グリフォンの貫手が、アルフォンスの残った腕を打ち砕いた。
金属が潰れる音がした。
関節部が歪み、白い前腕がバラバラになる。雨水と油が混じり、砕けた装甲片が黒い機体の足元で跳ねた。
「アルフォンス!」
野明が叫んだ。
右腕の応答が消える。
左肩は死にかけ、腰椎ユニットは破壊され、頭部アンテナはもぎ取られ、盾はない。
最後に伸ばした腕まで、砕かれた。
掴むことができない。
止めることができない。
それでも、野明は操縦桿から手を離さなかった。
「まだ……まだ!」
膝をついたアルフォンスが、壊れた腕を引こうとする。
だが、グリフォンは動かない。
バドはコックピットの中で、低く息を吐いた。
「まだ、ちゃう」
声は震えていた。
恐怖ではない。
興奮でもある。
喜びでもある。
けれど、それだけではなかった。
ここまでやった。
ワイヤーを躱した。
アンテナをもぎ取った。
肩を壊した。
腰を壊した。
太田たちの無茶も踏み越えた。
最後に残った腕まで潰した。
それでも、アルフォンスはまだ終わっていないと言う。
泉野明は、まだ終わっていないと言う。
だから、バドは笑った。
「ほんま、ええラスボスやな」
グリフォンが、上体を沈める。
黒い機体の顔が、アルフォンスのカメラアイへ近づいた。
雨が二機の間を流れ落ちる。
黒と白。
勝った機体と、まだ諦めない機体。
「でもな」
バドは、操縦桿を握る手に力を込めた。
「ぼくは、勝ちたかったんや」
右腕の駆動表示が消える。
野明の目に、赤い警告が重なる。
腕部機能停止。
腰椎機能停止。
姿勢維持困難。
戦闘継続不可。
そんな文字が、次々に並ぶ。
「うるさい……!」
野明は警告表示を睨んだ。
「そんなの、あたしが決める!」
アルフォンスが、壊れた腰を軋ませながら上体を動かそうとする。
腕はもう使えない。
なら、身体で押す。
頭で押す。
倒れ込んでもいい。
グリフォンに体当たりして、少しでも止める。
逃がさない。
それだけでいい。
だが、バドはその動きも見ていた。
「逃がさへん、やろ」
グリフォンが半歩引いた。
打ち砕いた腕を離す。
その瞬間、アルフォンスは前へ崩れた。
押さえられていた支えが消え、壊れた腰では体勢を戻せない。
白い機体が、雨の中で前のめりに倒れる。
野明は必死に姿勢を立て直そうとする。
けれど、グリフォンはそこへ回り込んでいた。
蹴らない。
突かない。
ただ、倒れる方向をずらすように、肩へ軽く押しを入れる。
それだけで、アルフォンスの巨体は横へ流された。
受け身も取れない。
両腕は死んでいる。
腰も死んでいる。
白い機体は、敷地の舗装へ横倒しに叩きつけられた。
重い衝撃が、雨水を跳ね上げる。
テレビ中継車のカメラが、その瞬間を捉えていた。
壊れたアルフォンス。
立つグリフォン。
暴風雨。
黒い機体の足元で、白い機体が動けない。
中継車の中で、レポーターが言葉を失った。
画面の向こうで、誰かが叫んでいる。
だが、その声は雨と風とノイズに呑まれていく。
太田が、リボルバーカノンのそばで歯を食いしばった。
「泉……!」
整備班の誰かが、壁を殴った。
後藤は庁舎の窓越しに、それを見ていた。
南雲は顔を強張らせ、福島は唇を噛んでいた。
誰も動けない。
動けば撃たれる。
動いても間に合わない。
彼らの目の前で、特車二課の白い機体は、黒い怪鳥に敗れた。
グリフォンのコックピットで、バドはしばらく黙っていた。
勝った。
間違いなく、勝った。
捕まらなかった。
逃げ切る前に、アルフォンスの勝ち筋をすべて潰した。
相打ちにもさせなかった。
止められもしなかった。
白い機体を、倒した。
なのに。
胸の奥には、まだ熱が残っていた。
野明は、横倒しになったコックピットの中で、荒く息をしていた。
警告音が鳴り続ける。
身体が揺さぶられ、肩が痛む。
それでも、意識はある。
アルフォンスも、完全に死んだわけではない。
だが、もう動けない。
「ごめん……」
野明は、震える声で言った。
「ごめんね、アルフォンス……」
白い機体は答えない。
警告音だけが鳴る。
雨が装甲を叩く。
モニターの端に、黒い足が映る。
グリフォンが立っていた。
バドの声は、外部スピーカーには乗らない。
けれど、彼はコックピットの中で、小さく言った。
「ぼくの勝ちや」
今度は、誇示するような声ではなかった。
確認だった。
自分へ言い聞かせるような。
ASURAへ刻むような。
グリフォンへ覚えさせるような。
「ぼくらの勝ちや」
その瞬間、ASURAのログに、勝利が記録された。
対AV-98戦。
対泉野明。
対アルフォンス。
捕獲回避。
ワイヤー回避。
アンテナ破壊。
肩部ジョイント破壊。
腰椎ユニット破壊。
腕部機能停止。
敵機行動不能。
勝利。
バドは、息を吐いた。
黒い機体がゆっくりと身を起こす。
撤退の時間だった。
ハヌマーンを載せたキャリア群はすでに敷地から離れつつある。
黒覆面たちもデータを持って下がっている。
ファントムは海側へ向きを変え始めていた。
グリフォンも戻らなければならない。
この機体は、まだ壊してはいけない。
アクアユニットへ換装する。
次の舞台がある。
船上での祝杯。
湾外へ逃がした長城号。
欧米への商品価値。
そういう大人たちの思惑は、バドには全部はどうでもよかった。
ただ一つだけ、分かっていることがある。
アルフォンスに勝った。
それだけで、世界が少し違って見えた。
バドは、倒れたアルフォンスを見下ろした。
「またな、おねーちゃん」
小さく言う。
「次は、もっと強くなってきてや」
グリフォンが背を向ける。
その背中に、野明は何もできなかった。
動けない。
追えない。
掴めない。
ただ、雨に叩かれながら、黒い機体が離れていくのを見るしかない。
悔しさで、目が滲む。
雨なのか涙なのか、自分でも分からなかった。
「逃がすな……」
声が出た。
けれど、アルフォンスは動かない。
「逃がすなよ、アルフォンス……!」
白い機体は、もう立てなかった。
黒いグリフォンは、五台目のキャリアへ向かって歩いていく。
暴風雨の中、その足取りは静かだった。
勝った者の足取りだった。
そして、テレビ中継車のカメラは、その背中を映し続けていた。