/*/ 互換OSとしてのASURA /*/
SR-70サターンの商業版制御パッケージがHSS向けに売れた。
篠原重工は怒った。
特車二課は嫌な顔をした。
森川と磯口は喜んだ。
黒崎は胃を押さえた。
そしてバドは、別のことを考え始めていた。
シャフト・エンタープライズ・ジャパンの技術会議室。
机の上には、サターンの販売資料、HSS向け運用計画、篠原重工からの照会文書、そしてASURA商業版制御パッケージの仕様書が広げられている。
バドは椅子の上に膝を抱え、資料の束を眺めていた。
森川政治は端末に向かい、サターンの制御ログを確認している。
磯口豊は腕を組み、壁面モニターに映った市場分布図を見ていた。
黒崎は会議室の後ろで腕を組んでいる。
内海課長は、いつものように楽しそうだった。
「なあ、森川さん、磯口さん」
バドが口を開いた。
「何だい」
磯口が返す。
「ASURAを、現行のOSに互換性持たせるってできへんの?」
森川の手が止まった。
黒崎の眉も動いた。
「互換性?」
「せや」
バドは資料を指で叩く。
「サターンみたいに新しい機体に乗せるんやなくて、もう現場で使われてるレイバーのOSを書き換えるだけで性能アップ、みたいなやつ」
黒崎がすぐに言った。
「口を閉じなさい」
「まだ悪いこと言うてへん!」
「言い始めています」
内海課長が笑う。
「いいじゃないか。聞こう」
黒崎は低い声で言った。
「課長がそう言う時は、だいたい悪化します」
森川は、バドの言葉を頭の中で転がしていた。
「既存OSとの互換……」
磯口も目を細める。
「OSの書き換えだけで性能アップ、か」
「そう」
バドは身を乗り出した。
「グリフォンとかサターンとか、新しい機体を売るのは強いけど、買い替えって高いやん。警備会社も建設会社も自治体も、今あるレイバーをすぐ全部入れ替えたりできへんやろ?」
「当然だね」
「ほな、今ある機体に入れられるASURAがあったら売れるやん」
会議室が少し静かになった。
黒崎は、心底嫌そうな顔をした。
「余計な事に気が付きましたね」
「またそれ言う」
「何度でも言います」
森川はゆっくりと椅子にもたれた。
「ソフトでハードの性能を引き出すか」
その声には、少しだけ別の誰かの影があった。
「それは、帆場が好んでいたな」
バドが首を傾げる。
「帆場?」
黒崎が森川を見る。
森川は、画面から目を離さない。
「篠原重工のHOS。ハードを変えずに、ソフトで機体の動きを変える。既存機体に入れるだけで効率が上がる。作業性が上がる。市場を一気に押さえられる」
磯口が補足する。
「ソフトウェアは強い。機体を売るより速く広がる。だが、その分、危険も広がる」
バドは頷いた。
「知ってる。ハードとソフトの組み合わせで最大性能を発揮するのは分かってる。グリフォンみたいに専用で作った方が強い。サターンも最初から合わせた方がええ。でもさ」
バドは、壁の市場分布図を指した。
警備会社。
建設会社。
港湾。
鉱山。
自治体。
民間警備。
海外市場。
旧式レイバー。
中堅メーカー製の作業機。
払い下げ軍用機。
「後発で市場に食い込むなら、意地張らんと、食い込むための変化球も必要やん」
内海課長が、満足そうに笑った。
「いいねえ」
「褒めないで下さい」
黒崎が即座に言う。
だが、森川と磯口はすでに考え始めていた。
「互換OSとしてのASURAか……」
磯口が呟く。
「最大性能よりも、復帰とか状況判断に特化しそうだね」
森川も頷く。
「既存機体は関節強度も反応速度もバラバラだ。グリフォンのような高機動は出せない。無理に出せば機体が壊れる。だが、転倒復帰、被弾時姿勢維持、腕部破損時の補正、対象制圧時の過剰出力抑制、障害物回避、足場不良時の安定化。そういう領域なら、かなり効果が出る」
バドは言った。
「その方が現場は使いやすいんとちゃう?」
黒崎は何も言わなかった。
言いたいことは多い。
危険だ。
責任問題になる。
既存機体ごとの検証が必要だ。
OSだけで性能が上がると宣伝すれば、現場が無茶をする。
事故が起きれば、シャフトが責任を問われる。
だが、バドの言っていることは商売としては正しい。
既存機体市場。
そこに入り込めれば、機体を売るより広く、深く、長く儲かる。
内海課長が机に肘をついた。
「つまり、ASURAフルパッケージではなく、ASURA互換版」
森川が言う。
「名称は変えるべきでしょう」
「もちろん。ASURAとは書かないさ」
黒崎が低く言った。
「書いても書かなくても中身はASURAです」
「商標は大事だよ、黒崎君」
「そういう話ではありません」
磯口がホワイトボードに大きく書いた。
既存OS互換制御補助パッケージ。
その下に、項目を並べる。
転倒復帰補正。
足場不良時姿勢維持。
過剰出力抑制。
接触対象保護。
緊急回避判断。
腕部・脚部損傷時の片側補正。
作業姿勢安定化。
警備用非破壊制圧。
低速精密動作。
バドはそれを見て、にやりとした。
「地味やな」
「地味だから売れる」
磯口が答える。
「現場は、毎日グリフォンみたいに飛びたいわけではない。転びにくい。壊しにくい。疲れにくい。事故が減る。保険料が下がる。作業時間が短くなる。そういうものの方が欲しい」
「豚捕まえるのも上手くなる?」
「なる」
森川が真面目に言った。
「低速追跡と対象非損傷捕獲は、農場・畜産向けにも応用できる」
黒崎が額を押さえた。
「豚捕獲ログまで商品化しないで下さい」
バドは目を輝かせる。
「ASURA農業版!」
「やめて下さい」
「鉱山版もいるやろ。粉塵でセンサー落ちる時の補正とか、支柱壊さんように動くやつ」
「それは実際に需要がある」
磯口が言う。
「ASURA鉱山版!」
「その名称はやめて下さい」
「港湾版もいるな。滑る床、コンテナ、銃撃」
「銃撃は民間向け説明から外して下さい」
黒崎の声に疲れが滲む。
内海課長は、ますます楽しそうだった。
「いいじゃないか。ASURAは一つではない。機体を選ばず、現場ごとに薄く広がる」
「課長。危険な表現です」
「技術は広がるものだよ」
「広げ方の問題です」
森川は、真剣な顔で考えていた。
「互換OSにするなら、最大の問題は機体ごとの差異だ。メーカーごとにセンサー系も関節制御も違う。アクチュエータの応答も違う。既存OSを完全に置き換えるのか、上位補助として乗せるのかで難度が変わる」
磯口が頷く。
「完全置換は危険だ。機体認証も取り直しになる。まずは補助OS、あるいは姿勢制御アシストとして入れる方が現実的だろうね」
「つまり、現行OSの上にASURAを乗せる?」
バドが聞く。
「そうだ。既存OSに命令を直接出すのではなく、操縦入力と機体状態を監視して、危険な時だけ補正を入れる。転倒しかけたら復帰補助。過剰出力が出たら抑制。障害物に接触しそうなら警告と微修正。通常時は既存OSを尊重する」
「おとなしいASURAやな」
「その方が売れる」
森川が言う。
「ASURA完全版は危険すぎる。互換版は、現場が受け入れられる範囲に収める必要がある」
バドは少し考えた。
「でも、それASURAの良さ削りすぎちゃう?」
「削る」
森川は即答した。
「商品にするなら削る。グリフォンのためのASURAと、市場へ出すASURAは違う」
その言葉に、バドは少しだけ黙った。
グリフォンのためのASURA。
市場へ出すASURA。
サターンもそうだった。
薄められたASURA。
アルフォンスの薄い影。
でも、今回の話はさらに広い。
サターンという機体を売るのではない。
既存の機体に、ASURAの影を入れる。
古い作業機。
警備用レイバー。
港湾レイバー。
鉱山用レイバー。
農場用レイバー。
それぞれの現場に、少しずつASURAが入り込む。
バドは呟いた。
「ASURA、転職どころか派遣会社みたいになってきたな」
黒崎が即座に言う。
「その言い方はやめて下さい」
内海課長が吹き出した。
「いいねえ、派遣ASURA」
「課長もやめて下さい」
徳永専務が会議室に入ってきたのは、その時だった。
室内の空気が一瞬で変わる。
バドは少し背筋を伸ばした。
黒崎は軽く頭を下げる。
内海課長だけが、いつもの調子で手を振った。
「おや、専務」
「何の話をしている」
徳永の声は低かった。
黒崎は即座に答えた。
「ASURA商業版の既存機体向け互換パッケージ化についてです」
徳永は目を細めた。
「誰の発案だ」
全員の視線がバドに向いた。
バドは小さく手を上げた。
「僕」
徳永は額に手を当てた。
「また君か」
「でも商売としてはありやろ?」
「ありだから困る」
徳永は椅子に座らず、ホワイトボードの前に立った。
書かれた項目を見る。
転倒復帰。
状況判断。
過剰出力抑制。
現場別補正。
既存OS上位補助。
機体認証。
責任範囲。
徳永は、しばらく黙っていた。
やがて言う。
「商売としては魅力がある」
黒崎は目を閉じた。
バドは嬉しそうにした。
徳永は続けた。
「だが、危険だ。OSを書き換えるだけで性能向上と宣伝すれば、現場は必ず過信する。古い機体に新しいOSを入れ、できないことまでできると勘違いする。事故が起きれば、責任はどこへ行く」
「シャフト?」
「当然だ」
「ほな、できることとできへんことをちゃんと表示すればええやん」
徳永はバドを見る。
「現場は表示を読まない」
「読むやろ」
「読まない」
黒崎が横から言った。
「読みません」
磯口も頷く。
「残念ながら、読まないね」
森川も静かに言う。
「警告を出しても、慣れれば無視します」
バドは顔をしかめる。
「現場、怖いな」
「あなたがそれを言いますか」
黒崎が呟いた。
徳永は続ける。
「互換OSとして売るなら、性能向上ではなく安全性向上を前面に出すべきだ。転倒事故低減、過負荷抑制、作業効率改善、保険料低減。戦闘性能や高機動を売りにするな」
内海課長が言う。
「警備会社は、戦闘性能を欲しがりますよ」
「言葉にするな」
「言葉にしない商売は得意です」
「内海」
徳永の声がさらに低くなる。
「君は黙っていろ」
「はいはい」
バドが小さく笑う。
黒崎が睨む。
バドは口を閉じた。
徳永は森川と磯口を見る。
「技術的にはどうだ」
森川が答える。
「可能です。ただし、機体ごとの適合試験が必要です。完全互換を謳うのは危険です。メーカー、形式、関節構成、センサー精度ごとにプロファイルを作る必要があります」
磯口が続ける。
「既存OSの上位補助として入れるのが現実的です。完全置換ではなく、操縦入力と機体状態を監視し、危険領域で補正する。最大性能は出ませんが、現場向きです」
徳永は頷いた。
「最大性能よりも、安全性と復帰性能か」
「はい」
バドが言う。
「その方が現場は使いやすいんとちゃう?」
徳永は、少しだけバドを見る。
「君は時々、商売として正しいことを言う」
「褒めた?」
「危険だと言っている」
「それ褒めてへん?」
「褒めていない」
黒崎が言う。
「褒めていません」
内海課長が笑う。
「いや、少し褒めたね」
「内海」
「黙ります」
徳永は、ホワイトボードの互換OS案をもう一度見る。
彼には見えていた。
サターンだけなら、まだ機体単位の商品だ。
HSSに二十機。
管理できる。
追跡できる。
責任も限定できる。
だが、互換OSは違う。
広がる。
古い機体へ。
地方の建設会社へ。
港湾会社へ。
警備会社へ。
自治体へ。
海外へ。
ASURA由来の判断が、市場の奥へ入り込む。
それは商売としては巨大だった。
同時に、事故が起きれば巨大な火種になる。
徳永は、静かに言った。
「検討は許可する」
黒崎が目を開いた。
「専務」
「ただし、戦闘性能向上ではない。安全補助、復帰補正、過負荷抑制を主軸とする。名称にもASURAは使わない。適合機種を限定し、機体ごとに責任範囲を明確にする。現場ログの収集条件も契約に明記する」
内海課長が楽しそうに言う。
「つまり、通るんですね」
「検討だ」
「いい言葉ですね」
「君が使うと悪い言葉になる」
バドは机に身を乗り出した。
「ほな、最初は何に入れるん?」
黒崎が即座に言う。
「あなたは関わらないで下さい」
「ええやん。テストはいるやろ」
「あなたが乗る必要はありません」
「乗らんでも見たい」
「見るだけです」
「ログは?」
「駄目です」
「映像解析は?」
「内容によります」
バドはにやっと笑う。
「ちょっと許された」
「許していません」
森川は、端末に新しいフォルダを作った。
互換制御補助パッケージ案。
磯口は、ホワイトボードの隅に小さく書く。
ASURA互換版。
最大性能ではなく、復帰性能。
戦うためではなく、戻るためのOS。
バドはそれを見て、少しだけ黙った。
「戻るためのOS」
黒崎が言った。
「その理解は悪くありません」
「グリフォンのASURAは勝つためやけど、互換ASURAは転ばへんため、壊さへんため、帰るため」
「はい」
「それ、ええな」
バドは、珍しく静かに言った。
「現場で使う人は、別にアルフォンスと戦いたいわけやないもんな」
「普通はそうです」
「豚捕まえたり、荷物運んだり、暴走機止めたり、転ばんようにしたり」
「それが仕事です」
バドは頷いた。
「仕事用ASURAや」
黒崎は少し考えた。
「その名称なら、まだましです」
「お、許された」
「正式名称ではありません」
内海課長が笑う。
「仕事用ASURA。いいじゃないか」
徳永が内海を睨む。
内海は黙った。
会議室の空気は、さっきより少しだけ現実的になっていた。
グリフォンのためのASURA。
サターンの商業版ASURA。
そして、既存機体のための互換ASURA。
ASURAは形を変え始めている。
バドはそれを見て、少し不思議な気分になった。
自分が乗るためのものだったはずの怪物が、商品になり、仕事道具になり、誰かの現場へ入っていく。
それは少し寂しく、少し怖く、少し誇らしかった。
「森川さん」
「何だい」
「ASURA、出世したな」
森川は小さく笑った。
「そうかもしれない」
黒崎が言う。
「出世ではありません」
磯口が続ける。
「社会復帰かな」
「それも違います」
内海課長が言った。
「就職して、派遣登録して、今度は現場配属だ」
「課長」
黒崎の声が低くなる。
「すまない。黙るよ」
バドは笑った。
徳永はため息をついた。
森川と磯口は、もう仕様検討を始めている。
黒崎は胃を押さえている。
そしてホワイトボードには、ひとつの新しい方向性が残った。
互換OSとしてのASURA。
最大性能ではなく、現場で戻るための知能。
勝つための怪物が、転ばないための商品になる。
その変化球は、シャフトが市場に食い込むための、あまりにも厄介な一手だった。