昼食を終えた午後大講堂の空気は弛んでいた。
無理もない。春の陽気にほんのりと温められた室内、満たされた胃袋、そして壇上で繰り広げられる縁のなさそうな他学科の説明。それらの条件は当然俺にも襲い掛かり強烈な睡魔が頭に靄をかけてくる。
昨夜の不眠の過負荷もあって視界の解像度がみるみる落ちていく。
どうにか意識の生存を維持し重い瞼をごくわずかにこじ開けて壇上を睨みつけていれば、いつの間にかプレゼンテーションは魔法道具学科の番へと切り替わっていた。
そういえばこんな教授もいたなと、次々と登壇する見知った顔の研究トップたちを眺め、その話を聞き流していくうちに、ふと奇妙な予感があった。
待て、何かおかしい。
学科全体のオリエンテーションの方では、確かに進級に必須の必修単位こそ設定していないという説明を受けた。だが、同時にいくつかの研究室においては本配属後にまともに研究についていくために2年次のうちに取得しておくべき推奨講義の単位がある程度定まっていることも合わせて話されていた。
思い出す。
今日、これまで登壇した教授陣の中でそうした実質的な必修の話を具体的に開示した者は一体何人いたか?
ゼロだ。誰一人としてその仕様に言及していない。
その瞬間睡魔は祓われ姿を一片たりとも残していない。
ステージ上を見渡す。あの、自らうちは不人気だからねぇと自嘲していた、ボルス教授やハルバート教授は、まだ登壇すらしていない。すると、今日これまでにプレゼンを終えた登壇者たちは、そのすべてあるいは大半が学生たちの希望が集中する人気研究室の教授たちということになる。
意図的だろうか。 それとも単に時間が足りずに、全力で研究の話をした結果だろうか。
この大学における2年生の人気動向を正確に認識できているわけではない以上、この推測には多分に不確定な要素が含まれている。同時に前世から教授という人間の研究に対する熱意も知っている。
だが、もし、それらを含めたとしてもこの状況が教授側のある意図をもって作り出されているものなのだとしたら。この2年次という環境は、想像以上に過酷な情報戦へと変貌することになる。
人気研究室において実質的な必須前提が確かに存在するにもかかわらず、教授側がそれを全体プレゼンで明示しない理由。それは極めて冷徹な選抜工程だ。
あえて大講堂では開示せず、研究室への個別訪問を試みそこで興味と熱意を示した人間にだけその情報を開示する。
だとしたら表向きは来期の終わりに選抜と言っておきながら、実質的な選抜はすでにこの瞬間からスタートしていることになる。
そしてこの情報戦には上級生との繋がりの有無という有利不利も生みうる環境格差も内包されている。
同じ研究室に所属している上級生であれば、教授側のそのフィルタリングの意図も当然理解しているだろうし、何より事前に教授の元へ通って情報を引き出すというステップを後輩が通過すべき当然の通過儀礼として考えているはずだからだ。
なら、他の研究室や選抜から漏れた人で別の研究室にいる人から情報を得る事は可能なのだろうか。
いや、それも極めて確率は低い。
そもそもその研究室を第一志望に置いていなければそんな仕様の存在自体を知るはずもない。そして仮に過去にその選抜処理から弾き出されたという落選者が身近にいたとしても、そんなデリケートな過去を教えてもらえるレベルで親密な関係を構築していなければ知りえない。何より、選抜に落ちた側がそんな構造や新たな志望者に対するルサンチマンを抱いていた場合、後輩に対してあえて正しい情報を教えてくれるかどうかなど、それこそ悪意ある嘘のリスクすらあり得る。
つまり、2年次を甘く過ごしてはいけない、という昨日の警告の真意は裏の意図まで読み切れということで。
随分と難易度の高い動き方を学生に強いるものだと呆れるほかなかった。
だが、好意的にこのシステムを評価するならばこれは究極の実践主義とも言える。
受動的な生き方ではなく、自らの熱意によって駆動する人間。わからないことを素直にわからないと判断して進んで質問を投げに動ける者。その自律的な資質を持つ人間だからこそ競争率の高い本配属を勝ち取ることができる。システム開発の現場や職人社会の選別基準としては、それはそれで、決して悪くはない仕様だろう。
だが、まあ。それは前世のビジネス経験があるからこそ言えることで。純粋で若い学生たちを相手に、ノーヒントでこの情報戦へ放り込むのは、中々に酷で、残酷な側面もあるだろうな、とは思うけれど。
そんな思考を脳内で回しているうちに壇上のスピーカーはハルバート・クラン教授の研究室へと移行した。
だが、そのハルバート教授のプレゼンテーションはお世辞にも良いクオリティとは言えないものだった。
発表の内容自体は彼が教授の地位を得るきっかけとなった、刻印をあえて欠損させた魔石に書き上げることで効率が上昇する現象の解説だった。
しかし、その研究内容はすでに俺とアリアよって冬休みの前に再現実証されてしまっている。
ハルバート教授のこれまでのメイン研究の一つはすでに達成されてしまっているのだ。
研究の前提条件そのものが大きく書き換わってしまった以上、教授自身でもここから先、あるいは別の領域にある新たな未知としての研究テーマを定義し直すというのは時間的にも困難だったのだろう。
元からプレゼンテーションとして喋りの構築も致命的に下手くそな可能性もなくはないが、それはまあ俺の知ったことではない。
そしてハルバート教授の口から実質的必修についての言及は一切なく。
というかこれは隠蔽の意図ではなく純粋な時間配分問題だ。他の教授陣に比べてハルバート教授は手元の羊皮紙を捲っていく速度が随分と速く、割り当てられた時間を随分と余らせたままそそくさと壇上から消えて行った。
何というか、一種のタイムアタックにも見えた。
だが、これはこれで非常に刺激的な視点が手に入ったのは事実で。
あえて教授の必修への言及の有無と情報の隠蔽という新しい観点を持ちながら発表を聞いてみる。ただの退屈な座学だったオリエンテーションの時間が随分と刺激的なエンターテインメントへと昇華された。
各教授の説明の内容隠された前提そして周囲の学生たちの反応。総合してみればこの大学における2年次の人気研究室予測が組み上がっていった。
これはこれでなかなか楽しい。一種のパズルにも思えた。
「おい、アリア。起きろ、終わったぞ」
丸1日に及ぶ説明会が幕を閉じ、大講堂にざわめきが広がるなか、隣の席で半分意識を飛ばして爆睡に落ちかけている人間の肩を揺すった。
「……んん? あぁ、カイ……。終わったのかい……?」
アリアはひどく眠そうな声を漏らしながら、どうにか視界の焦点を俺へと合わせてきた。いつの間にやら内職を終えて興味を失った以上意識を保つことは無意味になっていたのだろう。
「あぁ、とっくにな。……でさ、アリア。ちょっとここから、寄り道に付き合わないか?」
「寄り道ぃ……?」
「行き先は、ハルバート教授の研究室だ」
「……りょーかい」
先程言及していたおかげだろうか。ハルバート教授、という単語を聞きアリアの瞳にほんの少しだけ覚醒の輝きが起きた。
「…あー、でもさ、カイ。…説明が終わった直後のこのタイミングで、いきなり、研究室に行って、大丈夫なのかい?」
「問題ないだろ。発表の直後なら興味を持った人が個別に質疑応答に訪れるのは標準の範囲内のはずだ。むしろ、さっき教授が時間配分を随分巻いたから予定より終了がちょっと早い」
長椅子から立ち上がり鞄を引っ掴むとまだ眠気と疲労で動きの鈍い他の学生たちの人混みをすり抜け、大講堂を後にした。