ハルバート教授に論文を渡してから少し、学生生活は後期の締めの時期に移っていた。
半年をローテーションで回るように設計された研究室体験もいよいよ最後の3つ目の場所へ。
だがこの時期の大学の運営は、研究室体験も含めて常とは異なる変則的なパッチが当てられていた。後期最後の定期試験のスケジュールが、この研究室体験の時期と完全に重なり合うこともその一つ。
原因は単純で、新学生を迎えるための試験対応が控えているために学期の末尾が短く設定されているらしい。そのため通常の講義枠は減ってしまい。残された研究室体験の時間は、週の中に詰め込まれてまとめて行われる仕様になっていた。
数週間に分散されていたものを一気に済ませるある種の集中講義。
拘束時間は跳ね上がるがある程度のメリットもあり、一部の要領の良い学生や顔を覚えてもらいたい学生はあえてこの変則スケジュールを狙って希望を出しているらしい。
「……で、お前の方はどうなんだ、アリア」
集中講義の初日の朝、廊下で行き違った相棒に声をかけると、アリアは文字通り、苦渋をこれでもかと口に流し込まれたような、見ていて気の毒になるほどの表情を浮かべた。
「……死ぬかと思ったね……。あの算術の方程式のテスト、君が教師として教えてくれなかったら私の成績は灰になって燃え尽きてたね……」
苦悶の声こそ出してはいたが、彼女の顔つきを見る限り致命的な落単は回避できたらしかった。あれほど嫌悪していた算術や計測関連の講義もパス出来ていそうだ。
いつもならの快活さこそ無いが数学という壁の前にここまでボロボロになりつつもひとまずは無事に後期を終えられそうで何よりだった。
アリアと別れ、俺が最後の体験先として指定された教室へと向かう。
今回の配属先は史学の方の学科にあるリスト教授の研究室だ。夏の遺跡フィールドワークで、遺跡の開口部を窓枠とした着眼点でレポートを出した際に休日をほぼ丸ごと使って議論で俺を拘束した、あの教授の研究室に。
重い石造りのドアを開けて中に入るとそこにはすでに先客。
室内にいたのは俺を入れて4人の学生。
俺は席につく前に彼らの顔ぶれを見たが、同じ魔法道具の学科では一度も見かけたことがない面々だった。衣装の仕立てや纏う空気を見る限り、おそらく彼らは史学や考古学の方で完全に別学科学生たちなのだろう。
つまりこの空間において、俺は完全に外部の人間だ。
専門外から迷い込んできた素性のわからない異物として排斥されたり、何かしらの拒否を受けたりすれば面倒だなと身構えたが、幸いなことにそこには明確な空気は一切なかった。彼らは俺に対して相手も初対面とわかっていて珍しい学科の学生がいるという程度の、淡々とした無関心を返してくれただけで体験実習自体は極めて恙なく開始した。
「よし、全員揃っているか。では、後期の研究室体験として最後に集中したものではあるが、我が研究室の主たる研究であるフィールドワークについての講義を始める!」
時間きっかりに現れたリスト教授は相変わらず背筋をピンと伸ばし鋭い声で黒板を叩いた。
だが講義が進むにつれてどうにも妙な空気になってきた。
「いいかね。 書物を見ているだけでは、旧文明の真実には絶対に辿り着けない。実際に泥にまみれ、草をかき分け、現地の遺構を自分の目で観測する! このフィールドワークこそが歴史というどうしようもない現実から残った真実を見つけるプロセスなんだ」
時折、いや、ぶっちゃけ全体のほとんどのタイミングでリスト教授は如何にフィールドワークが楽しくて、現地で色々な遺物を見るのが興味深くて仕方が無いかというオタクとしての熱量を大爆発させていた。
教授が最高なんだと熱弁を振るうたびに彼の補佐として教壇の脇に立っている上級生たちの顔が、何とも言えない微妙な表情で苦笑いと遠い目になっているのが印象的だった。きっと、フィールドワークに行きたがる教授を止めどうにか論文を書いてもらう日々を幾度も送っているのだろう。
ただ、こうして手伝いの上級生が複数人配置されているということは。
このリスト研究室はボルス教授やハルバート教授のあの体験生が一人しかいない不人気とは違い、大学内でも相当な実績と予算を持っている純粋に人気の研究室なのだと推測された。完全にアウェイでこそあるが学生からも希望が集まるような場所であることは確かなようだ。
今回の体験は集中講義の仕様上、朝から夕方まで1日をフルに使って行われることになっていた。
そのため、午前中のフィールドワーク概論が一段落したところで、一度、昼の休憩を挟むことになった。
「では、休憩を設ける。時間は1時間の各自昼食と休憩の後、午後一に遅れずに戻ってくるように!」
リスト教授の号令と共に、教室内の張り詰めた空気が弛緩する。
せっかくの共同の機会だしと、同じ部屋にいた他の3人の学生たちに声をかけ4人で一緒に食事をとることにした。
学内には俺がいつもアリアと使っている寮の食堂以外にも、いくつかの食事の場所が設置されている。
ここらをよく使うんだと、案内されたその場所は大学に入って半年が経ちつつも特に上級生にも繋がりのない俺にとっては初めて訪れる場所だった。
いつも使っている寮の食堂とは異なり、高い天井から柔らかな光が差し込む、どこか洗練されたその空間。トレイの上に並んだ温かい食事を運び、四人掛けの木製テーブルに腰を下ろす。
改めて周囲を見回せば、男が三人、女が一人の構成。よくよく正面の席に座った男の顔をスキャンしてみると、いつかの記憶が蘇ってきた
「……あれ、もしかして夏のフィールドワーク実習の時、テントで同室だった……」
「あ! やっぱりそうか! 魔法道具学科のカイだよな!」
正面の彼が手を叩いて顔を輝かせた。あの夏にテントの狭い空間で晩を明かした同期生だ。名前を思い出す。そう、確かログと言った。
食事を摂りながら、他愛のない話題を交換していくうちに、少しずつ皆のことをわかっていく。面白いことに、このテーブルを囲む全員が平民生まれだった。
俺は王都の東側、下町の魔法道具店の息子。
そして、もう一人の男は王都の北の生まれだという。
残る二人、テントで同室だった彼と、隣に座る小柄な女性は、なんと南の方の出身で、幼馴染み同士だった。
「僕たちの親はさ、村の周辺で魔物狩りをする探索者をやっているんだ。だから小さい頃から、親の遠征にくっついたりして色々な土地を巡る機会が多くてね。その途中でたまに見かける遺跡が、子供心にすごく不思議でさ。何のために作られたのかどうして滅びたのか。それを知りたくて学を修めるためにこの大学に来たんだ」
ログがそう語ると、隣の幼馴染みの彼女、ミナも深く頷いた。
一方で王都の北の生まれだというもう一人の男、ハインは随分とワイルドな風貌をしていた。
ガッチリとした体格に少し黒い肌。袖をラフに捲り上げ髭に長髪。それこそ、今しがたリスト教授とのフィールドワークから帰ってきたばかりと言われても納得してしまうような、野生味溢れる相貌の持ち主だった。
「俺か? 俺は実家が王都北で料理屋をやっていてさ。親父の作る飯の味は今でも最高に好きなんだけど……、まぁ、店の方は俺の優秀な弟が継ぐことになったからさ。俺は別の分野でガッツリ稼いでやろうと思って、こっちに来たんだよ」
ハインは豪快に肉料理を口に運びながら、ニカッと笑った。
「特に、リスト教授のやってるフィールドワーク系だとさ、現地の森や山を回るだろ? その過程で薬草の見分け方とか、植生、地理を大量に覚えることになる。最悪、大学を出た後に俺自身が探索者の方面に移るにしても、そういう事前知識を頭の中に構築しておけば、生存率の面でも、稼ぎの面でも圧倒的に有利だろ?」
ハインの語るその冷徹なまでのライフプランを聞きながら、内心で風貌のわりに随分とインテリだなと思わざるを得なかった。
「それにさ、俺は一応長男なんだけどさ。長男特権を行使して、店の方は完全に弟に任せることにしてんだ!」
そう言ってガハハと笑うとみな釣られて笑い声を上げた。
「それにしても、北の方は探索者があんまり多くない割には何故か美味い飯屋が多いんだ。こっち来たらうちもそうだが、最高の店を案内してやるぜ」
彼の軽快なトークによって、完全アウェイだったテーブルの空気は一気に暖かなものへと変わっていった。
「で、カイ。君はどうなんだ? 魔法道具学科なんて、うちの大学の中でもトップにいる人間が、なんでわざわざこんなフィールドワーク主体の歴史系研究室に来たんだ? もしかして、旧文明の刻印の歴史に迫るような熱い野望でもあるのか?」
随分な直球が飛んでくる。
「いや……。俺には、そんな大層な志は毛頭ないよ。俺の実家は王都の下町で魔法道具の販売と設計の家業を営んでいるんだ。だからさ、将来的に家を継ぐにしても、あるいは外の工房に出るにしても……、とりあえず大学で色々な分野を広く浅く学んでおけば、潰しが利くだろうと思ってさ。それで、それこそ同じように薬草なり幅広い知識も得られるだろうってフィールドワークやらリスト教授のところでの体験を選んだんだ」
俺が正直に白状すると、ログが心底から感心したように大きな目を丸くした。
「いやいや、そんなんで魔法道具学科の入試をパスして、ここに居れる君の頭の出来ヤバいよ…! 僕たちの史学科とは入試の問題の全然違うし、算術とかあっちの専門系の講義わけわかんないよ」
どこか慌てるような声だったが、それはふと遮られた。
「あ! そういえば、やっぱり!」
そこでミナがポンと手を叩いて声を上げた。彼女は俺の顔とログの顔を交互に見比べながら、しきりに身を乗り出してきた。
「思い出したわ! あなたがカイくんね! ほら、夏のフィールドワークから帰ってきた後、この人が実家に手紙を送ってたんだけどね、私の親にも伝わったらしくて、魔法道具学科の同室の人がくれた、水筒の水が、驚くほど美味しかったんだって」
「おいっ、その話は今するなって……!」
ログが一瞬で顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに声を上げた。
俺は一瞬、胃の奥が縮むのを自覚した。
あの時、アリアとのやり取りの後で色々と使えそうな刻印のテストを自分の水筒の底にもこっそりと仕込んでいた。それを彼に分けた際、彼は良い水場があったんだなとスルーしてくれたと思っていたのだが随分と感動を与えてしまったらしい。
「実際、魔法道具学科だと日夜ああいう水を一瞬で極上に変えるような、凄い魔道具の研究開発をしているのかい?」
顔を真っ赤にしたまま、ログが、純粋な技術への興味の目で俺に問いかけてくる。
「いやいや、そんなとんでもない開発はやってないよ! あれは、たまたま、王都の古い家系の人間が実家のジャンクの古文書みたいなのを見つけてね。それを一緒に暇つぶしに適当に弄くり回して水筒の底に入れただけの、ただの試作品だよ」
「そうなのかぁ……。でも次のフィールドワークの時に、カイが同じチームにいてくれたら……、あの美味しい水がいつでも手に入るってことだろ?」
彼は心底羨ましそうに溜息をついた。
だがすぐに隣の彼女がハッとしてしゅんとして肩を落とした。
「でも、無理よねぇ。3年次の本所属の研究室配属の時には、2年までの成績を含めた選抜処理があるじゃない? 魔法道具学科の方からわざわざこっちの史学科のリスト研究室に本所属しに来たら、私たちみたいな学生じゃ、成績じゃ絶対に勝てないもの。枠が全部埋まっちゃうわ」
彼女は自分が憧れているリスト教授の所属枠が他学科の学生によって奪われてしまう可能性を考えて落ち込んでしまった。
「なんだよ、お前ら。そんな単純なことで悩んでるのか?」
そこに、先ほどまで豪快に肉を貪っていたハインが、フッと不敵な笑みを浮かべて割り込む。彼はフォークの先端で俺を指差しながら、実にあっけらかんと言い放った。
「何も、カイをこのリスト研究室の本所属の枠に引きずり込む必要なんてないだろ?」
「え? どういうこと?」
「お前ら、大学の過去のフィールドワーク報告書、ちゃんと読み込んでないのか?」
ワイルドな男は、俺たちの無知を嗤うように、人差し指を立てた。
「夏の引率こそリスト教授が単独で動かしていたが、実際の遺跡発掘や長期のフィールドワーク本番になると、歴史の調査だけじゃなくて、出土した魔石の管理とか、現地の未知の刻印をその場で調査するために、複数の学科の教授やら学生が共同でチームを組んで同行するなんてのは、よくある話だろ?」
ハインは、俺の魔法道具学科の属性を指し示すように、ニヤリと笑った。
「つまり、カイは魔法道具学科の側の専門枠として本所属を決めてどっかの教授のところで魔道具の研究を進めればいい。で、俺たちが本格的な大型遺跡に向かう時に、サポートメンバーとしてカイを同行させれば、お前たちの所属枠も死なないし、カイの美味い水も現地で利用できる。……ほら、これで両方の問題が綺麗に解決だろ?」
「あ……!!! 確かに!!!」
二人が、同時に顔を輝かせて声を上げた。
なるほど、と整った解決策に舌を巻いた。学科の壁を越えたクロスドメインなプロジェクトチームの結成。
これであれば彼らの希望は叶えつつも同時に枠数という絶望は回避できる。
「確かに、それは良いアイデアだ。俺で良ければ外部チームとして同行するよ」
同意を返すと、テーブルの全員がよし決まりだと笑い合いいつの間にか空気は知らない人のそれからフィールドワーク仲間のそれに変わりつつあった。
「おっと、そろそろ昼休みも終わりだ。リスト教授の部屋に戻らないとな。あの人フィールドワーク大好きはそうだが、規律にはめちゃくちゃ厳しいからな」
ハインの動きを合図に俺たち四人は一斉に席を立ち食堂を後にした。