グリフォンが踏み込む。
黒い足が雨水を蹴り、舗装の上に白いしぶきを散らした。
右腕が伸びる。
貫手。
アルフォンスの胸部ではなく、腕部でもなく、肩口をかすめるような鋭い突き。
野明は、寸前で機体を逃がした。
白い装甲の表面を、黒い指先が削る。
火花が雨に混じって消えた。
「くっ!」
アルフォンスが後退する。
だが、倒れない。
グリフォンは追う。
次の踏み込み。
また貫手。
今度は右前腕を狙う。
野明は、アルフォンスの肘を引き、上体をひねってかわした。
装甲板が削れる。
外装はもう、原形を保っているとは言い難かった。
腕部は傷だらけ。
肩も胸も、雨に濡れた白い装甲のあちこちに黒い裂け目が走っている。
左腕の盾は吹き飛ばされ、頭部アンテナも失われている。
それでも、動きは死んでいなかった。
むしろ、野明は削られるごとに、グリフォンの間合いを見始めていた。
グリフォンが踏み込む。
貫手が来る。
その直前、ほんのわずかに、左脚が引かれる。
軸足の置き直し。
体重移動の癖。
それが見えた。
見えた気がした。
「そこっ!」
アルフォンスが半歩ずれる。
黒い貫手が、白い機体の脇を抜けた。
野明は息を吸う。
いける。
当てられっぱなしじゃない。
外装はボロボロでも、アルフォンスはまだ動く。
グリフォンは速い。
でも、動きの起こりが見えれば、避けられる。
避け続ければ、必ず捕まえる隙が来る。
逃がさなければ、勝ちだ。
コックピットの中で、バドは目を細めた。
「攻撃を繰り出す時に、左脚を引く癖を見抜いた思ってるんやろな……」
雨に濡れたモニターの向こうで、アルフォンスが構え直す。
野明はまだ折れていない。
むしろ、こちらを見ている。
グリフォンの動きの中から、癖を拾おうとしている。
そのことが、バドには分かった。
嬉しかった。
やっぱり、この人は強い。
機体性能だけでは潰れない。
外装を削られても、腕を傷つけられても、アルフォンスを信じて食らいついてくる。
だからこそ。
「でも、そんなの矯正済みや」
バドは、指先で操作を叩いた。
「Bシステム停止」
グリフォンの内部で、ひとつの補助制御が落ちる。
バドの身体に合わせた、安定優先の補正。
熱管理と機体保護を考えた、戦闘用の余白。
それが、一段階外された。
警告表示が走る。
森川の声が、通信越しに飛んだ。
『バド! 何を切った!』
バドは笑う。
「戦闘プロトコルB起動」
ASURAの表示が変わる。
グリフォンの姿勢が、ほんの少し沈んだ。
ただ低くなっただけではない。
重心の置き方が変わった。
足裏の圧のかけ方が変わった。
肩の遊びが消え、腰の角度が変わり、腕の構えがわずかに内へ入る。
野明は、直感的に息を呑んだ。
「こいつ……!」
グリフォンが動いた。
速い。
だが、ただ速くなったのではない。
動きの質が変わっていた。
それまで見えていた、踏み込みの前の小さな癖が消えている。
左脚を引く。
軸を置き直す。
そこから貫手が来る。
その読みが、突然使えなくなった。
「動きが!」
野明は叫んだ。
アルフォンスが反応する。
だが、反応が一拍遅れる。
今のグリフォンの踏み込みには、起こりがない。
肩が先に動かない。
腰が先に沈まない。
足が先に引かれない。
まるで、静止した姿勢から突然攻撃だけが現れたように見えた。
格闘技の達人が、殴る直前まで殴る気配を消すような動き。
それを、グリフォンがやっている。
人間よりも大きな機械の身体で。
モーションキャプチャーで取り込んだ動作。
警察柔道。
捕縛術。
カポエイラ。
さらに、踏み込み、重心隠し、肩の脱力、視線と予備動作を消すための訓練データ。
それらをASURAが噛み砕き、黒い機体へ流し込んでいた。
グリフォンの右腕が伸びる。
野明はかわす。
だが、読みで避けたのではない。
反射で逃げただけだった。
貫手がアルフォンスの胸部外装を裂く。
次の一撃。
今度は左腕。
野明は引く。
間に合う。
だが、余裕がない。
紙一重だった回避が、紙一枚より薄くなる。
「アルフォンス、踏ん張って!」
アルフォンスが足を開く。
野明は、攻撃の軌道を読むのをやめた。
グリフォンの起こりが読めないなら、当たる瞬間で反応するしかない。
でも、それでは遅い。
遅いと分かっていても、他にない。
グリフォンが沈む。
いや、沈んだように見えた時には、もう前にいた。
黒い右腕が来る。
野明は、腕を守る。
腕を引く。
胸を逃がす。
その瞬間、バドは笑った。
「そこやない」
グリフォンの軌道が変わる。
貫手は、これまで何度も狙ってきた腕部ではなかった。
胸でもない。
手首でもない。
肘でもない。
今まで、あえて攻撃していなかった場所。
肩部ジョイント。
アルフォンスの腕と胴を繋ぐ、動きの根。
野明の意識は、腕部損傷を避ける方へ寄っていた。
これまで散々、そこを削られていたからだ。
グリフォンは、その癖を作ってから、別の場所を撃った。
「これで終わりや!」
黒い貫手が、肩部ジョイントへ突き込まれた。
鈍い音がした。
装甲が割れる音ではない。
内部構造が砕ける音。
アルフォンスの左肩が跳ねた。
駆動系の警告が、野明のモニターに赤く走る。
「うあっ!」
アルフォンスの腕が、力を失いかける。
野明は必死に姿勢を立て直した。
だが、肩が死んだ。
腕の外装がどれだけ残っていても、肩部ジョイントを破壊されれば、腕は腕として働かない。
今まで攻撃していなかった場所。
だからこそ、野明はそこを最後の一瞬まで守れなかった。
不意打ちだった。
グリフォンは、突き込んだ右腕を引く。
黒い指先から、砕けた部品と雨水が落ちた。
野明は、歯を食いしばる。
「この……!」
アルフォンスはまだ倒れない。
だが、左腕はもうまともに使えない。
捕まえる手段が、またひとつ潰された。
バドは息を吐いた。
興奮で、視界が熱い。
だが、指は冷えていた。
ここで浮かれるな。
ここで止まるな。
相手はまだ、アルフォンスだ。
泉野明だ。
「一個、積んだ」
バドは呟く。
「もう一個、積むで」
グリフォンが再び構える。
外装を剥がされ、盾を失い、アンテナを失い、肩を砕かれたアルフォンスが、それでも雨の中で立っている。
野明は、モニターの向こうの黒い機体を睨んだ。
相手は、速いだけではない。
強いだけでもない。
読ませて、読んだところを潰してくる。
そして、こちらが見つけたと思った癖さえ、切り替えて消してくる。
野明は、操縦桿を握る手に力を込めた。
「だったら……」
声が震えた。
恐怖ではない。
怒りでもない。
悔しさだった。
「だったら、あたしも変わるしかないじゃない!」
アルフォンスが、片腕を失いかけたまま構え直す。
グリフォンは低く沈む。
暴風雨の中、白と黒は再び動き出そうとしていた。