ウマ娘キタサンブラック短編集 大人編   作:大典74

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pixivにも同名の作品を投稿しております
6月までに書いておきたい話だったので書きました
今のところ回想以外では一番過去の話になります


嫁入り前の雨景色

 赤と黒の天井に、ポツリ、ポツリと打ちつける音が広がっていく。

足元で飛び散る水しぶきが尻尾に当たるのも気にせずに、ステップを踏んだ。

 

「キタサン、ご機嫌だね」

 

 傘を叩くような雨の中でもハッキリと聞こえた声に、くるりと振り返る。

 隣で歩いていたはずのトレーナーさんとの距離は思いのほか開いていて、手を伸ばしても届きそうにない。

 いつの間にこんなに。それに気づかないなんて……。

 尻尾にかかる水滴なんて気にならないくらい、全身が熱くなっていく。

 

「でも分かるよ。白無垢、すごく似合ってたから」

 

 小走りで、トレーナーさんはあたしのもとへ駆け寄ってくれた。

あるいは

タタタと軽い水音を立てて、トレーナーさんはあたしのもとへ来てくれた。

 

「トレーナーさんだって、似合ってましたよ?」

 

 困り眉で微笑みながら、そんな言葉だけを口にした。

せめて彼もあたしと同じように……なんて、子供じみた願望。それなのに、跳ねる鼓動はさっきよりも速く、そして温かかった。

 

「いやぁ、俺の方は衣装に負けてるよ」

「そうですかね? 紋付袴姿、カッコよかったけどな」

「そう、かな?」

 

 彼は明後日の方向に視線を向ける。

 ふふ、どんなに頬を掻いたって、その赤みを消すことなんて出来ないのに。

 パタパタと動いてしまいそうな尻尾を手で隠そうとすると、代わりに頬の緩みを抑えきれなくなってしまった。

 

「もうすぐ、なんですね」

「……そうだな」

 

 ようやく彼の視線があたしと重なり、微笑みながら見つめ合う。

 傘を叩く音は、少しずつ弱まっている。

 もう少しで、雨は上がりそうだ。

 

「ワガママでしたよね、和装でやりたいなんて」

「そんなことないよ。君の実家のことを考えれば、そっちの方が自然だからね」

 

 そう遠くない日、あたしは隣の彼と式を挙げる。

 今日は衣装合わせで、お互いにどんな服装になるのかを改めて確認し合った。……どれほど素敵だったかは、胸の奥だけの秘密にしておく。でも……ふふ、思い出すだけで頬が緩んじゃうな。

 ただ、そんな日に限って雲から涙がポロポロこぼれてしまった。でも、もし当日も雨なら予行演習になるかも? なんて。

 せめて祈ることぐらいしか、今のあたしには出来そうにない。

 

「もう少しで、『トレーナーさん』じゃなくなるのかぁ」

「トレーナーじゃなくなるわけじゃないけどね」

「分かってるんですけどね。なんていうか、気持ちの問題ですよ」

 

 ピョンと跳ねるように、彼よりも一歩前に進む。

 足元の水たまりが、小さく弾けた。

 

「どんな風に呼ぶつもりなの?」

「『旦那さん』! 言ってみたかったんですよね〜」

「う~ん……すごく違和感あるな……」

 

 くるりと振り返ると、彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。

 あたしみたいにピョンと跳ねたりなんかしないから、水しぶきは上がらない。

 あたしが前で、彼が後ろ。いつも通りの距離感だ。

 

何度も呼べば慣れますよ! 今から呼びましょうか?」

「ストップ! まだ少し待ってくれ」

 

 制止するように手を伸ばしながら、彼はあたしから視線を逸らしてしまう。

 ああ、流石に踏み込み過ぎたかな? 距離感って難しいな……。

 なんて、きっと昔のあたしなら耳を伏せて俯きながら、深々とため息をこぼしていたはずだ。

 だけど――

 

「えぇ~……なんでですか?」

 

 ピョンと……跳ねてしまうと水しぶきが彼にもかかってしまう。

 なので、彼と同じようにゆっくりと足を踏み出して、彼のもとに近づいてみる。

 やっぱり、水しぶきが跳ねることはなかった。

 

「それは、その……」

 

 言い淀みながら、彼は顔ごと明後日の方向へ向けてしまった。

 表情を隠せても、頬と耳の赤らみまでは隠しきれない。

 もう何年も一緒にいるんだ。彼のことは手に取るように……は、流石に言い過ぎかな。……うん、それなりに分かってる。

 

「なんで、ですか……?」

「……はぁ」

 

 彼は小さくため息をついた後、俯いた。

 だけどそれは一瞬のこと。

 彼はあたしの方に顔を向けてくれた。

 

「君には敵わないな」

「いつもは貴方にやられっぱなしですから、こういう時くらいはやられちゃってください!」

「……はは、本当に敵わないよ」

 

 困ったように笑いながら、頭を掻く。

 頬の赤らみはまだまだ消えそうにない。

 

「まだ、実感が湧かないんだよ」

「実感?」

 

 むむむ、あたしの考えてた反応とは少し違ったかも。てっきり、ただの照れ隠しだと思ったのに

 

「こんな美人が俺の奥さんなのかって」

「……へ?」

 

 パタリ、と尻尾が一度だけ揺れた後、ピンと立ち上がる。

 ポツリと傘を叩く小さな音が、やけに大きく響いた。

 

「君に『旦那さん』って呼ばれると、嬉しくて、照れくさくて……。耐えられそうにないから、今はまだ待ってほしい」

「……」

 

 やり返せた。

 なんて、やっぱり嘘だ。

 いつだって貴方は大切な言葉を真っ直ぐに伝えてくれる。そのたびに、あたしは胸が弾んでしまう。

 ギュッと握りしめた手のひら。まるでそこから熱を発しているみたいに、じんじんと熱かった。

 

「ワガママだとは分かってる。だけど、ちゃんと君の『旦那さん』になるまでは『トレーナーさん』でいさせてくれないかな?」

 

 申し訳なさそうに――だけど、決意に満ちた瞳。

 ああ、本当にズルいや。『旦那さん』、あたしはその瞳に一番惹かれているんだよ? そんな風に言われたら、文句なんて言えないのに。

 

「……ふぅ」

 

 今度はあたしがため息をこぼす番だ。

 だけど口角はグッと持ち上がっちゃうし、尻尾だって何も気にせずに大きく揺らしてしまっている。

 ドキリ、と跳ねる心臓の音だけが、耳の奥で鳴り響き始めた。

 

「仕方ないですね。本当に、あたしの『トレーナーさん』はワガママなんだから」

「ごめんな。早く慣れるようにするから」

 

 ふふ、頭なんて下げなくてもいいのに。

 今はダメでも、それは「いつかは呼んでいい」ってことだ。それも遠い未来なんかじゃない。

 だから、あたしは大丈夫なんだ。

 それに――

 

「期待してますよ、『旦那さん』!」

「っ……キタサン」

 

 慣れるまでは、貴方の照れた顔をいつでも見られるってことなんだから。

 ほら、今だって寒さを吹き飛ばせそうなくらい、真っ赤になっている。

 

「ふふ、ごめんなさい。つい言いたくなっちゃって」

「……君って、そんなに意地悪だったか?」

「ええ、そうなんです! キタサンブラックは良い子じゃないんです!」

 

 貴方の前でなら。

 あたしは『お助け大将』の看板を外せるんだ。

 

「……良い子って年じゃないよね?」

「それは言いっこなしですよ!」

「はは、お返しだよ」

「もうっ!」

 

 お互いに困り眉になりながらも、笑い合った。

 ふいに、キラリと二人の間に眩い光が走る。

 思わず目を瞑り、ゆっくりと開くと、その光は少しずつ落ち着いていった

 

「……晴れましたね」

「……そうだな」

 

 傘を下ろしながら空を見上げると、ところどころ雲の隙間から淡い青色がこちらを覗き見ていた。

 一瞬だけ見えた太陽は隠れてしまったけど、この調子なら、すぐにでも雲を追い払ってくれるはずだ。

 

「当日もこんな風に晴れて欲しいですね」

「どうだろう、流石に梅雨真っ盛りだから厳しいんじゃないか?」

「まあ、そうですよね……」

 

 こればかりは確率の問題だ。あたし達ではどうにもできないこと。

 頭では分かってはいるんだけど、ほんの少しだけ俯いてしまう。

 

――ふいに、手が握られる。

 

 小さく息をこぼしながら、繋がれた手に視線を落とす。

 それは『旦那さん』の手のひらだった。

 ギュッと握りしめられたあたしの手。あたしの方が熱いはずなのに。彼の体温が、燃えるように手のひらへと流れ込んでくる。

 

「だけど、良い日になるのだけは間違いないよ」

「……それはどうして?」

 

 聞かなくても良いことだ。

 それでも聞いてしまうのは、きっとあたしがワガママだから。

『旦那さん』の熱をもっと、感じていたいから。

 

「雨にも負けないくらい、俺の奥さんは輝いてるから」

「……そうですか」

 

 キュッと、彼の足に尻尾を巻きつける。

 絶対に離さないように。ずっとずっと、強く、思いきり。

 

「……良い日にしてみせます」

「ああ」

「貴方とあたしなら、きっと皆を笑顔に出来ます! ……ですよね?」

「勿論だよ」

 

 巻きついていた尻尾を解いて、あたし達はまた歩き出す。

 降り注ぐ光は、まるで彼の手のひらのように、暖かくあたしを包み込んでくれた。




キタちゃんには白無垢が似合うと思うんですよね
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