転生バドは勝利を夢見る   作:ぶーく・ぶくぶく

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それでも白い機体へ

 

 

 

 結論は、誰にとっても気持ちのいいものではなかった。

 

 日本政府は、ASURA系制御技術を正式には軍事技術と認定しなかった。

 

 認定しなかった、というより、認定できなかった。

 

 民間警備用。

 

 作業補助用。

 

 災害対応用。

 

 転倒復帰補助。

 

 操縦者安全支援。

 

 そういう名目が、あまりにも多すぎた。

 

 完全に軍事技術だと決めつければ、国内のレイバー産業そのものに影響が出る。

 

 警備会社、建設会社、鉱山会社、港湾会社、自治体の災害対応部隊。

 

 すでにレイバーは社会のあちこちに入り込んでいる。

 

 その制御OSを軍事技術扱いにすれば、どこまでが規制対象になるのか分からない。

 

 しかし、軍事技術ではないとも言えなかった。

 

 転倒復帰。

 

 被弾時姿勢維持。

 

 損傷時行動継続。

 

 低練度操縦者補助。

 

 空挺後復帰。

 

 旧式軍用レイバー延命。

 

 米軍が評価したその項目を見れば、これは単なる安全装置です、とは言えない。

 

 だから政府は、新しい曖昧な箱を作った。

 

 高度レイバー制御関連技術。

 

 軍事転用可能な先端制御ソフトウェア。

 

 輸出に際しては、用途、輸出先、搭載機種、運用主体、ソースコード開示範囲、学習データの由来、第三国移転制限を個別審査する。

 

 便利な名前だった。

 

 そして、便利な名前ほど、現場には重い。

 

 通産省の担当官は、最終調整会議の資料を閉じた。

 

「結局、個別審査ですか」

 

 外務省の職員が疲れた声で答える。

 

「全面禁止にはできません。米国との関係もあります。だが、第三世界や中東へ無制限に出すわけにもいかない」

 

「米軍評価は」

 

「ブラックボックス提供に限り、政府間で事前協議。ソースコードおよび学習データ開示は、現時点では認めない」

 

「米側は納得しますか」

 

「するわけがありません」

 

 誰も笑わなかった。

 

 防衛庁の担当官が、資料の欄外へ赤ペンで印をつけた。

 

「問題は、SE-USA経由の迂回です。SEJから直接出さなくても、海外法人が再実装したと言い張る可能性がある」

 

「止められますか」

 

「完全には無理です」

 

 その言葉が、会議室の空気を重くした。

 

 完全には無理。

 

 ソフトウェアの輸出管理において、それは最も嫌な言葉だった。

 

 機体なら港で止められる。

 

 武器なら箱を開ければ分かる。

 

 装甲材なら重量で分かる。

 

 だが、OSは違う。

 

 コードは複製できる。

 

 仕様は記憶できる。

 

 学習データは削れる。

 

 アルゴリズムは言い換えられる。

 

 危険なものほど、形を変える。

 

 警察庁の職員が、静かに言った。

 

「警察機の運用データ流用疑惑については、こちらからも正式に確認を求めます」

 

 通産省側が視線を向ける。

 

「篠原重工から?」

 

「ええ。AV-98起動ディスク盗難事件との関連です。起動ディスク由来の動作パターンが、ASURA系制御に混じっている可能性があるなら、警察としても見過ごせません」

 

 外務省職員は、深く息を吐いた。

 

「もしそれが事実なら、米軍への開示など論外ですね」

 

「事実でなくても、疑いがある時点で危険です」

 

 防衛庁の担当官が呟く。

 

「レイバー用OSではない。レイバー戦力の底上げ装置だ」

 

 その言葉は、もう何度も使われていた。

 

 だが、使うたびに重くなる。

 

 誰かが、ぽつりと言った。

 

「シャフトは、とんでもないものを育てたな」

 

 その場にいた誰も、否定しなかった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 SEJ本社の役員会議室では、徳永専務が政府側の暫定方針を読み上げていた。

 

 第三世界・中東向け軍事仕様サターンの新規提案は凍結。

 

 高リスク警備仕様についても、用途と輸出先を再審査。

 

 SE-USA経由の米軍評価は、ブラックボックス提供に限り検討。

 

 ソースコードおよび学習データの開示は拒否。

 

 ASURAの名称は社外資料で使用禁止。

 

 バドリナート・ハルチャンドの関与は、特別研究協力者として最小限の表記に留める。

 

 役員たちの顔は、どれも硬かった。

 

 海外営業担当だけが、わずかに悔しそうだった。

 

「中東案件を全面凍結ですか」

 

「軍事仕様は凍結だ」

 

 徳永が答える。

 

「油田警備や港湾警備など、純粋な民間警備用途については再審査する。だが、装甲強化、関節強化、空挺対応、火器運用を前提にしたものは出さない」

 

「しかし、SE-USA側は米軍評価を進めたがっています」

 

「それと第三国向け販売は別だ」

 

「米軍に出すなら、中東向けを止める理由が弱くなります」

 

「逆だ」

 

 徳永の声が鋭くなる。

 

「米軍が評価するほど危険だと分かったから、第三国向けを止める」

 

 海外営業担当は口を閉じた。

 

 内海課長は、椅子に深く腰掛けて笑っている。

 

「いいねえ。危険だから止める。危険だから米軍には出す。危険だから中身は見せない。実に複雑で、商売らしい」

 

 黒崎が言った。

 

「課長は黙っていて下さい」

 

「はいはい」

 

「はいは一回です」

 

「はい」

 

 徳永は、内海を無視して続けた。

 

「森川君、磯口君」

 

 二人が顔を上げる。

 

「米軍評価用パッケージを作る場合、商業版ASURAからさらに機能を削れ。高機動、戦闘用判断、パイロット入力先読み、攻撃動作生成、回避戦闘パターンは入れない。復帰、過負荷抑制、姿勢維持、事故低減に限定する」

 

 森川は苦い顔をした。

 

「それでは、ASURAの価値がかなり落ちます」

 

「落としていい」

 

 徳永は即答した。

 

「むしろ落とせ。米軍が一番欲しがるところを、そのまま渡すな」

 

 磯口が腕を組む。

 

「復帰補正だけでも価値はあります。ですが、損傷時行動継続と被弾時姿勢維持は、軍用ではかなり有効です」

 

「そこも制限しろ」

 

「制限しすぎると、評価に値しないものになります」

 

「ならば、評価されすぎるよりましだ」

 

 森川の目がわずかに揺れた。

 

 技術者としては、納得しがたい言葉だった。

 

 性能を落とす。

 

 価値を削る。

 

 ASURAの力を隠す。

 

 それは、技術者にとっては敗北に近い。

 

 磯口も同じ表情をしている。

 

 徳永は、それを見て言った。

 

「君たちが悔しいのは分かる」

 

 森川は黙った。

 

「だが、米軍評価用に本物のASURAを出すことはない。彼らが欲しがるのは、復帰補正だけではない。ASURAがどう判断し、どう危険を許容し、どう操縦者と一体化するかだ。その核心を渡せば、こちらの主導権は終わる」

 

 黒崎が静かに補足する。

 

「そして、バドリナート君の関与も避けられなくなります」

 

 会議室の端で、バドが手を上げた。

 

 黒崎が即座に言う。

 

「発言は慎重に」

 

「まだ何も言うてへん」

 

「言いそうでした」

 

「ええやん、一個だけ」

 

 徳永が疲れたように言う。

 

「言いなさい」

 

 バドは資料を見ながら言った。

 

「つまり、ASURAの体験版を米軍に渡すん?」

 

 会議室が静かになった。

 

 森川が少しだけ眉を動かす。

 

 磯口は小さく笑った。

 

 徳永は目を閉じた。

 

「言い方は軽いが、概ねそうだ」

 

「機能制限版。チュートリアルだけ。ラスボス戦用の技はなし」

 

「本当に言い方が軽いな」

 

「でも分かりやすいやろ」

 

 黒崎が低く言う。

 

「米軍相手にその表現は使わないで下さい」

 

「使わへん」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

「信用できません」

 

 内海課長が楽しそうに言う。

 

「いい表現だね。ASURA体験版。復帰補正までは遊べますが、本編はロックされています」

 

「課長」

 

 黒崎の声が一段低くなる。

 

 内海は笑ったまま手を上げた。

 

「黙るよ」

 

 バドは、机の上の資料を指でつついた。

 

「でもさ、体験版出したら、本編欲しくなるやろ」

 

 徳永は頷いた。

 

「そうだ」

 

「米軍、絶対もっとくれって言うやん」

 

「言うだろう」

 

「SE-USAも言う」

 

「言う」

 

「第三世界とか中東も、どっかから似たようなの欲しがる」

 

「そうなる」

 

「止められるん?」

 

 徳永は、すぐには答えなかった。

 

 黒崎も黙る。

 

 森川と磯口も黙った。

 

 内海だけが、薄く笑っている。

 

 やがて徳永が言った。

 

「完全には止められない」

 

 バドは、軽く頷いた。

 

「そっか」

 

「だから、どこまで出すかを決める。出してはいけないものを決める。誰が見ても危険だと分かる線を引く」

 

「線、守れる?」

 

「守らせる」

 

 徳永の声は硬かった。

 

 バドは少し笑った。

 

「徳永専務、今日ちょっと怖いな」

 

「怖がらせているつもりだ」

 

「成功してるで」

 

「それはよかった」

 

 会議室の空気が、わずかに緩んだ。

 

 だが、問題は何も軽くなっていない。

 

 ASURAは商品になった。

 

 商品から外交カードになった。

 

 外交カードから、戦略物資になりかけている。

 

 そして、その中心にいるのは、グリフォンに乗る子供と、夢を見る技術者と、面白がる課長だった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 同じ頃、篠原重工では緊急の技術会議が続いていた。

 

 サターン対策。

 

 ASURA系制御対策。

 

 AV-98運用データ流出対策。

 

 米軍規格化への対応。

 

 すべてが一つの議題に混ざっている。

 

 河野技師は、ホワイトボードに大きく三つの言葉を書いた。

 

 盗まれた過去。

 

 育つ現在。

 

 守る未来。

 

 会議室の技術者たちが、その文字を見る。

 

 河野は言った。

 

「サターンに混じっているのは、過去のAV-98の動きです。東京レイバーショウ以前、起動ディスク盗難時点までのデータ。そこから抽象化された警察機の挙動です」

 

 若い技術者が問う。

 

「では、こちらは動作パターンを更新すればいい?」

 

「単純な話ではありません。しかし、基本はそれです」

 

 河野は、一号機と二号機の映像を映す。

 

「泉巡査の一号機は、廃棄物13号事件以降、明らかに復帰動作と間合いが変わっています。太田巡査の二号機も、腰部破壊以降、射撃姿勢と腰の守り方が変わった。現場はすでに変化している」

 

「盗まれたデータは古くなる」

 

「そうです」

 

 河野は頷いた。

 

「ただし、向こうも更新してくる。ASURAは学習する。サターンは商業版だが、米軍評価に出すなら、さらに整えられる。こちらは、盗まれた過去を悔やむだけでは勝てません」

 

 役員が言った。

 

「対応策は」

 

「AV-98の起動ディスク暗号化強化。動作ログの管理厳格化。外部提供データの抽象度制限。操縦補正の個体依存化。つまり、野明さんの一号機、太田さんの二号機、それぞれの癖を簡単に汎用化できないようにする」

 

「商品化には不利ではないか」

 

「不利です」

 

 河野は即答した。

 

「ですが、今は汎用化されすぎる方が危険です。アルフォンスの動きが、知らない機体で薄く再現される。その危険を我々は見たはずです」

 

 会議室は静かになった。

 

 薄い影。

 

 サターンをそう呼んだ者がいた。

 

 それは技術的にも正しかった。

 

 本人ではない。

 

 責任もない。

 

 現場もない。

 

 ただ、動きの影だけが商品になった。

 

 その影が米軍規格へ行こうとしている。

 

 役員は低く言った。

 

「篠原重工は、今後どうする」

 

 河野は、少しだけ間を置いて答えた。

 

「本物を育てます」

 

「本物?」

 

「AV-98です。警察機としての本物。現場で責任を持ち、人を助け、街を壊さず、暴走機を止める。サターンやASURAがいくら薄い影を作っても、本物が先へ進めば、影は古くなる」

 

 技術者たちは黙っていた。

 

 それは、精神論に聞こえた。

 

 だが、技術論でもあった。

 

 動作パターンは、更新される。

 

 操縦者と機体の関係は、変わる。

 

 現場の判断は、ログだけでは写らない。

 

 河野は続ける。

 

「もう一つ。シャフトのASURAが世界標準を目指すなら、篠原は責任を標準にします」

 

「責任を標準?」

 

「はい」

 

 河野は、ホワイトボードに書き足した。

 

 責任ある制御。

 

 現場判断の保持。

 

 操縦者主体。

 

 過剰自律抑制。

 

 データ流用防止。

 

 警察用制御倫理。

 

「ASURAが戦力底上げなら、こちらは責任ある警察用制御です。動けることと、使ってよいことは違う。倒れないことと、倒してよいことは違う。強いOSではなく、現場で責任を取れるOSを作る」

 

 役員は、しばらく河野を見ていた。

 

「売れるのか、それは」

 

 河野は、少しだけ苦笑した。

 

「ASURAほど派手には売れないでしょう」

 

「だろうな」

 

「ですが、警察機としては必要です」

 

 会議室の空気は重かったが、方向は見えた。

 

 篠原重工はASURAの標準規格争いにそのまま乗るわけにはいかない。

 

 乗れば、相手の土俵になる。

 

 だから別の規格を作る。

 

 警察機としての責任。

 

 現場の判断。

 

 操縦者と機体の関係。

 

 それを技術にする。

 

 その場にいた誰も、簡単な道だとは思っていなかった。

 

 だが、選ぶしかなかった。

 

 

 

     /*/

 

 

 

 特車二課の格納庫では、第一小隊と第二小隊が合同で訓練をしていた。

 

 訓練といっても、派手なものではない。

 

 低速歩行。

 

 転倒復帰。

 

 腰部防護。

 

 片腕制限状態での対象押し返し。

 

 射線制御。

 

 暴走機を壊しすぎずに止めるための間合い。

 

 太田は不満そうだった。

 

「なぜ撃たん!」

 

 遊馬が無線で言う。

 

「撃つ訓練じゃないからです」

 

「撃たずに止めるなど悠長な!」

 

「ASURA入りの相手が出てきた時、撃って止まるとは限らないんですよ。姿勢維持して突っ込んでくるかもしれない」

 

「なら、なおさら撃つ!」

 

「だから、撃つ前に倒す方向を考えろって言ってるんです!」

 

 野明の一号機は、訓練用レイバーと組み合っていた。

 

 相手は古い作業機。

 

 わざと不安定な姿勢で押し込んでくる。

 

 アルフォンスは、力で押し返さない。

 

 腰を落とし、半歩ずらし、相手の重心を斜めへ逃がす。

 

 倒す。

 

 ただし、倒す先に仮想の車両や人員マーカーがないことを確認してから。

 

 後藤隊長は、格納庫脇でそれを見ていた。

 

 南雲隊長が隣に立つ。

 

「第一小隊も、だいぶ顔色が変わりましたね」

 

「無料サターンが国家安全保障案件だったって知れば、そりゃ変わるよ」

 

 後藤は湯飲みを持ったまま言った。

 

「現場ってのは、知らないうちに食われることがあるんだねえ」

 

「シャフトのやり口ですか」

 

「シャフトだけじゃないよ」

 

 後藤は、訓練中の一号機を見る。

 

「篠原も現場から学ぶ。警察もメーカーに頼る。レイバーってのは、そうやって育つ。問題は、誰が、どういう約束で、何のために食うかだ」

 

 南雲は頷いた。

 

「信頼と盗用の差ですね」

 

「うん。あと、責任の差」

 

 後藤の視線の先で、野明の一号機が訓練機をゆっくり倒した。

 

 派手ではない。

 

 美しくもない。

 

 だが、周囲のマーカーには当てていない。

 

 倒した相手のコックピットにも衝撃を集中させていない。

 

 後藤は少しだけ笑った。

 

「いい半歩だねえ」

 

 遊馬が無線で言う。

 

「野明、今の半歩、覚えとけ」

 

「うん!」

 

 野明の声は明るい。

 

 だが、いつもより少し硬さもある。

 

 サターン。

 

 ASURA。

 

 米軍。

 

 世界標準。

 

 そういう言葉は、彼女にとって遠い。

 

 けれど、アルフォンスの動きが誰かに使われるかもしれない怖さは分かる。

 

 だからこそ、今のアルフォンスを変える。

 

 盗まれた過去ではなく、今の半歩を積む。

 

 第一小隊の隊員たちも訓練に加わっている。

 

 旧式パイソン改で、腰を守る動き。

 

 転倒しかけた時の復帰。

 

 相手を壊しすぎない制圧。

 

 福島課長は、それを黙って見ていた。

 

「後藤」

 

「はい」

 

「採用されなくて、よかったな」

 

「サターンですか」

 

「ああ」

 

 福島は苦い顔で言った。

 

「今でも、装備更新としては惜しいと思っている。だが、あれを入れていたら、我々の全てがログとして吸われていたかもしれん」

 

「かもしれませんねえ」

 

「腹立たしいな」

 

「ええ」

 

 後藤は珍しく、素直に同意した。

 

「腹立たしいです」

 

 福島は後藤を見た。

 

「君がそういう言い方をすると、逆に怖いな」

 

「そうですか?」

 

「そうだ」

 

 後藤は湯飲みを口へ運んだ。

 

「まあ、腹が立つから、現場は現場で育てるしかないですね」

 

 訓練場では、太田の二号機が盛大に転びかけた。

 

 遊馬の怒鳴り声が響く。

 

「太田さん! だから腰を残せって言ったでしょう!」

 

「残している!」

 

「残ってないから転びかけたんです!」

 

「うるさい!」

 

 野明が笑う。

 

 進士が記録を取る。

 

 第一小隊員たちも苦笑する。

 

 いつもの特車二課の空気。

 

 だが、その下には、新しい緊張がある。

 

 相手が何を積んでいるか分からない時代。

 

 サターンだけではない。

 

 古い作業機にも、警備レイバーにも、軍用払い下げにも、ASURA系の何かが入るかもしれない。

 

 現場はそれでも止める。

 

 人を助ける。

 

 街を壊さない。

 

 後藤は、小さく呟いた。

 

「世界標準ねえ」

 

 南雲が聞く。

 

「何か?」

 

「いや。向こうが世界標準を作るなら、こっちは現場標準を作るしかないかなって」

 

「現場標準」

 

「倒していい方向を見る。壊しすぎない。人を巻き込まない。責任を持つ。そういう標準」

 

 南雲は少し笑った。

 

「地味ですね」

 

「警察ですから」

 

 

 

     /*/

 

 

 

 夜。

 

 SEJの一室で、バドはノートを書いていた。

 

 机の上には、今日の資料の一部がある。

 

 政府暫定方針。

 

 米軍評価用ブラックボックス版。

 

 第三国向け軍事仕様凍結。

 

 ASURA名称使用禁止。

 

 バドリナート・ハルチャンド関与最小表記。

 

 その一文を見て、バドは口を尖らせた。

 

「僕、最小表記なん?」

 

 黒崎が向かいの席で書類を確認しながら答える。

 

「当然です」

 

「ちょっとくらい名前残してもええやん」

 

「駄目です」

 

「ASURA育てたの僕やで」

 

「だから駄目です」

 

 バドは不満そうにペンを回した。

 

「森川さんと磯口さんは名前残るやろ」

 

「技術者ですから」

 

「僕も技術者みたいなもんやん」

 

「違います」

 

「育成係」

 

「その言い方も避けて下さい」

 

「鍵」

 

「もっと避けて下さい」

 

「グリフォン乗り」

 

 黒崎の手が止まる。

 

「それは、否定できません」

 

 バドは少し笑った。

 

 その笑いには、得意げなものが混じっていた。

 

 黒崎は、また書類へ視線を戻す。

 

「今日、特車二課で合同訓練があったようです」

 

 バドの動きが止まった。

 

「アルフォンス?」

 

「一号機も参加しています」

 

「何したん?」

 

「低速制圧、腰部防護、転倒復帰、倒す方向の制御」

 

 バドの目が輝く。

 

「倒す方向?」

 

「はい。相手を壊すだけでなく、どこへ倒すかを選ぶ訓練です」

 

 バドは、ペンを置いた。

 

 資料の米軍規格という文字から、視線が離れる。

 

 さっきまで、ASURAの世界標準化に胸を熱くしていた。

 

 米軍評価。

 

 外交カード。

 

 戦略物資。

 

 自分が育てたOSが世界へ行く。

 

 それは嬉しい。

 

 怖いが、嬉しい。

 

 だが、アルフォンスが新しい半歩を踏んだと聞いた瞬間、胸の熱さの質が変わった。

 

 もっと鋭くなる。

 

 もっと近くなる。

 

「野明のお姉ちゃん、また変わったんかな」

 

「変わるでしょうね」

 

 黒崎は答えた。

 

「現場に出ている限り」

 

 バドは、椅子の上で膝を抱えた。

 

「盗んだデータ、また古くなるな」

 

「はい」

 

「サターンの薄い影も古くなる」

 

「はい」

 

「ASURAが世界標準になっても、本物のアルフォンスはまた変わる」

 

「その可能性は高いでしょう」

 

 バドは、笑った。

 

 嬉しそうに。

 

 米軍規格の話をした時とは違う笑いだった。

 

「ええな」

 

「何がですか」

 

「本物が逃げるの」

 

 黒崎は、少しだけ眉を動かした。

 

「逃げる?」

 

「追いかけても追いかけても、アルフォンスが変わる。盗んだ攻略本が古くなる。サターンに入れた薄い影も古くなる。ASURAが世界標準になっても、野明のお姉ちゃんとアルフォンスは現場でまた別キャラになる」

 

 バドは、机に身を乗り出した。

 

「燃えるやん」

 

 黒崎はため息をついた。

 

「結局、そこへ戻るのですね」

 

「戻る」

 

 バドは即答した。

 

「ASURAが米軍に評価されても、政府が震えても、篠原が冷や汗かいても、第一小隊が採用せんでよかったってなっても、僕はまだアルフォンスに勝ってへん」

 

 黒崎は静かに言った。

 

「世界が広がっても、あなたの中心は変わりませんね」

 

「変わらへん」

 

「危険です」

 

「知っとる」

 

 バドはノートを開いた。

 

 今日のページに、ゆっくり書く。

 

 ASURA。

 政府管理。

 米軍体験版。

 世界標準はまだ遠い。

 第三国軍事仕様は凍結。

 篠原は責任ある制御。

 特車二課は現場標準。

 アルフォンス、新しい半歩。

 盗んだ攻略本、また古くなる。

 嬉しい。

 めっちゃ燃える。

 

 黒崎が覗き込む。

 

「最後の二行は必要ですか」

 

「一番必要や」

 

「でしょうね」

 

 そこへ、内海課長が顔を出した。

 

「やあ、二人とも」

 

 黒崎が即座に言う。

 

「課長、入室前にノックして下さい」

 

「したよ」

 

「聞こえませんでした」

 

「心の中で」

 

「それはノックではありません」

 

 内海は笑いながら中へ入ってくる。

 

 手には、別の資料がある。

 

「政府の暫定方針、出たねえ」

 

「課長は既に読んだはずです」

 

「何度読んでも面白い。ASURAは、ついに国家が名前を変えて箱に入れようとする存在になった」

 

 バドが言う。

 

「高度レイバー制御関連技術」

 

「つまらない名前だ」

 

「ASURAの方がかっこええ」

 

「そうだね」

 

 黒崎が言う。

 

「社外では使用禁止です」

 

「夢がないねえ」

 

「危険が多すぎます」

 

 内海は、バドのノートを覗こうとした。

 

 黒崎が手で遮る。

 

「見ないで下さい」

 

「保護者みたいだ」

 

「保護者です」

 

 バドが笑う。

 

「黒崎さん、保護者になったん?」

 

「業務です」

 

「出た、業務」

 

 内海は椅子に腰掛けた。

 

「バド。世界が広がった感想は?」

 

「ASURAが世界標準になるかもって、めっちゃ嬉しい」

 

「うん」

 

「戦争に使われるのは怖い」

 

「うん」

 

「米軍に体験版出すの、ちょっと悔しい」

 

「本編を渡したくなる?」

 

「ちょっと」

 

 黒崎が鋭く言う。

 

「渡しません」

 

「分かってるって」

 

 バドは笑った。

 

「でも、それよりアルフォンスがまた変わったかもしれへんのが気になる」

 

 内海課長は、それを聞いて、本当に嬉しそうに笑った。

 

「いいねえ」

 

 黒崎は内海を見た。

 

「何がいいのですか」

 

「盤面が世界まで広がっても、バドは白い警察機へ戻る。実に分かりやすい」

 

「危険です」

 

「もちろん」

 

 内海はバドを見る。

 

「ASURAは外交カードになった。サターンは爆弾になった。米軍は手を伸ばし、日本政府は震え、篠原は冷や汗をかき、特車二課は現場で半歩を積む」

 

 バドは黙って聞いていた。

 

「それでも、君のゲームの相手はアルフォンスだ」

 

「せや」

 

「いいねえ。最高だ」

 

 黒崎が低く言う。

 

「課長が最高と言う時は、たいてい最悪です」

 

「それも知ってる」

 

 バドは立ち上がり、窓の外を見た。

 

 夜の街。

 

 遠くに、レイバー用のクレーンの影が見える。

 

 この世界にはレイバーがある。

 

 警察にも、企業にも、軍にも、工事現場にも、鉱山にも、港にも、油田にも。

 

 そこへASURAが入るかもしれない。

 

 自分が育てたOSが、世界の機械を動かすかもしれない。

 

 怖い。

 

 嬉しい。

 

 誇らしい。

 

 危ない。

 

 でも、それでも。

 

 バドの頭の中には、白い機体がいた。

 

 泉野明のアルフォンス。

 

 盗んだデータより先へ行く本物。

 

 サターンの薄い影ではない、現場で育つ警察機。

 

 バドは、小さく言った。

 

「待っときや、アルフォンス」

 

 黒崎は何も言わなかった。

 

 内海も、珍しく黙っていた。

 

 夜の窓に、バドの顔が映る。

 

 笑っていた。

 

 子供の顔で。

 

 グリフォンのパイロットの顔で。

 

 ASURAの危険な育成者の顔で。

 

 そして、まだ勝っていない相手を見つめるプレイヤーの顔で。

 

 世界はASURAを欲しがり始めた。

 

 国家はASURAを恐れ始めた。

 

 企業はASURAを売りたがり、軍はASURAを管理したがり、警察はASURAの影に備え始めた。

 

 だが、バドリナート・ハルチャンドのゲームは、まだ終わっていない。

 

 その中心には、相変わらず一機の白い警察用レイバーが立っている。

 

 ASURAがどれほど広がっても。

 

 米軍規格になりかけても。

 

 世界標準という言葉がどれほど眩しくても。

 

 バドにとっての本番は、まだそこにあった。

 

 グリフォンと、アルフォンス。

 

 黒い怪鳥と、白い警察機。

 

 それが終わるまで、バドはどこにも行かない。

 

 強いパスポートも、米軍規格も、世界標準も、その後だ。

 

 バドはノートの最後に、もう一行だけ書き足した。

 

 世界が欲しがっても、僕のラスボスはまだ白い。

 

 黒崎は、その一行を見た。

 

 消さなかった。

 

 それが、この子供を世界から繋ぎ止めている鎖なのか。

 

 それとも、世界をさらに危険な場所へ引き込む導火線なのか。

 

 まだ、分からない。

 

 ただ一つ分かるのは。

 

 ASURA拡散問題は、もう企業間の商売ではない。

 

 国家安全保障案件になった。

 

 そして、その中心にいる子供は、世界ではなく、一機の白いレイバーを見ている。

 

 それが、何より厄介だった。

 

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