/*/ シャフト・エンタープライズ・ジャパン 本社会議室 /*/
会議室の空気は、重かった。
長机の向こうには、シャフト・エンタープライズ・ジャパンの専務、常務、事業部長たちが並んでいる。
誰も笑っていない。
その正面で、内海課長だけがいつものように薄く笑っていた。
壁面モニターには、東京レイバーショウ最終日の映像が映っている。
展示ホール。
特車二課第二小隊、二二二号機。
イングラム・エコノミー。
その間へ割り込む大型トレーラー。
トレーラー側面が開き、黒い腕が伸びる。
まだ黒い機体の全貌も見えないうちに、二二二号機の腰部へ手刀が入った。
腰椎ユニット破壊。
二二二号機は、ほとんど抵抗できずに崩れ落ちる。
続いて、イングラム・エコノミー。
構えはした。
だが、黒いレイバーの接近、誘い、踏み込み、腰部破壊の連携を止められない。
数秒後には、量産型イングラムも床に沈黙していた。
画面が止まる。
黒いレイバーが、白い二機を見下ろしている。
専務の一人が低い声で言った。
「……君は、これを我々に見せて何を言いたいのかね」
内海は、にこりと笑った。
「弊社の技術力は、篠原重工の現用警察レイバーと、その量産試作機を圧倒しました」
「圧倒した、では済まない」
別の役員が言う。
「東京レイバーショウを襲撃したんだぞ。警察も篠原も黙っていない」
「もちろんです」
「もちろん?」
「ええ。黙っていないでしょうね」
内海は、まるで他人事のように言った。
会議室の何人かが、不快そうに眉をひそめる。
「内海君」
専務が静かに言った。
「我々が聞きたいのは、君の悪戯の感想ではない。これが事業になるのか、それとも会社に火をつけただけなのかだ」
「事業になります」
内海は即答した。
「しかも、かなり大きな」
彼はリモコンを操作した。
画面が切り替わる。
グリフォンの姿勢制御ログ。
接近時の重心移動。
腰椎ユニット打撃時の角度。
イングラム・エコノミーの転倒ログ。
そして、二二一号機、二二二号機の起動ディスクから吸い出された動作データの解析画面。
専務たちの目が、わずかに変わった。
内海はそれを見逃さない。
「タイプJ-9、グリフォン」
彼は、楽しそうにその名を口にした。
「確かに、これそのものは商品としては扱いにくい。法定規格も、生産性も、整備性も、量産性も、はっきり言って商品向きではありません」
「自分で言うのかね」
「ええ。商品としては無茶です。こんなものをそのまま売ろうとしたら、維持費だけで買い手が泣きます」
内海は肩をすくめる。
「しかし、グリフォンそのものが商品にならなくても、これを動かしているOSは別です」
森川政治が、会議室の端で端末を操作した。
画面にASURAの解析表示が出る。
「ASURAです」
内海が続ける。
「このOSは、グリフォンという非常識な機体を制御し、夜間、不整地、展示ホール内、市街地相当の複雑環境で破綻せず動かしました。しかも、複数のレイバーに対して対レイバー格闘を成立させている」
技術担当の役員が、画面に身を乗り出した。
「この数値は本物か」
森川が答える。
「本物です。姿勢制御、予測補正、転倒回避、打撃時の反動吸収、すべて実機ログです」
磯口が、興奮気味に補足した。
「グリフォンは機体性能が突出していますが、それだけならもっと破綻しています。あの機動を支えているのはASURAの補正です。機体の暴力を、運動として成立させている」
内海は満足そうに頷いた。
「そして、もう一つ」
画面が切り替わる。
イングラム一号機、二二一号機。
イングラム二号機、二二二号機。
それぞれの起動データ。
歩行。
制動。
姿勢復帰。
捕縛動作。
市街地運用。
パイロットごとの操作補正。
役員の一人が低く言った。
「……これは、例の起動ディスクか」
「入手しました」
「盗んだのだろう」
「言葉の選び方はお任せします」
内海は笑った。
「ただ、価値は保証します」
会議室が静まる。
内海は、画面を指した。
「このデータには、篠原重工がAV-98で蓄積してきた現場運用の経験が入っています。カタログには載らない。試験場では取れない。警察が実際に使い、整備し、壊し、直し、また使った結果として育った動作パターンです」
専務の一人が呟く。
「それを、ASURAに移植できると?」
森川が答える。
「完全移植ではありません。機体構造が違いますから。ただし、動作思想、補正ロジック、復帰パターン、制圧動作への対応は抽出できます」
磯口が続ける。
「特に二二一号機の転倒復帰と重心補正、二二二号機の射撃姿勢への移行は価値があります。警察機として現場で揉まれた動きです。ASURAに食わせれば、グリフォンだけでなく、次世代の制御OS全体に応用できます」
内海は、ゆっくりと専務たちを見回した。
「つまりです」
彼は、いつもの薄ら笑いを崩さずに言った。
「このタイプJ-9グリフォンそのものが商品にならなくても、これを動かしているOSと、入手したイングラムの起動データ解析による動作パターンは金脈です」
会議室の空気が変わった。
先ほどまでの怒りと警戒に、別の色が混ざる。
計算する目。
値踏みする沈黙。
内海は続ける。
「警備用レイバー向けの高性能姿勢制御」
画面に項目が並ぶ。
「軍用レイバー向けの対人型レイバー格闘補正」
次の項目。
「災害救助レイバー向けの不整地転倒復帰支援」
次の項目。
「警察・警備会社向けの捕縛回避、あるいは捕縛支援モジュール」
また次。
「海外市場向けの高機動制御OSパッケージ」
専務の一人が腕を組んだ。
「グリフォンを売るのではなく、ASURAを売る」
「はい」
「グリフォンは広告塔か」
「実証機です」
内海は涼しい顔で言った。
「篠原重工のイングラムを一撃で倒した黒い実証機。その映像だけでも宣伝効果は抜群でしょう」
「警察に追われる宣伝効果だ」
「それも含めて、印象には残ります」
「君は本当に、手段のためには目的を選ばないな」
内海は笑った。
「お褒めにあずかり光栄です」
「褒めていない」
「失礼しました」
少しも反省していない声だった。
黒崎は、内海の後ろで黙って立っている。
表情は動かない。
だが、会議室の空気が内海に傾き始めていることは分かっていた。
専務が問う。
「リスクは?」
「警察、篠原重工、展示会関係者からの追及。起動ディスクの件が表に出れば、情報窃取の問題も出ます。グリフォン本体の所在が掴まれれば、計画全体が危うくなる」
「ずいぶん正直だな」
「隠しても仕方ありません」
「そのうえで、進める価値があると?」
「あります」
内海は即答した。
「篠原重工は今、AV計画の見直しを迫られているはずです。エコノミーの売り込みは止まる。腰椎ユニットの防護、姿勢制御の冗長化、対レイバー格闘の検討。必ずそこへ向かう」
「その間に、我々はASURAを商品化する?」
「ええ。篠原が機体構造を直している間に、こちらは制御系を売る。相手が機体で悩んでいる時に、こちらは“動き”を売るんです」
技術担当役員が、画面を見ながら言った。
「だが、ASURAがグリフォン専用に近すぎるなら商品化は難しい」
森川が即座に答える。
「だからこそ、イングラムのデータが必要です。グリフォンのような極端な機体だけでなく、標準的な警察機の動作パターンを取り込めば、ASURAの汎用性を高められる」
磯口も頷いた。
「グリフォンは頂点の実証機。イングラムのデータは現場運用の基準値。この二つが揃ったのは大きい」
専務たちは黙った。
怒りは消えていない。
だが、金の匂いはしていた。
内海は、それをよく分かっていた。
「もちろん、表向きは慎重に進めます」
「表向きは?」
「グリフォンの件とは切り離す。ASURAはあくまで次世代レイバー制御OSとして、段階的に発表する。用途は警備、災害救助、産業用高機動制御。軍用や対レイバー戦闘は、必要な相手にだけ別口で」
「君に任せると、また余計なことをしそうだ」
「余計なことではありません」
内海は、にこにこと笑った。
「必要な遊びです」
会議室が一瞬、冷えた。
専務が目を細める。
「遊び?」
「ええ」
内海は悪びれない。
「商売は商売で進めます。ASURAは売れる。イングラムの動作パターンも解析する。グリフォンの映像は、使い方を間違えなければ強力な材料になる」
彼はそこで、少しだけ声を柔らかくした。
「ですが、グリフォンはまだ完成していません」
「二機を瞬殺しておいて?」
「ええ。まだ本命と戦っていない」
「本命?」
内海の笑みが、深くなる。
「特車二課一号機。二二一号機。泉野明の乗るイングラムです」
専務たちは、呆れたように内海を見た。
「君はまだ続ける気か」
「もちろん」
「商売としては、もう十分な材料がある」
「それはそれです」
「それはそれ?」
「はい」
内海は、朗らかに言った。
「大人の商売は進めます。会社には利益を出します。専務方にもご納得いただける資料を揃えます」
そして、ほんの少しだけ目を細める。
「でも、せっかく作ったグリフォンを、二号機と量産試作機だけで終わらせるのは可哀想でしょう?」
誰もすぐには答えなかった。
黒崎だけが、わずかに息を吐いた。
専務は、長い沈黙の末に言った。
「内海君」
「はい」
「君の遊びで会社が潰れるようなことは許さん」
「心得ています」
「本当かね」
「もちろんです」
信用できない返事だった。
だが、完全に止めるには、目の前のデータがあまりにも魅力的だった。
専務は、端末に映るASURAの解析画面を見た。
グリフォンの映像。
イングラムの起動データ。
黒い機体が白い警察機を一撃で沈める衝撃。
それらは危険物だった。
だが同時に、確かに金脈でもあった。
「……ASURAの商品化計画を出せ」
内海の笑みが、少しだけ深くなった。
「はい」
「グリフォン本体の扱いは、こちらの承認なしに表へ出すな」
「承知しました」
「警察と篠原重工への露見リスクは、黒崎君と詰めろ」
「はい」
「それから」
専務は、内海を睨んだ。
「遊びは、会社の利益を食い潰さない範囲でやれ」
内海は、実に楽しそうに一礼した。
「善処します」
会議室の誰も、その言葉を信用しなかった。
だが、その場で計画が止まることもなかった。
壁面モニターには、黒いレイバーが映っている。
タイプJ-9、グリフォン。
商品にならない怪物。
だが、その怪物が生んだOSとデータは、確かにシャフトにとって新しい金脈だった。