初日の研究室体験から解放され、男子寮の自室に戻りすぐさま机の上に一枚の羊皮紙を広げた。
それは、ボルス教授から最初のオリエンテーションの課題として手渡されたものだった。
インクの匂いが薫るその羊皮紙に記された問題は、至ってシンプルなもの。
現状の輸送システムにおける諸問題と、その構造的要因についての考察
要するに、この世界における移動や物流、交通インフラのどこにボトルネックがあり、何が原因で問題となっているかを平民学生の視点から洗い出せ、というレポートだ。
今日の会話を、課題を渡されてからのものを思い出す
「……現状だと、旧文明の刻印の解読はほぼ進展なしで止まっている、か」
俺はペンを指先で回しながら、天井の魔道具の灯りを見つめた。
ボルス教授の話によれば、輸送に関わるとされる旧文明の魔石や遺跡の出土品は、そのほとんどが壊れたモジュールの状態で発見されるらしい。かつて複数の魔道具が連結されて動いていたであろう大型の輸送システム、前世の地球で言えば、列車のように連結された車体を統括制御するためのメインプログラムはそのものはおそらく見つかっている。だがそれも不完全で、どこまでが動くのかもわからず、まして依存関係もよくわからない以上そこからコードの切り出しをするというのも不可能。
単に神聖な呪文として一文字も変えずにコピペをするだけの現文明では、ソースコードの完全な全体像が見えない限り、それらを結合して動かすことなど夢のまた夢だった。
ただ、出土する魔石の周囲の構造や、断片的に読み取れる記述だったりから、その刻印が輸送という行為に深く関わっていることだけは、わかっている。学術としても推測のレベルでも。
だからこそ教授は、現状を泥臭い問題として一つずつ定義し、旧文明を理想としたときの差異を洗い出すアプローチを取っているのだ。そうして現状を改善する方向へのアプローチを地道に積み重ねることで、旧文明が本来定義したであろう魔石を使った道具としての正しい位置づけを、解決手段として再発見しようとしている。
ボルス教授という人は、もともとそうした史学関連の方面から、刻印の歴史的変遷を辿ることで学績を上げてきた研究者なのだという。
それゆえ、測定器具を用いた定量的評価よりも、現状の確認を徹底的に行い、そこから旧文明の設計思想を定義して、その2つの間の差異を見つけていくという分析手法を取っているらしかった。
学を拓く者としても技術者としても敬意を抱かざるを得ない手堅さだ。
「だけど……現状の馬車輸送の問題点なんて、いくらでも湧き出てくるんだよな」
苦笑しながら、ペンをインク瓶に浸した。
まず、最も致命的なのは、馬という生物に完全に依存しているという点だ。
生き物である以上、食と水分を補給しなくてはならず当然消化や吸収という時間工程もあるわけで、補給そのものの効率は最悪。加えて睡眠や休息の必要性に加えて、各所のメンテナンスも必要になる。
さらに、長距離の移動になると、蓄積された疲労で速度の減衰が起きる。避けるにはこれまた休憩を各所に入れる必要がある。当然その分の移動時間は増すわけで、個体差までふくめればどこで休息を要するかもわからず工程がどこでもブレるという、物流システムとしては最悪の構造を抱えている。
運用費用も馬鹿にならない。馬の体調管理、病気のリスク、蹄鉄の交換、さらには生体であるための個体差による調教もだ。従順で扱いやすい優秀な個体もいれば、言うことを聞かずに気性の荒い個体もいる。馬車で一頭立てならまだしも二頭、四頭となる中でそういう個体差による損失まで含めればコストは順調に跳ね上がる。
ここまではまだ、一つの推進機関の話。
車体の側にも問題は及ぶ。
この世界の道路の状況は、お世辞にも良いとは言えない。王都の中心部こそ石畳である程度平坦に保たれているが、郊外に出れば未舗装の泥道や礫道が続く。そんな路を走るというのに、馬車の構造はあまりに原始的だった。
サスペンションはまだまだ未熟なため、振動は車体と荷台、乗員の全てに伝達される。このせいで、積載品の破損リスクが常に付きまとうし、長時間の移動は乗員の肉体にも負荷をかける。
そして思いつく限りの問題点を羊皮紙が黒く染まるほどの勢いで書き連ねていった。
だが、おそらく今回のレポートでボルス教授が最も求めているであろう魔石に関わりそうな本質的ボトルネックとはこれらの周辺仕様の不備ではない。
もっと根本的な部分にある。
「結局のところ、推進力の発生源そのものが、外に依存しすぎているんだ」
俺はペンを置き、自室の跳ね上げ窓から外の夜景を眺めた。
この世界の技術水準は、決して原始時代のそれではない。クランプや歯車、カム機構といった、物理的な機構そのものはすでに実用化されている。街の外郭へ出れば、製粉所や織物工房で、巨大な水車がゴトゴトと音を立てて回っている。それらの機構を組み合わせるだけの、最低限の機械文明としての力はあるのだ。
だが、それらの素晴らしい機構だって、すべて水流や風といった外部の環境エネルギー、あるいは人間の筋力や家畜の動力に依存しているに過ぎない。
つまり、この文明はまだ、魔石そのものを純粋な推進装置として独立がなされていない。
魔石という超が付くほど優秀なエネルギー源を、どうやって持続的にという物理的な運動エネルギーへと変換すればいいのか、その定性的概念すら誰一人として理解していない。
それが、前世プログラマーの視点から導き出した、この世界の輸送インフラにおける最大にして根本的な仕様の欠陥だった。
羊皮紙の上に綺麗に体系化と構造化されたレポートを眺めながら、俺は深い溜息をついた。
「……さて。これを、どこまで書いたものか」
またやってしまった。
胃の奥から、きりきりと差し込むような馴染みの痛みが湧き上がってきた。
単に馬が疲れるとか、路面の振動で荷物が壊れますといった、目に見える不満や問題を並べるだけなら、ちょっと観察力の鋭い優秀な平民学生の範囲で収まるだろう。そもそもその程度は少し移動したことのある人間なら感じるものでさえある。
ボルス教授も、まぁ、このくらいかなと緩く微笑んで、それなりくらいの評価をくれるはずだ。
だが、この羊皮紙の、魔石を自律駆動の推進装置として定義できていないのが根本原因であるというシステム論的な結論は、平民の学生が思いつくにはあまりにも視座が高すぎる。
それだけではない。
ボルス教授は今日、まだ旧文明の刻印は全然解読どころか、使える記述もわかっていない、と言っていた。連結された魔石の復元方法も、単体での切り出し構文も見つかっていない、と。
もしその発見された刻印が、英語のソースコードとして記述されているそれらは、俺にとっては読めてしまうものなのだ。現状その可能性はかなり高い。おそらく原初には同じような英語母体のプログラマーがいただろうが、プログラムは基本的に英語で構造も余程の事が無い限り言語で変わることはない。まして当人からすれば異世界という枠組みの中でわざわざ別の言語をいちいち作るようなことはしない。最初から優秀な物理媒体と高速化された言語体系がわかっているのだから。
その意味で俺はほぼ確実に、オブジェクト、関数、条件分岐、それらを含んだ刻印という構造を読み解くことが出来てしまう。
そうしてその刻印をアリアに彫ってもらい、必要な機構を物理的に少しばかり取り付ける。
それでボルス教授の研究は完成する。
もしかしたらたった一夜で。
だが、今回の輸送概念は怪物だ。
魔法駆動の移動体が出現したらどうか。
軍事利用されるのは不可避だ、そして大陸規模の大規模戦争に至る。最初はその機動力からの電撃戦だ。おそらく最初はどこの国もかなうわけがない。次に来るのは内部、流通を独占しようとする貴族たちの政治闘争が始まり、内乱か革命に続いていく。そうしてその流れの中で、開発者として俺かアリアの名前にたどり着かれた瞬間、俺の生活は永久に失われる。おそらく家族も。
「駄目だ。絶対に駄目だ。このロジックは、絶対にボルス教授に悟られてはならない」
俺は額にじっとりと冷や汗が浮かぶのを感じながら、左手で強く胃のあたりを押さえた。
ボルス教授は緩くて面倒くさがりな風だが、歴史と技術の差異から旧文明を定義しようとするほどのキレ者だ。下手に本質を突きすぎたレポートを出せば、その知性が疑いを持って俺に向けられることになる。
どこまでが、ちょっと頭を捻って思いついた風の問題提起で、どこからが禁忌なのか。
その境界線を厳密に定義しなければならない。
せっかく書き上げた推進装置としての魔石の定義に関するパラグラフを、苦渋の決断でインクの線で塗り潰した。
代わりに、もっと当たり障りのない、馬車の車輪の耐久性や、馬の餌代の経済的圧迫といった、平民商人の家系からの泥臭い銭勘定の視点での問題点へと、レポートの内容を大幅に落としていく。
これはエンジニアとしての業だろうが、汚い、本質をそらしたレポートなんて提出するなと脳内で激しく文句を言っている。
「…クソコード作りを仕事にするなんてな」
窓の外では、静まり返った秋の夜風が男子寮の窓枠を小さく揺らしている。
手元に残された、あえて本質を隠蔽した不格好なレポート用紙。そのインクが乾いていくのを眺めていた、