/*/ 篠原重工 本社第三会議室 /*/
会議室の照明は落とされていた。
壁際の大型テレビには、東京レイバーショウ最終日の映像が映っている。
画面中央に、特車二課第二小隊の二二二号機。
その向かいに、イングラム・エコノミー。
展示会場のざわめき。
報道カメラの揺れ。
警備員の声。
次の瞬間、画面の横から大型トレーラーが割り込んできた。
トレーラーの側面が開く。
黒い腕が出る。
まだ機体の全貌も見えないうちに、黒い手刀が二二二号機の腰へ突き込まれた。
鈍い破砕音。
二二二号機の姿勢が、一瞬で崩れる。
腰椎ユニットを砕かれた白い警察用レイバーは、上体を支えることもできず、その場に沈んだ。
映像は続く。
黒いレイバーが姿を現す。
イングラム・エコノミーが構える。
しかし、それも長くは続かなかった。
接近。
誘い。
腰部への一撃。
エコノミーもまた、なすすべなく崩れ落ちる。
床に沈黙した二機の白いレイバー。
その中央に、黒い機体が立っている。
「止めて良いよ」
上座にいた役員が言った。
映像が止まった。
会議室に、重い沈黙が落ちる。
誰もすぐには口を開かなかった。
やがて、営業担当の役員が深く息を吐いた。
「……これは不味いね」
技術担当の役員が、眼鏡を外して眉間を揉む。
「AV計画の見直しが必要だ」
「警察も、エコノミーの導入には二の足を踏むだろうな」
「当然でしょう。展示会場で、廉価量産型が正体不明機に一方的に潰されたんだ。しかも特車二課の二号機も同時にやられている」
「AV-98がもう一機あれば……」
その言葉に、会議室の何人かが顔をしかめた。
ないものはない。
現場にいたのは、二二二号機と展示中のエコノミー。
一号機、二二一号機は出られなかった。
そして、その理由もまた問題だった。
「それ以前に」
法務担当の役員が、低く口を開いた。
「イングラム一号機と二号機の起動ディスクが盗まれた。これも極めて大きな問題です」
空気が、さらに重くなった。
「二二一号機と二二二号機の起動ディスク。あれには、単なる起動キー以上の意味があります」
技術部長が頷く。
「実運用データ、操縦補正、機体ごとの癖、パイロットごとの動作蓄積。完全な形で解析されれば、AV-98の中身を抜かれるに等しい」
「ライバル企業に渡れば、損失は計り知れない」
「いや、競合他社だけでは済まない。海外企業、軍需関係、犯罪組織。どこへ流れても最悪です」
「影響が大きすぎます」
会議室に、紙をめくる音だけが響いた。
AV-98の強さは、機体性能だけではない。
現場で積み重ねたデータ。
特車二課の運用。
泉野明と太田功という、癖の強い操縦者たちに合わせて育った動作補正。
それらは、篠原重工にとっても、警察にとっても、極めて価値の高い資産だった。
そして今、それが盗まれた。
「警察への説明は避けられません」
「当然だ。展示会場で機体を破壊され、起動ディスクまで奪われた。警察から見れば、篠原重工の管理責任も問われる」
「だが、ディスク管理は特車二課側の運用手順にも関わる」
「責任の押し付け合いをしている場合ではない」
上座の役員が、短く言った。
会議室が静まる。
「問題は三つだ」
彼は指を一本ずつ立てた。
「第一に、東京レイバーショウでAV計画の信用が傷ついた。二号機とエコノミーが一方的に倒された映像は、業界中に出回る」
二本目の指。
「第二に、エコノミーの量産・売り込み計画に疑義が生じた。腰椎ユニットを狙われた際の脆弱性、足回りの踏ん張り、対レイバー戦闘への対応。改良なしに売るのは難しい」
三本目。
「第三に、一号機と二号機の起動ディスク流出。これはAV-98そのものの技術流出だ。下手をすれば、我々が何年もかけて現場から得たデータを、他社が一晩で手に入れることになる」
営業担当役員が、苦々しく言った。
「最悪だな」
「最悪です」
技術部長が、停止した映像を見つめながら言った。
「しかも、この黒いレイバーの動きは、単なる高性能機の暴力ではありません」
彼はリモコンで映像を少し巻き戻した。
黒い腕が二二二号機の腰へ入る直前で止まる。
「見てください。頭部、胸部、腕部ではなく、最初から腰椎ユニットを狙っています」
「急所を知っていた?」
「知っていた、というより、そこを壊せば人型レイバーが即座に行動不能になると理解している動きです。レイバーの構造に詳しい。しかも、対レイバー戦に特化している」
映像が再生される。
二二二号機が崩れる。
次に、エコノミーが崩れる。
「相手は不意打ちです。ですが、不意打ちだから勝てた、で済ませてはいけません。攻撃の選択が正確すぎる」
別の役員が言った。
「警察用レイバーの制圧術とは違うのかね」
「違います。警察機は相手を止めるために組みつき、崩し、制圧する。ですが、これは最初から機能破壊を狙っている。どちらかと言うと、軍用レイバーの思想に近い」
「軍用か」
「ええ。ただし、軍用レイバーのように火力で潰すのではなく、人型レイバーの構造的弱点を格闘で抜いている。厄介です」
会議室の空気がさらに重くなる。
営業担当役員が低く言った。
「先日から続いていたブロッケンの襲撃が、ここに繋がるのか?」
技術部長はすぐには答えなかった。
東京周辺で確認されていたブロッケン絡みの不審な動き。
軍用レイバー。
正体不明の運用母体。
そして今回の黒いレイバー。
「それはなんとも」
技術部長は慎重に言った。
「ただ、今回の黒い機体の動きには、軍用機で取ったと思われるデータの匂いがあります。重量機での組み合い、足回りの崩し、転倒復帰への追撃。単にカタログスペックだけで動いている機体ではありません」
「つまり、訓練されている?」
「少なくとも、運用テストは相当やっているはずです」
「どこが作った」
誰も答えない。
答えは、まだなかった。
だが、この場にいる全員が同じことを考えていた。
篠原重工のAV計画を理解し、警察用レイバーの運用を研究し、東京レイバーショウの最終日に合わせて襲撃してきた。
偶然ではない。
「売り込み計画の見直しが必要だ」
上座の役員が言った。
「エコノミーをこのまま警察に提示しても、今回の映像を突きつけられる。廉価版だから仕方ない、では通らない」
「腰椎ユニットの防護強化」
「姿勢制御系の冗長化」
「腰部破損時の緊急固定」
「手刀や打撃による局所破壊への対策」
「対レイバー格闘戦のログも要る」
技術側の人間たちが、次々に項目を挙げていく。
営業担当が苦い顔をした。
「改良には時間がかかる」
「時間をかけなければ売れません」
「警察向けの納入スケジュールは?」
「見直しだ」
短い言葉だった。
だが、その重みは大きかった。
AV計画。
篠原重工が警察用レイバー市場で主導権を握るための中核。
その計画が、黒い正体不明機の一撃で揺らいでいる。
しかも、機体そのものだけではない。
一号機と二号機の起動ディスクという、AV-98の経験そのものまで奪われた。
「製造計画も改める必要があるな」
「既存ラインは?」
「エコノミー仕様のまま数を揃えるのは危険です。少なくとも腰部構造の改良案が出るまで、量産前提の部材発注は絞るべきでしょう」
「警察への説明は?」
「二二二号機は不意打ちであり、パイロットの技量問題ではない。エコノミーについては、展示用調整機であり実配備仕様とは異なる。まずはそう説明するしかない」
「苦しいな」
「苦しいです」
「起動ディスクについては?」
会議室が、また静まった。
法務担当が答える。
「警察と共同で流出先の特定を急ぐしかありません。だが、既に複製されている可能性もあります」
「複製か」
「ええ。物理ディスクを取り返しても、データが抜かれていれば終わりです」
技術部長が、低く言った。
「最悪の場合、AV-98の動作パターンを学習した敵性レイバーが出てきます」
誰も笑わなかった。
それは、もう冗談ではなかった。
停止した画面の中で、黒いレイバーが白い二機を見下ろしている。
その姿は、宣伝映像としては最悪だった。
だが、技術者の目には、別の意味でも最悪だった。
美しいほどに、機能的だった。
余計な動きがない。
警察機を壊すための最短手順。
そしてその黒い機体が、今度は盗んだAV-98の動作データを取り込むかもしれない。
「これは、ただの事件じゃない」
上座の役員は、最後にその画面を見て、低く言った。
「我々の計画そのものを、正面から殴られたんだ」
誰も反論しなかった。
「警察向け説明資料を作り直す。営業計画も白紙に戻す。製造部はエコノミーの構造見直し案を至急。技術部は、今回の映像を全フレーム解析しろ」
「はい」
「それから、盗まれた起動ディスクの流出先を洗え。警察、警備、展示会場の搬入経路、通信ログ、全部だ。ブロッケン襲撃との関連も追う。防衛庁筋にも当たれ」
会議室の空気が動き出す。
書類が閉じられ、端末が開かれ、各部署への指示が飛び始める。
だが、テレビ画面だけはまだ止まったままだった。
黒いレイバー。
白い二機。
倒されたAV計画の象徴。
奪われた起動ディスク。
第三会議室に残ったのは、企業としての危機感と、技術者としての屈辱だった。