大学の講義スケジュールも順調に進行しいよいよ明後日から前期末試験が始まるという段階に至った頃。
実験の前後でアリアの瞳の奥で青く狂気的に燃え盛っていた技術への情熱は綺麗さっぱり何もなく影を潜めているように見えていた。昨年の様に古文書を引っ張り出すでもなく、野外実習に向けても特に変わりのない日々を過ごしていた。
だがそれは彼女の探求心が平常に戻ったことを意味しない。ただ周囲にはわからないながらも静かにしかし確実に燻っていただけ。
夕方ごろ少しの間自室を離れ、用を済ませて戻るその時。
ドアを開け足を踏み入れれば当然のように、既視感しか無いその姿が目の前にあった。
「カイ、遅いじゃないか。」
ベッドの上に我が物顔で鎮座し、俺の算術のノートをパラパラと捲っている。
驚くことに意味はない。というか、もう何故もどうやってという疑問を投げたところで全て何の意味も持たない。一応鍵もしたはずだが、アリアの才があれば鍵穴の内部構造をハックしてドアを開けるなど容易以外の何物でもない。
「……で? 明後日から期末だろ?お前、自分の部屋で勉強をしなくていいのか?」
呆れ混じりに問いかけると、細い肩をすくめた。
「そんなの、どうだっていいことじゃないか。来年の研究室所属こそあれど、私たちはとっくにあのハルバート教授と顔見知りじゃないか。あそこなら、人気のところみたいな必修による選抜工程なんて存在しないし、留年さえしなければ何とでもなるからねぇ」
「お前なぁ……」
「じゃあ、何故今アリアはこの部屋に居るのか、そう不思議に思わないかい?」
急に、声から軽薄さが削ぎ落とされた。
夕暮れの光が差し込む部屋の中で、彼女はひどく真面目な顔に表情を切り替え、ベッドの俺の目を真っ直ぐに見据えてきた。
「今日はただ伝えに来ただけだよ。テストの最終日の放課後、私たちはもう一度、実験室で実験をする」
「……は? 実験?」
「そうだよ。テストが終わればさ、その後にはまた、夏の野外実習が控えているじゃないか。その前にやりたいことがあるんだよ」
アリアは一切の迷いのない絶対的な確信を込めて致命的な問いを投下してきた。
「ねぇ、カイ。あの魔石の誘発現象はさ。本当は、3級の魔石でも再現できるだろう?」
心臓が嫌にうるさくなった。
喉は動かない。ただ無言でアリアを凝視するほかなかった。
「……2級魔石でしか現象が起きないというのはさ、ただ今のままの刻印を使った状態での出力の問題に過ぎない。だったらさ、3級魔石の刻印を書き換えて、時間当たりの出力スペックそのものを強制的に引き上げてやればいい。……そしてカイ。君なら、それを実装するコードが記述できる。違うかい?」
アリアのその言葉に、反論を何一つとして出力することができなかった。完全にフリーズしていた。
俺のその無言という結果に、アリアの表情がみるみるうちに最高に楽しげな笑みへと移ろう。
「やっぱりねぇ……! いやぁ、私としたことが、しばらくの間つまらない思考の枷に嵌っていたよ! 2級魔石じゃなきゃ現象は起きないなんてさ、私たちが冬休みに温度設定を弄っているというのにねぇ! 温度の設定を書き換えられるなら、出力そのものを変更して極限まで高めることなんて、普通に考えられる仕様じゃないか!」
アリアはベッドの上で拳を握りしめ嬉々としてマシンガントークを爆発させた。
やられた。完全に、やられた。
もし、あの日の実験室の現場で、あるいはあの廊下で、この質問を投げかけられていたなら、いくら何でも3級の容量じゃ無理だよと平然と誤魔化せていたかもしれない。
だが、このタイミングに部屋での不意打ち。逃げ場のない距離での問いかけ。周到過ぎる。
「君の反応を見る限りさ、4級魔石でできるのは事実だろうねぇ、4級でももしかしたらいけるかな、…その場合は直ぐに消えるかもしれないけど」
アリアはニィと小悪魔的に唇を吊り上げ満足そうに頷いた。
「……まあさ、本当は夏の間に、実家に呼んでそこでこの実験をしてもよかったんだけどねぇ。でも、君のことだ。そんなことをしようとしたら、絶対に安全管理がとか言って拒否するだろう?ならさ、大学でやるしかない。そうすると、タイミングとしては、そこしかないんだよ」
また反応でバレたという事実に、昨年から何も成長していないと自嘲と少しばかりの胃痛を覚えた。
アリアはベッドから床へと降り立ち、俺の丸椅子のすぐ目の前まで歩み寄って、その綺麗な指先で俺の机の端をコン、と叩いた。
「テスト最終日の放課後、どうせ他の学生は夏休みに浮かれて下町へ繰り出すか、あるいは野外実習の物品調達の用意で王都の問屋へ動いてる。……なら、その隙間を狙って、私たちは誰もいない実験室でステルス実験をやる。誰にも知られないようにね。……何か問題はあるかい、カイ?」
完璧なステルスタイムスケジューリングだった。
「……いや。完璧だよ…」
これ以上安全に3級魔石でのテストを試せる時間帯は他に存在しなかった。
何も言い返せないというのは少しばかり癪ではあった。だが、穴のない論理であることもまた事実で。安全とアリアの好奇と秘匿と、そんなことを天秤にかければそれ以外に道はない。
目を細め獲物を完全に追い詰めた狼に渋い視線を送るほかなかなく、アリアはただ嬉しそうに笑っていた。