「……なあ、これ、笑えない、よな?」
薄暗くなった実験室の片隅で、俺は点火レバーを握ったまま、完全に硬直していた。
隣に立つアリアの顔からも、いつもの不敵な小悪魔の笑みが綺麗に消え失せている。もはや蒼白ですらある。
灰色の瞳に映っているのは、ただの困惑ではなく、怯えにすら似た気配。あの技術の怪物である彼女をして、という緊迫した空気。
結論から言えば、ちょっとばかりやらかした。
発端は数時間前。彼女が持ち込んできた実家の照明用の刻印を修正していた時のことだ。
元の刻印をコードとして見れば、部屋の光量を段階的に、離散的に切り替えるスイッチ構造になっていた。ただ、記述を精査していくと、少しばっかり荒れた記述の中に色彩の調整に該当する関数が眠っていた。
前世の感覚が災いした。
どのタイミングでこの色の実装を諦めてコメントアウトしたかは知らないが、せっかく関数があるんだから使えるなら使おうと、そう思ってしまった。
元より、目立たないように出力の向上自体は徹底的にゼロに抑えたはずだ。だが、おまけとしてのつもりで、その色彩調整のロジックを構造に組み込んで、さらに連続可変として動くように条件付けを書き換え、それに対応する物理的なスイッチも道具側に増設してしまった。
結果出来上がったのは、刻印としてはコアの分量削減こそ全体の6割程度に留まったものの、光量の無段階可変と色彩の連続変化を完全に達成した照明道具だった。
「……ねえ。これ、ツマミを回すと、光の、色、が滑らかに変わるんだけど」
アリアの震える指先が、簡易的な木製台座に取り付けられた色彩調整用のツマミを僅かに回す。
それに応じて、鉄枠から放たれる光が、赤から、オレンジ、黄、そして青へと。暗く、くすんで、鮮やかに、涼やかに、移ろう。まるで生き物のように一分の引っ掛かりもなく滑らかに。
地球なら、なんてことはない、普通にどこにでもある調光調色機能付きのLEDだ。
だが、この世界において、光の色をここまでシームレスに変化させるというのは、技術的にあってはならない領域だった。
「……これ、王族でもできないよ」
アリアの掠れた呟きに、ぞくりと背がふるえる。
「王族でも…? コンロの時みたいに、たまたま奇跡的なバランスで混ざった刻印の悪戯、じゃ押し通せないか?」
「無理。絶対無理。……君も知ってるだろう? この世界で、誰が道具の補助もなしに個人で魔法を扱えるかなんて」
思い出す。
基本的に人間は膨大な演算を脳内で完結させることはできず、魔法は道具を通じて発動させる。だが、地球で言うサヴァンや異常な天才、そしてその血統を引く王族や一部の貴族、あるいは稀に生まれる突然変異の者たちは、その外部での演算機能を、自分の脳内だけで賄うことができる。
そして、この国でも王族は多種多様な魔法を行使するが、その中でも重要な行事として、自らの体内演算のみで光を放ち、その絢爛さを示すという儀礼が存在していた。
光という根源的存在を用いて、暗闇を照らすという意味も込めて、王権の存在の絶対性を示すもの。
「王族の放光だって、出せる色はせいぜい金か白、あるいは血統を証明する固定の一色だけだ。それを……こんな安物の4級魔石と、ちょっと並べ替えただけの刻印で、どんな色でも、それもこんなに滑らかにグラデーションさせるなんて……」
アリアの視線が、ツマミから俺の顔へとゆっくり移る。
「こんなの、王室への不敬か、あるいは王族以上の演算を平民の子供が道具で再現したっていう、最悪の機密だよ。見つかったら、暗殺どころか、私たち、実家ごとまるごと一族郎党、消されるよ……?」
なんとなく、分かってはいた。
前世の感覚でカラーコードを弄れるようにしただけだったが、この世界において色彩の連続可変とは、王族が国家を統治するための絶対的な特権を、平民のガジェットが完全に上回ってしまったことを意味していた。
「…これはもうぶっ壊す。俺たちは失敗した、遊びで色々やって結局何もできませんでした、それでいいだろ…」
震える手で工具を掴み、出来上がったばかりのフルカラー照明魔道具に向き直った。
美しく書きたいという純粋な職人気質が、国家と権威という最悪の地雷を踏み抜いた瞬間だった。ただの小心者の背中を冷や汗が滝のように流れ落ちていた。