この話から色々と考え出したような気がします
「……ふぅ、温まるなぁ……」
家事を終わらせて、あたしはコタツに足を入れながら、そのまま机に顔を突っ伏した。ポカポカと足元から広がる熱が、頬に当たる風の冷たさと重なり、どこか気持ちがいい。
「……」
チク……タク……チク……タク……
時計の音だけが響く部屋の中。あたししかいない、たった十畳半の空間。なのに、今のあたしには広すぎて持て余してしまう。左側の扉をじっと見つめたまま、小さく息を吐いた。
……正直に言おう。お祭り娘の名が泣くくらい、今のあたしは、猛烈に寂しい。
「はぁ……」
伸ばした足でバタバタしてみても、返ってくるのは虚しく響くバタ足だけ。あたしの右側にある窓から入る光が、まだまだお昼が終わらないことを嫌でも訴えていた。
あぁ……こんなことなら、父さん達に会わないほうが良かったのかな……。
お正月を過ぎて、あたしと旦那さんはそれぞれの実家へ挨拶に帰った。
あたし達は今、お互いの実家ではなく、二人で部屋を借りて生活をしている。一緒に暮らさないかという父さん達の提案を断ってまで、だ。
理由は至ってシンプルで……その……あはは……。あたしが、旦那さんとふたりきりになりたかっただけです、はい。
一応、近くに住むこととか、いくつか条件付きで許してもらったんだけどね。旦那さんもそれで良いって笑ってくれたし、えへへ……♪
……まあ、それは今はいいか。
とにかく、そうやって二人暮らしを満喫しているなかで、数日前に父さん達の顔を見に行ってしまったのだ。
『『『お久しぶりです、お嬢!』』』
父さんのお弟子さん達に出迎えられて、ああ、あたしは帰ってきたんだなぁ……って胸がジ~ンと来たんだよね。
旦那さんにも勿論頭を下げてたけど、旦那さんは慣れてないからか少しだけ苦笑いしてたっけ。
それからは色々あった。
現役時代に旦那さんと一緒に帰ってきた時のように、デュエットを父さんやお弟子さんの前で歌ったり。母さん直伝のマッサージを父さんにやってあげたり。お弟子さんのお子さんと一緒に遊んだり。……旦那さんと父さんがふたりきりで何か話していたり。
本当に色々と、沢山のことをやって過ごした。
少しのお土産を頂いちゃったりしながら、あたしは皆と笑顔で別れた。……はずだったけど。
別れてから数日。この部屋でひとりで過ごす時間があると気づいたことがある。
ひとりでいるのは、やっぱり心に冷たい風が吹いたかのような気持ちになるんだと。
……あたしってこんなに寂しがり屋だっけ? もっとお祭り娘で、ワッショイな感じだったはずなんだけどなぁ……。
いや、待って? お祭りはひとりでは出来ないし、皆で集まってやるからこそ楽しいわけだから、ひとりが嫌なのは当然では? お祭り娘だからこそ、ひとりだとテンションが下がるのではないか? そもそもこの年で娘とはこれいかに? ……いや、あたしはウマ娘なんだから娘で問題ないか。それもそうだね。
「はぁ……」
色々考えてみたけれど、やっぱりダメみたいだ。
耳と一緒に項垂れたまま、小さく開かれた扉をただただ見つめ続けることしか出来ずにいる。
「早く帰ってきてほしいなぁ……」
小さく呟いた声は実家よりは狭く、だけどひとりでいるには広すぎる部屋に広がり、扉から入ってくる風に流されて、天井に当たって消えていく。
冷たい風だけが今のあたしの相手をしてくれるのに、足先から入る熱があたしの瞼を重くしていき、そのままゆっくりと、目の前は真っ暗な闇に包まれた。
◆ ◆ ◆
『キタサン、本当にいいのか?』
『何がですか?』
淡い空を染める夕焼けがキラリと照らす道を歩いていると、強く手のひらを握ってくれているトレーナーさんから問いかけられた。
その声が何故か申し訳なさそうに聞こえたから、あたしは彼に視線を移す。
思った通り、トレーナーさんは少しだけ困ったように眉を下げていた
『お義父さん達と一緒に暮らす話、断っちゃったけど……俺のことは気にしなくて良いんだよ?』
どこか言いにくそうにあたしから視線を外すトレーナーさん。
ああ、なるほど。それでそんな顔をしてるんだ。トレーナーさん、確かに父さんと話す時に凄く緊張してたもんね。こうなっちゃうのも無理は無いか。
いつもは頼りになる彼の、少しだけ不安そうな顔が、なんだか愛らしく見える。
『離れて暮らすって言ってもそんなに遠くないですよ? それにあそこは父さん達が勧めてくれた場所なので、完全に親離れしたって感じではないですし』
『まあ、それはそうなんだけどな』
『それよりもトレーナーさんこそ良いんですか? 婿養子になっちゃうからお義父さんやお義母さんと離れちゃうんじゃ……』
『俺の方は長い事離れてるしな。それにずっと会えないわけじゃないし、前に会った時は二人とも喜んでくれただろ? こんな可愛い娘が〜……って』
『あ、あの時は!』
うう……まさかカウンターを返されるとは……。確かにあの時は緊張しちゃって、ワタワタしちゃったからなぁ〜……。そこで判断されたのかも。……それに、可愛いよりは綺麗の方が嬉しいような……っていや、そうじゃなくて!
あ、危ない危ない……もう少しで誤魔化されるところだったよ……。やはりトレーナーさんは侮れない……。
『……おっと。その手には乗りませんよ、トレーナーさん』
『何のこと?』
『恥ずかしい話をして誤魔化そうとしても駄目ですからね!』
『本当に何のこと……?』
『婿養子になること、本当に良いんですか?』
『ああ、そのことか。いや、別に誤魔化したつもりはないし、本当のことを……っと、今はいいか』
いつも間にか熱くなっている頬を気にしないふりをしながら、彼の方に視線を合わせ続ける。
トレーナーさんはやはり申し訳なさそうな顔のまま、視線をそらしていた。
一緒に歩いているはずなのに、少しずつ歩幅がズレていく。
それは、あたしとトレーナーさんがウマ娘とヒトだから、なんていう身体的な理由ではなくて。彼を立ち止まらせている「何か」があるのだと、何となくわかった。
『……きっと寂しがるだろうなって、思ってさ』
揺れる視線がようやくこちらに合う。
まるでパズルのピースが、カチリと音を立ててはまるように。
『ほら、キタサンは結構寂しがり屋だろ? トゥインクル・シリーズを走ってた時もそういうところを見せてたからさ』
『そ、そうでしたっけ?』
確かにあの時のあたしってそれなりに家族の話をすることはあったけど、そこまでではないよね? ない、よね……?
思わず、一瞬だけ視線を外す。
その様子を見たトレーナーさんの表情は、ほんの少しだけ和らいでいた。
『うん、そうだよ。だからさ、せっかく一緒に暮らせるならそうした方がいいんじゃないかって、思ったんだ』
『……』
そっか、あなたが心配してたのはそっちだったんだ。
少し和らいだとはいえ、まだ不安そうにしている横顔を見つめる。
繋がれた手のひらに、ぎゅっと強い力が込められた。あたしからではなく、トレーナーさんの方からだ。それだけで、彼が勇気を出してくれているのが伝わってくる。
不器用で、本当に優しい人。
分かってる。もう十分なくらい伝わっているよ。
だから、ね。
『……トレーナーさん、あたしとふたりは嫌ですか?』
『嫌なんかじゃない! むしろ俺は──』
『だからなんですよ』
『えっ?』
『だからこそ、あたしは今、この時だけは、あなたとふたりが良いんです』
『……キタサン』
あたし達はずっと、同じ歩幅で歩いてきた。ずっとずっと、歩き続けることが出来ていた。
だけどそれは、きっとトレーナーさんが合わせてくれたから、同じ歩幅になれただけ。
走り終えた後、あたしとトレーナーさんは一度違う道を歩き出した。
そして離れた後、少し遠くから彼を見ていた時。あたしじゃないウマ娘と同じ歩幅で歩く姿を見た時、やっと気付いた。
あの隣の場所が、とても大切で、誰にも奪われたくないものなのだと。
きっとこれは、子供じみた嫉妬だ。無い物ねだりで駄々をこねているだけの、小さな感情。
だけど、あたしは。それでも、あたしは。
その醜い感情をどうしても消すことが出来なくて、またあなたに会いに来てしまった。
あなたの笑顔をあたしだけに見せて欲しくて。
また一緒に同じように歩いてみたかったから。
一歩を、踏み出せた。
『あたしはあなたが大好きです。一緒に歩いてくれた優しいあなたが好き。だけど、一度離れてしまって。その時、あたしはやっと好きだって気付いて。
もう一度あなたといたくて、会いに来たんです。だから今だけは、あなたと一緒がいいです。ふたりだけで、いたいんです』
『……そっか。分かったよ』
あたしが思いの丈を吐き出すと、彼は静かに呟いて前を向いた。
チラリと見えた横顔は嬉しそうで、どこか安心しているように見えたから。
あたしも自然と、頬が緩んでいた。
『だけど、良かったです。付き合ってからのあたしって、かなりグイグイ行ってた自覚はあったから、てっきりあたしだけが好きなのかなぁ……なんて、思ってました』
『いや、グイグイは来てたよ。付き合った時も、結婚の時だって、君に押し切られる感じだったしな』
『うぇ!?』
『それでもきっと、君が言わなくても俺から言ってたよ』
『えっ』
『前も言ったでしょ? 俺も君と離れてから、大切だったって気付いたから』
『そ、それは確かに……付き合う時に言ってましたけど……』
『恋愛感情を抱くまでになるとは思わなかったけどな。再会した君があまりにも綺麗だったから……なんて、言い訳にもならないよな』
『……そうですか』
そう呟いて、あたしは自分の足先を見た。
後ろめたさがあったからか、好きだと言ってくれた嬉しさからか。
よく分からないけど、あたしは彼を真っ直ぐ見つめ返すことが出来なかった。
『……あたしは皆が思っている程、良い子なんかじゃないです』
情けなくて、我儘な、本当のあたし。
『きっとあなたが言ったように、すぐに寂しくなっちゃう時もあるかもしれません』
震えそうになる声を、必死に喉の奥で堪える。
『その時はですね』
だから、どうか。
『あたしを──』
◆ ◆ ◆
「──サン、キタサン」
「はっ!?」
肩を叩く衝撃と聞こえてきた声でパッと頭を上げる。
あれ、さっきまでは歩いていたのに……。ここはいったい……。
キョロキョロと周りを見渡しながら、見知った部屋の風景だと分かるとともに、記憶が蘇っていく。
そっか、あれは父さん達に挨拶に行っていた時の記憶かぁ……。そうだよね、今はもう旦那さんって呼んでるはずなのに、トレーナーさんって呼んじゃってたもんね。
「起こしちゃってごめん。だけど、コタツで寝てたら風邪引くと思ってね」
「い、いえ……大丈夫です……。ありがとう、ございます……」
顔を上げて見えた彼の表情は、いつも通り温かくて、包み込んでくれる優しいものだった。
だからこそ、だろうか。
あたしはいつも通りのことが言えなくて、口に出来た言葉はどこか弱々しいものだった。
「……なるほど」
そう呟いた後、旦那さんはあたしの隣に移動する。
布団が持ち上がり、ヒヤリと冷たい風が足元に入ってきた。彼がコタツに潜り込んできたのだ。
大人ふたりが並んで座っても、十分に余裕がある大きなコタツ。
「いつでもくっついて甘えられるように」なんて、少し恥ずかしい理由でこれをおねだりしたのは……あたしなんだから。
「……ほら、おいで」
「……!」
こそばゆい吐息が耳元にかかり、ピクリと耳が動いてしまう。
その甘い囁きに導かれるまま、あたしは隣へと顔を向けた。
そこにいた彼は憎たらしい程優しくて。あたしの心なんて、きっと何でもお見通しだという顔で微笑んでいた。
「多分そろそろなんじゃないかなって思ってたんだ」
「……何が、ですか……?」
わざとらしく聞き返してみたけれど、そんな抵抗は無意味だった。
だって、本当は、分かっている。
彼のその優しい表情が、すべてを物語っているのだから。
「前にお義父さん達に会いに行っただろう? だからきっと、寂しがる頃だろうなって」
『そんなことないです! あたしなら大丈夫!』
……なんて。そんな強がりを言えるほど、今のあたしの心は強くなくて。
「……そう、ですね。ちょっと寂しくなっちゃってます」
弱みを見せられるくらい、どうしようもなく大好きなヒト。
だからこそ、あたしはもう何も誤魔化さずに、ただ素直な言葉だけをこぼすことが出来た。
「……どうぞ」
「……?」
ふわりと微笑んで、旦那さんはゆっくりと両腕を広げてみせた。
突然の予想外な行動に、あたしはただパチクリと目を丸くしてしまう。
「前に君が言ってただろう? 寂しくなった時はって」
「あっ……」
途中で醒めてしまった、さっきの夢の続き。
あの時、過去のあたしは確かに彼へとこう告げていたんだ。
『──あたしのことを、抱きしめて下さい』
寂しさごとすべてを包み込んでくれる、その温もりが欲しくて。
「だからさ、おいで」
「……っ」
こらえきれず、体だけを彼の方向に向けて、そのまま頭を胸に預ける。
ポス……。
間の抜けた音が耳元に届く。
顔に当たる衣服がなんだかこそばゆい。
微かに香る大好きな匂いが、胸一杯に広がっていく。
背中に回された彼の手のひらから、確かな熱が伝わってくる。服の生地を隔てているはずなのに、その体温は驚くほど鮮明に、あたしの孤独を溶かしていく。
──ああ、これだ。あたしが欲しかったのは、コタツの熱なんかじゃない。この、不器用で優しい「体温」だったんだ。
「我儘……ですよね」
「何がだい?」
「あなたと一緒に暮らしているのに、家族と会っただけでひとりが寂しくなるなんて、我儘です」
「……」
「あっ……」
背中に回された彼の腕に、ぎゅっと力がこもる。
彼の胸とあたしの距離が、さらに近づいていく。
彼の体温が、彼の匂いが、彼の鼓動が。
より鮮明に、より強く、より濃厚に感じられる。
それだけで、それだけで幸せが広がっていく。
「我儘でも良いんだよ。それで君の寂しさが無くなるなら、言ってくれた方が嬉しいし」
「……はい」
「それに、俺の方こそ君を抱きしめたいんだ。……本心からね」
「……そう、ですか……。それなら嬉しいな……」
今までだらりと下がっていた両腕を持ち上げて、あたしも彼の背中に回してみる。
あたしよりも大きくて、少しだけ硬い。逞しいあなたの背中。
離したくなくて、誰にも渡したくなくて、ぎゅっと腕に力を込めた。
もっと、もっと、あなたが欲しい。
あなたであたしを、満たして欲しい。
「……温かいです」
「……そっか。俺も、すごく温かいよ」
足先から感じるコタツの熱よりも、ずっと密接で確かな体温が、体全体を包み込んでいく。
その心地よい熱は、心の奥底で強張っていた寂しさの芯までじんわりと広がり、優しく溶かしてくれた。
もう、あの冷えるような孤独は、ここには無い。