/*/ サターンの皮を被った何か /*/
その日の現場は、戦場ではなかった。
郊外の再開発区域。
古い倉庫群を取り壊し、新しい物流施設へ作り替える工事現場だった。
重機が何台も動き、作業用レイバーが資材を運び、鉄骨を支え、路面を均している。そこへSSSの警備用サターンが一機、誘導と安全確認の名目で配置されていた。
外から見れば、ただのSR-70サターン。
だが中身は違う。
正式ASURAを押し込まれ、コックピットを圧迫され、バドでなければ乗れないほど狭くなった、サターンの皮を被った何か。
バドは、その狭いコックピットの中で、退屈そうに作業用レイバーの動きを見ていた。
「地味やなぁ」
通信越しに黒崎の声が入る。
『業務です』
「分かっとる。警備やろ。危険区域に人が入らんようにして、トラック誘導して、倒れそうなもん見つけたら報告」
『その通りです』
「でも、経験値としては薄いな」
『経験値という表現をやめなさい』
バドは返事をしようとして、モニターの端に赤い警告が出たのを見た。
次の瞬間、現場の奥で悲鳴が上がった。
作業用レイバーが、足場を踏み抜いていた。
舗装を剥がしたばかりの地面が崩れ、片足が深く沈み込む。積んでいた鉄材が片側へ滑り、重心が一気に傾く。
作業員の怒号。
クレーンの警告音。
退避を叫ぶ声。
バドの指が操縦桿を握った。
「黒崎さん」
『許可します。人命優先。対象を壊さず安定化』
「はい!」
『はいは一回です』
「はい!」
サターンもどきが走った。
標準サターンより深く膝を沈め、足場の悪い地面を蹴る。ASURAが路面の沈下を読み、足首を細かく補正した。
転倒しかけた作業用レイバーの横へ入る。
そのまま肩で支える。
だが重い。
積載物がある。
相手の膝は泥に埋まり、腰が抜け、腕は資材を離せない。
バドは歯を食いしばった。
「こいつ、押してもあかん!」
サターンもどきの腕が、作業用レイバーの胴体を支える。
だが、押せば反対側の地盤が崩れる。
引こうにも、掴む場所が悪い。
支えるだけならできる。
しかし、引き上げるには足りない。
現場監督の声が飛ぶ。
『ワイヤー! クレーンのワイヤー回せ!』
『間に合わん! 荷が落ちるぞ!』
バドの頭に、白い機体が浮かんだ。
イングラム。
警察機。
暴走レイバーを止める機体。
そして、現場で人を助ける機体。
アルフォンスの腰に備えられたウィンチ。
掴むだけでは足りない時、距離を取り、角度を取り、引くための装備。
バドは、思わず叫んだ。
「やっぱり作業用レイバーやら重機の救出するなら、イングラムみたいなウィンチ必要や!」
黒崎が通信で返す。
『今は要求ではなく現場対応を』
「分かっとる! でも、つけて!」
『後で聞きます』
「絶対やで!」
バドは、サターンもどきの左腕で作業用レイバーの腰を支え、右手で滑りかけた鉄材を押さえた。
ASURAが警告を出す。
肩部負荷上昇。
右腕部フレーム保護。
足場沈下。
重心限界接近。
バドはペダルを踏み替えた。
押すのではない。
倒れようとする力を、逃がす。
相手を真っ直ぐ立て直すのではなく、ゆっくり資材のない方向へ寝かせる。
「倒すで! でも、ゆっくりや!」
現場作業員が退避する。
サターンもどきは、作業用レイバーの胴を支えたまま、膝を沈めた。
標準サターンなら潰れる姿勢。
正式ASURAが姿勢を拾い、フレーム強化された脚部が踏ん張る。
作業用レイバーは、鉄材を落とさないぎりぎりの角度で、ゆっくりと横倒しになった。
土埃が上がる。
警告音が止まる。
作業員たちが走り寄った。
コックピットは無事だった。
バドは、細く息を吐いた。
「……勝った、ちゃうな」
黒崎が聞く。
『何ですか』
「止めた、でもない。助けた、やな」
通信の向こうで、黒崎は少しだけ黙った。
やがて言った。
『そうです。今のは救助です』
バドはモニター越しに、横倒しになった作業用レイバーを見た。
壊さずに済んだ。
人も無事。
でも、サターンもどきの腕と肩は警告だらけだった。
ウィンチがあれば、もっと安全に引けた。
距離を取れた。
角度を選べた。
相手の重心を無理に支えなくてよかった。
「黒崎さん」
『何ですか』
「ウィンチ、つけて」
『検討します』
「検討やなくて、必要や。アルフォンスがウィンチ持っとる理由、分かったわ」
黒崎は、返事をしなかった。
その代わり、別回線で土浦研究所に接続する。
『森川さん、磯口さん。聞いていましたね』
森川の声が入る。
『聞いていました。肩部負荷ログも取れています。かなり危なかった』
磯口も言う。
『牽引用ウィンチは有効だね。腰部か背部、あるいは前腕内蔵型。外装がサターンだから、警備・救助用装備として偽装できる』
バドが食いついた。
「ほら! つけられるやん!」
黒崎が低く言う。
『現場で叫ばないで下さい』
「だって必要やもん」
内海課長の声が、楽しそうに割り込んだ。
『いいねえ。サターンの皮に正式ASURA、今度はウィンチ。だんだん警備機らしくなってきた』
黒崎が即座に返す。
『課長は黙っていて下さい』
『救助装備だよ? 健全じゃないか』
『バドを国内現場に紛れ込ませるための機体に、追加装備を増やしている時点で健全ではありません』
バドは笑った。
「でも、アルフォンスもこういうので強くなったんやろな」
通信の向こうが静かになる。
バドは続けた。
「暴走レイバー止めるだけやない。転んだ作業機起こす。壊さんように倒す。人が逃げる時間作る。ウィンチで引く。押したらあかん時に、引く」
モニターには、救助された作業員が手を振っていた。
バドは、少し照れくさそうに手を振り返す。
「アルフォンス、こういう現場で育ったんやな」
黒崎が静かに言った。
『その理解は、忘れない方がいい』
「珍しく褒めた?」
『褒めてはいません』
「でも、忘れん方がいいって言った」
『はい』
バドは操縦桿を握り直した。
サターンもどきの腕が、まだ少し震えている。
肩部負荷の警告が黄色に落ち着いた。
「森川さん、磯口さん」
『何だい』
「ウィンチ、絶対つけてな。イングラムみたいなやつ」
森川が答える。
『完全に同じものは無理だ。外装も違うし、重量配分も変わる』
磯口が続ける。
『だが、救助・牽引用の小型高出力ウィンチなら設計できる。ASURAと連動させれば、引く角度や張力制御もできるだろう』
「それや!」
黒崎が言う。
『ただし、武装ではありません。救助装備です』
「分かっとる。助けるための装備や」
内海が笑う。
『いいねえ。助けるための装備で、経験値を積む』
黒崎。
『課長』
『黙るよ』
バドは、横倒しの作業用レイバーを見た。
白いアルフォンスの姿が、また頭に浮かぶ。
勝つために強いグリフォン。
止めるために強いアルフォンス。
そして、助けるためのウィンチ。
バドは小さく呟いた。
「待っときや、アルフォンス。こっちも、助ける経験値積むで」
その声は、通信に乗った。
黒崎は聞いた。
森川と磯口も聞いた。
内海は、楽しそうに笑った。
工事現場の土埃の中で、サターンの皮を被った何かは、ただの警備機のふりをして立っていた。
だが、その日のログには、戦闘ではない経験が刻まれていた。
押すだけでは足りない。
掴むだけでは助けられない。
引く装備がいる。
アルフォンスがなぜ警察機なのか。
バドは、その理由を一つだけ、現場で覚えた。