外務省の会議室は、いつもより空調が効きすぎていた。
六月でもないのに寒い。
誰かがそう言ったが、誰も笑わなかった。
机の上には、資料が並んでいる。
SR-70サターン高リスク警備仕様。
簡易ASURA制御パッケージ概要。
SE-USA技術評価提案。
米軍レイバー運用改善計画。
第三世界・中東向け軍事転用懸念。
日米防衛協力におけるレイバー制御相互運用性。
そして、最後に小さく添えられた一文。
日米貿易不均衡是正に資する高付加価値技術供与案件。
外務省、通産省、防衛庁、警察庁。
複数の省庁から人が集められていた。
誰もが、まだこの案件をどの箱に入れればいいのか決めかねている。
民間警備用レイバーの輸出案件なのか。
軍事転用可能技術の輸出管理案件なのか。
日米防衛協力案件なのか。
貿易摩擦緩和のカードなのか。
それとも、警察レイバーの運用データ流出疑惑なのか。
その全部だった。
防衛庁の担当官が、資料をめくりながら言った。
「米側は、サターン本体を欲しがっているわけではないのですね」
通産省の担当官が頷く。
「少なくとも、主眼は機体ではありません。制御OSです。簡易ASURAと呼ばれているものです」
「ASURA」
外務省の職員が、聞き慣れない単語をゆっくり口にした。
「これは、シャフト・エンタープライズ・ジャパンの製品名ですか」
「正式名称ではないようです。商業資料では高応答姿勢制御補助パッケージ、あるいは耐障害姿勢制御パッケージと表記されています」
「では、ASURAという名称は?」
警察庁側の職員が、わずかに表情を曇らせた。
「関係者間で使われている開発名、あるいは内部呼称と見られます」
「内部呼称」
外務省職員は、資料のページを戻した。
そこには、ASURA系制御がもたらすとされる効果が並んでいる。
転倒復帰能力の向上。
損傷時姿勢維持。
操縦者練度差の緩和。
非破壊制圧における過剰出力抑制。
被弾時の行動継続。
空挺投入後の着地姿勢復帰。
旧式機体への互換補助。
低練度兵の事故率低下。
「これは、安全装置なのですか」
誰かが言った。
すぐに、防衛庁の担当官が答える。
「民間向けにはそう説明できます。ですが、軍用では違います。低練度操縦者でも倒れにくい、撃たれても姿勢を維持する、片腕が使えなくても行動を継続する。これは戦闘能力そのものです」
「しかし、武器ではない」
通産省の担当官が言った。
「ソフトウェアです。制御補助です。そこが厄介です」
防衛庁の担当官は、資料を指で叩いた。
「武器ではないが、武器を使える兵士を増やす。高価な新型機を買わずに旧式機を延命し、兵士の練度不足を補う。レイバー戦力の底上げ装置です」
その言葉に、会議室が静まり返る。
レイバー戦力の底上げ装置。
前回の会議でも出た言葉だった。
だが、何度聞いても重い。
外務省の職員が、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「第三世界や中東へ流せば、地域紛争に影響する可能性がある」
「あります」
「米国はそれを防ぎたい」
「表向きは」
警察庁の職員が、慎重に言った。
外務省職員が視線を向ける。
「表向きは、とは」
「米側の文書を見る限り、彼らは拡散防止と同時に、米軍採用を強く意識しています。ASURAを米国管理下の規格へ取り込み、同盟国間で制御する。そういう筋立てです」
防衛庁の担当官が、苦く笑った。
「危険だから中東には売るな。しかし米軍には売れ、ということですか」
誰も笑わなかった。
その時、会議室の扉が開いた。
秘書が入ってくる。
「米国側との回線がつながります」
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大型モニターに、米国側の会議室が映った。
画面の向こうには、SE-USAの役員、米軍の調達関係者、国務省系の担当官、そして通訳が並んでいる。
映像は少し荒い。
だが、相手の表情はよく見えた。
穏やか。
礼儀正しい。
そして、譲る気はない。
米国側の担当官が口を開いた。
『本日は、貴国政府および関係各社との率直な意見交換の機会をいただき感謝します』
通訳が日本語へ直す。
形式的な挨拶が続く。
日米友好。
防衛協力。
レイバー技術における相互補完性。
国際的な安定。
高リスク地域における先端技術の管理。
言葉は丁寧だった。
だが、要点は明確だった。
『SR-70系列に搭載されている高応答制御補助技術について、我々は非常に高い関心を持っています』
画面の中で、米軍関係者が資料をめくる。
『この技術は、単なる民間警備用途に留まらない可能性があります。旧式レイバーの安全性向上、低練度操縦者の事故低減、損傷時の行動維持、都市環境における過剰破壊抑制。これらは、我々にとっても重要な課題です』
通産省の担当官が、慎重に答える。
「貴国の関心は理解しました。しかし、本技術は現在、民間警備用の安全補助技術として扱われています。軍事利用については、我が国として慎重な検討が必要です」
米国側は微笑んだ。
『もちろんです。我々も、無秩序な軍事転用を望んでいません。むしろ、その逆です』
画面の向こうで、国務省系の担当官が話す。
『中東、アフリカ、その他高リスク地域において、この種の制御技術が統制なく流通すれば、地域の軍事バランスを不安定化させる恐れがあります。だからこそ、同盟国間の管理枠組みが必要です』
外務省職員が答える。
「管理枠組み」
『はい。米軍が評価し、必要に応じて採用し、同盟国間の安全な運用規格を整備する。貴国企業にも利益があり、国際的な拡散防止にも資する』
防衛庁の担当官が、少しだけ声を低くした。
「つまり、第三国への輸出は危険だから避けるべきだが、米軍への提供は管理の一環である、と」
『その通りです』
あまりにも迷いのない返答だった。
日本側の会議室に、かすかな沈黙が落ちる。
通産省の担当官は、心の中で思った。
危険だから皆には配るな。
だからこちらへ寄こせ。
まったくその通りの話だった。
バドがいたら、間違いなくそう言うだろう。
外務省職員が問う。
「貴国が求めるのは、完成品としての制御パッケージですか。それとも、ライセンス供与ですか」
米国側は、少しだけ間を置いた。
『初期段階では、ブラックボックス化された評価用パッケージで十分です。しかし、米軍規格への適合、セキュリティ検証、同盟国間相互運用性を確保するためには、最終的に一定範囲の技術情報開示が必要になるでしょう』
警察庁の職員が、紙の上にペンを走らせた。
技術情報開示。
その意味は重い。
ソースコード。
制御ロジック。
学習データ。
ログの由来。
適合試験。
安全制限。
そして、ASURAの中に何が混じっているか。
米国側は続ける。
『また、本件は日米間の高付加価値技術取引としても重要です。近年、貴国の産業機械、自動車、半導体関連製品は米国市場において大きな存在感を持っています。我々は、こうした先端制御技術の米国市場導入が、双方にとって建設的な一歩になると考えています』
通産省の担当官は、無表情を保とうとした。
だが、内心では舌打ちしていた。
来た。
貿易不均衡。
やはり絡めてきた。
日本は米国からもっと買え。
日本の高付加価値技術を米国市場へ開け。
防衛協力として供与しろ。
民間製品だと言うなら輸出しろ。
軍事技術だと言うなら同盟管理に入れろ。
どちらへ逃げても、米国側の土俵に乗る。
外務省職員が、慎重に答える。
「我が国には、武器輸出および軍事転用可能技術に関する慎重な国内手続きがあります。また、本件技術の権利関係、データの由来、民間用途と軍事用途の切り分けについても確認が必要です」
米国側のSE-USA役員が口を開いた。
『もちろん、SE-USAはSEJおよび貴国政府と協力する用意があります。我々は、この技術が不適切な地域へ流出することを望んでいません』
防衛庁の担当官が尋ねる。
「一方で、米軍による採用は望んでいる」
『安全な管理下での採用です』
同じことだった。
だが、言葉は違う。
日本側の職員たちは、その違いを聞き分けていた。
会議は一時間続いた。
米国側は一貫して礼儀正しかった。
強い言葉は使わない。
だが、要求は明確だった。
簡易ASURAを米軍評価試験へ出せ。
米軍規格への適合を検討せよ。
第三世界・中東向けの直接輸出は慎重に扱え。
同盟国間管理の枠組みへ入れ。
必要な技術情報を開示せよ。
日本の高付加価値技術として、米国市場への供給を進めよ。
通話が終わった時、日本側の会議室には、誰もすぐに口を開かなかった。
モニターが暗くなる。
しばらくして、通産省の担当官が呟いた。
「これは……」
外務省職員が言葉を継ぐ。
「単なる輸出相談ではありませんね」
防衛庁の担当官が、資料を閉じた。
「ASURAは、戦略物資です」
警察庁の職員が、苦い顔で言った。
「警察機の運用データが混じっている疑いがあります」
会議室の空気が、また冷えた。
もしASURAの中に、AV-98の盗まれた起動ディスク由来の動作が混じっているなら。
もしグリフォンの違法に近い実戦データが混じっているなら。
もし会議室の誰も知らないことだが、ブラジルでの銃撃、RPG回避、密輸組織との接触、ロベルタやファビオラ由来の動き、エイブラハムとの非公式試験データが混じっているなら。
それを米軍に出すのか。
同盟管理の名の下に、技術情報を開示するのか。
どこまでが民間安全制御で、どこからが軍事技術なのか。
誰が判断するのか。
通産省の担当官は、資料の一行を見つめた。
高応答姿勢制御補助パッケージ。
その無害そうな名前が、急に不気味に見えた。
「これは、レイバー用のOSではない」
彼は、声に出して言った。
誰も否定しなかった。
「レイバー時代の、戦術制御基盤だ」
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その日の夕方、SEJ本社では臨時会議が開かれた。
徳永専務は、政府側から伝えられた米国照会の概要を読み上げた。
会議室には、内海課長、黒崎、森川、磯口、数名の役員、法務担当、海外営業担当が揃っている。
バドは本来呼ばれるべきではなかった。
だが、会議室の端にいた。
黒崎が反対したが、内海が「聞かせた方がいい」と言い、徳永が長い沈黙の末に許可した。
ただし発言は最小限。
その条件だった。
もちろん、バドが守る保証はなかった。
徳永は資料を置いた。
「米国側は、簡易ASURAを米軍評価試験へ出すよう求めている。表向きは、第三世界・中東への無秩序な流出防止と、日米防衛協力。加えて、貿易不均衡の是正だ」
海外営業担当が、少し興奮した声で言う。
「米軍採用となれば、商売としては巨大です。SE-USA経由での展開も可能ですし、同盟国向けの規格となれば――」
「分かっている」
徳永は遮った。
「だから危険だと言っている」
営業担当は口を閉じた。
森川と磯口は、資料の技術項目を見つめている。
森川が小さく言った。
「米軍規格……」
黒崎が低く反応する。
「森川さん」
「分かっています。危険な案件です」
「分かっている顔ではありません」
森川は黙った。
磯口は苦笑する。
「技術者としては、どうしてもね。ASURA互換制御が標準規格になるかもしれないとなれば、喜ばない方が難しい」
「喜ばないで下さい」
黒崎の声は冷たい。
内海課長が笑う。
「無理だよ、黒崎君。技術者は、自分の作ったものが世界標準になる夢には勝てない」
「課長は黙っていて下さい」
内海は楽しそうに肩をすくめた。
バドは、資料を見ていた。
米軍。
標準規格。
世界展開。
技術情報開示。
ソースコード。
管理枠組み。
彼は、小さく手を上げた。
黒崎が即座に睨む。
「発言は最小限です」
「一個だけ」
「一個だけです」
徳永が許可する。
「言いなさい」
バドは言った。
「危ないから皆には配るな。でも俺には寄こせってことやろ?」
会議室が静まり返った。
黒崎が目を閉じる。
「口を慎みなさい」
「でも合ってるやん」
徳永が深く息を吐いた。
「合っているから困る」
内海が楽しそうに笑う。
「実に本質的だ」
「内海」
「黙ります」
バドは続けそうになったが、黒崎の視線を見て一度口を閉じた。
そして、少しだけ真面目な声で言う。
「米軍に売ったら、ASURAは米軍のものになるん?」
徳永は答えた。
「売り方による。完成品だけをブラックボックスで提供するのか、ライセンスを出すのか、ソースコードや技術情報まで開示するのか。それによって違う」
「米軍はどれが欲しいん?」
黒崎が答えた。
「最終的には、技術情報でしょう」
「中身か」
「はい」
「ASURAの中に何が入ってるかも見る?」
「見るでしょう」
バドは黙った。
ASURAの中。
グリフォン。
221号機。
222号機。
ブロッケン。
豚。
鉱山。
銃撃。
RPG回避。
ファビオラの低い足運び。
ロベルタの条件潰し。
エイブラハム。
サターン。
そして、バド自身の癖。
全部ではない。
削られている。
丸められている。
商業版は薄められている。
だが、根は残る。
米軍は、それを見たいのだ。
「僕も見られる?」
バドが聞いた。
会議室の空気が、わずかに重くなる。
黒崎は短く答えた。
「可能性があります」
「僕がどうやってASURA育てたか」
「はい」
「僕がどうやってグリフォン動かすか」
「はい」
「僕がアルフォンスに勝つために、何をしてるか」
「はい」
バドは、少し笑った。
「僕、また値段上がったな」
黒崎は厳しく言う。
「値段ではありません」
「危険度?」
「そうです」
バドは頷いた。
「そっか」
徳永は、バドを見た。
「君を米国側へ出すつもりはない」
バドは目を丸くする。
「まだ何も言うてへん」
「先に言っておく」
「アメリカ国籍は強いで?」
「それを餌にされる可能性があるから言っている」
バドは口を閉じた。
SE-USAとの秘密試合の後、米側の役員が声をかけてきたことを思い出す。
アメリカ国籍が欲しいそうですね。
一度、渡米してみては。
君ほどの才能なら、我々も歓迎します。
あの時は、まだ勧誘だった。
今は、もっと大きな話になっている。
ASURA。
米軍。
世界標準。
自分の身柄。
全部つながり始めている。
バドは、ノートを開いた。
黒崎が見る。
「何を書くつもりです」
「メモ」
「危険なことは書かないで下さい」
「もう全部危険やん」
「否定しません」
バドは短く書いた。
ASURA。
米軍に見つかった。
危ないから皆には配るな。
でも米軍には寄こせ。
中身も見たい。
僕も見たい?
値段ではなく危険度。
でも、アメリカは強い。
黒崎が赤ペンを出した。
バドはノートを抱える。
「消したらあかん!」
「最後の一行を消します」
「強いパスポートは強い装備やん!」
「今その話ではありません」
徳永が低く言った。
「バドリナート君」
バドは動きを止める。
徳永は言った。
「君は、国籍や身分を欲しがっている。強いパスポートを欲しいと思う理由も分かる。だが、この件では、それが餌になる」
バドは黙る。
「米国側が君に保護や国籍や研究環境を提示したとしても、それは君自身を見るためではない。ASURAを見るためだ。グリフォンを見るためだ。君が持っているデータを見るためだ」
バドは、少しだけ視線を落とした。
黒崎も静かに言う。
「あなたを守るというのは、そういう意味です」
内海課長が、穏やかに言った。
「でも、行きたいなら行けばいい」
黒崎が即座に振り返る。
「課長」
内海は笑っている。
「選択肢があることは悪くない。ただし、自分が何として見られているかは知っておいた方がいい」
バドは内海を見る。
「何として?」
「ASURAの鍵」
会議室が静かになった。
内海の声は軽かった。
だが、内容は軽くない。
「OSそのものはコピーできる。仕様書も読める。ログも解析できる。でも、それをどう育てたか。どう使ったか。どこまで危険を許容したか。どこで勝負にしたか。それを知っているのは君だ」
バドは、自分の手を見る。
操縦桿を握る手。
ノートを書く手。
身分証カードを握った手。
「僕、鍵なん?」
「そう見える人間もいるだろうね」
黒崎が言う。
「だから危険なのです」
バドはしばらく黙った。
そして、ぽつりと言った。
「でも、鍵なら簡単に捨てられへんな」
「あなたは物ではありません」
「黒崎さんはそう言う」
「何度でも言います」
バドは少し笑った。
徳永は、会議を締めるように資料を閉じた。
「方針を決める。米軍評価への協力は即答しない。政府と調整する。ASURA系制御パッケージは、当面ブラックボックス提供を前提とし、ソースコードおよび学習データの開示は拒否する」
法務担当が頷く。
「米国側は追加開示を求めるでしょう」
「分かっている。だが、こちらの主導権を失うわけにはいかない」
徳永は続けた。
「第三世界・中東向けの直接軍事仕様販売は凍結。高リスク警備仕様についても、輸出先と用途を再審査する。SE-USA経由の迂回も認めない」
内海が口笛を吹きそうな顔をする。
黒崎が先に言った。
「課長、黙っていて下さい」
「まだ何も言っていないよ」
「言いそうでした」
「君は本当に先回りが上手くなった」
徳永は二人を無視した。
「森川君、磯口君」
「はい」
二人が顔を上げる。
「ASURAが評価されることを喜ぶなとは言わない。だが、今後は評価されるほど危険になる。そのつもりで資料を作れ」
森川は頷いた。
「承知しました」
磯口も静かに答える。
「分かりました」
だが、二人の目の奥には、まだ光が残っている。
世界標準規格。
その言葉の光。
徳永は、それを消せないことを理解していた。
技術者から、技術の成功を喜ぶ心を取り上げることはできない。
だからこそ、管理が必要だった。
黒崎は壁際で、静かに思った。
ASURAは、もう秘密のOSではない。
商業製品でもない。
外交カードであり、軍事規格候補であり、企業の利益であり、国家の頭痛であり、バドリナート・ハルチャンドという子供の危険度を上げる鍵になった。
内海課長は面白がっている。
森川と磯口は夢を見ている。
徳永専務は会社を守ろうとしている。
政府は震えている。
米国は手を伸ばしている。
そしてバドは。
ノートに最後の一行を書き足した。
でも、アルフォンスに勝ってへん。
黒崎はそれを見て、ため息をついた。
消さなかった。
盤面は国際政治まで広がった。
それでも、この子供の中心には、白い警察機がいる。
それが救いなのか、破滅の種なのか。
黒崎には、まだ分からなかった。