グリフォンは、倒れたアルフォンスに背を向けた。
追う者はいない。
追える者もいない。
221号機は両腕を潰され、腰椎ユニットを破壊され、雨の中で横倒しになっている。
222号機はコックピットを破壊され、格納庫脇で沈黙している。
第一小隊は都心の騒乱対応で出払っている。
庁舎は一時制圧され、車も電話も無線も潰されていた。
橋は落ちている。
そして、海側にはファントムがいた。
黒いグリフォンは、五台目のレイバーキャリアへ戻った。
だが、ただ載せられるためではなかった。
キャリアの荷台には、背面ユニットが準備されている。
アクアユニット。
海中離脱用の装備。
通常なら、整備員と専用設備で慎重に行うべき換装だった。
だが、グリフォンは違った。
黒い機体はキャリア脇へ膝をつき、自ら背中を開いた。
接続部が露出する。
濡れた装甲の隙間から、機械的な光が漏れる。
グリフォンの腕が動く。
背面のデータユニットを外す。
固定具を解除する。
外したユニットをキャリアの受け台へ置く。
その動作は、荒くない。
焦ってもいない。
暴風雨の中、特車二課の眼前で、まるで整備デモンストレーションでもするかのように滑らかだった。
整備班の一人が、呆然と呟いた。
「自分で……換装してる……?」
別の整備員が、歯を食いしばる。
「ふざけんなよ……そんなことまでできるのかよ」
グリフォンは、キャリアの補助アームに置かれたアクアユニットへ手を伸ばす。
掴む。
持ち上げる。
背中へ合わせる。
雨と風の中で、黒い機体はわずかなズレも見せず、接続部を合わせていった。
ロック。
一次接続。
二次固定。
冷却系確認。
電装系確認。
水中機動制御系確認。
アクアユニットのランプが順に点灯する。
バドは、コックピットの中で息を弾ませながら笑っていた。
「見とるか、アルフォンス」
倒れた白い機体へ、聞こえない声で言う。
「ぼくらは、ここまで育ったんや」
ASURAの表示に、換装確認が走る。
背面重量の変化。
水中移動用姿勢補正。
排水処理。
バランス再計算。
すべてが流れていく。
ただ戦うだけではない。
壊すだけではない。
戦い、勝ち、換装し、逃げる。
その全工程を、グリフォン自身が成立させている。
性能実証。
テレビ中継車のカメラが、それを映していた。
黒い機体が、倒れたイングラムの前で、自力換装している。
それは戦闘勝利以上に、技術の見せつけだった。
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「止めろ!」
太田が叫んだ。
リボルバーカノンはもう使えない。
反動で支えが崩れ、台車も歪んでいる。
それでも、太田は立ち上がろうとした。
整備班の数人も動こうとする。
誰かが工具を握った。
誰かが消火器を掴んだ。
誰かが、ただ走り出そうとした。
グリフォンを止める。
せめて換装だけでも邪魔する。
逃がさない。
そう思った。
だが、海側でファントムが動いた。
白いドクロじみた頭部が、ゆっくりとそちらを向く。
眼窩部の連装レーザーが、雨の中で鈍く光った。
低出力発光。
狙っている。
それだけで十分だった。
ファントムの足元で、水が波立つ。
背部のECMポッドが低く唸る。
感情がない。
脅しではない。
必要なら撃つ。
そういう光だった。
太田は歯を食いしばった。
「くそっ……!」
走れば撃たれる。
誰かが死ぬかもしれない。
ファントムがどの程度の火器を積んでいるか分からない。
だが、あの異様な機体がただの飾りでないことだけは、誰の目にも明らかだった。
整備班も止まる。
南雲も、庁舎の窓からその様子を見て、拳を握った。
「止められない……」
後藤は、雨の向こうの黒い機体を見つめていた。
いつもの飄々とした顔ではなかった。
苦い顔。
負けを認める顔だった。
「ここまで全部、段取りされてる」
福島が低く言った。
「警察が、ここまで……」
その先の言葉は続かなかった。
言えば、現実になる。
だが、現実はすでにそこにあった。
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グリフォンのアクアユニット換装が完了する。
黒い機体が立ち上がった。
背中の形が変わっている。
戦闘用の素体から、水中離脱用の姿へ。
雨の中、その姿はさらに異様だった。
陸でも戦える。
空も飛べる。
海にも逃げられる。
それを、今この場で見せつけた。
バドは、計器を確認する。
「アクアユニット、接続完了。バランス、OK。グリフォン、いけるな?」
画面上の数値が安定する。
グリフォンが一歩踏み出す。
倒れたアルフォンスの横を通る。
野明は、コックピットの中で黒い影を見た。
何もできない。
指は操縦桿を握っている。
けれど、アルフォンスは動かない。
腕も。
腰も。
脚も。
何もかもが、グリフォンを追うには足りなかった。
「待て……」
声だけが出た。
「待ちなさいよ……!」
黒い機体は止まらない。
バドは、ほんの一瞬だけ倒れた白い機体へ視線を向けた。
笑った。
勝った笑みだった。
そして、少し寂しそうでもあった。
「またな」
グリフォンは海側へ歩いていく。
ファントムが、道を空けるようにわずかに身を引いた。
護岸の向こうでは、台風の波が荒れている。
白く砕ける水。
黒い海。
グリフォンはためらわなかった。
護岸の縁へ足をかける。
雨が装甲を流れ落ちる。
テレビ中継車のカメラが、その背中を追う。
黒い怪鳥は、振り返らない。
次の瞬間、グリフォンは海へ降りた。
水柱が上がる。
アクアユニットが起動する。
黒い機体は、荒れた海面に一度だけ姿を見せた。
そして、沈む。
逃げるのではない。
予定された経路へ入るように、悠々と。
東京湾の暗い水の中へ、グリフォンは姿を消していった。
/*/
残されたのは、ファントムだった。
海側に立つ、ドクロ頭の無人機。
黒覆面たちとハヌマーンを載せたキャリア群は、すでに撤退を終えていた。
グリフォンも消えた。
ならば、ファントムの役目も終わりだった。
ファントムの頭部が、ゆっくりと上を向く。
一瞬、世界が静かになったように感じた。
次の瞬間。
ファントムの胴体内部で、光が走った。
後藤が叫ぶ。
「伏せろ!」
爆発。
海側で、白い閃光が弾けた。
衝撃波が雨を吹き飛ばし、護岸に叩きつけられた水が大きく跳ね上がる。
ファントムの機体は、内側から破裂するように砕けた。
頭部。
胴体。
脚部。
ECMポッド。
連装レーザー。
識別できる形を残さないように、破片はさらに小さく砕かれていく。
爆炎はすぐに雨に押さえ込まれた。
だが、黒煙と金属片と焦げた匂いだけが残る。
証拠は燃えた。
痕跡は消えた。
無人機は、自分の役目を終えたあと、自分自身を消した。
/*/
暴風雨の中、特車二課は沈黙していた。
誰もすぐには動けなかった。
橋は落ちたまま。
通信は復旧したが、遅すぎる。
車は壊され、自転車まで潰されている。
電算室からはデータを奪われた。
222号機は沈黙。
221号機は撃破。
ファントムは自爆。
ハヌマーンは撤退。
グリフォンは海中へ消えた。
テレビ中継車だけが、その一部始終を映していた。
倒れたアルフォンス。
破壊された二号機。
炎を上げた海側。
雨の中で立ち尽くす特車二課の人々。
誰も言葉を持たなかった。
太田は、リボルバーカノンのそばで拳を震わせている。
整備班は、壊れた機体と潰されたデータ室の方を交互に見ていた。
南雲は、悔しさを押し殺すように目を伏せた。
福島は、何かを言おうとして、言えなかった。
後藤は、濡れた窓越しに海を見ていた。
いつものような冗談は出ない。
今だけは、出せなかった。
完璧な勝利だった。
向こうにとっては。
完全な敗北だった。
こちらにとっては。
野明は、横倒しになったアルフォンスの中で、ただ雨音を聞いていた。
警告音は、もう遠い。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
でも、それ以上に。
何もできなかった。
追えなかった。
掴めなかった。
止められなかった。
「ごめん……」
野明は、もう一度呟いた。
「ごめんね、アルフォンス……」
白い機体は答えない。
ただ、雨に叩かれていた。
/*/
敷地の外で、内海は車内のモニターを消した。
画面が黒くなる。
黒崎は無言だった。
バドの声も、今は通信越しには聞こえない。
グリフォンは海中へ入った。
回収地点へ向かっている。
ファントムは自爆した。
ハヌマーンも撤退した。
データも取った。
中継もされた。
アルフォンスにも勝った。
内海は、満足そうに息を吐く。
「いいイベントだったねえ」
黒崎は冷たく言った。
「課長。これは事件です」
「うん」
「国際問題です」
「うん」
「警察施設への武装襲撃です」
「うん」
「その上、テレビ中継までさせました」
「うん。だから、イベントだよ」
黒崎は目を閉じた。
何を言っても無駄だった。
内海は窓の外を見た。
雨はさらに強くなっている。
台風は、いよいよ東京へ近づいていた。
「さて」
彼は移動電話へ手を伸ばした。
「船上の祝杯に遅れないようにしないとね」
車は静かに発進した。
背後には、雨に沈む特車二課が残された。
白い機体を倒され、データを奪われ、通信を壊され、橋を落とされ、証拠まで消された場所。
そこに残ったのは、敗北の形だけだった。
黒い怪鳥は、もう海の中にいない。
だが、その爪痕だけは、深く残っていた。