ウマ娘キタサンブラック短編集 大人編   作:大典74

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甘い酔いに身を任せ

「きゃ~♪」

 

 部屋中に響くのは黄色い悲鳴。恐怖も拒絶も含まない、純粋な歓喜に満ちた声。

 声の主は俺の胸元にいるにもかかわらず、その声を部屋の隅々にまで響かせることができるのだ。

 

 まあ、彼女──キタサンブラックならそのくらい朝飯前なのだろう。

 

「ふぅ……」

 

 小さくこぼした息が彼女に当たらないよう、横を向く。

 俺の方はというと、左手で彼女の背中を抱きながら、右手で彼女の頭を撫でている。

 ぐりぐりと胸を抉るかのように彼女の頭が俺の胸に擦り付けられ、ほんの少しだけ痛い。

 それにずっと胡坐をかいていて、足も少し疲れてきている。視線を向けた先にある時計は、この行為の開始時刻から針が一周しているのを示していた。

 ふむ……だから痺れているのか。なるほどな。

 

「……! むぅ~……」

 

 だが、休憩は許されないようだ。

 彼女の耳がピクリと立ったのが視界の隅に映った後、唸り声が聞こえ出す。

 

「だんなさん! 手が止まってますよ!」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。

 彼女の方に向き直る時には、耳を絞りながらこちらを睨んでいた。

 パシパシと小さく音を立てながら、彼女の尻尾が俺の足を打つ。

 きっと「怒ってますよ」のアピールだ。

 

「ごめんごめん、許してくれ」

「……! えへへ〜……♪」

 

 もう一度、気持ちを込めて頭を撫でると、彼女の表情はすぐに頬の緩んだ笑みに変わった。

 パタパタと彼女は耳を動かし、器用に俺の足を尻尾で撫で始める。

 ふぅ……これは大変だなぁ……。

 考えとは裏腹に緩む頬のまま、俺はテーブルに置かれた、空になった二つのお猪口に目を向ける。

 今の彼女がこうなっているのは、間違いなくアレが原因なのだから。

 

 キタサンブラックはお酒に弱い。

 そのことを知ったのは、彼女が成人して初めて一緒にお酒を呑んだ時だ。

 

『初めてお酒を呑むのは、トレーナーさんとだって決めてたんです!』

 

 まだ彼女と付き合う前だったのを覚えている。

 お酒を呑んだ場所が居酒屋などではなく、彼女が当時借りていた部屋だったのは、今思えば嫌な予感がしたからなのだろう。

 いや、お義父さんがお酒に強くないことを考慮していなかった時点で、それはないか。

 

『初めては日本酒って決めてたんですよね〜♪』

 

 今思えば、この時点で止めるべきだった。

 いくら彼女が演歌歌手の娘で、日本酒に憧れがあったとしても、絶対に止めるべきだったのだ。

 何となく怖かったので、100mlのミニボトルにするよう助言したが、付け焼き刃の発想だったと言わざるを得ない。

 

『とれーなーさーん〜♪』

 

 ひと口呑んだ時点で顔を真っ赤にし、呑みきった頃には呂律が回らず、テンションが異常なまでに高くなっていた。

 唯一の救いは、日本酒に合わせてお猪口で嗜んでいたことぐらいだ。

 それからの彼女は……本当に凄いものだった。

 あの頃ならあり得なかったハグや頬を触ることの要求、果てはキスの強要までする始末だ。

 ハグは担当トレーナーとウマ娘の関係でも行っている人がいる。なので、それくらいはという気持ちで了承したが、キスは話が変わる。

 正常な判断が下せない状態だし、何よりもまだ付き合ってもいない相手だ。きっと酔いが覚めた時、後悔するのは彼女だと思い、それだけはと必死に抵抗した。

 

『……すぅ』

 

 運が良かったことに、彼女は強行する直前で眠りに落ちてくれた。

 ウマ娘には力では勝てない。

 俺は本当に運が良かったのだ。

 

『トレーナーさん……あたし、何かしちゃいませんでしたか……?』

 

 翌日、顔を真っ青にして俺に尋ねるキタサンを見た時、最悪の事態にならなかったことに心の底から安堵すると同時に、恐怖心も芽生えた。

 もしも彼女が今後お酒を呑む機会があったら。それも自分とではなく、他の相手と……。

 考えただけで恐ろしかった。

 

 今にして思えば、元担当トレーナーとしてではなく、一人の男として彼女を守らなければいけないと思ったのは、この時からだったのかもしれない。

 そういうこともあり、彼女とは一つ約束することにした。

 

「お酒は絶対に、信頼できる人以外とは呑んではいけない」

 

 キタサンはこの約束を破らないと指切りをしてくれた。

 それから今に至るまで、彼女は信頼できる人以外とはお酒を呑んでいない。

 同期の子たちやサトノダイヤモンドはそれに含まれる。彼女たちは絶対に大丈夫だ。

 ちなみにその子たちと呑んだ時、ハチャメチャなことになったらしい。……多分キタサンが迷惑を掛けた気がする。本当に申し訳ない。

 

『一年に一度、貴方とお酒を呑んでみたいな……』

 

 結婚したすぐ後、キタサンはそう言った。

 紅潮した頬で視線を左右に動かしながら呟く彼女を「可愛い」と、場違いなことを思ってしまったのだ。

 そんなこんなで、一年に一度、俺とキタサンはお酒を呑む機会を設けている。

 時期は決まっておらず、俺と彼女がお互いに問題ないタイミングに合わせて実施しており、それが今日だったわけだが。

 

「にゅ〜……♪」

 

 いつも通り、彼女はお猪口一杯で酔ってしまい、俺の胸元にいる。

 俺と呑む時は度数が低いお酒にしているのだが……今のところあまり意味を成していない。

 

「ふにゃ~……♪」

 

 俺の胸に顔を押し付けている様は、まるで猫がマーキングしているように思える。まあ、キタサンは猫というよりは犬な気もするが、この行為は恐らくその意図もあるのだろう。

 そんなことしなくても俺は君から離れないのに。

 言葉にするのは簡単だが、きっとそれでは届かない。

 

「よしよし」

 

 だから今は、彼女の望み通りのことをしてあげたい。

 その一心で、彼女の頭を撫で続ける。

 わたのように柔らかい髪が俺の手に当たる。

 手入れが行き届いている彼女の髪は、手に吸い付くように優しく、そして少しこそばゆい。

 

『……不思議と心が満たされるんですよね』

 

 何度目かの晩酌の次の日、酔いが覚めた彼女が俺にそう言った。

 いつもは早起きな彼女だが、お酒の影響か、晩酌の次の日は俺と同じ時間に目が覚める。

 ダブルはちょっと恥ずかしいからと、手が届くか届かないかの距離にシングルベッドを二つ並べて、俺と顔を合わせた彼女はそう言ったのだ。

 

『記憶には残らないんですけどね。なんだろう、心は温かいというか。だから旦那さん、なるべく続けたいんです』

 

 本心からの言葉だと、彼女の瞳が訴えていた。

 以前に比べると彼女は欲望に忠実になっている。それはきっと、今まで自分よりも他人を優先していたツケのようなものなのだろう。

 誰かを助けること自体は彼女の性分だ。だから我慢してお助け大将をやっているわけではない。

 それでも心の片隅で、きっと「そうじゃない自分」が隠れているはずで。それが今、俺に向かっているのだろう。

 

「もっともっと〜♪」

 

 酔っている時の彼女は行動や言動が幼くなる。

 頭を撫でるなど、普段なら恥ずかしさが勝って遠慮してしまうことを要求してくる。

 きっとそれは、子供のように甘えたい気持ちがあるからなのだと、俺は思っている。

 

「はいはい」

 

 気の無いようなことを言いつつ、内心では彼女の言葉に喜んでいる。

 心の内を晒さなければならないのは、どっちなのだろう。

 先ほどよりも力を込めて彼女の頭を撫でる。

 

「あっ……」

 

「おっと」

 

 加減に失敗したせいで、少し手の位置がズレた。

 触れた手のひらから、彼女の熱が直に伝わってくる。これは彼女の耳だ。

 

「……ふふ」

 

 最初は少し驚いたような声を出していたキタサンだが、すぐに弾むような声色に変わる。

 彼女は自分の耳を俺の手に何度も押し当ててきた。

 ペチペチと小さな音を立てながら動くが、音に反してあまり痛くはない。

 まるでちょっかいをかけるように、何度も、何度も繰り返してきた。

 

「ほらほら〜手が止まってますよ〜♪」

 

 トロけるような甘い声で、催促するように耳で俺の手を打ってくる。

 甘えることに抵抗がなくなっている素面の彼女でも、ここまで自分本位に動くことは出来ない。

 なんだかんだいっても、お助け大将としての自負と羞恥心が彼女の心の奥底にあるからだ。

 ……たまに本能のままに暴れることもあるけれど、本当に極稀なことだ、うん。

 

「ごめん、ごめん」

 

「ふ、ふふ……その調子、その調子〜♪」

 

 耳を触りつつ、頭を強く撫でる。

 耳の外側の毛は彼女の髪と同じように、柔らかく触り心地がいい。だけど、少し押し込むと彼女の耳に直接触れてしまうようだ。

 こそばゆい感覚に襲われたのか、キタサンは笑みを我慢出来ていない。

 

「だんなさん、もっと、もっと♪」

 

 素面の彼女なら、顔を真っ赤にして形ばかりの抵抗をしてしまうだろうが、今の彼女は羽目が外れている。

 むしろ積極的に触って欲しいと顔を真っ赤にしながら口にしている。これがお酒の魔力なのか。恐ろしいものだ。

 

「よ~し、分かったぞ」

 

 いや、俺もその魔力に負けているようなものか。

 思考にモヤがかかるのを自覚しつつも、それを受け止め、彼女の言う通りにする。

 強く、だけど優しく、彼女の肌に触れるように撫でていく。

 

「ふ……ああ……♪」

 

 艶っぽい声を上げながら、彼女は俺の胸に頭を擦り付ける。

 もっと、もっとと言っているのか。

 早く、早く、と急かしているのか。

 きっと、どっちもなんだろう。

 

「だんな、さん……」

 

「キタサン……っ」

 

 いや、どっちでもなかったか。

 彼女はこちらを見上げた後、両手で俺の頬を挟み、唇を重ねてきた。

 

「ん……ちゅ……」

 

 唇に、温かなぬくもりが広がっていく。

 潤いに満ちた唇は、吸い付くように離れない。

 甘い感触の中に苦味が混じる。アルコールのせいだろうか。

 

「む……むむ……はふぅ……」

 

 一瞬だけ唇を離し、彼女は呼吸を繋ぐ。

 普段の彼女は長いキスを好む。長ければ長いほど多幸感に溢れるからだとか。

 だけど、酔った彼女はそんなことを考える余裕はないらしい。

 

「ちゅ……んん……!」

 

 跡がつくのも気にしないほど、強く吸い付く。

 

「むむ……! ん!」

 

 鼻先が当たるくらい近づいている。

 

「ん……ふふ♪」

 

 ただ唇を押し付けるだけのキス。

 おままごとみたいだと笑われてもおかしくないキス。

 だけど。

 

「ちゅ……」

 

 彼女の唇の熱が。

 彼女の微かに漏れる吐息が。

 彼女の匂いが。

 彼女の身体の温もりが。

 

「……」

 

 俺の身体全体に入り込んでいき、それだけで幸せが溢れていく。

 

「ん……んん……!」

 

 だけどそれは長くは続かない。

 お互いに息が続かなくなり、それでも強く吸い付くように求め合う。

 酸素が入ってくるわけでもないのに、それでもお互いにキスを続ける。

 アルコールによる感覚の麻痺なのか、キスによる多幸感なのか。

 どっちでもいい。

 長く味わえるのなら、どっちでも。

 

「ぷ……はぁ……」

 

 頭が真っ白になっていく中、唇の感触が離れていくのが分かった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 聞こえてきた呼吸音はどちらのものか分からない。

 だけど、ゆっくりと、そして確実に、身体中に酸素が染み渡っていくのを感じる。

 

「キタ……サン……」

 

「だんなさん……」

 

 重なり合うように視線が合う。

 彼女の唇から透明の糸が垂れているのが見えた。

 それと同時に、俺の唇からも何かが垂れているのが分かった。

 

「……えへへ♪」

 

 彼女はふにゃりと笑う。

 頬を緩め、目尻を下げながら。

 燃えるように熱い頬でこちらを見ながら笑っていた。

 

「もっと、おねがいします……♪」

 

 その言葉と同時に、彼女は両腕を俺の背中に回す。

 ギシッと音を立て、身体に痛みを感じるほどの力。

 そのままゆっくりと彼女を自分に密着させ、視線を重ね、再びゆっくりと唇を合わせた。

 

「ん……ふふ……♪」

 

 ああ、きっとお互いにこの後ぐっすり寝てしまうんだろうな。

 そんなどうでもいいことを考えた後、唇から広がる多幸感に身を任せた。




キタちゃんはお酒が弱い設定です
お父さんが恐らく弱いと思われるので、その娘であるキタちゃんも弱いのかなと思ってます
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