こんな雰囲気の話がいくつかありますのでご了承ください
「む、むむむ……」
唸り声とともに流れた汗が頬を撫でる。
ポタリと落ちていく汗を横目に見ながら、あたしは下にある物から目を離すことが出来ない。
見間違いであってほしいと願いを込めて、一度ギュッと目を閉じてみる。……けれど、再び目を開いても結果は同じだった。
ならばこれは夢に違いない。そう思い、少しモチッとした自分の頬をつねってみたが、確かな痛みがそこにあるだけ。
そう、これは紛れもない現実だ。
だ、だけど……そんな……嘘だ……。信じたくない……信じたくないよ……。
「ふ、増えてる……」
〇〇キロ。
画面が示す数字は無慈悲に静止している。
震える瞳でその現実から視線をそらすと、さっき脱ぎ捨てた衣服が視界に入った。
『自分たちを脱ぎ捨てたところで、大した変化はないぞ』
服たちのそんな声が聞こえた気がして、あたしは力なく天を仰ぐ。
天井はいつもと変わらず白くて、その潔白さが妙に恨めしかった。
「はぁ~……」
体重計をそっと視界の端に追いやった後、あたしはふらふらと居間へ歩き出す。
見なければ良かった。
『そういえば最近量ってないな』なんていう、ほんの軽い気持ちだったのに。後先考えずに行動しては後悔する、自分の悪い癖が恨めしい。
力なくコタツの前で立ち止まり、また小さくため息をつく。
……はぁ、どうして増えちゃったんだろう。
ご飯の量は変わってないし、運動もちゃんとしてる。睡眠だってとれてるはずなのに。
いくら考えても思い当たる節がなく、もどかしさだけがあたしの中で渦巻いていた。
ガチャリ
「ただいま」
玄関の方から、彼の声が聞こえてきた。
ハッとして時計を見る。……嘘、もう彼が帰ってくる時間になっちゃったの!?
サァ……と血の気が引いていく。どうしよう……体重が増えたなんて恥ずかしくて言えないよ……。
パニックになる頭とは裏腹に、あたしの足取りは鉛のように重い。いつもならすぐに辿り着けるはずの玄関が、今日ばかりはやけに遠く感じられた。
「……おかえりなさい」
やっとのことで辿り着いた玄関。
いつも通りを心掛けたつもりだったけれど、発した声は泥を含んだように重たく、視線と一緒に地面へ落ちていった。
「……キタサン、何かあったのか?」
ああ、やっぱり。彼には隠し事なんてできないんだ。
伏せたままで顔は見えないけれど、心配そうに揺れる彼の声色だけで、自分の情けなさが胸に刺さる。
「……やっぱり分かっちゃいますか?」
「そんなに耳が垂れてたら、俺じゃなくても分かるよ。話してごらん、力になるから」
「……本当ですか?」
「本当だよ」
うう……優しさが心に染み渡るようだよ……。
ジ~ンと胸の奥が熱くなって、少しだけ前を向く勇気が湧いてきた。
……とはいえ、流石に玄関先で立ち話するような内容じゃない。いくら彼でも、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「……それならちょっと場所を変えましょう」
「あ、ああ……」
気持ちが少し落ち着いて、ようやく顔を上げる。
けれど、視線の先にある彼の表情はどこか硬く、不安げに揺れていた。
「「……」」
それからお互い無言のまま移動し始めた。
彼ならきっと受け止めてくれる。そう思えたからか、鉛のようだった足取りも『稍重』くらいまでは回復していた。
けれど、後ろから聞こえてくる彼の足音は、あたしと同じくらい重苦しい。……あんな顔させちゃって、やっぱりすごく心配かけてるよね。
どう切り出せばいいのか分からないまま、あっという間に居間へ辿り着いてしまう。
あたしは覚悟が決まらないまま、ゆっくりと彼の方へ振り向いた。
「……」
彼の表情はやはり重苦しいままで、晴れる兆しのない曇り空のように見えた。
「じ、実は……ですね……」
「……ああ」
「その……ですね……」
「……」
ま、不味い……どう言えばいいか分からない……。
いや、素直に体重増えたって言えばいいのは分かってるけど、言いにくいよ! これでも一応女の子なんだから! ……女の子って年齢ではないかもだけど、いつでも気持ちは女の子なの!
そ、それは置いておいても! 言葉以外で伝えることができるならそれに任せたいよ……いや、ちょっと待って?
台風みたいにぐるぐると回っていた思考の中に、ピシャンと一筋の光が差し込んだ。
──そうだ、この手があった!
これなら言葉にしなくても伝わるし、何より確実だ!
「……旦那さん!」
「! ……うん」
呼びかけると、彼は真っ直ぐにあたしを見た。
不安げなその瞳を見て、一瞬決意が揺らぐ。
だけど、迷っていたって意味はない。やるんだ、あたし!
「……っ!」
あたしは裾を勢いよく掴み、
「とぅわっ!」
おヘソが見えるまで、思い切りめくりあげると——
「キタサン!?」
「……お腹、触って……確認して下さいっ……!」
「キタサン!?!?」
彼の困惑に満ちた絶叫が、居間に響き渡った。
………………
…………
……
「……つまりこういうことかい?」
「はい……」
あの絶叫の後。お互いにフリーズして見つめ合う謎の時間を経て、彼の必死の声掛けで、あたしはようやく我に返った。
そして二人で逃げるようにコタツへ潜り込み、ポツポツと事情を打ち明けたのだ。
実は体重が増えてしまったこと。言葉にするのが恥ずかしくて、勢いでお腹を見せるという暴挙に出てしまったこと。
……もう、全部事細かに。伝えました、うん……。
「……それくらいなら口で言ったほうが良かったんじゃないか?」
「そう思います! そう思うんですけど……あの時は口で言う方が恥ずかしいと思っちゃって……」
コタツの熱と恥ずかしさにより、全身が燃えるように熱くなっていく。
ああ……なんであたしはあんなことをしてしまったのだろうか……。ちょっと考えれば分かることなのに、もう……あたしの考えなし……。
ヤカンを置いたらお湯が沸かせるんじゃないかと思うくらい、頭が沸騰しているのを感じる。
「まあそうだよな。焦っちゃったら訳がわからなくなっちゃうよな。うんうん」
「あぅ……」
ポンとあたしの頭の上に置かれた彼の手が、ゆっくりと動き始める。
優しく、優しく。ゆっくり、ゆっくりと。
大切なものを触るかの如く、丁寧にあたしの頭を撫でてくれた。
そんなことで喜ぶほど、あたしは子供じゃないですよ……。
心の中ではそう思っているのに、体は違うらしい。
心臓がドクドクと煩くて、それなのに蕩けそうなくらいに温かくて。
全身を侵食していくような熱に、あたしの心まで染められていく。
気づけば、自然と彼の方へ体重を預けてしまっていた。
「重く……ないですか?」
「全然、いつも通りだよ」
「……本当に?」
「俺が嘘をついたことがあるかい?」
「…………早く帰ってくるって言ったのに、全然早く帰ってこれなかった日がありましたよね?」
「うっ……あ、あの時はすいませんでした……」
「ふふ……忙しいですもんね、仕方ないですよ」
他愛のない言葉を重ねながら、彼はあたしの頭を撫で続けてくれる。
優しく、優しく。
ぱたぱたと動く耳。彼の体を撫でるように動く尻尾。
飛び跳ねるほどの喜びと、耐えきれないほどの胸のドキドキが、あたしの中の熱を燃やし続けている。
もっと、もっと。
あたしは、その熱が欲しい。
「ねぇ」
「な、なんだい?」
さっきのことを気にしているようで、どこか引きつった声色になっている。
ふふ、もう気にしてないのに。
胸の奥がふわりと温かくなる。
だけど、だけどね。
「あたしのお腹、触ってくれませんか?」
「キタサン?」
今のあたしは、その温かさよりも。
貴方が直接くれる、その手の温もりが欲しい。
「やっぱり体重が増えてるの、気になりますので。……お願い、してもいいですか?」
「…………」
彼はあたしの言葉に何も返してくれない。
だけど、小さく息を飲み込む音が。
ドク……ドク……って煩い、彼の心臓の音が。
熱に浮かされたあたしの耳には、しっかりと届いていた。
「……きて」
囁くように呟いた声は、空気に溶けて消えた。
それでも、彼の耳にはしっかりと届いたらしい。
頭を撫でていた手がゆっくりと離れ、体を覆っていた熱がわずかに和らぐ。
だけど、そんなのはほんの一瞬のことだ。
これからきっと、もっと強い熱があたしを覆い尽くす。
ガサリ……
小さく音を立てて、服の裾がわずかにめくり上げられる。
そのままゆっくりと、彼の指先が、あたしの素肌をなぞった。
ちょこんと確かめるような感触の後、押し込むように熱い手のひらが当てられる。
ジンワリと、徐々に。お腹の奥底から甘い熱が広がるのを感じた。