土浦研究所の会議室には、まだヒポグリフ級という言葉の余韻が残っていた。
正式ASURA搭載サターン外装機。
米軍はそれを可能性と見た。
森川と磯口は限界だと説明した。
黒崎は胃を押さえた。
徳永専務は、米側へ出す回答文の表現を削り続けている。
バドは、ノートに「ヒポグリフ。乗り心地最悪。でも経験値濃い」と書き、黒崎に渋い顔をされたところだった。
その時、内海課長がふいに言った。
「でも、米軍が本気になってきたら、グリフォンが出せなくなるかもしれない」
誰も、すぐには返事をしなかった。
軽い声だった。
だが、言葉の中身は軽くない。
グリフォンが出せなくなる。
その意味を、一番早く理解したのはバドだった。
「……え?」
内海は、いつもの薄い笑みを浮かべたまま、資料を指で叩いた。
「米軍はグリフォン級特殊機を欲しがっている。ASURAも欲しい。ヒポグリフ級にも食いついた。ファントムなんて見せたら、もっと面倒だ。ここまで来ると、グリフォン本体はもう単なる企画7課の玩具じゃない」
黒崎が低く言う。
「最初から玩具ではありません」
「僕にとっては玩具だったよ」
「それが問題です」
内海は気にしない。
「これからは、政府も見る。米国も見る。SE-USAも見る。徳永専務も、今まで以上に鍵をかける。グリフォンを一度出すだけで、外交と安全保障の問題になるかもしれない」
徳永は否定しなかった。
黒崎も否定しなかった。
森川と磯口は、黙っていた。
バドは、操縦桿を握っていない手を、膝の上で握りしめた。
「グリフォン、出せへんの?」
内海は優しくも、残酷にも聞こえる声で言った。
「今すぐじゃない。でも、遠くないかもしれない」
「なんでや。まだアルフォンスとやってへん」
「だからだよ」
内海は笑った。
「一号機との決着は、早めにつけるとしよう。計画を立てるよ」
黒崎が即座に顔を上げる。
「課長」
「何かな」
「その計画という言葉に、嫌な予感しかしません」
「正しい予感だね」
「やめて下さい」
「やめないよ」
バドは、内海を見た。
米軍。
ASURA。
グリフォン級特殊機。
ヒポグリフ。
ファントム。
ブラックボックス整備。
全部が、バドのゲーム盤の外側から押し寄せてくる。
そしてその波が、グリフォンをさらっていこうとしている。
アルフォンスと戦う前に。
野明のお姉ちゃんと決着をつける前に。
バドは、低く言った。
「早めにつける」
「そう」
内海が頷く。
「グリフォンが封印される前に。米軍が正式に手を伸ばしてくる前に。徳永専務が本気で倉庫の鍵をかける前に」
徳永が冷たく言う。
「もうかけるつもりだ」
「なら、なおさら急がないと」
「内海」
「専務。商売の話は大人がする。でも、あの黒い怪鳥は、まだ一つだけ役目を残している」
内海はバドを見た。
「そうだろう?」
バドは頷いた。
「アルフォンスに勝つ」
黒崎が静かに言う。
「そのために警察を危険に晒すことは認められません」
内海が言う。
「危険に晒すんじゃない。招待するんだよ」
「言い方を変えても同じです」
「違うよ。ちゃんと舞台を作る。逃げ道も、観客も、余計な火器もなし。米軍も、日本政府も、暴力団も、ファントムもヒポグリフもなし」
バドが目を細める。
「グリフォンとアルフォンスだけ?」
「理想はね」
黒崎が即座に言う。
「理想ではなく妄想です」
内海は笑った。
「黒崎君、準備を始めよう」
「承知しません」
「でも、始めるよ」
「課長」
「今回は、時間がない」
その言葉に、黒崎も黙った。
時間がない。
それは事実だった。
グリフォンは、もう自由に飛ばせる機体ではなくなりつつある。
米国が見た。
SE-USAが匂いを嗅いだ。
日本政府が震えた。
徳永が鍵をかけようとしている。
そして、バドのゲームはまだ終わっていない。
森川が、ぽつりと言った。
「一号機は、もう盗んだ起動ディスクの中の一号機ではないでしょうね」
磯口も頷く。
「現場で変わっている。野明君も、アルフォンスも」
バドは笑った。
「だから燃えるんや」
黒崎が見る。
バドの顔には、恐怖もあった。
焦りもあった。
だが、それ以上に、目が輝いていた。
「米軍にグリフォン取られる前に、政府に封印される前に、徳永専務に倉庫へ閉じ込められる前に、僕がやる」
徳永が言った。
「私は閉じ込めるつもりだ」
「その前にやる」
「堂々と言うな」
内海が楽しそうに手を叩いた。
「いいねえ。期限付きのラスボス戦だ」
黒崎が冷たく言う。
「課長は黙っていて下さい」
「計画を立てると言ったばかりだよ」
「その計画を立てないで下さい」
「無理だね」
内海は、会議室のホワイトボードへ歩いた。
黒いペンを取る。
そこに、大きく書いた。
AV-98 一号機。
その下に、もう一つ。
GRIFFON。
バドは、その二つの名前を見た。
白い機体。
黒い怪鳥。
米軍も、政府も、SE-USAも、ASURAも、ヒポグリフも、ファントムも。
全部が周りで騒いでいる。
でも、中心はまだそこにあった。
内海は振り返り、笑った。
「さあ、バド。ゲームの終盤だ」
バドは、椅子から飛び降りた。
「待っときや、アルフォンス」
その声は、今までより少しだけ急いでいた。
黒崎はそれを聞き、静かに目を閉じた。
止めなければならない。
守らなければならない。
だが、もう流れは動いている。
米軍が黒い怪鳥を欲しがったことで、黒い怪鳥は逆に急がなければならなくなった。
世界が欲しがる前に。
会社が封じる前に。
政府が名前をつける前に。
バドリナート・ハルチャンドは、自分のゲームに決着をつけようとしていた。