誕生日に合わせて書いたものです
この作品も長かったこととちょうど前後編で分けられる話だったため、こちらも前後編の作品としました
「誕生日に、何かして欲しいことはないかい?」
向かい合って座る彼から聞こえたのは、そんな一言だった。
お鍋に伸びていた手を引っ込めて、あたしは顔を上げる。
湯気越しに見える彼の顔は、いつもの優しげな微笑みとは裏腹に、ほんのりと赤らんでいた。
あたしよりもずっと年の離れた旦那さんだけど、こういう時は照れくさくなるらしい。
自然と頬が緩むのを自覚しながら、もうそんな時期になるんだな、としみじみ思い返した。
温かな日と寒い日が交互に訪れる、まさに三寒四温という言葉がふさわしい今日この頃。
そんな季節の変わり目である3月には、あたし──キタサンブラックにとって大切な日である誕生日が刻まれている。
「して欲しいことかぁ……」
箸を置き、あたしは両手を組んで視線を天井に向けながら、彼の言葉を繰り返す。
彼がこんな風に言うのは今回が初めてというわけではない。学生時代はともかくとして、再会して付き合ってからはずっと、今みたいなことを言ってくれる。
出来る範囲ではあるけれど、その度に彼はあたしの言ったことを必ず叶えてくれた。……本音を言えば、誕生日は長く一緒にいて欲しいと言いたい。
だけど、今は担当ウマ娘たちにとっても特に大切な時期だ。チームトレーナーとして指導している彼にそんな我儘を言うことなんて出来ないし、そんな年齢はもうとっくに過ぎ去っている。
「……」
そんなわけで、あたしが返せる言葉はこれくらいのものだ。
寂しさはあるけれど、それはそれ、これはこれ。そこは仕方ないと割り切れるのが大人というものなのだ。
「……ごめんな、せっかくの誕生日なのに一緒にいられなくて」
きっとあたしの心の内が読めてしまったのだろう。湯気越しに聞こえてきたのは悲しげな声だった。
下を向く彼の視線は申し訳なさそうで、まるで罰を受ける罪人のようだ。
そ、そこまで気にしなくてもいいのに……だけど、あたしが同じ立場なら同じようにするだろうな……。
思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「謝らないで下さい! あたしだってウマ娘です、この時期は大切なことくらい分かってますもの!」
「そうは言ってくれるけど……」
一応、本心からの言葉を口にしてみるけれど、彼の声色は変わらない。
……こんなこと思っちゃいけないけど、改めて彼のあたしへの想いが強いことが分かって本当に嬉しいな。
場違いな考えが頭に浮かび、つい笑みがこぼれてしまう。
「……それなら、あたしを満足させることが出来る誕生日プレゼントを期待してます!」
だけどそれでは話は進まない。
あたしは頬の緩みをすぐに引き締め、気持ちを整えるように思いついた言葉を口にした。
正直に言えば、どんなものだろうと彼がくれたものは嬉しい。だからこれは、彼の憂いを晴らすための言葉に過ぎない。
きっと彼にもそれは分かってる。それでも伝えたい。
あたしの大好きなヒトには笑っていて欲しいから。
「……そっか、分かったよ。君が満足出来るものを渡してみせるよ」
彼は小さく笑った後、あたしの言葉に同意する。
先ほどと違い、包み込むような優しさが声に乗っていて、気持ちが切り替わったのだと伝わってきた。
ゆっくりと目を開けて彼の様子を見てみると、その表情はやはり柔らかな笑みに変わっていて、湯気なんかには負けないくらいキラキラと輝いて見えた。
「ふふ、そうですよ! あたし、今からでも楽しみにしてますからね!」
心の中が燃えるように熱い。それはきっと、彼の笑みが本当に嬉しくて温かかったからだ。
この胸の熱さに背中を押され、あたしも笑顔で呼びかける。
うん、これで旦那さんの罪悪感は無くなったよね。ふふ、ああ言ったけど、楽しみなのも本当なんだよね。どんなものをくれるのかな?
満足した気持ちであたしは箸を手に取り、鍋の中にある豆腐を掴む。
はらわれた湯気の奥にチラリと見えた彼の顔はやはり優しげで、湯気が消えたおかげでより鮮明に見えた。
あの夜の、鍋の温もりを思い出しながら。
あたしは今、カフェのテラス席で春の陽光を浴びている。
「だからね、旦茗さんからのプレゼントが楽しみなんだ〜♪」
そうして迎えた誕生日当日。外は雲一つない青空で、太陽がキラリと光っている。
お祭り気分でウキウキしているあたしは、親友のダイヤちゃんと一緒にカフェでお茶をしていた。
彼女はサトノグループで忙しく働いている……のだけど、あたしや彼女の旦那さんが誕生日の時はお休みをとるようにしてくれている。
『大切なヒトの誕生日はちゃんと祝ってあげたいの!』
ダイヤモンドの輝きよりも美しい笑顔で言ってくれたのを、今でも覚えてる。
彼女との友情はあの頃から決して変わっていない。右手の小指で今も輝いているこのピンキーリングが、それを証明していた。
「ふふ、それはよかったね」
ダイヤちゃんは小さく笑った後、ティーカップの取っ手をつまんで優雅に口元へ運ぶ。
ふむぅ〜……紅茶を飲んでるだけなのに凄く絵になるなぁ〜……。こういうところに育ちの良さが出るんだよね……。
感心しつつ、あたしもカップの取っ手をつまみ、ゆっくりと口元に持っていく。
……むむ、やっぱりコーヒーは苦いな……。もう少し砂糖を入れるべきかな?
ふるふると体を震わせながらカップをソーサーに置き、シュガーポットに手を伸ばす。
「キタちゃん、コーヒーの味にはまだ慣れない?」
「うっ……」
投げかけられた言葉に、思わず手が止まる。
隠し事がバレた子供のように恐る恐る様子をうかがうと、彼女はすべてを包み込む母親のような、優しい微笑みを浮かべていた。
「あ、あはは……そうだね。結構長く飲んでるのに、なかなか慣れてくれなくて」
「それでも飲むのは、やっぱり?」
「うん。彼の『好き』を、あたしの『好き』にしたいから」
あたしは甘い物が好きで、とびきり甘い砂糖菓子なんかには特に目がない。だから、コーヒーのような飲み物はそこまで得意ではない。
それでもコーヒーを飲んでいる理由は単純なもので、旦那さんが好きだからだ。
彼が好きなものを好きになりたいから、得意じゃなくても飲んでいる。少しずつでもいいから、彼の好きをあたしも好きになりたいから。
……なんてカッコつけてみたけど、それに気づいたのは割と最近のことだ。それまでは「大人になったから」なんて、ちょっと勘違いしてたんだよね。
そんな話を少し前にダイヤちゃんにもした。電話越しでダイヤちゃんがちょっと笑っていたのが記憶に新しい。
「……やっぱり妬けちゃうな」
「ダイヤちゃん?」
ダイヤちゃんはカップの縁を人差し指でなぞりながら、視線を下に向けて悲しげに呟いた。
あたしは首を傾げ、真っ直ぐに彼女を見つめる。
何度か縁をなぞった後、ゆっくりと指を離して、彼女はこちらに視線を合わせてくれた。
「好きになりたいってことは、そのヒトに染まりたいってことだもの。嫉妬しないわけないじゃない」
『私は怒ってます!』と言わんばかりに頬を膨らませて、ダイヤちゃんは両手で頬杖をつく。
綺麗になったと思っても、こういう可愛らしいところは全然変わらないな〜。
その様子に思わず顔がにやけてしまった……のだけど。
あたしは彼女の真似をするように頬を膨らませて、ジト目で彼女を見つめ返す。
「ダイヤちゃんだって、いつも電話越しで自分の旦那さんの惚気話ばかりするじゃない。妬けるって言うならあたしだって同じだよ」
「な、なな!」
ちょっとした仕返しでチクリと刺してみると、ダイヤちゃんは頬杖をやめて、顔を真っ赤にして動揺しだす。
「き、キタちゃんだって同じじゃない! 旦那さんの胸板は〜……とか聞いてられなかったよ!」
「な、ななな! だ、ダイヤちゃんだって旦那さんの匂いは落ち着く〜……って言ってたじゃん! 耳の先まで熱くなっちゃうくらい恥ずかしかったんだよ!」
「む、むむ〜……!」
「むむむむ〜……!」
「…………」
「「ぷっ……あはは……♪」」
お互いに睨み合った後、あたし達は同時に吹き出した。
理由はきっと同じだ。
なんだかおかしくて、楽しくて、胸が熱くて。
温かい気持ちが混ざり合った結果、嬉しくなって笑ったんだ。
あたしもダイヤちゃんも変わらない。
好きなヒトが出来ても、会えない日が沢山あったとしても。
ピンキーリングで結ばれた永遠の絆だけは、絶対に変わることはない。
「って、もうこんな時間! そろそろご飯の準備しなきゃ!」
チラリと見えた時計の短い針は四の数字を指している。早く帰らないと。
『いつも君には助けられてばかりなんだから、特別な日くらい休んでて欲しいな』
彼には何度もそう言われているけど、いつも首を振っている。
あたしがやりたいからやるんです。だってあたしはお助けキタちゃんですから。
本心からの言葉だけど、彼にはいつも苦笑いされる。
そんなわけで、誕生日だろうがなんだろうが、家事はあたしの担当だ。どうしてもって時以外は代わることはないだろう。
「……っ! ごめんね、ダイヤちゃん。久しぶりに会えて楽しかったよ!」
グイッと残ったコーヒーを飲み干して、急いで荷物をまとめる。
そして、目の前に置かれているはずの伝票を掴もうと手を伸ばし……あれ?
そこにあるはずの伝票がなく、キョロキョロと机を見渡してしまう。
「ふふ、お探しのものはこれ?」
声に釣られて視線を向ける。
そこには、右手で伝票をひらひらと揺らしているダイヤちゃんの姿があった。
ドヤりと音が聞こえそうなくらい見事なドヤ顔で、思わず感心しちゃいそうになる。
……って、そうじゃなくて!
「そんな悪いよ!」
「これが私からの誕生日プレゼントってことで」
「いや、もうプレゼントは貰ってるのに」
カバンの奥にある丁寧に包装された小さな箱を思い浮かべながら答える。
きっとあたしに似合うからと、ダイヤちゃんはダイヤモンドのペンダントをくれたんだ。
それなのにこれ以上ご馳走になるのは流石に申し訳ない。
急いで手を伸ばそうとするけれど、サッと遠ざけられてしまう。
「いいから、いいから。それよりもほら、早く帰らないとご飯に間に合わないんじゃない?」
「ぐっ……ぬぬぬ……」
パチリとウインクをしながら、早く帰るように急かしてくる。
睨んではみたものの、伝票を持った手は背中に回って隠されてしまい、取り返そうとしたら時間がかかるのは確実だ。
……仕方がない。ここは一旦あたしの負けということにしておこう。
はぁ~……と息と一緒に肩を落とし、すぐに顔を上げて彼女を見る。
「……これは貸しってことにするからね」
「……気にしなくていいのに。キタちゃんはそういうところ、変わらないね」
「それがお助けキタちゃんだからね!」
「そうだね。これが私の大好きなキタサンブラックだもんね♪」
「「ふふ♪」」
お互いに笑い合った後、あたしは小さく手を振った。
「それじゃあダイヤちゃん、またね」
「キタちゃん、またね」
ダイヤちゃんも手を振り返してくれたのを見届けると、あたしは早足で店を出た。
今度会ったときはあたしが同じことをしてやろう。きっとダイヤちゃんも困った顔になっちゃうんだろうな。
次に会う時のことが楽しみになってくる。
夕暮れに照らされた道はいつも以上に眩しくて、輝いて見えた。
誕生日だしダイヤちゃんとの話も書きたいと思ったので、こんな風に長くなりました