車内で、内海は移動電話を手に取った。
窓の外では、暴風雨が車体を叩いている。
モニターには、特車二課の敷地が映っていた。
白い221号機。
黒いグリフォン。
その周囲を退いていくハヌマーン。
海側に立つファントム。
そして、雨粒に乱れながらも、それを必死に追うテレビ中継車の映像。
内海は、実に満足そうに言った。
「あー諸君、イベントが無事に始まった」
移動電話の向こうで、短い応答が返る。
内海は続けた。
「あとは予定通り、船上で祝杯をあげよう。以上!」
軽い声だった。
まるで会社の余興が予定通り進んだことを報告しているだけのような調子。
だが、その言葉に合わせるように、襲撃部隊は撤退段階へ移っていた。
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格納庫脇では、222号機が動かないまま立っていた。
いや、立っているだけだった。
そのコックピット部には、ハヌマーンの腕が叩き込まれていた。
小型高機動機の細い腕は、装甲を貫くためのものではない。
本来なら、高層建築現場で部材を掴み、足場を支え、身を引き上げるための腕だ。
だが、正確な位置へ、必要な角度で、必要な力を入れれば、コックピット周辺機器を潰すには十分だった。
222号機は、外から見ればまだ白いレイバーだった。
だが、起動するための中枢を壊されていた。
ハヌマーンはすぐに腕を引き抜き、跳ねるように後退する。
壊しすぎない。
時間をかけない。
目的は二号機との戦闘ではない。
使わせないこと。
それだけだった。
整備員が叫ぶ。
「二号機が!」
黒覆面の一人が銃口を向ける。
「動かないでください」
「てめえら!」
「動かないでください」
繰り返す声に感情はなかった。
整備員は歯を食いしばる。
この場で飛びかかっても、何も取り戻せない。
ただ撃たれるだけだ。
その間にも、電算室から黒覆面の一団が出てくる。
手にはデータケース。
第一小隊、第二小隊の起動データ、整備履歴、運用ログ。
コピーは完了していた。
「データ回収完了」
「撤収開始」
短い命令が飛ぶ。
黒覆面たちは、残留職員に銃口を向けたまま後退していく。
ハヌマーン四機も、それぞれの位置から離れ始めた。
一機は庁舎脇から。
一機は格納庫前から。
一機は電算室側の通路から。
一機は車両置き場から。
台風の雨を切り裂くように、四体の猿神がレイバーキャリアへ戻っていく。
素早い。
役目を終えた工具が、箱へ戻されるような手際だった。
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だが、グリフォンだけは戻らない。
黒い機体は、雨の中で白い221号機と向かい合っていた。
バドは、コックピットの中で息を吸った。
視界いっぱいに、アルフォンスがいる。
白い装甲。
雨で濡れた肩。
左腕の盾。
頭部アンテナ。
そして、その中にいる泉野明。
テレビで見た。
原作で見た。
何度も見た。
この勝負を。
だが、いまは画面の向こうではない。
自分の手の中に、操縦桿がある。
自分の足の下で、グリフォンが息をしている。
バドは笑った。
喉が渇く。
手が熱い。
怖くないわけではない。
けれど、それ以上に嬉しかった。
「さぁ、ここで負けたら全部が終わる」
小さく呟く。
誰に言うでもない。
ASURAに。
グリフォンに。
自分に。
「ぼくの全部を掛けていくで!」
グリフォンが踏み込んだ。
雨水が弾ける。
黒い機体の足裏が濡れた舗装を捉え、膝が沈み、腰が一気に前へ出る。
速い。
野明は、コックピットの中で歯を食いしばった。
「ちくしょー、やっぱり、速いな!」
アルフォンスは反応する。
野明も反応する。
それでも、グリフォンは速い。
踏み込みの鋭さが違う。
機体の反応が違う。
黒い影が一拍早く入り込む。
野明は盾を上げ、機体を半身にした。
受ける。
正面から受けてはいけない。
押し返すのではなく、流す。
でも。
この速さ。
この機体差。
最高に頑張っても、相打ちが精一杯かもしれない。
野明は、モニターの向こうの黒い機体を睨んだ。
でも。
逃がさなければ、私の勝ちだ。
ここで止める。
壊されても、捕まえる。
アルフォンスが倒れても、グリフォンを逃がさない。
そう思った瞬間。
バドは、グリフォンの中で笑った。
「って、思ってるんやろな」
見えているわけではない。
聞こえているわけでもない。
だが、知っている。
この人は、そういう勝ち方をする。
自分が壊れても、相手を逃がさなければ勝ち。
グリフォンを捕まえれば勝ち。
それが、泉野明とアルフォンスの強さだ。
だからこそ、原作のバドは負けた。
バドリナート・ハルチャンドは負けた。
でも、今の自分は違う。
知っている。
どこで、何を狙ってくるか。
どうやって、逃げ道を塞ぐか。
どこで、ワイヤーが来るか。
「戦いになった時点で、おねーちゃんの負けや」
バドは、操縦桿を倒す。
「ぼくは戦いたかったんやから」
グリフォンの右腕が走った。
拳ではない。
貫手。
黒い指先が鋭く伸び、アルフォンスの腕部へ突き込まれる。
盾で受ける。
だが、貫手は盾の面を叩き割るためではなく、その縁をかすめ、関節部へ食い込む軌道を取った。
金属音。
火花。
アルフォンスの左腕が跳ねる。
野明は咄嗟に後退しようとする。
だが、グリフォンはもう一歩入っていた。
右。
左。
肩口。
前腕。
手首。
致命部位ではない。
だが、腕を使えなくするための損傷が積み上がっていく。
野明は呻いた。
「こいつ、腕ばっかり……!」
捕まえさせないため。
ワイヤーを使わせないため。
盾で粘らせないため。
バドは、アルフォンスの勝ち筋から削っていた。
「あとは、どれだけ勝ちを積み上げられるかや」
グリフォンがさらに踏み込む。
アルフォンスの左腕の盾が、雨に濡れた光を反射した。
野明は盾を正面へ出す。
受ける。
受けて、一瞬止める。
その一瞬でワイヤーを――
グリフォンの貫手が、盾の端を捉えた。
突き刺すのではない。
弾く。
腕ごと押し込むのではなく、角度をずらして吹き飛ばす。
盾が固定部から悲鳴を上げる。
次の瞬間、左腕の盾が雨の中へ弾け飛んだ。
「しまっ――」
野明の声と同時に、アルフォンス側からワイヤーが放たれた。
グリフォンの胴へ絡みつく。
かに見えた。
中継車のカメラも、後藤も、整備班も、一瞬そう見た。
黒い機体の動きが止まる。
ワイヤーが巻きつく。
捕まえた!
そう見えた。
だが、バドはその瞬間を待っていた。
「知っとるわ!」
グリフォンは、後ろへ逃げなかった。
横にも逃げなかった。
さらに前へ飛び込んだ。
ワイヤーが張り切るより早く、黒い機体はアルフォンスの懐へ潜り込む。
片手を地面につく。
濡れた舗装に黒い掌が叩きつけられ、水が跳ねた。
その腕を支点に、グリフォンの全身が回る。
側転。
低く、速く、鋭い。
ワイヤーは、絡みつく相手を見失った。
巻き取るべき胴体が、予想外の角度で抜ける。
黒い機体はワイヤーの輪の内側をくぐり、張力が生まれる前に軌道から消えた。
野明の目が見開かれる。
「躱した!?」
次の瞬間、グリフォンの脚が跳ね上がった。
側転の回転をそのまま蹴りへ繋げる。
狙いは胴体ではない。
頭部。
アルフォンスの頭部アンテナ。
黒い足が、白い頭部をかすめるように叩いた。
金属音。
細い部品が引きちぎられる。
アンテナが、雨の中を飛んだ。
アルフォンスのセンサー表示が一瞬乱れる。
「アルフォンス!」
野明が叫ぶ。
バドは、回転の勢いを殺さず、片膝を沈めて着地した。
黒い機体が、地面に手をついた姿勢からゆっくり立ち上がる。
まるで獣のように。
まるで猿のように。
けれど、ハヌマーンとは違う。
これは黒い怪鳥だった。
バドは笑っていた。
「それも知っとる」
アルフォンスの頭部から、壊れたアンテナの断片が雨で流れ落ちる。
グリフォンは一歩下がる。
追撃できる距離だった。
だが、バドはあえて間を取った。
見せるために。
テレビ中継車に。
特車二課に。
篠原に。
内海に。
極東支配人に。
そして、野明に。
「ぼくらのASURAは、もうそこまで覚えとるんや」
アルフォンスはまだ倒れていない。
野明も折れていない。
だが、最初の罠は破られた。
捕まえるためのワイヤーは空を切り、頭部アンテナはもぎ取られた。
野明は、操縦桿を握り直した。
胸の奥が冷える。
原作ではない。
そんな言葉を野明は知らない。
だが、感じていた。
相手は、ただ速いだけではない。
自分たちがどう戦うかを、まるで知っている。
野明は、濡れたモニターの向こうの黒い機体を睨んだ。
「だったら……」
歯を食いしばる。
「知ってても、止めてやる!」
グリフォンの中で、バドは目を細めた。
「そう来なきゃな」
暴風雨の中、白と黒が再び構えた。
特車二課の敷地では、ハヌマーンを載せたキャリアが撤退を始めている。
黒覆面たちはデータを抱え、庁舎から下がっていく。
222号機は沈黙したまま。
ファントムはECMを緩め、中継車の電波だけを通すように沈黙している。
そして、221号機とグリフォンだけが、雨の舞台に残されていた。
世紀の決戦は、まだ始まったばかりだった。