アリアの目の前で駆動し続ける水盆を見つめ大きく息を吐き出した。だがまだ試作とは完全に終了したわけではなかった。
「なぁアリア。一応動くのはわかったけどさ、まだ試作は終わってないぞ?」
「んん? ちゃんと動いているだろう? 何が問題なんだい?」
「動作とか性能の問題じゃない。構造の問題だ」
丸椅子の位置を少しずらしながら水盆を指差した。
「この部屋の状況でこの平たい水盆のまま部屋の角に置こうものなら何かの拍子に蹴飛ばして水浸しだ。もう少し小さく安定した容器で使う方が良いだろ。少し水の追加は手間になるが、至る所水だらけになるよりはずっといい」
「まあ、そうだねぇ…ならこの魔石を使ってこのまま移し替えようか」
どこか嬉々として追加施策をしようとしたところでふと部屋の小さな窓に目を向けた。
少しだけ窓を開け外の空気を吸い込むために隙間を作ってみる。
白く明るさの中だった街並みが、今は群青色の夜の帳に染まり始めている。部屋に滑り込んできた風を頬に受けると、昼間のそれよりも幾分か冷たい。
「おい、アリア。そろそろいい時間だ。窓の外を見てみろ、もう暗くなり始めてるぞ」
「本当だねぇ。冬は昼が短いから困るよ。じゃあ、明かりも少し強めてこのまま作ろう」
アリアは何の疑問も持たずにごく自然なトーンで作業台の工具を握り直した。
「じゃあ、じゃない。俺は帰るぞ」
「……は?」
本当に心底から理解できないという不思議そうな顔をしてきた。
「帰る? 何を言っているんだい。こんな状況で帰るって?」
「おかしいのはお前だ」
盛大にため息を吐きながら背もたれの外套を掴んだ。
「もし俺が今日このままお前の家に泊まり込んで夜通し作業なんてしてみろ。我が家の両親がリアルに吐血するぞ。業界の神様の工房に、しがない一商人息子が居座るなんて親父の心臓が止まる」
「なんだいそれ。まだこの加湿器だって完全版になっていないというのに……」
アリアは不満そうに唇を尖らせてむくれている。
だが、俺の方でも、ただ両親の胃の保護のためだけに帰りたいわけではなかった。この熱源利用の加湿器プロトタイプを作ったことで一つ確認しておきたいものが浮かび上がっていたのだ。
「俺だってこの中途半端な未完全版を放置する気は無い。その気になる部分の確認も含めて、一回家に戻って整理したいんだよ」
そう宥めるとアリアはそれならしょうがないねぇと、不承不承ながらもタガネを作業台へと戻した。
「じゃあ明日も、当然同じ時間に来るんだろ?」
「早すぎだろ。せめて数日は置かせろ」
「何言っているんだ! 冬の間に一週間くらい遊びに行くって約束したじゃないか!」
約束は、した。ただそんな具体的な日数迄言った記憶は無い、様な気がする。
それでも未完成品を放るのとこの完全開発モードに入ったアリアを見なかったことにするのは難しい。
「わかった、わかったよ……。明日も同じ時間にここに来る。約束するから。その魔石を水盆に沈めたまま暴れるなって」
俺は諦めて両手を挙げ、アリアの部屋を後にした。
あの石造りの門をくぐり少しずつ白が闇に染まっていく王都の夜道を歩きながら、俺の脳裏には一つの予測というよりも決定的な未来が明確に見えて居た。
明日も行くって伝えたら今度こそ親父の顔面がこの雪よりも蒼白になるだろうな。
そんなことを思ってしまったせいかどこか腹の底が軋んだような気がした。
「ただいま……」
我が家の魔道具店を兼ねた実家のドアを開けた瞬間に自分の予測は正解かつ間違いであったことを知った。
予想通り生気を完全にどこかに飛ばした両親の姿があった。
ただ予測と違っていたのは明日の予定について言及するよりも遥か前の段階で、ただ無事に帰宅したという段階ですでに二人の顔が蒼白になっていたことだ。
「……カ、カイ。戻ったか……」
父の声はもはやカサカサだった。母の方もいつもならお帰りと威勢のいいものだが今は魂の抜けた目で俺を見つめている。
「おかえり、カイ。その……何事も起きなかったかい……?」
絞り出すような問いに俺は少しだけ申し訳なさを覚えた。まさか自分の息子がその最高峰の場所で、特級彫師の愛娘と二人で試作品を作り始めてたなんて、口が裂けても言えない。
「あ、あぁ。何の問題もなかったよ。ただ同級生として、普通に部屋で今後の講義とかについて話をしてお茶をいただいたくらいさ。用意してくれた手土産も、アリア……あいつ、すごく喜んで奥の保管庫に格納してた」
「そうか……よかった……。本当に、よかった……」
父は胸に手を当て、本当に、深いため息を吐いた。だがそこに追加をしなくてはならない。
「あ、それとさ。アリアから明日も同じ時間に工房へ来いって、次の呼び出しされたから、明日も行ってくるよ」
「…………」
親父とお袋の動きが、同時にピタリと止まった。
声を出そうとして喉が完全にロックされ、口だけがパクパクと動いている。
これは大分ヤバい。処理落ちみたいだ。3日前より凄いぞ。
「……えっと、お腹空いたし、しょうがないから夕食にしようか」
俺が無理やり会話を切り替えるように声をかけると、二人はまるでブリキの玩具のように重い挙動で何とか食卓の椅子へと着席した。
だがそこから始まったのは完全な無言の食事だった。フォークが皿に当たるという金属音だけがリビングに響き渡る。
重苦しい沈黙を打破するため、そして何よりアリアの部屋で思いついた気になることを確認するため、あえて少し話題を切り替えることにした。
「あ、あのさ、仕事の話で聞きたいんだけどさ」
俺がスープを飲み、静かに問いかけると視線はこちらに向いた。
「うちの魔道具店の在庫の中にさ……冬用の服の裏地とかに忍ばせて熱を放つような魔石って取り扱ってなかったっけ? そんなに大して売れるようなのじゃなかったと思うんだけど、そんなのを見たような気がするんだよ」
俺の質問に真っ先にあれねと反応したのは母だった。
「確かにあったわねぇ、そんな魔道具。発注自体は探索の人とか、冬に北方へ旅立つ商人さんから、たまーに変なオーダーとして入ることはあるのよ。ただね、あれ、すっごく不便なの」
「不便? どこが?」
「動作確認。一度魔石にその熱源の刻印を施して店で魔力を通してテストするとさ……そのまま、中の魔力が尽きるまでずっと熱を放ち続けちゃうのよ。だからいざお客様に渡すときにはもう魔石の寿命を結構消費しちゃってたりして。かといって確認しないで渡して動かないなんて言われたらお店の信頼問題でしょ? だから割と前から、予め言ってもらって仕入れてギリギリで動作確認して引き渡すに変えたのよ」
つまりは前世のカイロに近しいものだ。ただしその品質チェックという意味では大分違いがある。前世であれば売られている商品はほぼ確実に機能したし、何よりちゃんと動かなかったとしてもそこまで大きな問題にもならなかった。逆にこの世界においては動かないという道具はたまに出てくるし、冬はずっと厳しい以上熱の一つを持つ持たないで命の有無すら変わってきてしまう。
だが、これは上手くやればうちの店でもあの加湿器もどきは販売できるかもしれないということで。
この世界にはすでに魔石を使ったコンロにカイロもどきは広く使われている。元からそういう魔法道具が世間に受け入れられている以上俺たちが作った水ちょっと温めて部屋を快適にするだけの魔道具を世に出したところで、わざわざ魔石を解析されるような可能性は低いだろう。
「そっか。受注販売か……。教えてくれてありがとう。ちょっと明日のアリアとの課題の参考にするよ」
「あ、ええ……。お友達と仲良くお勉強するなら、お母さんは何も言わないけれどね……」
未だに特級一族の娘をお友達と呼ぶことへの恐怖を処理しきれていない様子だったが、食卓の空気は少しだけ緩やかになった。
自室に戻り、ベッドに寝転びながら、俺は暗い天井を見つめる。
もう少し機構も付けられるだろうなと考えながら少しずつ意識は解けていった。