/*/ サターンの皮を被った何か /*/
土浦研究所の第七整備区画は、昼間でも薄暗かった。
大型レイバー用の整備灯が白く床を照らしている。天井から吊られたケーブル、油圧リフト、分解された外装、冷却配管、仮設端末。その中央に、一機のSR-70サターンが立っていた。
外から見れば、HSSやSSSで採用が増えている警備用レイバーと大きく変わらない。
青みがかった暗色の外装。
背中に張り出した、セダンのトランクのような背部構造。
肩と胸に残されたSCHAFTの文字。
警備会社の現場に立っていれば、ただのサターンに見えるだろう。
だが、近づけばすぐに違和感があった。
脚部のサスペンションが太い。
足首まわりのリンク構造が、標準機より複雑だ。
膝裏には追加の冷却配管。
肩関節の外装内側には、標準機にはない補強フレーム。
腰部のカバーは一度外され、内部フレームがまるで別機体のように組み直されている。
背部張り出しも、外装だけはサターンのままだが、中では冷却ファンと演算ユニットが密に押し込まれていた。
森川政治は、整備用端末に表示された負荷試験データを見ながら、嬉しそうでもあり、疲れ切ってもいる顔で言った。
「サターンです」
黒崎は黙って機体を見上げた。
磯口豊が隣で言う。
「登録上はね」
バドリナート・ハルチャンドは、しばらくその機体を見上げてから、素直に言った。
「これ、サターンちゃうやん」
森川は咳払いをした。
「外装はサターンだよ」
「中身は?」
磯口が少しだけ視線を逸らす。
「かなり別物だね」
黒崎が、静かに言った。
「全員、言い方を選んで下さい」
その時、背後から軽い声がした。
「いやあ、いい感じに仕上がったねえ」
内海課長だった。
薄い笑みを浮かべ、作業用通路をのんびり歩いてくる。
黒崎の眉間に、深い皺が寄った。
「課長」
「何かな」
「説明を」
「バドが警備に紛れて国内でも経験値詰めるように作ってみたよ」
あまりにも軽い説明だった。
黒崎は、数秒だけ沈黙した。
それから、低く言った。
「課長。これは警備用サターンではありません」
「でも外装はサターンだよ。SSSでも採用が増えている。現場にいても不自然じゃない」
「外装の話をしていません」
「警備業務の中に、少しだけ高機動評価を混ぜる。いい経験値稼ぎだろう?」
「経験値という表現を業務計画に使わないで下さい」
バドは、機体の足元まで歩いていった。
サターンの皮を被った何か。
その表現が、頭にぴったり来た。
「森川さん。どこ変えたん?」
森川は待ってましたとばかりに端末を掲げる。
「脚部サスペンション、超電導モーター、フレーム、バッテリー。標準サターンとは別物に近い。低姿勢移行、片膝沈み、急停止、片手接地復帰、横方向への荷重移動に耐えられるよう強化している」
磯口が続ける。
「ただし、グリフォンのような完全なカポエイラ機動は無理だ。腕を脚のように使って連続回転するほどの強度はない。だが、サターンとしてはあり得ないほど深く沈める。片手をついて転倒を逃がす。横転に近い回避から復帰する。警備機に見える範囲で、かなり危ない動きまで試せる」
バドの目が輝く。
「サターンもどきやな」
「正式名称にしないで下さい」
黒崎が即座に言った。
内海は嬉しそうに笑う。
「いいねえ、サターンもどき」
「課長も採用しないで下さい」
「では、SSS国内警備向け高機動評価仕様」
「その名称ならまだましです」
「長いなあ」
バドは、機体の背中を見上げた。
サターン特有の張り出し。
その中に、普通の簡易ASURAユニットが入っていると思っていた。
だが、森川が端末を切り替えた瞬間、バドは顔を上げた。
表示された内部構造は、想像よりずっと詰まっていた。
演算ユニット。
冷却系。
姿勢制御補助装置。
操縦系変換インターフェース。
ログ記録装置。
緊急遮断系。
それらが、背部だけでなく、コックピット周辺にまで入り込んでいる。
黒崎の顔が険しくなった。
「森川さん」
「はい」
「これは、簡易ASURAではありませんね」
森川は、少しだけ得意そうに言った。
「正式ASURAです」
黒崎は目を閉じた。
「聞き間違いであってほしかった」
磯口が補足する。
「サターン用にかなり変換層を噛ませているが、中核は正式ASURAだ。商業版や互換版ではない。グリフォン用ほど完全ではないが、判断系、姿勢補正、危険域追従、ログ収集はずっと深い」
バドが口笛を吹いた。
「正式ASURA入りサターンもどき」
「やめて下さい」
黒崎の声が低い。
「でも、すごいやん」
「すごいから問題なのです」
森川は、機体の胸部ハッチを開くよう整備員へ合図した。
外装パネルが外され、コックピットブロックが露出する。
バドは覗き込んだ。
そして、すぐに笑った。
「狭っ」
それは、操縦席というより、機械の隙間に人間を押し込むための穴だった。
通常のサターンなら、成人警備員が乗れる。
肩幅も膝の逃げも、緊急脱出時の動作も、最低限は確保されている。
だが、この機体は違った。
左右の壁が近い。
膝の前には追加ユニット。
背中側には冷却配管。
肩の後ろには小型演算ブロック。
足元には補助電源と緊急遮断系。
操縦桿まわりは改良されているが、そのぶん余裕がない。
黒崎が、低く問う。
「成人は乗れますか」
磯口が答えた。
「無理だね」
「警備員は」
「無理だ」
「軍用パイロットは」
森川が首を振る。
「標準体格なら肩が入らない。入っても膝が逃げない。緊急脱出動作が成立しない」
黒崎は、ゆっくりバドを見た。
バドは、自分を指差した。
「僕?」
森川は頷いた。
「バド君なら乗れる」
「僕専用やん」
黒崎が即座に言った。
「専用ではありません。結果としてあなた以外に適合者がいないだけです」
「それ専用って言わへん?」
「言いません」
内海が笑う。
「実質専用だね」
「課長は黙っていて下さい」
「はいはい」
「はいは一回です」
「はい」
バドは、コックピットの縁に手をかけた。
狭い。
だが、その狭さに不思議な安心感があった。
ASURA搭載ブロッケンの時もそうだった。
大人では乗れない。
自分だけが入れる。
機械が、自分の体格に合わせて歪んでいる。
それは危険で、少し誇らしかった。
「乗ってええ?」
黒崎が即答する。
「医療チェック後です」
「ちょっと座るだけ」
「医療チェック後です」
「はい」
「はいは一回です」
「はい」
内海が愉快そうに言った。
「黒崎君、もう反射だね」
「課長のせいです」
森川は端末を操作しながら説明を続けた。
「正式ASURAを載せた代わりに、冷却と電源が厳しい。だからバッテリーを増やした。瞬間出力用に超電導モーター周りも見直した。標準サターンより重量は増えているが、サスペンションと姿勢補正でごまかしている」
「ごまかしている、という表現は適切ですか」
黒崎が問う。
磯口が苦笑した。
「技術的には、補償している、だね」
「では、そう言って下さい」
バドは機体を見上げた。
「これで国内警備に紛れるん?」
内海が頷く。
「SSSの警備機が現場に増えているからね。一機くらい、少し動きのいいサターンがいても、最初は気づかれない」
黒崎が言う。
「最初は、という言葉が聞こえました」
「現場で動けば、そのうち誰かは気づくだろうね」
「駄目です」
「でも、アルフォンスも現場で育つ。特車二課も変わっている。こちらも国内で経験を積まないと、盗んだデータはどんどん古くなる」
内海の声は、いつも通り軽い。
だが、言っていることは核心だった。
バドは黙った。
アルフォンスは変わる。
廃棄物13号を相手にし、サターンの薄い影を見て、特車二課はまた現場で半歩を積む。
南米で積んだ経験だけでは足りない。
日本の現場。
警備。
暴走レイバー。
都市部。
燃料タンク。
歩行者。
警察の視線。
それらの中で、自分もまた経験値を積む必要がある。
グリフォンを出せば騒ぎになる。
ブロッケンでも怪しい。
だが、サターンなら。
SSSの警備用サターンに見えるなら。
バドは、小さく笑った。
「国内経験値稼ぎ機や」
黒崎が言った。
「業務機です」
「でも経験値稼ぎやろ」
「業務です」
「経験値稼ぎ業務」
「混ぜないで下さい」
森川が、少しだけ楽しそうに言う。
「この機体なら、グリフォン用ASURAの判断をサターン外装の運用環境で試せる。警備業務に紛れて、対象非損傷制圧、低速追跡、転倒復帰、都市部障害物回避、片手接地復帰。ログとしてはかなり有用だ」
磯口も続けた。
「しかも、外見はサターンだ。相手はグリフォン相手の反応をしない。警備用レイバーだと思ってくれる。その状況で、どのくらいASURAが働くか見たい」
黒崎は、二人を冷たく見た。
「お二人とも、楽しそうですね」
森川と磯口は、同時に少しだけ気まずそうにした。
しかし否定はしなかった。
技術者だからだ。
正式ASURAをサターン外装に押し込む。
コックピットを犠牲にしてでも演算系を載せる。
バドしか乗れないほど狭くする。
そんな異常な機体は、危険だ。
だが、技術的には面白い。
どうしようもなく面白い。
黒崎はそれが分かるから、余計に胃が痛かった。
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医療チェックは、いつもより念入りだった。
黒崎が担当医と整備班に細かく確認を入れる。
心拍、呼吸、脱出姿勢、膝位置、肩位置、操縦桿の可動域、緊急停止時の固定姿勢。
バドは途中で飽きた顔をした。
「黒崎さん、長い」
「安全確認です」
「僕、前もASURA入りブロッケン乗ったで」
「だから確認しています」
「はい」
「はいは一回です」
「一回やん」
ようやく許可が出ると、バドはコックピットへ滑り込んだ。
大人なら肩が引っかかる幅。
膝が収まらない足元。
背中に冷却配管の圧迫。
それでも、バドなら入った。
まるで機械の中にしまわれるように。
ハッチが閉じると、外の音が少し遠くなる。
狭い。
暗い。
正面モニターが点灯する。
赤い警告が幾つも流れる。
正式ASURA接続準備。
操縦者識別。
姿勢制御変換層起動。
サターン外装互換モード。
高機動評価制限。
緊急遮断系正常。
バドは、操縦桿に手を添えた。
「ASURA」
小さく呼ぶ。
返事はない。
だが、機体の奥で何かが目を覚ましたような感覚があった。
グリフォンほど鋭くない。
ブロッケンほど重くない。
サターンの皮を被った、知らない身体。
だが、その中に正式ASURAがいる。
バドは笑った。
「お前、変な服着せられたな」
通信越しに黒崎の声が入る。
『余計な発言は控えて下さい』
「聞こえてたん?」
『全部記録されています』
「消して」
『消しません』
森川の声が重なる。
『起動試験開始。まずは立位保持。過剰入力禁止』
「はい」
磯口。
『はいは一回だよ』
「みんな言うやん」
内海の声が入った。
『バド、どうだい?』
バドは、ゆっくりとペダルに足を置く。
サターンもどきが、微かに膝を沈めた。
標準サターンなら、ここで少しもたつく。
重心を下げるには、機体全体が遅れてついてくる。
だが、この機体は違った。
沈む。
それも、警備用レイバーらしからぬ深さで。
膝が柔らかく入り、腰が追従し、足首が地面をつかむ。
バドは目を細めた。
「……おもろ」
黒崎が即座に言う。
『楽しむための機体ではありません』
「楽しいで」
『業務です』
「業務で楽しい」
『混ぜないで下さい』
バドは、次に片手を少し前へ出した。
地面に触れる寸前で止める。
ASURAが、肩と腰の負荷を先読みして補正を入れた。
警告が出る。
片手接地評価域。
肩部荷重制限接近。
腕部フレーム保護。
グリフォンなら、ここからさらに踏み込める。
この機体では無理だ。
それでも、普通のサターンなら警告どころか制御が止めている姿勢だ。
「グリフォンほどやないけど、だいぶ沈める」
森川の声。
『その範囲で止めてくれ。腕を支点に回るな』
「ちょっとだけ」
『駄目だ』
黒崎が被せる。
『駄目です』
「はい」
『はいは一回です』
「はい」
バドは、少しだけ横へ重心を逃がした。
足首、膝、腰。
機体がついてくる。
鈍いサターンではない。
しかし、グリフォンでもない。
重い身体を、ASURAが無理やり踊れる範囲に引き込んでいる。
その感じがあった。
バドは呟く。
「サターンの着ぐるみ着た、別の子やな」
内海が笑う。
『いい表現だね』
黒崎。
『よくありません』
バドは、モニターの端に表示された機体名を見た。
SR-70 SSS domestic security high-mobility evaluation type.
長すぎる。
「名前、何にするん?」
森川が困ったように答える。
『正式にはSSS国内警備向け高機動評価仕様だ』
「長い」
磯口。
『研究所内では、SR-70外装互換高機動試験フレーム』
「もっと長い」
内海。
『じゃあ、サターンもどき』
黒崎。
『却下です』
バドは笑った。
「ほな、サターンの皮」
『却下です』
「皮サターン」
『却下です』
「黒崎さん、厳しいなぁ」
『業務です』
バドは操縦桿を握り直した。
狭いコックピット。
正式ASURA。
サターンの外装。
バドでなければ乗れない機体。
グリフォンではない。
でも、グリフォンに近づくための経験を積める。
アルフォンスが現場で変わるなら、自分も現場で変わる。
警備機のふりをして。
SSSの一機として。
国内で。
バドは、静かに笑った。
「待っときや、アルフォンス。こっちはサターンの皮まで着て勉強するで」
通信の向こうで、黒崎がため息をついた。
内海は笑った。
森川と磯口は、ログの数値に目を輝かせていた。
そしてサターンの皮を被った何かは、土浦研究所の床の上で、もう一度だけ深く膝を沈めた。
普通の警備用レイバーなら絶対にしない、黒い怪鳥の影のような沈み方で。
その瞬間、黒崎は確信した。
これはサターンではない。
外装だけがサターンで、中身は企画7課がまた作ってしまった危険な玩具だ。
しかも、バドでなければ乗れない。
それが何よりも厄介だった。