/*/ サターンの皮を被った何か /*/
夜の倉庫街は、思ったより静かだった。
東京湾岸の古い物流区画。
昼間はトラックとフォークリフトと作業用レイバーで騒がしい場所だが、夜になると照明だけが広いアスファルトを照らし、コンテナの影が黒く伸びる。
SSSは、その一角の警備を請け負っていた。
表向きは、資材置き場と仮設事務所の夜間警備。
実際には、最近この周辺で不審な車両の出入りが増えており、警察も気にしているという案件だった。
そこに、一機のサターンが立っている。
外から見れば、ただのSR-70。
SSS所属の民間警備用レイバー。
だが、その外装の下に収まっているのは、強化された超電導モーターとフレーム、増設された演算装置、冷却系、そして正式版のASURAだった。
サターンの皮を被った、別の何か。
演算装置に周囲を圧迫された狭いコックピットの中で、バドは暗視映像を眺めながら、退屈そうに言った。
「黒崎さん。これ、ほんまに警備なん?」
『業務です』
「それは分かっとるけど。なんか、妙に空気が悪い」
『警備対象区域です。油断しないでください』
「はい」
『はいは一回です』
「はい」
バドは操縦桿に指を添えた。
ASURAは静かだった。
グリフォンに搭載されている時ほど、剥き出しの鋭さはない。
しかし、眠っているわけでもない。
足首。
膝。
腰。
肩。
サターンの外装の下で、正式版ASURAが、いつでもバドの動きを拾えるように待っている。
その時、センサーが反応した。
南側のゲート付近。
ヘッドライトを消した車両が二台。
続いて、別方向からさらに三台。
そのうち一台の荷台には、小型作業用レイバーが固定されていた。
黒崎の声が入る。
『車両接近。警備対象外車両です。接触せず、位置を保持』
「了解」
バドはサターンをコンテナの影へ半身だけ入れた。
外の様子は確認できる。
だが、こちらの全身は晒さない。
車両から男たちが降りる。
怒鳴り声。
金属音。
別の車両からも人影が現れた。
手には、棒や銃器らしきものが見える。
バドは眉をひそめた。
「暴力団?」
『断定しないでください』
「でも、抗争っぽいで」
『警察へ通報済みです。あなたは民間警備員です。人命への危険が確認されるまで介入しないこと』
「はい」
答え終わる前に、発砲音がした。
倉庫街の空気が、一瞬で変わる。
男たちが散った。
荷台に積まれていた作業用レイバーが、乱暴に起動される。
旧式の小型機。
建設用を改造したらしい機体だった。
警備用でも軍用でもない。
だが、人間よりはるかに大きく、重い。
暴れれば、人間など簡単に潰せる。
バドの手が操縦桿を握り込んだ。
「黒崎さん」
『人命への危険を確認。介入を許可します。ただし、非殺傷、非破壊を優先してください』
「はい!」
サターンもどきが、コンテナの影から出た。
警備灯が点滅する。
外部スピーカーが鳴った。
『SSS警備機です。ただちに武器を捨て、現場から退避してください』
男たちが振り向く。
怒号。
銃声。
拳銃弾や小銃弾が、サターンの外装を叩いた。
装甲表面で火花が散る。
バドは舌打ちした。
「拳銃とライフルくらいなら、まあええ」
『挑発しないでください』
「してへん!」
その瞬間。
モニターの端に、別の人影が映った。
男の一人が、細長い筒を肩に担いでいる。
前端には、膨らんだ弾頭。
南米で見た。
あの形を、バドは知っていた。
RPG-7。
成形炸薬弾を撃ち出す、対装甲火器。
サターンの装甲で耐えられるものではない。
スタンシールドで正面から受けても同じだ。
弾頭が盾の表面で起爆すれば、成形炸薬の噴流が盾を貫き、その先にある腕部や胴体へ突き刺さる。
「……嘘やろ」
バドの背中が冷えた。
黒崎の声が鋭くなる。
『バド、遮蔽へ!』
「間に合わへん!」
射手がこちらへ筒を向ける。
サターンが身を隠せるコンテナまでは、あと数歩。
その数歩を動いている間に撃たれる。
ならば、相手が狙う場所を作る。
バドは反射的に左腕を持ち上げた。
スタンシールドを機体正面へ大きく突き出す。
盾の裏に胴体を隠す。
相手から見えるのは、大きな盾と、その後ろにいるはずのサターンの輪郭。
『受けてはいけません!』
「分かっとる!」
射手の狙いが盾へ吸い寄せられる。
発射炎。
白煙。
ロケット弾が飛ぶ。
その瞬間、バドは緊急解放スイッチを叩いた。
「シールド切り離し!」
左腕の固定具が外れる。
スタンシールドだけが、その場へ残った。
同時にサターンは膝を抜いた。
前へ倒れる。
足を滑らせたのではない。
自分から地面へ落ちた。
左肩を引き、右腕を地面へつく。
前回り受け身。
大型レイバーの巨体が、盾の陰から斜め前方へ転がり出る。
ASURAが頭部と肩部を守る角度を計算し、背中を丸め、膝を畳み、回転の軸を整える。
黒崎の息を呑む音が通信に入る。
ロケット弾は、バドが一瞬前まで隠れていたスタンシールドへ直撃した。
爆発。
盾の中央が閃光に包まれる。
成形炸薬の噴流が、盾を内側から撃ち抜いた。
焼けた破片が、後方へ飛ぶ。
だが、その先にサターンはいない。
黒い影はすでに射線の外へ転がり、コンテナ脇の低い姿勢で止まっていた。
爆風が背中を叩く。
小さな破片が外装へ当たる。
だが、直撃ではない。
左腕も胴体も、貫かれていなかった。
警告表示が走る。
スタンシールド接続喪失。
外装表面、破片衝突。
姿勢制御負荷上昇。
操縦者、衝撃注意。
「っ……!」
『バド!』
「生きとる!」
バドは荒い息を吐いた。
モニターの向こうでは、切り離したスタンシールドが燃えている。
中央には、内側まで貫通した穴が開いていた。
もし、あれを腕に装着したまま受けていたら。
盾の後ろに居続けたら。
今頃、左腕だけでは済まなかった。
バドは冷や汗を流しながら呟く。
「やっぱり、受けたらあかんやつや。盾ごと抜かれて死んどった」
黒崎の声が低くなる。
『理解しているなら、二度と正面から受けようとしないでください』
「受けてへん。囮にしたんや」
『その判断については、後で検証します』
「今は後!」
『当然です。射手の位置を確認。距離を取ってください』
「無理。暴走レイバーが人の方へ行っとる」
旧式作業用レイバーが、混乱の中で暴走していた。
操縦者が怯えているのか。
制御系が壊れたのか。
腕を振り回し、近くの車両を押し潰している。
抗争に参加していた男たちの一部も逃げ遅れていた。
警察が到着するまで待てない。
バドは左腕の状態を確認する。
シールドは失った。
だが、腕は生きている。
右腕にはスタンスティック。
相手は旧式作業機だが、質量はある。
正面から押し合うな。
人のいる方向へ倒すな。
壊すな。
アルフォンスならどうする。
イングラムなら。
警察機なら。
バドはサターンを走らせた。
暴走レイバーの腕が振り下ろされる。
サターンは左腕で受け止めなかった。
半歩入り、外側から腕を押して軌道をずらす。
受けるのではない。
流す。
振り下ろされた腕が、サターンの肩口をかすめて地面を叩いた。
そのまま懐へ入る。
相手の腰を中心に回り込む。
暴走レイバーが振り返ろうとする。
遅い。
ASURAが、腰の捻りと足運びを補正する。
サターンもどきが、相手の背後へ滑り込んだ。
「腰椎ユニット……そこや!」
バドは右手のスタンスティックを逆手に持たせた。
暴走レイバーの背面。
腰部カバーの隙間。
作業機によくある、整備性を優先した露出部。
そこへスタンスティックの先端を差し込む。
黒崎の声が飛ぶ。
『バド、出力を抑えてください。操縦者がいます』
「分かっとる!」
接触。
固定。
放電。
青白い光が、暴走レイバーの腰部から走った。
関節制御が一瞬乱れる。
腕が止まる。
膝が抜けかける。
ASURAがサターンもどきの姿勢を支え、暴走レイバーの背後から胴体を抱えるように固定した。
「落とすな……倒すな……止まれ!」
もう一段、放電。
暴走レイバーの全身が硬直した。
腕が下がる。
脚部の駆動音が途切れる。
腰椎ユニットを経由し、全身の制御が落ちる。
機体は倒れず、その場へゆっくりと膝をついた。
バドは相手の重さを受け止めながら、慎重に停止姿勢へ導いた。
「止めた……」
黒崎が通信で状態を確認する。
『対象機、停止。操縦者の生命反応あり。救助班へ引き継ぎます』
「壊してへん?」
『確認中です。少なくともコックピットは無事です』
「よし」
バドは息を吐いた。
手が震えている。
戦闘の興奮だけではない。
RPG-7の弾頭が、盾を貫いた光景が頭から離れなかった。
盾を切り離すのが遅れていたら。
前回り受け身の軌道が少しずれていたら。
ASURAが巨体を受け止めきれなかったら。
死んでいた。
日本国内で。
民間警備の最中に。
バドは乾いた笑いを漏らした。
「日本も経験値濃いやん」
黒崎が即座に返す。
『笑い事ではありません』
「笑ってへんと、手が震えるんや」
通信の向こうが、わずかに静かになった。
それから黒崎は、声を少しだけ落とした。
『帰投後、医療チェックです』
「はい」
『はいは一回です』
「はい」
/*/
土浦研究所へ戻った時、サターンもどきの機体そのものに深刻な損傷はなかった。
左腕も動く。
肩部フレームにも致命的な亀裂はない。
外装には爆風で飛んだ破片による傷が並んでいたが、直撃を受けたものではなかった。
代わりに、回収されたスタンシールドは見る影もなかった。
中央には大きな貫通孔が開き、内側の構造材まで高熱で焼き切られている。
盾を腕に装着したままなら、噴流はそのまま腕部へ達していた。
盾の後ろに胴体があれば、コックピット周辺まで被害が及んだ可能性もある。
森川と磯口は、回収された盾と戦闘ログを見比べて絶句した。
「本当に、これを撃たれたのか……」
森川が呟く。
磯口は、貫通孔の縁を見ながら言った。
「盾で受けていたら終わっていたな」
医療チェック用のセンサーを身体につけられたバドが答える。
「せやから、切り離したんや」
黒崎が横から言う。
「射手に盾を狙わせ、発射後に緊急切り離し。そのまま前回り受け身で射線外へ移動」
「うん」
「発射が半秒早ければ、切り離しが間に合わなかった可能性があります」
「うん」
「転倒時に頭部を打てば、機体が無事でもあなたが負傷します」
「うん」
「二度と同じ状況を作らないでください」
「僕が作ったんちゃうやん。撃ってきたん向こうやで」
「撃たれる可能性のある場所で、遮蔽から出たのはあなたです」
「人が潰されそうやったからや」
「それでも、生存したのは結果です」
バドは反論しかけ、口を閉じた。
それは分かっていた。
勝ったのではない。
避けられた。
生き残った。
紙一重だった。
内海課長は、焼けた盾を眺めながら楽しそうに言った。
「いやあ、盾を囮にして前転か。国内でも濃い経験値が積めたね」
黒崎が即座に振り向く。
「課長」
「何かな」
「黙っていてください」
「はいはい」
「はいは一回です」
「はい」
森川は、RPG-7回避時のログを画面に表示した。
盾を前へ出す。
射手の照準が盾の中心へ固定される。
発射炎を認識。
シールド緊急解放。
膝抜き。
右腕接地。
前回り受け身。
機体が盾の陰から斜め前へ抜ける。
着弾。
爆発。
回避成功。
「ASURAが、発射炎を拾ってから動作を補正している」
森川が言った。
「バドの判断が先だが、その後の回転姿勢はASURAが支えている。通常のサターンなら、肩から落ちた時点で姿勢を崩していた可能性が高い」
磯口も頷く。
「腕部と肩部の強度を上げていたからできた動きだ。標準のSR-70でやれば、接地した腕を壊して終わる」
バドは画面を見ながら言った。
「でも、盾なくなったで」
「それでいい」
森川は即答した。
「盾一枚と機体一機、操縦者一人。比較するまでもない」
「盾、もうちょっと切り離しやすくできへん?」
黒崎が問う。
「また同じことをするつもりですか」
「逃げられへん時もあるやろ。受けるより、盾だけ置いて逃げた方がええ」
磯口が顎に手を当てる。
「緊急投棄機構は見直せる。今は整備時の脱着機構を無理に使っている。専用の解放装置があれば、反応はもう少し早くなる」
「盾の向きも固定できるようにしよう。切り離した瞬間に倒れたら、囮にならない」
森川も設計案を考え始めた。
黒崎は二人を見る。
「お二人とも、前向きに検討しないでください」
磯口が答える。
「しかし、安全装備だ」
「使用する状況がおかしいのです」
内海が笑う。
「使用する状況を選べるなら、警備なんて簡単なんだけどねえ」
「課長は黙っていてください」
「はい」
/*/
続いて、暴走レイバー停止時のログが再生された。
サターンもどきが攻撃を受け流し、相手の背後へ回り込む。
スタンスティックを腰椎ユニットの隙間へ差し込む。
出力を抑えた放電。
全身停止。
非破壊制圧。
コックピット無事。
バドはその映像を見て、腕を組んだ。
「これ、使えるな」
黒崎が問う。
「何にです」
「暴走レイバー止めるのに。正面から殴るより、背中取って腰椎落とした方がええ時がある」
「発想としては警察向きですが、あなたが楽しそうに言うと危険に聞こえます」
「楽しいとは言ってへん」
「顔が言っています」
バドは少しだけ黙った。
それから、真面目に言った。
「でも、壊さんで止められた」
黒崎は、今度は否定しなかった。
「はい」
「アルフォンスがやってること、ちょっと分かった。止めるって、相手を壊すことやないんやな」
森川と磯口も、黙って聞いていた。
バドは続ける。
「腰椎を狙うのは、グリフォンでレイバー壊す時にもやった。でも、あれは動けんように壊すためやった。今のは、操縦者も機体もなるべく壊さんで止めるためや」
黒崎が静かに言った。
「その違いは、覚えておいてください」
「うん」
バドは頷いた。
その顔には、まだ恐怖と興奮の両方が残っていた。
RPG-7を向けられた時の冷たさ。
盾を切り離した瞬間。
地面へ飛び込んだ感覚。
背後で起きた爆発。
暴走レイバーの懐へ入った集中。
スタンスティックを差し込んだ時の手応え。
全身停止。
非破壊制圧。
それらすべてが、経験値として身体に残っている。
ただし、それはゲームの数字だけではなかった。
死ぬかもしれなかった経験。
盾を捨てて生き残る経験。
誰かを助けるための経験。
壊さず止める経験。
バドは、中央を撃ち抜かれたスタンシールドを見た。
「盾、強くするより、捨てやすくして」
黒崎が即座に言う。
「まずは報告書です」
「報告書の後でええから。緊急切り離しと、囮にした時に立ったままになる固定具。あとウィンチも。スタンスティックも腰椎に差し込みやすい形にして」
「注文を増やさないでください」
森川がぼそりと言う。
「いや、盾の緊急投棄は必要だ。成形炸薬弾を防げないなら、防具として残すことにこだわるべきではない」
磯口も頷いた。
「被弾前に装備を捨て、機体を射線から外す。ASURAとの連動を前提にすれば、回避装備として成立するかもしれない」
「スタンスティックも、先端形状と絶縁処理を改善すれば、暴走機停止用の救助装備として使える」
黒崎は二人を見た。
「お二人とも、楽しそうですね」
森川と磯口は黙った。
否定はできなかった。
内海が笑う。
「いいじゃないか。サターンの皮を被った何かが、だんだん警察機みたいになってきた」
バドは少しだけ考えた。
警察機みたい。
以前なら、嫌だったかもしれない。
グリフォンは警察機ではない。
グリフォンは勝つための機体。
相手の全力を踏み越え、勝利を積み上げるための黒い怪鳥。
だが、このサターンもどきは違う。
警備に紛れて現場へ出る。
人を助ける。
暴走機を止める。
死なないために盾を捨てる。
そうして経験を積むための機体だ。
バドは呟いた。
「グリフォンは勝つため。こいつは……止める練習と、生きて帰る練習をするためやな」
黒崎が静かに言った。
「それなら、少しはましです」
「褒めた?」
「褒めてはいません」
「でも、少しはましって言った」
「はい」
バドは笑った。
そしてノートを開く。
日本でRPG-7。
成形炸薬弾は盾で受けたら駄目。
盾の後ろに隠れて、射手に盾を狙わせる。
発射を見て盾を切り離す。
前回り受け身で射線から逃げる。
盾は壊れた。僕は生きた。
盾は強さより、捨てやすさも必要。
暴走レイバーは背後から腰椎ユニットへスタンスティック。
放電で全身停止。
壊すための腰椎狙いと、止めるための腰椎狙いは違う。
アルフォンスは止める。
僕も止める経験値。
それから、生きて帰る経験値。
黒崎がノートを覗き込む。
「今回は、比較的まともです」
「比較的って何や」
「比較的です」
バドは頬を膨らませた。
だが、ノートを閉じる手は軽かった。
その夜、サターンもどきのログには、新しい種類の経験が増えた。
対戦車ロケット弾の発射兆候。
スタンシールドを利用した照準誘導。
装備の緊急切り離し。
前回り受け身による射線離脱。
暴走レイバーへの背後接近。
腰椎ユニット経由の非破壊停止。
そして、バドが初めてはっきり理解した二つのこと。
受け止めてはいけない攻撃がある。
壊すためではなく、止めるために狙う場所がある。
白いアルフォンスが積んできた現場の半歩へ。
黒い怪鳥の操縦者は、サターンの皮を被り、盾を一枚捨てて、少しだけ近づいていた。