
まだ商品になっていない。
今ここで生まれたものだ。
太田が腕を組む。
「つまり、日々鍛錬を積めということですな!」
「まあ、そういうことにしておこうか」
後藤が言う。
野明は小さく笑った。
「うん」
彼女はアルフォンスを見上げる。
「また覚えよう。アルフォンス」
*
その夜、特車二課の今日の出動映像は、複数の場所で見られていた。
篠原重工。
HSS。
SEJ。
そして、シャフト側の小さな視聴室。
バドは、テレビ画面の前に座っていた。
内海課長も横にいる。
黒崎は後ろで腕を組んでいる。
森川と磯口は、映像を解析しながら端末に数値を打ち込んでいる。
画面の中で、HSSのサターンが暴走作業機を制圧しようとしている。
バドは黙って見ていた。
「サターン、悪くないな」
内海が言う。
「警備用としては上出来だ」
森川が頷く。
「制御補正は安定しています。暴走機の腕を流す動作も想定通りです」
磯口が続ける。
「ただ、足場が崩れた時の復帰が遅い。安全制限が効きすぎたかな」
バドは、サターンが滑った場面を見た。
腰を落とす。
足を踏む。
腕を出す前に戻す。
「アルフォンスっぽい」
黒崎が言う。
「またそれですか」
「でも、薄い」
バドは画面を見つめた。
「本物より薄い」
その後、アルフォンスが前に出る。
サターンの横を抜ける。
暴走作業機を燃料タンクから逸らす。
半歩深く入る。
倒す方向を選ぶ。
バドの目が輝いた。
「そこ!」
森川が映像を止める。
アルフォンスが、暴走機の重心に入る寸前。
バドは画面を指差した。
「これ、起動ディスクにない」
黒崎が眉を動かす。
「分かるのですか」
「分かる。前のアルフォンスなら、たぶんもうちょい手前で止めてる。今のは深い。燃料タンク避けるために、倒す方向まで見とる。野明のお姉ちゃんが選んだんや」
森川が解析映像を見る。
「確かに。従来ログの復帰・制圧パターンとは違う。踏み込み角度が深い。対象重心を流す方向も、障害物配置に合わせている」
磯口が感心したように言う。
「サターンの商業版制御では、ここまで踏み込ませない。安全域に引っかかる」
バドは笑った。
「ほらな」
内海課長が横を見る。
「嬉しそうだね」
「嬉しいに決まっとるやん」
バドは画面のアルフォンスを見る。
「サターンはアルフォンスの薄い影や。でも、本物はまた変わった。今日のこの半歩は、盗んだデータにもサターンにも入ってへん」
黒崎は黙って聞いていた。
バドの声には、興奮があった。
だが、単なる盗む側の喜びではない。
相手が生きていることへの喜び。
相手が変わることへの喜び。
攻略本が古くなることへの喜びだった。
「内海さん」
「何だい」
「僕、やっぱりアルフォンスとやりたい」
「そうだろうねえ」
「サターンやない。エイブラハムでもない。商品でも量産機でもない。本物のアルフォンスとやりたい」
内海は笑った。
「本物同士で?」
「せや」
黒崎が低く言う。
「危険な結論へ向かわないで下さい」
バドは振り返った。
「黒崎さん、サターン見て分かったやん。データは古くなる。商品は薄くなる。でも、野明のお姉ちゃんとアルフォンスは、その場で変わる」
「分かりましたが、それが決戦の理由にはなりません」
「なるやん」
「なりません」
「なるって」
「なりません」
内海課長が笑う。
「でも、面白い理由ではあるね」
「課長」
「黙るよ」
森川は映像を何度も巻き戻している。
「この半歩、欲しいですね」
黒崎が即座に言った。
「欲しがらないで下さい」
磯口も言う。
「映像だけでも解析できる。だが、機体内部ログがあれば……」
「欲しがらないで下さい」
バドがにやっとする。
「怪獣戦ログも欲しいし、今日の半歩ログも欲しいなぁ」
「絶対に駄目です」
「まだ何も言うてへん」
「言う前から駄目です」
内海課長が楽しそうに言う。
「黒崎君は先回りが上手くなったねえ」
「課長の下にいれば嫌でもそうなります」
バドはもう一度、画面のアルフォンスを見た。
サターンの動きは嫌だった。
アルフォンスの薄い影。
商品になったデータ。
知らない誰かが使う動き。
でも、その後にアルフォンスは本物を見せた。
盗まれたデータより先へ行く動き。
商品化された影を置き去りにする半歩。
バドは、その半歩に胸が熱くなった。
「ええなぁ」
小さく呟く。
「やっぱり、相手がレベルアップしてくれるゲームは最高や」
黒崎は胃を押さえた。
「ゲームではありません」
「真剣勝負や」
「さらに悪いです」
バドは笑った。
そして、ノートを開いた。
今日のページに書く。
サターン。
薄い影。
HSS二十機。
商品になったASURA。
でも本物は新しい半歩を踏む。
アルフォンスは古くならない。
勝つなら、本物に。
黒崎はその文字を見た。
止めたい。
止めるべきだ。
だが、その言葉のすべてを否定することもできなかった。
アルフォンスは古くならない。
それは、たぶん正しい。
そして、だからこそバドは向かう。
黒崎にとっては頭痛の種でしかないが、操縦者としてのバドは確実に育っている。
内海課長が、画面の中のアルフォンスを見ながら言った。
「商品になった影と、現場で育つ本物。いいねえ。舞台が整ってきた」
黒崎が低く返す。
「整えないで下さい」
内海は笑うだけだった。
画面の中で、白い警察機が立っている。
その横には、ダークブルーと黒の警備レイバー。
薄い影。
本物。
商品。
経験。
盗まれた過去。
更新される現在。
バドはその映像を、食い入るように見つめていた。
待っときや、アルフォンス。
声には出さなかった。
だが、黒崎には分かった。
バドは、もう次の勝負を見ている。
そしてその勝負は、サターンでは終わらない。
薄い影を越えて、本物へ向かう。
グリフォンとアルフォンス。
南米帰りの黒い怪鳥と、怪獣戦帰りの警察機。
その間に、サターンという影が落ちた。
影は不快だった。
だが、影があるからこそ、本物の輪郭はよりはっきりした。
バドはノートを閉じた。
「内海さん」
「何だい」
「サターンには負けへんな」
「そうだね」
「でも、サターンがいるから、アルフォンスはもっと強くなるかもしれへん」
「そうだねえ」
「ほな、こっちも強くならな」
黒崎は深く息を吐いた。
「結局、そうなるのですね」
バドは笑った。
「そうなるんや」
視聴室の明かりは落とされたまま。
モニターの光だけが、バドの顔を照らしている。
その瞳には、サターンではなく、白いイングラムが映っていた。