白色とトポロジー   作:朝凪小夜

41 / 43
System; Recurrence_9

 大学の2年次がスタートしてから早いもので数週の時間が経過していた。

 各研究室の全体プレゼンテーションに、初回、2回目と講義進み、日々は徐々にではあるが落ち着きを取り戻しつつあった。驚くほど昨年と似たような日常へと。

 ただ、その裏側には変化も。昨年の実習やその後の研究室体験で知り合うこととなった史学科の面々に対して時折手紙も送っている。

 そして何より、アリアの存在。

 講義の合間合間で時折視線を、食事の場では少しばかりの言葉で。

 

「ねぇカイ。この刻印の意味、読めているんだろう?」

 

 見透かしたような、そんな問いを幾度となく投げかけてくる。

 思い返せば去年はもう少し季節が進んだ春の終わりに刻印の解読がバレて今に至っている。

黒板の文字を写しながらふとそんな過去を振り返っていた。

今年はあんな致命的なことをすることなくどうか平和な状態で終わってほしい。

 だが。そんな日和見的な希望がそう上手くいくはずもなかった。

致命的なバグやこちらの想定を超えた問題というオブジェクトはいつだって意思とは全く無関係に突然やってくるものだ。

 ある日の夕方、男子寮の自室のポストに投げ込まれていた一通の手紙を見て胃壁がギシリと軋んだ。

 差出人は、ボルス教授。

 内容は極めてシンプルに、週末の講義が終わった後研究室に来てほしいという要請だった。具体的な用件についての記述こそないが、文章全体のトーンからして深刻な何かの発生ではないことだけは読み取れた。

 故に教授が何を目的として俺を呼び出したのかは完全に不明だった。

かといって拒否するような自殺行為も選べない。俺は一体何なのかという疑問符を思考の片隅に常駐させたまま指定された週末を迎えることになった。

 

「やぁ、カイ君。今期は君たちの学年の講義は担当していないからちょっと久しぶりだね。元気?」

 

 研究室のドアを叩いた俺を、ボルス教授はのんびりとした笑顔で迎え入れてくれた。その表情は昨年のそれと変わらずどこか緩いような雰囲気を持っている。

歓迎として出されたお茶は、先日ハルバート教授の部屋でご馳走になったものより数段階は上のものと思える良い香りものだった。不人気と自嘲する研究室でありながらどこか切なさを感じさせた。

 教授は俺が席に着くと、世間話を挟むことなく滑らかに本題へと話を移行させた。

 

「わざわざ呼び出して悪かったねぇ。実はさ、冬の教授会でね、あのハルバート教授から発表された共著論文に、君の名前があるのを見つけてね。どうにも気になってしまって、こうして直接呼び出しをかけさせてもらったんだよ」

 

「あ、あの論文ですか……」

 

「いやね、僕が気になったのは論文の幾何学コードそのものじゃなくてさ。……君が昨年、僕の研究室体験(インターン)に来たときに提出したレポート。あの、馬車の持つ問題点を洗い出した、君のいう泥臭い銭勘定のレポートの記述の方なんだよ。特に、最後に君が書いて来た都市間のネットワークによる物流構造という話がどうにも気になってねぇ」

 

 ボルス教授はカップを揺らし窓の外の王都の街並みを見つめた。

 

「現在でも、都市と都市の間の繋がりは確かに存在している。そう多くはないけれど、定期便としての乗合馬車や、実質的に定期ルートを巡回している大商人のキャラバンも稼働している。その上でね……もし、僕が今研究を進めているような、魔石を自律駆動する推進器として扱う、推進力の持続制御技術が良い感じに実用化されたとしても、ねぇ?」

 

 教授は、デスクの上にあったいくつかの魔石を指先で叩いた。

 

「ただ単に従来の馬車を無人化するだけで、本当に国内全体の効率化が達成できるかなって、という疑問に行き着いたんだ。もし、高速で自律駆動する輸送機関を利用するなら……ただ個別の馬車をばらばらに走らせるのではなく、特定の定期ルートラインを設定した上で、膨大な荷物や人を相当な規模でマージして、一回に大量転送する構造を作らないと効率としてそう良いものにはなりえない。……最近は、そんなことばかりを考えていてねぇ」

 

 背中に冷や汗が流れる。顔は、表情は維持できているだろうか。

 ボルス教授が、今、その知性によって自力でたどり着き設計しようとしているシステム。それは、前世おける近代の鉄道網による大量輸送インフラそのものの概念だった。レールの上を、連結された巨大なコンテナが定時運行で走る高度インフラの社会構造だ。

 

「……それでね、カイ君。ここからは来年の話なんだけど」

 

 ボルス教授はどこか楽しげに俺に視線を戻した。

 

「君の昨年のレポートやあのハルバート教授の話を聞く限り、君は技術の表層だけじゃなく、社会構造の本質をものすごく高い解像度で捉えられる良い思考を持っているみたいでねぇ。もし君が嫌じゃなければ、来期の研究室本所属の候補にうちも入れてくれると僕は最高に嬉しいんだけどねぇ」

 

 教授は、困ったように頭を掻きながらしかし強く意志を感じさせる言葉を放ってきた。

 

「それに、もし君が別の例えばハルバート教授のところに本所属したとしてもさ。たまにでいいからここに来てくれて、こういう話の相手になってくれたら嬉しいよ」

 

「……光栄です。前向きに考えさせていただきます」

 

 それから、俺は教授といくつか話を交わし、2杯ほどのお茶を胃に流し込んでから、逃げるように研究室を後にした。

 

 研究室のドアを閉めた瞬間、俺の足は大学の図書館へ全力で向かっていた。

 ボルス教授の頭脳は、もう鉄道の誕生の入り口に完全に手をかけている。だが、本当にそれは、今この世界の物理で実装可能だろうか。

 図書館の巨大な書架エリアに飛び込んで、羊皮紙のインデックスを何度も捲って探し求める。

 検索対象は国内人口統計、そして地域別の農産物生産統計。

指先をインクと埃で黒くしながら歴史書や地理報告書の膨大なアーカイブを追い続けた。

 だが、時間と思考コストの消費にかかわらず、それらのデータは館内のどこを探しても見つからなかった。

 

「……あ。……あぁ、よかった」

 

 本棚の影で俺は壁に背中を預けながら安堵を覚える。どっと全身の緊張が抜け、膝から崩れ落ちそうになる。

 国内の人口や農産物の生産量に関する統計データが一般公開されていない、あるいは国として収集すらされていないということは、この世界の文明において、数値をマクロに見る統計学という概念が、学問としても実用の観点からも、まだ誕生もしていない事実の証明に他ならなかった。

 そしてそれは、前世における鉄道の誕生に必要不可欠な最も重たいスターターが決定的に欠損していることと同義。

 前世では、鉄道という莫大な初期投資がかかる怪物が形になったのは、単に蒸気機関の理論と冶金技術が両輪として揃ったからではない。

 本質的な火種は、技術ではなくもっと泥臭い第一次産業という食料生産の構造改革の存在あってこそだった。

 工業の発達に伴い都市部での労働力需要が爆発し、それに呼応して農村からの圧倒的な人口流入が発生した。さらに、肥大化していく都市の胃を満たすため、遠方の農村で生産された穀物や肉を、腐らせる前にとんでもないスケールで一括輸送しなければ都市が飢餓起こす。そんな極限の経済的必要性が存在したからこそ、莫大な資金が鉄道というインフラへと投資されたのだ。

 しかし、この世界はどうだ。

 技術の面では、ボルス教授の思考が理論としてだけが突出しているだけで、それを支えるための大量の鉄を安定して精錬し供給する冶金技術も、爆発的な人口流入を支える食料生産も、何より、その莫大なインフラ構築コストを回収できるだけの巨大需要が存在しないのだ。社会全体が鉄道という存在にはまだ準備を整えられていない。

 

「……これなら、まだ大丈夫だ。完全に、楽観的な甘い見通しかもしれないけれど……」

 

 手元の埃を払い書架の隙間で冷え切った指先を見つめた。

 社会の成長速度と、インフラの需要予測から逆算するに現在のレガシーな馬車システムから、ボルス教授の提唱する大量輸送インフラへと文明がシフトするまでにはおよそ二百年のシステム猶予があるはずだ。

 二百年。それが、執行猶予。

 だが、逆に言えば、旧文明が魔物を養殖し、生態系を構造に組み込んで構築していた、あの超巨大インフラの再構築のスピードより先に、二百年以内にカウンター構築し、間に合わせなくてはならない。

 二百年。寿命は遥かに超えてる。ならば、知識をいかに継承していくかという別の長期ロードマップが必要になる。

 なら、ボルス教授との繋がりは、最前線の構築を自身で確かめられるという最高のメリットに変わりうる。ほんの少しだけ自分の成果も出しながらその行く末を見守ればいい。

思いついてしまった新たな負荷に自嘲を浮かべ今度こそ確かな胃の痛みを検知した。

 図書館の重い扉をくぐり抜けると頭上に広がる春の空は確かに冬のそれよりも明るく、暖かな光を描いていた。同時に、吹き抜ける風はどこか割り切れない肌寒さを伴って、外套の隙間を静かに冷たく包み込んでいった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。