/*/ 企画七課 深夜 /*/
モニターには、イングラム一号機の動作解析データが流れていた。
歩行。
制動。
転倒復帰。
腕部の戻し。
足裏の粘り。
警察機らしい捕縛動作。
そのどれもが、バドにとっては宝の山だった。
けれど、その夜のバドは、画面を見ながら別のことを考えていた。
「なぁ、内海さん」
「何かな」
内海は、いつものようにソファに腰掛けていた。
片手には紙コップのコーヒー。
顔には、いつもの薄ら笑い。
バドは、モニターから目を離さないまま言った。
「狡兎死して走狗烹らる、って言葉あるやん」
内海の笑みが、ほんの少し深くなった。
「へえ。難しい言葉を知っているね」
「ゲームでも歴史ものやったら出てくるで」
「なるほど」
内海は楽しそうにコーヒーを揺らした。
「で、それがどうしたのかな」
バドは、ようやく内海を見た。
「アルフォンス倒したら、僕どうなるんや?」
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わった。
黒崎は壁際に立っていた。
表情は動かない。
だが、その視線だけがバドへ向いた。
内海は笑っている。
「どうなる、とは?」
「グリフォンでアルフォンス倒す。ASURAは完成する。イングラムの起動データも解析する。東京レイバーショウの映像もある。商売の材料は揃う」
バドは指を折って数えた。
「そしたら、僕は何になるん?」
内海は答えない。
バドは続けた。
「最初はええよ。僕は小さい。珍しい。ゲーム上手い。グリフォン乗れる。内海さんの玩具として面白い」
「玩具とはひどいなあ」
「ちゃうん?」
「友達のつもりだけどね」
「友達でも玩具にするやん、内海さん」
内海は、否定しなかった。
バドも、それを責める顔はしなかった。
もう分かっている。
内海は優しい。
面倒見も良い。
一緒に遊んでくれる。
けれど、善人ではない。
好きなものを好きなように扱う人間だ。
バドは小さく息を吐いた。
「徳永専務にASURAと一緒に売るなら売るでええで」
黒崎の眉が、わずかに動いた。
「バド」
「ええやん。考えとかなあかんやろ」
バドは肩をすくめた。
「あの人は、黒崎さんより甘そうや。商売になるなら残す。利益が出るなら守る。そういうタイプに見える」
内海がくすくす笑う。
「随分と先のことを考えるようになったね」
「負け方、勝ち方を考えとったらな」
バドは、自分の膝を抱えた。
「じゃあ勝った後どうする、って頭ん中に浮かんで来たんや」
グリフォンで勝つ。
アルフォンスを倒す。
原作通りではなく、自分の手で結末を変える。
それだけを考えていた。
でも、勝ったら終わりではない。
現実は、ゲームのエンディングで止まらない。
勝った後にも、会社がある。
警察がある。
専務たちがいる。
ASURAの商品化がある。
そして、用済みになったパイロットがいる。
「今は小さいから可愛がられとるけど」
バドは自分の手を見た。
子供の手。
まだ小さい。
でも、ずっとこのままではない。
「何年かしたら、大きくなってまう」
内海は、黙って聞いていた。
「大きくなったら、今みたいに可愛がられるか分からん。グリフォンに乗る必要もなくなるかもしれん。ASURAがもっと賢くなって、僕の操作ログも全部食べたら、僕いらんやん」
「いらない?」
「いらんやろ」
バドの声は、拗ねているようで、妙に冷めていた。
「人買いに買われた子供なんて、会社からしたら書類に載せられへん不良在庫や。表に出せへん。警察に捕まったら面倒。無国籍の子供。身元も汚い。使い終わったら、捨てる理由はいくらでもある」
黒崎が低く言った。
「誰に教わりました」
「誰にも」
バドは答えた。
「ちょっと考えたら分かるやん」
沈黙。
内海は、ゆっくりとコーヒーを机に置いた。
「バド」
「何?」
「君は本当に、賢くなったね」
「褒めとる?」
「もちろん」
「信用あらへん」
「ひどいなあ」
内海は立ち上がり、バドの隣に来た。
モニターには、イングラム一号機の復帰動作が映っている。
転びかけた白い機体が、片膝をつき、腕を使い、重心を戻す。
倒れても立ち上がる動き。
バドはそれを見ながら、内海の答えを待った。
「その時はね」
内海が言った。
「ASURAが小さくなっているよ」
「小さく?」
「そう。今はグリフォンみたいな怪物を動かすために、大がかりなシステムが要る。でも、技術は小さくなる。速くなる。安くなる。いずれ、もっと小さな機体にも積めるようになる」
内海は楽しそうに指を広げた。
「警備用レイバー。災害救助用レイバー。軍用レイバー。あるいは、もっと小さな無人機。自律機械。玩具みたいなものから、本物の兵器まで」
バドは眉を寄せた。
「玩具」
「うん」
内海は、子供のように笑った。
「そして、新しい玩具を作って遊ぶのさ」
バドはしばらく内海を見ていた。
それから、少しだけ呆れた顔をした。
「……内海さん、答えになっとらんで」
「そうかな」
「僕がどうなるか聞いとるんや」
「だから答えているじゃないか」
内海は屈んで、バドと目線を合わせた。
「君は、新しい玩具で遊ぶんだよ」
「僕も?」
「もちろん」
「廃棄されへん?」
「君が遊べる限りはね」
黒崎の視線が、わずかに鋭くなった。
バドは、その言葉の危うさを聞き逃さなかった。
遊べる限り。
面白い限り。
役に立つ限り。
内海の答えは、優しいようで、何一つ保証していない。
でも、嘘でもなかった。
バドは口を尖らせた。
「つまり、ずっと面白い奴でおれってことやん」
「そうとも言える」
「やっぱり廃棄対策いるやん」
内海は笑った。
「用心深いねえ」
「勝った後に処分されたら、ゲームクリア後のバッドエンドや」
「それは困るね」
「困るんや。せやから、徳永専務にも取り入る。森川さんと磯口さんにも恩売る。黒崎さんにも見捨てられんようにする」
黒崎が静かに言った。
「私は内海さんの判断に従います」
「知っとる。せやから、内海さんが僕を捨てる気にならんようにする」
「直接的ですね」
「子供やからな」
バドは、にっと笑った。
内海は、心底愉快そうに笑った。
「いいねえ。生存戦略だ」
「ゲームでも長期ルートは大事や」
「では、まず何をする?」
バドはモニターを指差した。
「アルフォンスに勝つ」
「その後は?」
「ASURAの商品化に噛む。僕の操作ログがないと性能上がらんって状態を作る。新しい玩具のテストパイロット枠も取る」
「素晴らしい」
「あと、戸籍か身分も欲しい」
内海の笑みが、一瞬だけ止まった。
黒崎もバドを見た。
バドは真顔だった。
「遊び続けるにも、名前と居場所が要るやろ」
内海は少し黙った。
それから、いつもの顔に戻る。
「黒崎君」
「はい」
「検討しておいて」
「……承知しました」
バドは目を瞬かせた。
「え、ほんまに?」
「うん。君がこれからも遊ぶなら、必要だろう?」
内海は、軽い調子でそう言った。
まるで新しいゲーム機を買う約束でもしたように。
バドは、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
この人は危ない。
絶対に信用しきってはいけない。
でも、こういうところがあるから、嫌いになれない。
「内海さん」
「何かな」
「僕、アルフォンス倒しても、まだまだ遊ぶで」
「うん」
「簡単に飽きたらあかんで」
「努力するよ」
「信用ならへん」
「ひどいなあ」
モニターの中で、イングラム一号機が立ち上がる。
倒れても、また立つ。
バドはそれを見つめた。
勝つこと。
負けないこと。
勝った後に捨てられないこと。
全部、攻略対象だ。
「狡兎死して走狗烹らる、や」
バドは小さく呟いた。
「せやから僕は、兎も狩るし、鍋にも入らん」
内海が吹き出した。
「いいねえ、バド。実にいい」
黒崎は何も言わなかった。
ただ、バドを見る目が、ほんの少しだけ変わっていた。
操縦の天才。
ゲーム好きの子供。
内海の秘蔵っ子。
それだけではない。
この少年は、自分が使い捨てにされる可能性を理解した。
そして、それを避けるために、さらに勝とうとしている。
バドは笑った。
まだ小さな子供の顔で。
けれど、その目はもう、ゲーム画面の先を見ていた。