こちらは後編になります
「……よし、とりあえずオッケーかな」
アパートへ戻ったあたしはすぐに調理を開始し、この日のために買い込んだ材料達を存分に使って、ようやく完成に漕ぎ着けた。
真ん中にデン! と存在感のあるにんじんが乗ったハンバーグを筆頭に、サラダやスープといった料理が台所に並ぶ。
ふう……彼が帰ってくるまではちょっと休憩しようかな……。
一仕事終えた安心感からか、両肩にズシリと重たいものが乗っている感覚に襲われる。
作った料理にラップをかけてから、ふらりと居間の方へ足を進めた。そこにはまだ、片付けていないコタツがあるからだ。
「早く片付けないととは思ってるんだけどね……」
いそいそとコタツの中に入りながら、ポツリと言い訳をこぼす。
だってね、寒さもあるけれど、コタツに入るという行為には癒しがあると思うのですよ。布団とは違う包まれる感覚があるといいますか〜……ねぇ?
誰にも聞こえないはずなのに言い訳が次々と出てくるのは、寂しいからなのか。きっとここに彼がいたらこんなこと思わないのかな? ふふ、今日はダイヤちゃんにも会えて嬉しかったはずなのに、あたしって欲張りだな〜……♪
胸に灯った寂しさの火を愛おしく思いながら、コタツのスイッチを入れる。そしてテレビのリモコンに手を伸ばし、電源ボタンをポチりと押した。
色々な映像が流れる画面を、あたしはただ眺める。
早く帰ってこないかな。
コタツの天板に突っ伏して、ただただ見つめ続ける。
早く会いたいな。
胸に宿る寂しさの炎をかき消すように、大好きなヒトに会える嬉しさの炎が覆いかぶさっていた。
「ただいま」
「!」
どのくらいの時間が経ったのだろうか。内容の入ってこないテレビを見続けていた時、遠くで聞こえた声に耳が反応する。
あっ、この声は!
そう思考するより前に体が動いていて、頭が指令を出す頃には、あたしは立ち上がって声の方向へと早足で駆けていた。
早く、早く、早く!
居間から玄関までの距離は1分もかからない。歩いたってすぐだ。
分かっているのに、この気持ちを抑えることなんて出来ないから。
急かされるように足が進んでいく。
あっという間の時間。1分にも満たない距離を進む間も、彼のことばかり考えていた。
こちらに気づいた彼の視線。あたしが近づく度に、その瞳に喜びの感情が満ちていくのがわかった。
「キタサン。今帰ったよ」
「おかえりなさい、旦那さん!」
辿り着いた玄関。彼はこちらに微笑みかけている。
本当はすぐにでも抱きつきたかった。だけどそれは出来なかった。
カバンの他にも何かを持っていて、彼の両手が塞がっていたからだ。
「重たそうですね、持ちますよ!」
両手を広げ、荷物を受け取る準備をする。
だけど彼は首を振りながら靴を脱いだ。
「ありがたいけどごめんね。これは俺に持たせて欲しいんだ」
「そうですか……」
シュンと耳が倒れ、尻尾も弱々しく垂れ下がってしまう。
誕生日だからって気にしなくても良いのに……。
そんなあたしを見て、彼は慌てたように手を振る。
「ああ、違うんだよ。それも……無くはないけど、そうじゃなくてね」
「……?」
「その……この中にあるのは、君の誕生日に関係してるものだから……まだ見られたくないというか……」
少しだけ歯切れを悪くしながら言葉を紡ぐ。
それを聞いて彼を見上げると、旦那さんはほんの少しだけ頬を赤くして、恥ずかしそうに視線を外していた。
……旦那さんもそんな風に恥ずかしがることもあるんだ。ふふ、なんかちょっと嬉しいかも。
珍しいものが見られた喜びからだろうか。無意識に揺れ出す尻尾をそのままに、あたしは微笑む。
「それならあたしが持っちゃ駄目ですよね。楽しみにしてます!」
「……そうしてくれると助かるよ」
言い終わった後、あたしはそのまま背中を向け、ゆっくりと居間へと歩き出す。
彼の赤らんだ顔がなんだか可愛らしくて、緩んだ頬は暫く戻ることはなかった。
◆ ◆ ◆
ふたりで居間に戻った後、彼は袋の中身を冷蔵庫にしまい、すぐにお風呂へ向かった。
『あっ、カバンには触らないでね』
向かう直前、焦った様子で念押しする姿に笑いかけながら見送る。
あたしがうんと幼かったら、そんなこと言われたら気になって見ちゃいますよ?
料理を温め直しながら、コタツの側に置かれているカバンをチラリと見て、もう一度笑ってしまった。
「今上がったよ」
「もう少しで出来ますから、コタツに座って待ってて下さいね」
ガチャリと扉が開く音と同時に、声が聞こえてくる。
近くに置いていたサラダをコタツへ運びながら、彼の姿を見た。
先程まで着ていたスーツとは違い、上下スウェットのオフな姿に変わっている。
ダボッとした格好は外ではあまりしないから、これを見られるのは身内の特権というやつだ。……ちょっと恥ずかしいこと考えちゃってるかな?
小さく頭を振りつつ、サラダをコタツの上に置いた。
「じゃあ、俺も手伝うよ」
そう言ったかと思うと、彼は温めていたにんじんハンバーグを取り出して、コタツの上に持ってきてしまった。
むむ……返事も聞かずに持ってくるなんて。許可を取ろうとしたら、あたしが絶対に断るって分かってるからですよね……。
「ありがとうございます……」
お礼を言い終わった後、あたしはプクリと頬を膨らませる。
まるで不服ですと言うように、彼の方をジト〜と見つめた。
「……ふふ」
旦那さんは微笑みを隠すこともないまま、あたしに近づいてくる。
そのまま真っ直ぐに見つめられ、もう少しで鼻と鼻がくっつきそうなくらいに顔が近づいて。
わ、わわ……このままだとキスしそうな……。ま、まだ早いですよ……ご飯も食べてないのに……。
胸を飛び出しそうなくらいに心臓が強く跳ねる。
もう少し、もう少しで鼻がくっつく。鼻がくっつく前に顔をずらして、そして、唇に……。
準備が出来ていないあたしは、咄嗟に目を閉じてしまう。
「……っ、…………?」
待てども待てども、唇には期待のものは来ず。
代わりに左頬にちょこんと何かが当たるのを感じた。
困惑しつつ目を開け、頬に当たるものの正体を確認する。
「……ビックリさせちゃったかな?」
目の前に映るのは旦那さんの顔。距離はさっきと大きく変わりはない。
視線を左に向ける。見えたのはあたしの頬に向かって伸びている人差し指。差し出し人は旦那さんだった。
……ということはつまり。
「あはは、頬を膨らませていたのが可愛くて……つい……」
あたしの頬から指を離し、今度は彼自身の左頬を掻きながら呟いた。
左右に揺れる視線はまるで振り子のようで、決してあたしとは合わない。
きっと恥ずかしい気持ちでいっぱいなのだろう。イタズラが失敗した時の感覚を味わっているはずなのだから。
「う、うう……」
あたしも同じような気持ちで満たされている。だけど、それは彼とは全然違う理由だ。
だ、だって……キスされると思ったから……。
かぁ~……と頬が熱く燃え上がった。
「ご、ご飯前にそんなことしちゃ駄目ですよ! ほら、早く座って下さい! さあさぁさぁ!」
「き、キタサン? ちょ、押さなくても座る! 座るから!」
誤魔化すように、彼をいつも座っている場所まで押しやっていく。
ウマ娘の力に抵抗することは出来ず、旦那さんはあたしに押されるがままだった。
◆ ◆ ◆
あれから何事も無かったかのように食事を始めたあたし達。
談笑を交えながら食べ進める。いつもと変わらない普通の食卓。
だけどそれでいい。特別じゃなくたっていいんだ。
大切なヒトと一緒に過ごす時間。それが何よりも大切で、愛おしくて、大好きなものなのだから。
美味しそうに食べる彼の姿に視線を向ける。
「……どうかした?」
あたしの視線が気になったのか、旦那さんは食べる手を止めてこちらを見た。
ずっと見つめられたらそうも言いたくなるよね。あたしだって気になる。
「いえ、ただ幸せだなって、そう思っただけです」
「そ、そうか……」
思っていることをそのまま口に出すと、彼は視線をそらし、また慌ただしく食べ始めてしまう。
意外と攻められると弱いんだよね、旦那さん。なんだか悪い気がするけど、いつもはあたしが負けてるんだから、今日くらいはいいよね?
緩む頬を気にせず、彼の方を穴が空きそうなくらい見続ける。
そのせいか食べる速度が上がり、あっという間に平らげてしまった。
「……ごちそうさましちゃいます?」
ああ、もっと見てたかったのにな。
そんな本音を頭の隅に追いやって尋ねる。
「いや、ちょっとだけ待ってて欲しい」
彼はそう言って、冷蔵庫の方へと向かった。
そういえば何かを入れてたっけ。……誕生日で必要なものといえば、やっぱりあれかな?
少女に戻ったような気持ちで心を弾ませながら帰りを待つ。
冷蔵庫まではすぐなので、待つ間もなく彼は戻ってきた。
コタツの上にゆっくりと置かれた箱とフォーク。そして彼の手によって箱が開けられる。
そこにあったのは思った通り、ホールケーキだった。
白いホイップクリームの庭にいちご達がポツポツと置かれている。ケーキといえば真っ先に思い浮かぶオーソドックスなショートケーキ。大きさはあたしの手のひらより少し大きいくらいだろうか。
……あれ、いちごがなんだか不規則に並んでるような?
「……どうかな、美味しそうに見えるかい?」
「えっ?」
彼の言葉を聞き、思わず顔を上げる。
僅かに感じた違和感と、いまの言い方である考えが思い浮かんだ。
このケーキ、もしかして?
「……作ってみたんだ。このケーキ」
考えに辿り着くのと同時に、答えが明かされた。
何で手作りなのか? ……なんて、そんな理由は考えるまでもなくただ一つ。あたしのためだ。
「その……担当してる子達に教わりながらね。はは、教え子に教わるのは少し恥ずかしかったけど」
彼は右頬を人差し指で掻きながら、照れくさそうに続けた。
あたしは何も言えず、ただ真っ直ぐにその姿を見つめることしか出来ない。
「お菓子作りって本当に難しいんだな。中々上手く出来なかったよ」
だって、胸が張り裂けそうなくらいに嬉しいから。
貴方と、貴方が担当している子達の優しさが伝わるから。
包みこまれるような大きな気持ちが、こんなにも小さなケーキに詰まっていると分かったから。
「勿論ちゃんと味見はしてるよ! みんなもこれなら大丈夫って言ってくれたから!」
楽しそうに話す彼を、ずっと見続ける。
あふれ出しそうな気持ちをこらえて、ずっとずっと見続けた。
だからだろうか。
あたしの瞳から一筋の雫がこぼれ落ちてしまったのは。
「だから心配せずに……食べて……キタサン?」
あたしの様子に気づいたのだろう。彼は言葉を止め、心配そうに覗き込んでくる。
ふふ、嬉しくて流れる涙って、なんでこんなにも胸が熱くなるんだろう。飛び跳ねるくらい胸がいっぱいになるからかな?
とはいえ、このままだとあまり格好は良くない。
あたしは右腕で顔をゴシゴシと拭き、すべての雫を拭い去った。
「えへへ、胸がいっぱいになっちゃって、つい」
あふれんばかりの気持ちをそのまま伝える。
話している間も口角が上がってしまい、なんだか凄く不格好に思える。
「食べてもいいですか?」
「あ、ああ。勿論」
あたしの涙はよほど衝撃的だったのか、彼は未だに驚きから抜け出せていないようだった。
それならばこのケーキを食べて、美味しいって言って喜んでもらわないとね。
ケーキを切り分けるため、包丁を取りに行く。
彼が自分の手で作ってくれたケーキをあたしが食べる……か。ふふ、こんな日が来るなんて思ってもみなかったな。
跳ねるような足取りで台所へ向かい、ゆっくりと切り分けていく。
半々……いや、あたしが主役だから欲張ってもいいよね?
自分の分を6割の大きさに切った後、包丁をシンクに置き、コタツに戻ってフォークでひと口頂いてみる。
「……美味しいです!」
ホイップクリームの甘さが口の中で広がり、ゆっくりと溶けていく。
きっとみんなで力を合わせて出来たんだろうな。その輪に自分がいなかったことが少しだけ寂しくもある。
だけどそれ以上に、あたしを想って作ってくれたことがこれでもかってくらいに伝わってきて、何よりも嬉しくてたまらない。
「ほら、旦那さんも食べて下さい!」
「お、おう……いただきます……」
少し戸惑っている様子だが、先程よりは幾分か落ち着きを取り戻したようだ。
促されるままにフォークでケーキをひと口大に切り、口に運ぶ。
その瞬間、彼の瞳が大きく見開かれた。
「……うん、上手く出来てる!」
「ですよね!」
ふたりで笑い合いながら食べ進め、瞬く間にケーキは形を失っていった。
「……ごちそうさまでした」
「もうお腹もいっぱいだな」
ふぅ……と小さく息をつき、あたしは腕を枕にしてリラックスする。
お腹もだけど、想いも沢山受け取って、胸がいっぱいになったからだ。
「ありがとうございます、旦那さん」
今日を締めくくるように言葉を紡ぎ、視線を合わせる。
きっと彼もこの気持ちを受け取ってくれているだろうから。
そう思っていたけれど、彼の方は少し意地悪な顔をしてこちらを見ていた。
「その言葉はまだ早いよ、キタサン」
「えっ?」
思わず顔を上げる。
もうこれ以上のものはないはずなのに。
「待ってて、今持ってくるから」
そう言ってカバンに手を伸ばし、中身を探る。
すぐに見つけたようで、小さな袋を取り出した。
「これ、担当の子達から君にって」
差し出された袋を受け取り、中身を取り出してみた。
「これって……」
中に入っていたのは沢山のお守り。不格好だったり、丁寧に作られていたり、あたしの顔が小さく描かれたものまである。
ああ、これは間違いない。
そのお守り全てを胸にギュッと抱きしめる。
「うん、手作りのお守り。ずっと健康でいて下さいって言ってたよ」
お守りってヒトから貰うと、こんなにも嬉しいものだったんだ。嬉しい、嬉しいな……。
拭ったはずの涙がまたポロリとこぼれ、お守りにパチンと弾けて溶けていく。
熱を帯びたように胸の奥がじんじんとして、さっきみたいな強がりはもう出来そうになかった。
「それと、もう一つ受けとって欲しいものがあるんだ」
「……?」
ポトポトと雨のように落ちる涙をそのままに、彼の方へ目を向ける。
雫でボヤける視界では何も分からない。
あたしはお守りを持ったまま、おずおずと両手を伸ばした。
「俺もお守りを……って思ったんだけど、俺からのお守りだと自分達のお守りに負けそうだから駄目とか、あの子達によく分からないこと言われてさ」
彼がこちらに近づいてきたのが分かった。
何かを手渡されるのかと思ったけれど、そうではないみたいだ。
あたしは両手を戻そうとして──
「ちょっと待って。出来ればそのままにして欲しい」
左隣にいる彼に止められてしまう。
よく分からないまま、手を伸ばし続ける。
すると、左の手首に何かが当たる感触がした。
それは手首をグルリと回り、包み込むようにして固定された。
「……よし、上手く出来た」
彼はホッとしたような声を出す。
今あたしの手首に巻かれたのって。
下を向いて確認しようにも、ぼやけた視界では上手く見えない。
「キタサン、目を拭くね」
声が聞こえるより早く、目元に柔らかい何かが当たった。
そのまま優しく涙を拭ってくれる。
雫が消え、何度か瞬きをすると、視界がはっきりと開けていった。
あたしはそこで、手首に巻かれたものの正体を知る。
細い金属が小さな鎖のように繋がっていて、その中心には、深緑に赤い斑点が散る宝石が据えられていた。
「ブレスレット……?」
「そう、ブレスレット。いろいろと考えたんだけど、これがいいかなって思ってさ」
彼はどこか照れくさそうな声で言った。
その言葉を聞きながら、手首のブレスレットを見つめる。
この宝石はきっと誕生石だ。3月の誕生石といえばアクアマリンが有名だけど……この石はなんだろう。
「ブレスレットは左側に巻くと、その人を守ってくれるらしいんだ。お店の人がそう言ってたよ」
だから、左手に。
あたしを守れますようにと、願いを込めて。
またじわりと、目元が熱くなってくる。
「それと、その宝石はブラッドストーンっていうんだ。意味は『健康』、それと──『献身』。君にはいつまでも健康でいてほしいし、今度は俺が、ずっと君を助けていきたい。そんな願いと覚悟を込めて、これを選んだんだ」
……貴方らしい、なんて優しい理由。
あたしはもう一度、お守りを持った手を胸元に寄せ、強く抱きしめた。
あの子たちの想いと、彼の想い。
全部、全部をこぼさないように、強く、強く。
「……ありがとう」
無意識にこぼれたのは、今この瞬間だけへの感謝じゃなかった。
ダイヤちゃん、担当の子たち、そして目の前にいる旦那さん。
あたしは大切な人たちに、こんなにも愛してもらえている。
そのすべてに対してあふれ出した言葉だった。
「あたし、今……本当に幸せです」
今日だけで何度目かわからない涙。
熱を帯びた雫が視界を覆っても、今度はしっかりと彼の顔を映し出していた。
優しく見守る、ずっとずっと大好きなその笑顔を、瞳の中に映してくれた。
ブラッドストーンの下りですが、別の短編集とは繋がってはいないため、初めて見たような反応をしています
キタちゃんにピッタリで好きなんですよね、ブラッドストーンの意味