最初の問い合わせは、拍子抜けするほど事務的な文面だった。
差出人は、シャフト・エンタープライズ・ジャパン海外営業部。
宛先は、通商産業省の関連部署と、外務省の安全保障輸出管理担当。
件名はこうだった。
SR-70系高リスク地域向け警備仕様に関する輸出相談。
添付資料には、ダークブルーと黒に塗られたSR-70サターンの写真が載っていた。
HSSへ納入された民間警備用レイバー。
旧SRX-70の一般向け改修機。
背面にSCHAFTの文字。
装備は、スタンベイル、スタンナイフ。
42mmオートカノンはオプション扱い。
説明文は、いかにも民間向けらしく整えられていた。
重要施設警備。
港湾警備。
鉱山施設防護。
油田関連設備の保全。
高リスク地域における民間輸送護衛。
暴走作業機対応。
災害時の瓦礫地帯行動。
通産省の担当官は、最初、その資料を見ても特に驚かなかった。
レイバー輸出に関する相談は珍しくない。
建設用。
鉱山用。
港湾用。
災害復旧用。
治安の悪い地域では、民間警備会社が重装甲の作業用レイバーを欲しがることもある。
面倒ではあるが、前例がないわけではない。
「また警備用レイバーか」
担当官の一人が、資料に目を通しながら呟いた。
「中東向けですか」
「中東だけじゃない。アフリカ方面、南米の一部、東南アジアの国境地帯。問い合わせ元は複数あるらしい」
「油田警備なら分かりますけど、装甲と関節の強化要求がかなり具体的ですね」
「高リスク地域向け、というやつだろう」
会議室の空気は、まだ緩かった。
面倒な申請が増えた。
その程度だった。
だが、資料を読み進めた外務省側の職員が、眉をひそめた。
「災害作戦対応、という記述があります」
通産省の担当官が顔を上げた。
「災害?」
「正確には、輸送機搭載、降着後即応行動、落下または短距離降下後の姿勢復帰補助、となっています」
「それは……空挺対応では?」
「文面上は、そう読めます。輸送機で被災地へ投入し、瓦礫地帯で即応行動を行う、という建前です」
「建前?」
「要求元が中東の治安機関です」
会議室の空気が、少しだけ重くなった。
警備用レイバー。
油田防護。
国境施設警備。
対ゲリラ。
暴徒鎮圧。
空挺作戦。
言葉を少しずつ並べ替えると、民間警備の輪郭は薄くなり、別のものが見えてくる。
軍用レイバー。
少なくとも、軍事転用可能な重装備レイバー。
「SEJは何と言っている」
「正面から軍用とは言っていません。高リスク地域向け警備仕様、です」
「装甲強化は?」
「高リスク地域向け防護外装」
「関節強化は?」
「不整地・瓦礫地帯での高負荷警備対応」
「空挺は?」
「輸送機投入後の災害対応即応性」
通産省の担当官は、思わず苦笑した。
「言葉を選んでいるな」
「ええ。かなり」
それでも、まだ彼らは、この案件の本当の大きさに気づいていなかった。
日本から高性能レイバーを輸出する。
軍事転用の懸念がある。
中東や第三世界向けなら慎重に審査する必要がある。
その程度の認識だった。
問題は機体だと思っていた。
装甲。
関節。
火器。
輸送機搭載性。
それらを制限すればよい。
そう考えていた。
その認識が変わったのは、数日後だった。
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外務省北米局から急ぎの連絡が入った。
米国側が、SR-70サターンの制御パッケージについて照会を求めている。
最初、その連絡を受けた通産省の担当官は首を傾げた。
「制御パッケージ?」
「機体ではなく、OSの方です」
「サターンの?」
「はい。SE-USA経由で米軍関係者が関心を示しているようです」
担当官は資料をめくった。
SR-70サターンの仕様書。
高リスク警備仕様案。
装甲。
関節。
追加冷却。
センサー防護。
火器オプション。
その中に、小さく書かれている項目がある。
高応答姿勢制御補助パッケージ。
転倒復帰補正。
損傷時姿勢維持。
非破壊制圧支援。
操縦負荷軽減。
状況判断補助。
「これか」
担当官は、最初それを単なる補助機能だと思った。
作業機や警備機にはよくある安全制御。
転倒防止。
過負荷警告。
姿勢補正。
そういうものの一種。
だが、米国側の照会文書を見て、その考えは崩れた。
米側の文書は、非常に具体的だった。
旧式レイバーの戦力底上げ効果。
低練度操縦者の事故率低下。
被弾時における姿勢維持能力。
片側関節損傷時の行動継続補正。
空挺投入後の着地復帰支援。
市街地治安維持行動における過剰破壊抑制。
民間人・友軍巻き込み事故の低減。
既存軍用レイバーの寿命延伸。
同盟国間のレイバー制御規格互換性。
担当官は、そこまで読んで手を止めた。
「これは……」
別の職員が言った。
「米軍は、サターン本体ではなく、この制御OSを見ています」
「警備用の補助OSではないのか」
「米側は、そう見ていません」
外務省の職員が、硬い声で言った。
「彼らは、これをレイバー戦力の底上げ装置と見ています」
会議室が沈黙した。
レイバー戦力の底上げ装置。
その言葉は、資料に書かれていたどの表現よりも分かりやすかった。
そして、恐ろしかった。
装甲を厚くする。
武器を持たせる。
出力を上げる。
それらは分かりやすい軍事転用だ。
止めることも、制限することもできる。
だが、OSは違う。
ソフトウェアだ。
機体の中に入る。
コピーできる。
改造できる。
外から見えにくい。
そして、一度広がれば止めにくい。
通産省の担当官は、もう一度資料を見た。
転倒復帰補正。
損傷時姿勢維持。
状況判断補助。
それは、民間警備用なら安全性向上に見える。
軍用なら、戦闘継続能力になる。
低練度の操縦者でも、レイバーを安定して動かせる。
旧式機でも、転びにくくなる。
撃たれても姿勢を保てる。
暴徒鎮圧では壊しすぎない。
ゲリラ戦では倒れにくい。
油田警備では、不整地で行動できる。
空挺作戦では、降下後にすぐ動ける。
同じ機能が、用途によって意味を変える。
担当官の背中に、冷たいものが走った。
「これは、レイバー用の便利なOSではないな」
誰かが呟いた。
声は小さかったが、全員に聞こえた。
「レイバー時代の、戦術制御基盤だ」
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SEJ本社の会議室にも、同じ種類の空気が流れていた。
もっとも、こちらの空気は二つに割れていた。
重く沈んでいる者たち。
そして、目を輝かせている者たち。
徳永専務は、米国側から届いた照会文書を読んでいた。
その顔は険しい。
黒崎は壁際に立ち、資料の一枚一枚を確認している。
森川と磯口は、米軍評価項目の技術欄に釘付けになっていた。
内海課長は、いつものように椅子へ深く腰掛け、薄く笑っている。
バドは机の端に座り、足をぶらぶらさせながら資料を覗き込んでいた。
「米軍が、簡易ASURAを評価したいと言っている」
徳永が言った。
「SE-USA経由で、公式な技術照会が来ている。表向きは、日米防衛協力とレイバー運用の相互互換性。加えて、第三世界・中東への無秩序な流出を防ぐため、同盟国間で管理すべきだ、という名目だ」
バドは首を傾げる。
「つまり?」
黒崎が低い声で答えた。
「危ないから皆には配るな。しかし米軍には寄こせ、ということです」
バドが手を叩いた。
「めっちゃ分かりやすい!」
「喜ばないで下さい」
「でも合ってるやん」
「合っているから問題なのです」
内海課長が笑った。
「実に分かりやすい。中東に売るな。でも米国には売れ。国際政治はいつも素直だねえ」
「課長。遊びではありません」
黒崎が言う。
内海は肩をすくめた。
「国際政治は、大人の遊びだよ」
「課長」
「黙るよ」
徳永は内海を睨んだが、すぐに資料へ視線を戻した。
「米国側は、貿易不均衡の是正も絡めてくる可能性がある。日本企業のレイバー制御技術を米国市場へ供給する。米軍が採用すれば、日本企業にも利益がある。日米協力にも資する。そういう理屈だ」
バドは目を輝かせた。
「ASURA、アメリカにスカウトされたん?」
「軽く言うな」
徳永の声は重かった。
バドは少し肩をすくめる。
「グリーンカード貰えるんかな」
黒崎が即座に言った。
「あなたには関係ありません」
「強いパスポート案件やん」
「関係ありません」
内海が笑う。
「いや、関係はあるかもしれないよ」
黒崎の視線が鋭くなる。
「課長」
「SE-USAが欲しがるのはOSだけかな。バドがASURAをどう育てたのか。グリフォンでどう動かしたのか。ブロッケンでどんなログを取ったのか。そういうものにも興味を持つだろう」
会議室の空気が、少しだけ冷えた。
バドの足の動きが止まる。
黒崎は、内海を睨んだまま言った。
「だから、彼をこの案件から切り離す必要があります」
「切り離せると思うかい?」
「切り離します」
黒崎の声は硬かった。
徳永も頷く。
「バドリナート君の関与は、最小限に見せる。彼は特別研究協力者であって、軍事技術開発者ではない」
バドが小さく笑った。
「見せる、なんや」
「事実の整理だ」
徳永は言った。
「君を守るための整理でもある」
バドは黙った。
守る。
その言葉は、最近よく聞く。
だが、守られる理由が、どんどん重くなっている。
戸籍のない子供だから。
シャフトの玩具にされないため。
グリフォンのパイロットだから。
ASURAの育成に関わったから。
そして今度は、米軍やSE-USAが欲しがるかもしれないから。
バドは資料を見た。
米軍評価。
ASURA互換制御。
低練度操縦者支援。
旧式機延命。
同盟国展開。
輸出管理。
「つまりさ」
バドはぽつりと言った。
「僕がアルフォンスに勝つために育てたASURAが、知らん国の戦争に使われるかもしれへんってこと?」
黒崎は答えた。
「そうです」
バドは黙った。
会議室の中で、森川と磯口だけが別の資料を見ていた。
米軍評価項目。
互換インターフェース。
標準化。
各国軍用レイバーへの展開。
森川の指が、資料の上で止まる。
「米軍規格……」
その声は、恐怖ではなく、喜びを含んでいた。
磯口も、ほとんど同時に言った。
「ASURA互換インターフェースが標準化されれば、同盟国の軍用レイバーにも採用される可能性がある。機体そのものではなく、制御の思想が規格になる」
黒崎が目を細める。
「磯口さん」
「いや、分かっている。危険な話だ。軍事利用、輸出管理、紛争地域への流出。問題は多い」
磯口はそう言った。
だが、顔は笑っていた。
森川も、資料を握る手に力を込める。
「ASURAが、世界標準規格になるかもしれない」
黒崎は、深く息を吐いた。
「お二人とも、何を喜んでいるのか分かっていますか」
森川は顔を上げる。
「分かっています。ですが、ASURAがそこまでの価値を持つと認められたんです」
その声は真剣だった。
嘘も、誤魔化しもない。
だからこそ怖かった。
森川も磯口も、悪人ではない。
戦争を望んでいるわけではない。
誰かが死ぬことを喜んでいるわけでもない。
ただ、自分たちの技術が認められることを喜んでいる。
それが軍用であっても。
国際政治の材料であっても。
世界標準規格になるかもしれない、という言葉の輝きから目を逸らせない。
内海課長が、楽しそうに言った。
「技術者だねえ」
黒崎が返す。
「最悪です」
「そう。最悪で、とても人間らしい」
バドは、森川と磯口を見た。
二人の顔は嬉しそうだった。
それが怖い。
だが、バドはそこで、自分も同じだと気づいた。
怖い。
戦争は怖い。
知らない国で、知らない兵隊が、ASURA入りのレイバーを動かす。
誰かがそれで助かるかもしれない。
誰かがそれで死ぬかもしれない。
それは怖い。
でも。
ASURAが世界標準になるかもしれない。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなったのも事実だった。
バドは資料を見下ろした。
ASURA。
自分がグリフォンで乗ったOS。
ブロッケンで豚を捕まえ、泥に足を取られ、RPGを避け、エイブラハムを蹴り、アルフォンスに勝つために育ててきたもの。
それが、米軍に見られている。
世界に欲しがられている。
標準規格になるかもしれない。
嬉しくないわけがなかった。
「……嬉しいな」
バドが呟いた。
黒崎が見る。
「バド」
「怖いで」
バドは先に言った。
「戦争に使われるかもしれへんのは怖い。でも、それはそれとして、僕が育てたOSが世界標準になるかもしれへんのは嬉しい」
徳永の顔が険しくなる。
黒崎は黙った。
森川と磯口が、バドを見る。
バドは続けた。
「僕、まともな倫理観あったら、そもそもグリフォンでアルフォンスに勝つことに全部賭けたりせぇへん。自分がこの世界に残るために、ゲームにしたりせぇへん。警察のお姉ちゃんたちが仕事で真剣にやってる相手に、僕は遊びで真剣勝負するんや、なんて言わへん」
誰も笑わなかった。
バドは笑っていたが、その笑いは軽くなかった。
「僕は勝ちたい。アルフォンスに勝ちたい。グリフォンで勝ちたい。僕がここにおったって残したい。ASURAは、そのために育てた。僕のゲームのために育てた」
バドは資料を指で叩く。
「それが世界に欲しがられるなら、嬉しいに決まっとるやん」
黒崎は低く言った。
「その喜びが、危険なのです」
「知っとる」
「知っていて」
「嬉しい」
バドは、森川と磯口を見た。
「森川さんたちもそうやろ」
森川は苦しそうに、だが正直に頷いた。
「そうだ」
磯口も息を吐く。
「怖いが、嬉しい。技術者としては、どうしてもね」
徳永専務が静かに口を開いた。
「その嬉しさを否定しろとは言わない」
会議室の視線が、徳永に集まる。
「だが、忘れるな。君たちが嬉しいと思ったものが、誰かにとっては恐怖になる。技術者の成果が、兵士の道具になり、政治家の交渉材料になり、企業の利益になり、現場の死傷につながることがある」
バドは頷いた。
「うん」
「それでも嬉しいなら、その嬉しさの責任も背負え」
責任。
重い言葉だった。
バドは顔をしかめる。
「重いな」
「軽いと思っていたのか」
「ちょっと」
「だろうな」
内海課長がくすくす笑った。
「いいじゃないか。重いゲームほど面白い」
「内海」
徳永の声が鋭くなる。
内海は肩をすくめる。
「黙ります」
黒崎は、バドの方を見た。
「あなたは、米国へ行くつもりはありませんね」
バドは少し目を丸くした。
「今は行かへん」
「今は、では困ります」
「でも、アルフォンスに勝ってへんし」
「結局そこですか」
「そこや」
バドは即答した。
「ASURAがアメリカにスカウトされても、僕はまだアルフォンスに勝ってへん。米軍規格とか世界標準とか、めっちゃすごいけど、僕の本番はまだや」
黒崎は疲れたように目を閉じた。
内海は嬉しそうに笑う。
徳永は、やや頭痛を堪えるように額に手を当てる。
森川と磯口は、まだ資料を見ている。
世界標準規格。
その言葉は、会議室の中に残った。
重く、危うく、そして眩しい。
バドはノートを開き、短く書いた。
ASURA。
米軍評価。
世界標準?
怖い。
でも嬉しい。
僕が育てた。
責任も来る。
それでも、アルフォンスに勝つ。
黒崎はその文字を見た。
消さなかった。
消しても意味がない。
この子供は、怖さと喜びを同じ場所に置いている。
まともな倫理観だけで動く子供なら、そもそもグリフォンには乗らない。
アルフォンスに勝つことを、自分がこの世界に残る証明にしない。
自分の全部を賭けた遊びだと言って、警察機へ向かっていかない。
黒崎は静かに息を吐いた。
ASURAは、企業の商品から、外交カードになった。
そしてバドは、その外交カードの奥に、自分のゲームの続きを見ている。
そこが何より危うかった。