囚人No.13 安心院なじみ 作:囚人
──酷く暗くて、酷く黒い。
捨て去り、置き去り、忘れ去った過去が。
僕の心を掴んで離さず、逃がさない。
澱みに澱んだまどろみに包まれた僕には、何一つだって見えやしないし、言葉の一つも吐けやしない。ただ、狂乱に取り憑かれた幾億千万の声に包まれ、待つことだけしか出来やしない。
死ぬことは怖くない。
既に三度も死んだ身だから。
だから、待つ。
ただひたすらに待つ。
どうせ僕は、今度もまた──起き上がるに決まっているのだから。
何事もなかったかのように。
何事も
そう信じて、今となっては泣き別れてしまった首を伸ばして馬鹿みたいに待つ。耐え難い苦痛も抱えきれない苦悩も、僕にとっては
辛酸も苦渋も甘んじて受け入れてきた。
だってそれは、どちらでも同じことだから。
僕はそれを知っているから、ただひたすらに待つ。
そうしていれば、いつの日か。
僕の手を掴んでくれる奴が、現れるはずだから。
たった今、そうされているように。
地獄の門が開き、差し出されている手のように。
『──@#&#/!@&!?#@_&!』
……ああ、でも。
いつだったか、遠い昔。
僕の手を掴んでくれた奴が、いた気がするんだけど。
それも今となっては、過去のことだから。
他でもない、僕の犯した罪だから。
僕に科された、科されてしまった。
耐え難い禊を。
──だから、僕は。
眼前に差し出されたその手を掴み返した。
⬛︎ ⬛︎
「……お、やっと起きましたね、
……知らない天井だ、と。そんな風に使い古された導入に甘んじようかと思ったのだけれど、しかし生憎なことに、僕の視界に映る天井にも、僕の様子を見ていたらしい船乗りちゃんにも見覚えしかなかった。
どうやら僕は無様に死に様を晒した後、何者かの手によってメフィストフェレス車内に運ばれたらしい。ついでと言った感じで、
起き上がり首筋に手を当てると、やはり元通りにくっついている。つぎはぎにされたり、修復されたというよりかは……、
さて。今はそんなことよりも、現状を把握しなきゃいけねーだろうぜ。気になることは山ほどあるし。
「無様を晒したはずの僕を
「ああ……、まあ端的に言えば、あの後私たちは呆気なく全滅したんですよ。もう少し戦えると思ったんですけどね──そしたら、その。あの時計頭の管理人さんのおかげで、私たち全員生き返ったみたいで。正直なところ、私もいまいち現状を把握できてないんですよ」
「ふぅん。なるほどなるほど、
未だ混乱した様子で、辿々しく現状を説明してくれた船乗りちゃんに対し、僕は返答になっていない返答を寄越すことにした。向こうからすれば僕の言っていることは、まるっきり意味不明だろうよ。
と、そんな感じで一息ついたところで。
僕がバスの車内を見渡すと、どうやら乗組員が一人増えているらしいことに気がついた。赤いスーツがやたらと似合っている、時計頭くんが。
先ほどの船乗りちゃんとの会話を踏まえれば、彼がどうやら“管理人”と呼称されるべき存在であるらしいことは推察できる。話の流れから踏まえても、僕たち囚人のことを管理してくれるのだろう。
それならば、いち囚人として挨拶の一つでもしておかなければなるまいよ。そういった意気込みのもと、僕は「
突如として僕の鼓膜に、
「おお! ようやく目を覚ましたのだな、これで一安心である!! いやぁ、この旅はまだ幕が切って落とされたばかりだというのに、なかなか目を覚さないものだから、早々から一人の
「……そりゃあ、どうも。随分なご心配をおかけしたみたいで……」
あまりの勢いにたじろぎ、思わず敬語になってしまう僕。昔の僕がどんな人間(人外だけど)だったかを考えると、到底あり得ない立ち振る舞いだった。
僕に途轍もなく馬鹿でかい声量で話しかけつつ、勝手に手を握りぶんぶんと振り回してくる、黄色い髪のちびっこ──つっても僕より上背があるけれど──は、身に纏うスーツにありとあらゆるグッズ(恐らくは何らかの組織のバッジ)を貼っ付けて装飾していた。
足元を見れば、そこには運動靴。
スーツに運動靴って。怪しさ満点だぜ。
僕の手を握っていない方の手を見てみれば、巨大な槍。銘なのかは分からないが、そこには「
「それにしても──そなたは勇敢であったな! うんうん、どうやら私の目に! 狂いは! なかったようである!」
「……えっと。なん、だろうな……。まあ、勇敢だけが僕の取り柄だからね。生きがいっつーか、生き様なんだ。危険に陥っている奴を見ると、助けずにはいられないっつーか、他人のためにしか動けないというか……」
……もちろんのことながら、全部が全部嘘だった。
でも、とりあえず適当に話を合わせておかないと、この子は一生この調子だろうよ。
と、そう思って話を合わせたのが失敗だった。
「うん、うん!! これ以上ない心がけであるな、まるで伝説の“フィクサー”、『赤い霧』のような性質ではないか! もちろん? 赤い霧には遠く及ばないとは思うの──と、い、う、か! もしやそなた、それこそフィクサーなのではないか!? うん!?」
より勢いを増すとは思っていなかった。
だいぶ適当に話を合わせたから、ちゃんと人の話を聞いているのならば「ああ、この人は自分との話を切り上げたいんだな」って分かるはずだと思ったんだがよ。
それにしても、フィクサーねえ。
僕はその言葉の意味をまったくと言っていいほど存じ上げていないけれど、しかし言葉の響きから何となく察することは出来そうだぜ。
僕に向けて言ってんだから、黒幕って意味の方だろう。
「……僕はほら、この都市に来てからまだ日が浅いから、そのフィクサーという職にも精通していなくてね。ただまあ、僕向きの立場であるとは思っているよ。人を助けといて何を言ってるんだっつー話ではあるがよ」
「なぁにを言うか! そなたのような正義の志を持つ者がフィクサーになってはいけないなどと、そんな馬鹿な話があるはずもない!」
思いっきり間違えちまったらしい。
フィクサーって、普通に問題解決屋のことかよ。
「ふっふっふ……、しかしそなたは本当にフィクサーについてまったく知らないようであるな! であれば、当人がフィクサーの何たるかを語って教えてしんぜよう!! いやぁ、私はとっっっっっっても感激しているのだぞ! 今までこんな風にフィクサーについての談義を交わすことができる者など出会ったことがなかったが故に、色々なことを持て余しておったのだ!」
「ああ、うん。何となくそれは分かったよ。気の毒だね」
「うむ、うむ! 分かってくれるのだな、我が友よ!! それではそうだな、まずフィクサーという者どもの成り立ちについて語らせていただくとしよう! そもそもの始まりは──」
「ああ、うん」
「──大きな戦争や、様々な場所での諍いが発生した時も──」
「ああ、うん」
「──絶対絶命かと思われたその時! 颯爽と駆けつけた1級フィクサーであるマキシミンが──」
「ふあぁ……。ああ、うん」
「──だあぁぁぁあがしかぁぁぁぁし!!!! それらをいっぺんに相手取って命を落としたと思われていたはずの──」
まずい、嫌味が通じないタイプだぞ、こいつ。
つーか、どうして分かんねーんだよ。分かってくれたまえよ。僕はわざとらしく姿勢を崩して流れゆく窓の外の景色を眺めながら、抑揚のない口調と声音で生返事を返しつつ、髪をくるくると人差し指で弄んで、あくびを噛み殺しているっつーのにさ。
生返事か? 生返事とはいえ、一応は返事を律儀に返しているから駄目なのか? だからどんどん語りに熱が入ってしまっているのか? こういうタイプは僕が一番苦手とするタイプなんだけどなあ。
……ただ、邪険にするのも何か違う気がする。
つーか、こいつを邪険にして無視した結果、僕の追い求めた
だから僕は、流石に本腰を入れてフィクサーオタクちゃんの話を聞くことにした。絶対に根を上げさせてやるぜ、オタクの底力を見せてみろよ。
「はぁ……。ドンキホーテ、そこまでにしておけ。俺がまだ理性を保っていられる内に大声を出すのはやめてくれないか? それに、まだお前たちにはやるべきことが残っているだろう」
「──なっ、う……、むぅ。ここからが面白くなってくるところだというのに……」
「
ヴェルギリウスくんの話によれば。どうやらフィクサーオタクちゃんの名前は、ドンキホーテというらしかった。彼女を黙らせる時は、適当に話をぶった斬ってもいいらしい。いい学びを得たね。
僕がそんなどうでもいい知識を得つつ、元の座席(ヒースクリフくんの隣だ)に戻ったところで、ヴェルギリウスくんはバス車内を一通り見回したあと、わざとらしくため息をついてから、こんなことを口にした。
「はぁ……。ようやく
義務でやっていますよと言わんばかりの態度を隠そうともしないまま、ヴェルギリウスくんは顎で一番前の男──眼鏡をかけていて、右腕が
「どうしてこういうのはいつも前からなんだ……。まあ、いいさ。聞きたいことは山ほどあるが、今は軽い挨拶だけに留めとくよ。俺はグレゴールっていうんだ。よろしくな、管理人の旦那」
〈管理、人……?〉
「ん? ああ、あのヴェルギリウスって人とかがそう呼んでたけど……、違うのか?」
〈ああ、いや……。頭がこんな時計になったせいで、記憶が曖昧になってるみたいだ〉
……へえ?
あの時計頭くん、ダンテというのか──それより。何故か彼の言葉が
ファウストちゃんは初めから彼の言葉を理解していたようだけれど……。まあ今は気にしなくてもいいだろう。そういうものとして捉えておけばいい。
さて。続いて自己紹介のため前に出たのは、長身の女だった。その左手には斧を持っていて、「
「ちょっとグレッグ〜、この先私たちに物凄いお金をもたらす人に『旦那』って何なの! せっかくなんだから、名前で呼ばないとね?」
「ぐ、グレッグ? あだ名か……?」
〈それに、急にお金の話……?〉
「まあまあ、いいじゃないそんな話は! 旦那じゃなくてダンテって呼ぶから、あなたも私をロージャって呼んで〜。ふ、ふふふ。きっとこれから私たちにお金がジャラジャラと──」
……ロージャちゃんはお金が大好きでたまらないらしい。いわゆる守銭奴って奴なのかも──いや。どっちかというと浪費家だろうね。
人懐っこそうだからといって仲良くなってしまうと、僕に入る(かもしれない)給金を無心してくるかもしれねーし。少しだけ警戒しておくとするかな。
そんなロージャちゃんだったが、しばらくすると「あちゃあ、私ってば。はい! 次はあなたの番よ!」と言いつつ、金に目を眩ませるのをやめて現実を見ることにしたようだった。
続いて前に立つのは、金色のショートヘアで、かつ気弱そうな男。いかにも育ちの良さを匂わせる雰囲気だね。ロージャちゃんとは違って、携えているのは両手斧。やはり文字が刻まれており、そこには「
「……こ、こんにちは」
「ちょっと、つまんない〜。それだけじゃないでしょ、ほら!」
「あ、ああ……。えっと、シンクレアといいます。その、会社勤めは初めてなので──他に何か、言った方がいいこととかありますか?」
〈まあ、これから先長いしね。旅の途中で知れたらいいな〉
「ひゅう、いいこと言うじゃん、ダンテ? んー、それじゃあ次はそこの不思議くんにバトンタッチしよっか!」
もしかしたら人見知りなのかもしれないシンクレアくんに代わって、ロージャちゃんが再び話を振る。彼女の視線の先には、少なくとも僕の前では一言も発していない、虚ろな目をしていて、かつ大人しそうな男がいた。
この男もやはり、例に漏れず武器を有しているが──その短剣はカバーに収められていて、それ以上のことを推察することは出来なかった。ただ、武器としてはやや心許ない感じもするんだがね。
「……イサンという」
〈……えっと。それで終わり?〉
「うむ。
どうやらイサンくんは冗談がお好きらしい──と、断言するのはまだ早い気もするけれど、しかしなかなかどうして愉快な奴じゃねーか。是非とも仲良くしてみたいところだぜ。
と。そう思っていたのは、もしかしたら既に奇人変人に対する耐性が付いている僕だけなのかもしれなかった。現にたった今立ち上がった船乗りちゃんは、呆れたような態度を隠そうともしていない。
いやしかし、よくよく見てみると彼女もまた物騒な出立ちだねぇ。右手にメイス、左手には盾を装備していて、盾の方にはやはりノルマのように「
「はぁ。愛想がなさすぎませんか? 社会生活の第一歩はまず挨拶からだと言うのに……。まあ、いいです。私のことを、イシュメールと呼んでください」
〈どうも、イシュメール。そう呼ばせてもらうよ〉
「おかげさまでバラバラになった身体が元に戻ったと聞きました。これからもご迷惑をおかけすることになるでしょうが、よろしくお願いします」
イシュメールちゃんはそう言うと、頭をぺこりと下げてからそそくさと席に戻ってしまった。なんつーか、自分の言いたいことだけささっと言って帰ったような印象を受けるね。
愛想だなんだと言っている割には。
本人にもそこまで愛想がない。
そんな分析を脳内で繰り広げていたところで、突如として僕の身体を押し除けるようにして、ヒースクリフくんが挨拶へと向かっていった。僕みたいな美少女に対する態度じゃねーと思うぜ、それ。
さて。彼もまた自身の獲物である金属バットを携えているわけだが。そこにはこれ以上なくはっきりと「
「申し訳ねえな、オレは社会生活ってやつに慣れてなくてよ──ヒースクリフ。ブン殴ってブッ壊すのが専門分野だから、あんたのことも気に食わねえと思った瞬間……。ま、気を付けろってこった」
〈……そうだな。善処するよ〉
「言っとくがオレは、上の立場からあれこれ威張り散らす連中が大っ嫌いなんだよ。その辺り、よろしく頼むぜ」
〈言われなくたって〉
ヒースクリフくん、管理人相手にもグイグイ行くねえ。僕だったらあそこまで高圧的な態度は取らねーはずだぜ、きっとね。
……さて。問題はここからだろうよ。だって、僕の視界に映るドンキホーテちゃんが、自身の出番を今か今かと待ち侘びているのだから──というか、先ほどからずっと微振動を繰り返しているのだから。
そうして、ヒースクリフくんが再び僕を押し退けて席についた瞬間。ついにあの子は限界を迎えたらしく、勢いよく立ち上がった。
武器に刻まれた文字については、先ほど見たので割愛させてもらうぜ。
「遂に私の番が来たか! 私の名はドンキホーテにて
〈……フィクサー? なんだっけ、覚えてたはずなんだけど……〉
「フィクサーについて、であるか! うむ、私が答えてしんぜよう! つまるところフィクサーというのは都市を守護する者たちのことであり──おっと! この都市のこともちゃんと思い出せていないだろう? 都市というのは──」
また始まりやがった。ドンキホーテちゃん、少しは学んだ方がいいと思うぜ。今だって、ほら。ヴェルギリウスくんが物凄い視線を向けてるっつーのに。
……いや、違うな。
あいつ、僕の方を見ていやがる。
はあ、なるほど。最悪だ。
ヴェルギリウスくんの考えていることが、今の僕には手に取るように分かっちまうぜ。そんなこと、分かりたくもねーのによ。
「……
「ああほら、一言一句僕の予想通りじゃないか──ま、いいだろう。乗りかかった船、つーか乗りかかったバスだ。仲間を諌めてやるのだって、僕たち囚人の役目なんだろうよ」
乗りかかった船の辺りでイシュメールちゃんが変な顔をしていたが、それも今は気にするべきではないだろうね。
ともかく。今はダンテくんをあの情報の洪水から救って差し上げなければね。僕の轍を踏ませるわけには行かねーっつーの。そんなことを考えつつ、僕は今度こそ「
「おいおいドンキホーテちゃん、ヴェルギリウスくんの話を聞いていなかったのかい? ここは軽い挨拶を交わす場であって、フィクサーと都市の関連について語り合う場ではないんだぜ」
「おお、音もなくここまで移動するとは! そなたにはやはりフィクサーの──ではなく! 私はまだ語り足りないのだが……、やはり駄目であろうか……?」
「…………しょーがねーな。それじゃあ、僕がまた後で話を聞いてあげるから。今はひとまず席に戻っていてくれたまえよ」
「おおおぉぉぉお!! 約束であるな、約束! むふ、むふふふ……。こんな風に語り合える友を持てるとは、当人はもしや夢を見ているのではあるまいか!?」
そんなことを言いながら、両頬を思いっきりむにぃーっと引っ張るドンキホーテちゃん。微笑ましいっちゃ微笑ましい光景だが、この後僕に訪れることになるだろう言葉の雨霰を考えると、むしろ引き攣った笑いしか出なかった。
「……さて。せっかく前まで出てきたんだ、次は僕が挨拶をさせてもらうとしよう。つっても軽い挨拶だから、語ることも特にねーけど──
〈……今さっき、瞬間移動してなかった?〉
「うん、したねぇ。あれは僕の持つスキルである『
僕がそう説明すると、ダンテくんはこくこくと頷いた。
……というわけで、どうやら僕は
それもこれも、全部ダンテくんと
「ああ、あとそれから、もう一つきみに言っておかなければならないことがあるんだ」
席に戻ろうとしていた僕は、そこで振り向きざまに、ダンテくんへとお決まりの言葉を放った。
「僕のことは親しみを込めて、
これを言わなきゃ、始まらねーよな。