後期が始まって2週間ほど。研究室の希望はすでに提出・集計され、それぞれの体験先の決定が通知されていた。
前世の現代的な大学の感覚からすれば、随分と早いスピードだ。だが、この大学の全体的な学生数が地球のマンモス校に比べて圧倒的に少ないことを考えれば、処理が速いのも納得がいく。同時に、何だかんだで権力を持つ貴族階級の学生が混ざっている以上、どうしても裏で様々な政治的思惑が働いていないとも言い切れないが。
俺が選択し、承認された3つの体験先は、ボルス教授、リスト教授、そしてまだ会ったことのない第三の教授の研究室だった。
ボルス教授とリスト教授には、すでに前期と夏休みの時点でちょっと変わった学生という印象を持たれてしまっている。ここで彼らを避けて逃げ回れば、不審に思うのは避けられないだろう。ならいっそ懐に飛び込み、平均的で大して面白みのない、その他大勢の学生としての印象で上書きしたい。ただ、それも少しの後付けで、何より彼らの研究に、俺自身が少なからず興味を持っていたというのも理由の大きな一端だった。
特に、史学のリスト教授は所属の学科こそ違うが、文明の歴史と技術の関わりとではどうしたって不可分な繋がりがある。夏に行った、遺跡へのフィールドワークでアパートらしき残骸を目にした身としては、旧文明の姿を少しでも探りたかった。
一応、事前に大学の事務局にも確認を取ったが、学科を跨いだローテーション体験も問題ないとの回答を得ている。なんなら、3年次の本所属の際に転科したり、転科せずとも研究室所属する場合の手続きまで親切に教えてくれた。今のところはそのつもりは特にないものだが。
そして、残念ながら、アリアとはスケジュールが被らなかった。
彼女も俺と同じようにボルス教授のところを希望していたのだが、事務方の調整の結果、彼女の日程は俺のそれよりも後ろにずれ込んでしまったらしい。というわけで、俺が最初にボルス教授の研究室へ突撃することになった。
「いらっしゃい、カイくん。待ってたよぉ。まあ、適当にそこに座って」
カイが最初に訪れることになったボルス教授の研究室。相変わらず、どこか緩くい空気を纏った教授が、資料の山から顔を覗かせた。
「まずは、この研究室の研究内容の紹介から始めようか…」
「…あの、教授、すみませんが、ここって私だけでしょうか。今のところ他に学生いなさそうなんですが」
研究室の体験の時間は講義同様にコマで切られていて開始の刻も同じだ。だというのに教授の室には学生の姿は一つだけで、教授の方も当たり前の様に話を始めている。
「…僕はほら、前期の概論Ⅰで講義をしてたから。…学生からはあのコンロとか、ああいう家庭用魔道具を弄くり回す研究室だと思われがちなんだよねぇ……」
つまりは、人気はないというやつか。まだ未知の部分はあるとはいえ研究とは違う部分で敬遠されるのはどこか寂しさもある。
そんな視線に何かを感じたのか、ボルス教授は苦笑しながら手元の古い羊皮紙をめくった。
「ま、大学に居るとある程度はその辺もやる必要はどうしてもね。僕の本分は、熱じゃなくて輸送関連。刻印による一定方向への持続的な推進力の付与と、その制御。まだ応用も研究も全然進んでいない分野でねぇ。その意味じゃあ、この大学でも最先端って言ってもいいかもしれないしねぇ」
のんびりとした教授の口から飛び出した最先端の内容を聞いた瞬間。
俺の心臓が、ドクンと嫌な高鳴りを見せた。
推進力の、持続的な付与と制御とは。
前世の地球における自動車や鉄道。あの文明の距離感を一気に縮め、世界の物流と兵站を文字通り大変革させた移動体としての基礎。
この19世紀水準の文明において、電信も列車もないインフラの世界に、もし魔法駆動の乗り物なんていう劇物が当てられてしまったら、どうなる?
国家間のパワーバランス、流通の独占、そして軍事的な機動戦の幕開け。
「まだ旧文明の刻印は全然解読どころか、使える記述もわかってないんだけどねえ。
どうだい? 面白そうじゃない?」
そんな風に笑いかけてくるボルス教授の緩い笑顔が、どこか空恐ろしいものに見えて仕方がなかった。
「ええ……とても面白、そうですね……」
笑みをうまく浮かべられているだろうか、ひきつってはいないだろうか。
早くも自分の選択を激しく悔いる。
おとなしく家庭用コンロの効率化でもさせて欲しかった。安全な場所だと思っていた研究室は、インフラの面から世界を破壊しかねない爆弾の傍だった。
それに教授の持っている刻印はどこまでのものだろうか。
コンロ程度は前世だって当たり前に在った。だが自動車に列車、それがどこまでの技術を含みうるか。もし旧文明が前世を超えるレベルのインフラを作っていたのだとしたら、脳内の知識はそれを完全でも不完全でも再現しうるものになってしまう。
自動運転や超高速での車体制御など含まれていようものなら技術水準はブレイクスルーを3乗レベルで起こしてしまう。
まだ体験初日だというのに、冷や汗が流れ出るのを感じていた。