野外実習は、それから新しい未知を見つけることもなくただ穏やかに全工程を終了した。
メインの内容は何か劇的な新発見をすることではなく単に遺跡内部という空間での動き方を学ぶという点が主だった。
たった2日間であっても短時間の探索であったにもかかわらず日差しが完全に遮断された暗闇の中に入ると精神を驚くほど激しく消耗するという事実を体験することになったのだから。
実習の隊列が王都の正門へと無事に帰還した時、俺たちを待っていたのは、じっとりとした都市の暑さだった。
首元の冷気石を駆動させながら、白い石畳を踏み締め、これから本格的に開始される夏休みをどうしようかと思考を進めていた。
まずスケジュールしたのは、あの共同テントで同室だったワイルドな長男坊の実家――北街にある料理店へのアクセスだった。
実習からの帰りの最中、彼から教えてもらったいくつかの目印を確認しながら街並み歩み進める。
「……へぇ。聞いていた通り、東の下町とは随分と動作環境(雰囲気)が違うな」
北街のストリートを少しばかり視線を振りながら観察すると、奇妙な既視感。
このエリアには、実家のある東の下町のように、魔石の買い取り窓口や、魔獣狩りの探索者用の武器屋や道具店がほとんど存在しないのだ。どちらかというと、前世に存在した中世風の静かな街並みに近く、その意味では、むしろ東の方がよっぽど異世界ファンタジー感のある異質な場所だったのだと、妙に納得した。
しばらく歩き続け、目的の店が視界に現れた。
平民街の飯屋らしく看板として目立つような何かしらは一切施されておらず、もし事前に彼から目印なり住所なりを教えてもらっていなければそのまま通り過ぎてしまいそうなほどだった。
だが客入りは悪くない。
店を少し観察していると途切れることなく幾人かが出入りしているようで、それなり以上の人気を博している店らしいことが見て取れた。
ちょうど空腹としても限界で意を決して古い木製のドアを開けた。
一歩足を踏み入れれば、店内は雑多な酒場とは違い綺麗に清掃された心地よい場所だった。これだけの清潔が維持されているのならリピーターがつくのも当然と少し感心させられる。
「おう、カイ! さっそく来てくれるとはな!」
カウンターの奥から聞き慣れた快活な声。店の手伝いとして絶賛稼働中らしくフィールドワークとは違い、布製の汚れよけの前掛けを着用している。
「あぁ、約束したからな」
そこそこに挨拶を交わすと、彼はニっと白い歯を見せて厨房の奥を親指で指し示した。
「ナイスなタイミングだぜ、カイ。あのチーズだけどさ、もう夏のせいで今年の分はこれで終わりなんだ。次は冬に入るまで仕入れは一切ストップしちまう」
彼はそう言うといくつかの料理を抱えて嬉々として厨房の奥へと引っ込んでいった。
その去り際、スイングドアの隙間から一瞬だけ彼の父親である料理長の姿が映った。
その姿が随分とよく似ていて、息子と同様に規格外の長身ととてつもなく強そうな体躯をしていた。
結果から言えば目的のチーズは最後、デザートのような形でサーブされた。
だが、そのメイン処理の前に提供された、特製の肉料理のクオリティもお世辞抜きで相当に悪くない味だった。貴族の食うもんにだって絶対負けねえと豪語していたのも、決してハッタリではないと。
この世界のというべきか、基本的に王都の食において料理にはそれなりに香辛料が使われている。
前世の地球から言えば、香辛料というのは海の向こうの遥か遠方から運ばれてくる贅沢品だったはずだ。だがこの魔法文明においては、距離こそあれど海を渡る必要がない地続きの交易ルートが確立されているため、平民であってもそれなり程度のコストで交易の品として手に入っているのがこの世界だった。
かといって前世の現代日本のクオリティと比較して同等か絶対的に美味いのかと言われるとそれもまた難しい。
味そのものは確かに良いのだが栄養学や最適化された構成から考えると、少し重たい。
その重さの最大の要因はこの世界では新鮮な生野菜という選択肢が完全に欠損していることだった。
ビタミンの補給自体は長時間煮込まれたスープの具材などで最低限の補填はなされているのだろう。だが新鮮そのものの青い生野菜をサラダとして食べるような文化はこの王都のどこを探しても存在しない。
そのボトルネックになっているのはこの世界のレガシーそのものの医学だった。
この文明の医学は、前世の定量データに基づくものではなく多分にオカルトじみた思想の観点が強く支配している。そこで曰く、生の冷たい野菜は人間の体内を冷やし病を引き起こすという、極めて面倒極まりない常識が蔓延っている。
だが幸いなことにハーブの類に関しては、毒消しや防腐の観点もあって、十分に溢れかえっていた。
運ばれてきた濃厚なステーキに、時折香草をまぶしながら口に運んでいた。
そうして食事を楽しんで。
「待たせたな、カイ! これが今年のラストだ!」
目の前に置かれた物体は間違いなくブルーチーズ。
白い凝乳のベースの中に不規則に侵入し、網の目のように広がる緑色と青色の斑点模様。
一般的には完全に腐敗の途中に突入した食中毒を起こす危険な物体にしか見えないだろうその見た目。
だが、そこから放たれる鼻腔への強烈な刺激臭も。そして、圧倒的なアミノ酸の旨味と特有のシャープな塩気も。
「……うまい…」
そんな言葉がふと漏れていた。