/*/ 鼻薬とヘルダイバー /*/
SRX-70が第1小隊に採用されなかった経緯を聞き終えると、バドはしばらく黙っていた。
資料には、きれいな言葉が並んでいる。
実戦評価。
無償提供。
装備更新。
運用支援。
保守契約。
実働データの共有。
警察レイバー隊の近代化。
表向きだけ見れば、悪い話ではない。
旧式化した第1小隊の装備を、高性能な新型機へ更新する。
しかも安い。
ほぼ無料。
現場は喜ぶ。
メーカーはデータを得る。
上層部は予算を抑えられる。
誰も損をしていないように見える。
だからこそ罠だった。
バドは、資料を指で弾いた。
「でもさ」
黒崎は嫌な予感を覚えた。
「何です」
「篠原重工だって同じ事やってるやん!」
黒崎は即座に言った。
「口を閉じなさい」
「まだ最後まで言うてへん!」
「言う前から分かります」
「徳永専務、袖の下けちったな!」
「口を閉じなさい」
二回目だった。
バドは口を尖らせる。
「だって、そうやろ? 篠原重工だって警察にイングラム入れて、実戦データ取って、改修して、エコノミー作って、次の商品にしようとしてるやん。シャフトがやったら悪い裏工作で、篠原がやったら官民協力なん?」
黒崎は額に手を当てた。
「言い方が最悪です」
「でも違う?」
「違わない部分があるから、口を閉じなさいと言っているのです」
内海課長が横で笑い出した。
「いいねえ、バド。実にいい」
「課長は黙っていて下さい」
黒崎の声が鋭い。
内海は楽しそうに肩をすくめた。
「同じ構造だよ。警察という現場に機体を入れる。現場で育てる。データを取る。次の商品へ反映する。篠原さんはそれを正面からやり、うちは少し横からやろうとした。それだけだ」
「課長」
「何だい」
「その“少し横から”が問題です」
「横から入るのは大事だよ。正面玄関は混んでいるからね」
黒崎は返事をしなかった。
返事をすると怒鳴りそうだったからだ。
バドは資料を読み直す。
「でも、SRX-70の時は採用されへんかった。で、サターンとしてHSSに売った」
「はい」
「そこに商業版ASURA乗せた」
「制御パッケージです」
「商業版ASURAやん」
「その呼び方はやめて下さい」
「でも、SRX-70の時より性能上がってるやろ」
黒崎は黙った。
その沈黙だけで、答えは十分だった。
バドはにっと笑う。
「ほら」
「ほら、ではありません」
「サターン、今の方が強いんや。昔、第1小隊に入らんかった機体が、ASURA入りで帰ってきた。ええやん。リベンジ商品や」
「物騒な言い方をしないで下さい」
磯口が横から口を挟んだ。
「性能向上はしている。SRX-70の素体性能を警備用に丸めた上で、転倒復帰、間合い管理、非破壊制圧、射撃姿勢安定を補正しているからね。少なくとも制御面では、当時の試作機より扱いやすい」
森川も頷く。
「ASURA由来の判断を相当削ってあるが、それでも従来の警備機とは違う。パイロットの負担も減る。普通のオペレーターでも、一定以上の動きが出せる」
「つまり、強い」
バドが言う。
「便利、という表現にして下さい」
黒崎が訂正する。
「強くて便利」
「悪化しました」
バドは、ふと思いついたように顔を上げた。
「なあ、今度はヘルダイバーと競争させるん?」
部屋の空気が少し止まった。
黒崎がゆっくりとバドを見る。
「何を、ですか」
「サターン。商業版ASURA入りやろ? 自衛隊の新型、ヘルダイバーと比較試験とかせぇへんの?」
「しません」
「即答やな」
「当然です」
内海課長は、実に楽しそうな顔をした。
「面白そうだけどねえ」
「課長」
「サターンは民間警備用。ヘルダイバーは自衛隊の新規採用機。用途は違う。でも、機動性、降下後の復帰、戦術運用、被弾時姿勢制御。比べてみたい人間はいるだろうね」
黒崎は低く言った。
「あちらは新規採用されたばかりですからね」
バドは首を傾げる。
「だから?」
「だから、余計な比較をすると政治問題になります」
「政治問題」
「新規採用されたばかりの自衛隊機と、民間警備会社向けのシャフト製サターンを競わせる。仮にサターンが一部項目で上回れば、自衛隊の調達判断に泥を塗る。逆に負ければ、HSS向け商品価値に傷がつく。どちらに転んでも面倒です」
「でもデータ取れるやん」
「取らないで下さい」
「ヘルダイバーの降下後の膝とか、着地衝撃とか、めっちゃ欲しくない?」
森川がほんの少し反応した。
黒崎はそれを見逃さなかった。
「森川さん」
「……欲しくないとは言いません」
「言わないで下さい」
磯口も苦笑する。
「ヘルダイバーの空挺運用データは貴重だ。グリフォンのフライングユニットや現場換装とは違う方向だが、着地後の姿勢復帰、急制動、装備重量下での関節負荷は参考になる」
「磯口さんまで」
黒崎の声に疲労が滲む。
バドは目を輝かせた。
「ほら! サターンとヘルダイバー競争させようや!」
「何の競争ですか」
「障害物走」
「却下です」
「降着姿勢からの起動競争」
「却下です」
「瓦礫地帯で鬼ごっこ」
「却下です」
「輸送ヘリから降りてきたヘルダイバーと、HSSサターンがどっちが早く暴走レイバー止めるか」
「絶対に却下です」
内海課長が笑いを堪えている。
「いいねえ。公開できない運動会だ」
「課長は黙っていて下さい」
「さっきから黒崎君は僕に厳しい」
「当然です」
バドは資料にメモを書いた。
サターン。
商業版ASURA。
SRX-70より強い。
ヘルダイバーと競争?
黒崎はそれを見て、即座に赤ペンで線を引いた。
「消します」
「あっ、ひどい!」
「残してはいけないメモです」
「でも絶対おもろいやん」
「面白さで運用しないで下さい」
内海課長は、にこにこしながら言った。
「しかし、バドの視点は悪くないよ。サターンは警備市場。ヘルダイバーは自衛隊。イングラムは警察。エイブラハムは米軍と民間警備。グリフォンは非公式の怪物。それぞれが別の市場と別の運用思想を持っている」
バドは頷いた。
「つまり、全部戦わせたら分かりやすい」
「分かりやすくしないで下さい」
黒崎が遮る。
内海は続ける。
「でも、比較は必ず起こる。現場は見るよ。警察は警察機を、自衛隊は自衛隊機を、警備会社は警備機を、メーカーは商品を。みんな、自分の機体がどこまでやれるか知りたい」
黒崎は険しい顔をした。
「その好奇心が、だいたい事件になります」
「事件はデータを生む」
「課長」
「冗談だよ」
「冗談に聞こえません」
バドは、ふと真面目な顔になった。
「でもさ、黒崎さん」
「何です」
「サターンがヘルダイバーに勝ったら、売れるやろな」
「だからやらないのです」
「負けても、どこが負けたか分かる。ASURA商業版を改良できる」
「だからやらないのです」
「どっちでも得やん」
「だから、やってはいけないのです」
黒崎は強めに言った。
「勝っても負けてもデータになる。あなた方はそれを得だと言う。しかし、巻き込まれる現場、組織、操縦者、調達担当、整備班にとっては迷惑です」
バドは少し黙った。
そして小さく言う。
「……黒崎さん、たまにめっちゃまともやな」
「常にまともです」
「常には言いすぎやろ」
「常にです」
内海課長が笑う。
森川と磯口も、少しだけ笑った。
黒崎は笑わなかった。
彼は資料を閉じる。
「サターンはHSS向け商品。ヘルダイバーは自衛隊の新規採用機。イングラムは警察機。それぞれの線を無理に交差させれば、必ず誰かが火傷します」
バドは言った。
「でも、線が交差したところが一番おもろい」
「だから、あなたは危険なのです」
その言葉に、バドは肩をすくめた。
「知っとる」
内海課長が、満足そうに笑った。
「いい返事だ」
「課長は褒めないで下さい」
黒崎は即座に言う。
バドは、赤線で消された「ヘルダイバーと競争?」の文字を見つめた。
消されても、頭の中には残っている。
警察機。
自衛隊機。
警備機。
軍用機。
そしてグリフォン。
それぞれの身体。
それぞれの市場。
それぞれのデータ。
強さは一つではない。
勝負も一つではない。
だが、バドにとっては全部がゲーム盤の上に見えてしまう。
「黒崎さん」
「何です」
「ヘルダイバーとは今すぐ競争せぇへん」
「今すぐ、ではなく、しません」
「でも、いつか動きは見たい」
「見るだけにして下さい」
「ログは?」
「駄目です」
「映像解析は?」
「内容によります」
「ちょっと許された」
「許していません」
内海課長が笑った。
「まあ、焦らなくてもいい。サターンが街に出る。イングラムがそれを見る。ヘルダイバーもどこかで動く。いずれ、線は勝手に交差する」
黒崎は内海を睨んだ。
「課長。そういうことを言うと、本当に交差します」
「僕が言わなくても、世の中は勝手に絡まるよ」
バドは、消されたメモの横に小さく書き直した。
ヘルダイバー。
今は競争禁止。
でも降下ログ欲しい。
黒崎がそれを見て、また赤ペンを持った。
バドはノートを抱えて逃げた。
「あっ、これは消したらあかん!」
「消します」
「研究メモや!」
「危険思想です」
部屋の中に、バドの笑い声と黒崎のため息が重なった。
内海課長はそれを眺めながら、いつもの薄い笑みを浮かべている。
サターンは市場に出た。
ヘルダイバーは採用されたばかり。
イングラムは現場で育ち続けている。
そしてグリフォンは、まだ本命の勝負を待っている。
バドのノートの赤線は増える。
だが、消された文字ほど、彼の頭の中では強く残った。