後期最終盤で変則日程として組み込まれ集中講義は特に大きな問題を起こすことなく、ただ平穏に幕を下ろした。
残念というべきかこの集中講義の期間中に実際にスコップを担いで野外フィールドワークに駆り出されるようなこともなくただ一室の中で講義を聞くという時間に終始していた。
考えてみれば当然の話で、雪の降り始めた時期にわざわざ野営をしようなどという人間はいない。ましてそれが大学として研究成果を求めるような立場であればなおさら。成果を持ち帰り書として認めることが必要である以上、現地で死ぬような行為は認められるはずもない。何よりフィールドワークに行きたい人間も相当いるだろうしそれらからの希望なり反発なりも考えたらできるわけもない。
そんな事情もありつつ実習はただただ座学であった。
「…さて、これが王国の周辺に点在する、旧文明の遺跡群の位置をプロットした最新の地図でね」
リスト教授は相変わらず鋭い声で黒板に巨大な羊皮紙の地図を貼り付け最も熱量を注いでいる最新の学説や構築中の仮説について楽しそうに、それこそマシンガンのように語り続けた。
出土した構造物の配置から逆算される旧文明の都市間ネットワークの存在に、特定の場所にだけ遺構が集中しているのかという地政学に似た分析。
一応集中講義の締めくくりとして簡単なレポート課題こそ出されたが、それもこれまでとは違いそう難しいものであったり複雑なものではなく単に講義としてちゃんと聞けているかを示すようなもの。
今回の講義を通じて自身の学術的好奇心が旧文明のどの分野に存在しているかを特定し、それが地図上のどの遺跡に関連していると思われるかを考察せよ
要するに感想文。自分の興味のありかがどこにあるかを最低限わかっていれば、講義の容を適当に書けば終わるというくらいの難易度の低い課題だった。
商人の息子として当時の流通経路に興味があります、物流拠点と思われる郊外の遺跡だけでなくそこからの配送ということまで含めた遺跡群全体での構造に着目したいですと。これまた実家を持ち出しつつ無難な内容でさくっと提出した。
そうして、全ての講義は終わった。
研究室体験も相まって怒涛に似た日々の後期は、俺の異世界での大学生活は、その1年目を無事に終えたのだ。
前世の高校程度であれば、1年の終わりには華やかな進級式だの修了式だのといったイベント組み込まれていたものだが、この世界でも大学にはそんなものは存在しえなかった。
最後の集中講義のコマが終わり、教授が今期はこれで解散と告げて教室を出ていけば、ただ講義が終わる。ただそれだけのことだった。
気になることとしては留年だったり進級の確定だろうか。
必修として取らなくてはいけない講義は入学時なり事務に聞けばわかるが、何をどうしたら留年、退学、進級確定となるかは今一つ明確にはわかっていない。それを聞いていないというのもあるがあまりそれで問題を抱えている人と縁を得ていないというのも理由だろう。
ただ考えるに、おそらくどれほど厳しい足切り仕様だとしても確定した年間成績は男子寮での個人郵便入れと実家の両方に公式な書簡として配信されるのだろう。親への進捗報告が強制的になっているあたり随分と生々しい仕様をしている。
「……うう、もう最悪だ。私の1年目の最後が、こんなのなんて…」
寮の入り口の手前ですっかり冷えたベンチに崩れ落ちている赤髪を発見した。
アリアは元気そうではあった。怪我をしているわけでも体調を崩しているわけでもない。ただ、その顔つきは、まるでこれでもかと苦渋を流し込まれたようでまさに死んだ魚の目をしていた。
「アリア、お前、また興味の湧く研究室を引けなかったんだな……」
呆れ半分で声をかけると、彼女は動くことなくベンチからうめき声を返した。
「そうさ。 最後の集中講義の期間中私が送り込まれたのはさ……! 魔道具の材質と劣化についての研究室だよ! 彫刻刀を握るどころか、何年前に作られたかもわからない魔法道具の、表面のサビなり内部の腐食なりをひたすらばらしてメモするなんて、気が狂いそうだよ!」
講義そのものはあの算術の試験とともに数日前にとっくに終わっていたくせに、最後の最後で配属ガチャの地雷を踏み抜き、学期の末尾のその最後の最後まで死にそうな顔をして悶えている。
何とも締まらない感じで1年目を終えようとしているその姿。見ていて気の毒でありつつもどこかおかしくて喉の奥から出かかった笑いを必死に押し殺した。
「まぁ、落単にならないマシだろ。お疲れ。新学期の春までは、お前も実家に戻るんだろ?」
「うん……。新学期が始まるまでは、工房の引きこもって色々試すつもりだよ。カイとも、しばらくは同じ過ごし方になりそうだねぇ」
アリアはベンチからようやく這い上がると服についた雪やらを払いながら少しだけ寂しそうに微笑んだ。
この長期休暇の期間中に大学寮にとどまるのは王国の北の方の生まれだという。ほぼ道が雪に閉ざされてしまう以上、実家への往復にかかる労力が高すぎるわけでそのくらいなら寮の方が暖房に食事は可能と良い環境らしい。
「そうだカイ。暇だったらさ、私の実家に遊びに来ておくれよ。君のあの除湿機もちょっと弄りたいんだ。大学と違って工房の方ならそこまで心配はしなくても平気だろう?」
別れ際に実に気軽な声色で誘ってきた。
その実家は確か王都のどの辺りなのかと何気なくその住所を問いかけてふと脳裏によぎるもの。
「中心の方の、貴族街のすぐ手前。職人のギルドハウスが並んでいる辺りだよ。中央の広場から大通りを北にまっすぐ進んだ、白い石造りの門のところさ」
よくよく場所を聞いてみれば、そこは王都の中心に割と近いいわゆる旧家や名士の類、あるいはお抱えの邸宅が整然と並ぶ、非貴族階級における最高級地域だった。貴族たちの領地邸こそさらに中心に位置しているが、アリアの実家があるエリアは間違いなくその貴族街との境界に最も近しい場所だった。
そこは下町の魔法道具店の倅が気楽に立ち入れるようなエリアではない。
想像するだけで下町の安っぽい服を着た俺がそこを歩く姿に強烈な場違い感と緊張を覚えずにはいられない。
「……分かった。ただ、行くときは俺の実家の親に話を通しておかないと、少しまずそうだな」
「おーけい! 待ってるからね、カイ!」
アリアはそれだけ言うと、荷物をまとめるために自分の女子寮の棟へと去っていった。
一人残されて、ふと自分の鞄のポケットを軽く叩いた。
そこには先ほどの集中講義で一緒だった、学科こそ違うがあの同期たち、テント同室だった彼、南の村の幼馴染みの彼女、そして北のワイルドな料理屋の長男の、それぞれの連絡先が記されたメモが入っていた。
この世界には、前世の地球のような電波通信は存在しない。だが同じ大学の寮に籍を置いている人間同士であれば、彼らが帰省しない限りは、それぞれの棟番号と部屋番号を指定して、寮内の専用ポストに投函すれば確実にメッセージを届けることができる。
3年次の本所属の後は彼らのフィールドワークに外部枠の調査サポートとして同行するというあの食堂で組み立てた戦略。悪くないな、そう思えた。
男子寮の自室からすべての荷物をまとめて、実家への帰路につくため大学の巨大な正門をくぐり抜ける。一歩外に出ると視界はその多くが白へと塗り替わる。
何日も空を覆っていた雲は、王都に随分と雪を降らせた。石畳の道路は元の色が見えないくらいに雪が積もっている。
新雪を踏み締める自分の靴音だけが冷たく澄んだ空気の中で響く。
「……1年目で、本当に色々とありすぎた気がするな」
白く染まった王都の道を歩きながら口から漏れ出た白い息が冬の北風にかき消されていくのを眺めていた。
実家に帰ったら、まずは何をしようか。
勘定の手伝いでも、工房での組み立てに設計の手伝いでもしようか。それとも少しずつ魔石の収集を始めようか。
夏のようにまた、何か商品の候補でも考えても良いかもしれない。
そんな少し先の暖炉の前での思考を浮かべながら確かな足取りで実家への帰路を進んでいくのだった。