テーブルの上に開いた教科書からノートに数式を書き写し、省略しても問題ないと判断した場所以外は途中式も書いて解いていく。
なんてことのない反復作業。
課題として提示された部分がその単元の基礎の部分だったこともあり、この調子なら三十分とかからずに終わる。
「……」
俺の通ってる私立まことみらい学園は、設備点検やら諸々の理由で高等部だけ今日は早帰り。おかげで、中等部に通うみくるとあんなはまだ帰ってきておらず、基本的にあんなと一緒にいるポチタンもまだいない。課題を片付けるには打って付けの静かな環境なのだが……
─────残り数問、というところでペンを走らせる手を止める。
「…………どうしたもんかな」
漏れ出た言葉は、もちろんあんなに関してのもの。
問題を解いている間も、ずっとあんなにどう向き合うべきかという考えが止まらなかった。
あんなのことで悩んでは、その度にすぐ煮詰まる。
ここ最近は、ずっとそんな調子なので他のことに手を付けてもロクに集中できない。
幸いなのは、あれ以降あんなからの過剰な接触はないことだけど、それも嵐の前の静けさを感じさせるもので心穏やかに過ごせているとは言い難い。
「……やーめた。休憩しよ」
気分転換もかねて棚に収納されたティーポットと紅茶を取り出す。みくるによると、『名探偵である以上、コーヒーと紅茶は必ず欠かせない』とのことで、この事務所には緑茶もコーヒーも揃えられている。
今日はなんとなく紅茶の気分。
本当なら事務所の裏手にある自室でのんびりとしたいところだけど、今は事務所の留守を預かる身でもあるので勝手に奥に引っ込む訳にはいかない。
俺のこの事務所での立ち位置は、なんとも微妙なもの。
メンバーにカウントされてはいるが、やることは基本的に事務作業を手伝うか依頼人が来たときのお茶出しのみ。依頼に関することは、迷子のペット探しのような人手が少しでも多く必要になるようなもの以外は基本的にノータッチ。それも、プリキュアでもないのにこの事務所に住まわせてもらっているので何かやろうと思ってもやれることがそれくらいしかなかったというだけだ。
「ただいまー…あれ、ほたるさんだけ?」
「おかえり、みくる。ジェット先輩は発明に使う材料の買い出し。そっちこそ、あんなは?」
お湯が沸くのを待っていると、あんなの相棒でもある小林みくるが帰ってきて台所に顔を出しにきた。
あんなとみくるは、二人とも同じクラスで帰る場所も同じであることから、二人揃って帰ってくることが多いらしいけど珍しいことに今日はみくる一人だった。…まあ、高等部の俺の方が基本的に帰るのは遅いので本人たちとジェット先輩から聞いた話でしかないのだが。
ここだけの話、この事務所にインスタントではない紅茶とコーヒーが常備されるようになったのもみくるがきっかけ。『名探偵なら紅茶かコーヒーのどちらかは絶対欠かせません!』とはみくるの談。
「どうしても個人的な買い物がしたいらしくて……先に帰ってていいよって」
「そっか…………みくるも飲む?帰りに買ってきたミルフィーユもあるけど」
「あっ!いただきます!」
人懐っこいところもそうだが、変なところで鋭かったり……みくるのそういうところは、あんなにとてもよく似ている。
─────だからこそ、みくるがどんなことを考えてるのかもある程度はわかってしまう。
もちろん、あんなに対してのものと比べたらそこまで細かく読み取れるわけではないが。
「なにかあった?」
「…分かります?」
「なんか悩んでるな〜、くらいには」
みくるがおもむろに顔を伏せてティーカップを置いた。
顔を上げて、こちらをじっと見つめるみくるの顔を見て、ようやく彼女が何に悩んでいるのかが分かった。
「実は…わたし、ちゃんとあんなの相棒としてやれてるのかなって……この前の依頼でもそんなことばっかり考えてたらあんなに迷惑かけちゃって」
後ろ向きなことばっか考えて、それが行動にも影響を及ぼしてしまって…そんな自分が嫌になったときの顔。俺も先日からあんなのことを考えては味わっている…。
─────つまるところ、自己嫌悪だ。
「あんなとほたるさんのことを未来に返すなんて言っておきながら…ほたるさんに頼ってばっかで……あんなだって、わたしよりもほたるさんの方が─────」
「ストップ」
言葉というのは存外バカにできない。下手に口に出してしまうと、本人の意思やモチベーションにも影響を与えて実際にそうなってしまいかねないから。
とりあえず、みくるの言いたいことは大体分かった。その上で個人的な意見を言わせてもらうと…
「あんなはみくるのことかなり信頼してると思うけど」
「………そう、ですか?」
最近はちょっと不安定だが、それでも十年近く一緒に過ごしてきた相手だ。あんなの根っこの部分が変わっていないことと、みくるに対しての普段の様子を見ていれば心を許していることも分かる。あんなは、戦闘においても探偵としても、相棒としてみくるのことを頼っている?
「名探偵プリキュアの二人のうち一人…キュアミスティックはみくるで、あんなの探偵としての相棒もみくる。これに関してはあんなも同じ風に考えてるはずだよ」
「でも……あんなは……」
「『あんなはみくるよりも俺を頼ってる』って?………それは、ちょっと違うかな。俺が頼られてるのはあくまでも未来に関してだけだし。事件に関係することならみくるの方が頼られてるよ」
生活に関しては…みくるもあんなも割とどっこいどっこいなので、同居人で家事も一通りできる俺にお鉢が回ってくるのは仕方ない。
これ以外で、あんなからみくるに対しての隠し事は(主に恋愛的な面で)あるにはあるけど、アレに関してはあんなと俺との個人的なやり取りであって、みくるに話してないからといってみくるのことを頼っていないというわけではない。
「それと…名探偵プリキュアはみくるの夢でもあったんでしょ?それなら、夢を叶えた自分のことを否定するのはやめた方がいい」
「……はい!」
みくるの顔は、この話を切り出したときから見せていたものから、普段からよく見せている自信に溢れたものへと戻っていた。
俺は俺から見たことを言っただけなので、みくるが吹っ切れたのはみくる自身の芯の強さによるものだ。とりあえず、もうしばらくはこうしてお茶でも飲んでのんびりしていよう。……やっぱり、こういう所もみくるはあんなとよく似ている。
事が起きたのは、その日の夜のことだった。
自室の机で、残った課題を片付ける。強いて言うならば、ベッドの上に風呂上がりのあんなが寝転がっているという事実が集中を乱してくるが、このくらいなら勉強の邪魔にはならないし問題ない。
「……ねぇ、みくるとどんな話ししてたの?」
課題が終わるタイミングを見計らっていたのか、ノートと教科書を閉じたタイミングでベッドのある方向から声が聞こえた。
「どんなって言われても…大したことない話だよ」
「嘘」
パタパタと振っていた脚を落ち着かせ、ジェット先輩お手製の充電器を繋いだスマホでアルバムを眺めていたあんなが、顔だけをこちらに向けている。
翡翠色の瞳がこちらをじっと見つめてくる。
嘘は通じないし、できれば誤魔化すこともしたくないが…それはそれこれはこれ。
いくらあんな関連のことだとはいえ、みくるがああしてあんなに隠していた以上、勝手に言うわけにはいかない。
「ごめん……言いたくない。みくるのプライバシーにも関わるから」
「……ふふっ、いいよ。ほたるくんならそう言うと思った」
その答えがちょっと意外で毒気を抜かれた感覚に陥った。てっきり『隠し事は無し』みたいなことを言ってくるのものだと思っていたのだけど…。
あんなの返答に意識を割きすぎていたのが命取り。あんなにとって、俺のそんな状態など隙でしかなかったのだろう。
「でも、覚えておいてね」
まるで登下校をしているときかのように、ごく自然な動作で近付いてきたあんなは、自分の前で無防備な姿を晒したことを咎めるように俺の首筋に唇を押し付けた。数瞬遅れて、針で刺されたような痛みが僅かにだが走った。
突然のことに、思考が止まる。
「ほたるくんはわたしのものだから」
「……」
首筋から口を離したあんなは、それだけ言い残して自分の部屋へと戻って行った。
「…っ!」
ようやく正気を取り戻し、とりあえず近くにあったスマホで首筋を確認してみれば、そこにあったのはあんなの持ち物であることを証明するかのような
文代ほたる
キュアット探偵事務所の家事全般担当兼事務員兼メンケア担当。一人でいる時以外は、基本的になにかしらの作業をしてるため探偵事務所内をあっちに行ったりこっちに来たりしてる。
プリキュアの世界じゃ滅多に起きないけど殺人事件とかガチで現場を見せられないタイプの事件が起きたらあんなとみくるは意地でも待機させて自分一人でなんとかしようとする。
明智あんな
みくるのことは相棒としてきちんと信頼してる。それはそれとして幼馴染に対しての独占欲はあるので場合によっては嫉妬する。相棒だけが娶られるのは許せないけど自分ごとまとめてならまだセーフだとは思ってる。
自分から手を出すよりも向こうから手を出させた方が効果的なので今はまだ待ちの場面。
小林みくる
脳破壊されてる途中。
悪しからずは思ってる。