白色とトポロジー   作:朝凪小夜

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 不労所得という名の自動集金スクリプトは、エヴェレット・ヴィッセンの想定を遥かに超える勢いで駆動していた。

 

 辺境領の実家、薄暗い書斎。エヴェレットは豪奢な椅子の背もたれに深く体重を預け、手元の銀の懐中時計が刻む正常な音に耳を傾けていた。彼の前には、領主銀行の担当者が毎週、直立不動の姿勢で届けてくる最新の通帳が広げられている。

 そこに万年筆のインクで書き足された最新の数値を見た瞬間、エヴェレットの口元は、狙い通りの完全自動不労所得の達成に、だらしなく歪んだ形へと変形した。

 毎週毎週ただベッドで寝転んで酒を煽っているだけであの酒樽を丸ごと余るほど買えるほどの天文学的な額の金貨が爆速で口座に振り込まれ、桁数そのものを押し上げている。

 

 共同会社の設立から数ヶ月。

 

 辺境伯と王族を巻き込んだ事実上の国家事業としてスタートした鉄道網は、王都と農村のボトルネックを一撃で解消し、凄まじい勢いで経済の血流を循環させていた。エヴェレットが設計した通り、日常の泥臭い境界線争いや、面倒な駅舎の管理、乗客のクレーム処理といった最も煩雑な雑務は、配当金に目が眩んだ沿線の貴族たちとシヴィエ率いる鉄道労働組合の間で完璧に丸投げされている。彼らが最前線で直接殴り合ってくれているおかげで社長のエヴェレットの元には本来であれば何一つ面倒なタスクは届かないはずだった。

 

 そう、本来であれば。

 

「笑える。笑えるぜ、ジョセフ。俺の不労所得ライフは完全に完成した。……だが、俺の顔はどうだ?死んでるだろ? 魚と同じ目をしてるだろ?」

 

 エヴェレットの口元は笑いの形に歪んでいたが、その瞳は、恐ろしいほどに冷たく、一切笑っていなかった。

 彼の死んだ魚のような視線の先には机を埋め尽くし、もはや雪崩を起こしかけている膨大な紙の山が鎮座していた。

 それは、鉄道の圧倒的な輸送力と特等列車がもたらした琥珀色の喜悦体験の噂を耳にした王国内のあらゆる領地、主要都市、商業村、果ては隣国の王国からも届いた熱狂的な新規路線敷設依頼書の嵐だった。

 

「おいヴィッセン、我が領にも鉄の道を引け、うちの街にも駅を作れ、金を出すから特等列車を走らせろ……! クソが! どいつもこいつも、システムを一度稼働させたら、その利便性の麻薬に脳みそハックされやがって! 寝てるために、一生ベッドから出ないために作ったシステムが、なんでこんなクソタスクの山を呼び寄せてるんだよ!」

 

 エヴェレットは、机の上の書類の山を激しい殺意を込めて睨みつけた。

 大成功という名の致命的な逆転。これこそが、アーキテクトであるエヴェレットが予期せぬ形で直面した最悪の帰結だった。

 

「文句を言うな、エヴェレット。お前が世界に示したアイデアが優秀すぎたという証明だ」

 

 部屋のドアが開き、実験室の油と熱気をまとったジョセフが、冷徹な声とともに乱入してきた。彼の腕には、また新しい実験データと、不気味に明滅するガラス管が抱えられている。

 

「ジョセフ、お前はこの地獄の景色が見えないのか?」

 

 エヴェレットは、山積みの依頼書を両手で掴み兄の前に突きつけた。

 エヴェレットの脳内視覚は極めて厄介なことに届いた依頼のデータを認識した瞬間、王国から隣国へ至る広大な大地を最も少ないレールの長さで最も効率的に網羅する完璧な鉄道の幾何学を一瞬で描画してしまっていた。頭の中に、美しく冷徹な鉄の道の網の目が、完璧なソースコードのように浮かび上がっていた。

 

「…景色は見える。繋げば、さらに口座の数値は膨れ上がるだろう。……だが、それを繋げてしまえばしまうほど、比例して発生するコストは何だ? 新しい貴族どもとの政治交渉、新規労働者のインポート、土地の利害調整、そして何より…」

 

 エヴェレットは、マットレスの上の枕を殴りつけた。

 

「あの骨と内臓をシャッフルする馬車での面倒極まりない移動そのものだ! 王国全土どころか隣国まであの乗り物で移動してみろ、鉄道が完成する前に俺の体がクラッシュするわ!」

 

 エヴェレットは再びベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めて深い呪詛を吐いた。

 だが、ジョセフはそんな弟の絶望を淡々と受け流し、手元の不気味に発光するガラス管を机の上に置いた。

 

「お前の移動も深刻だが、エヴェレット。私の研究室では、一族全体の安全を根底から揺るがしかねない致命的な問題が作り出された」

 

 ジョセフのいつになく冷たい言葉に、エヴェレットはしぶしぶ枕から顔を上げた。

 

「……何だよ。電球か? あれは電気って、今の世界が未到達のエネルギーを利用してるんだろ。他人がリバースエンジニアリングして真似することは物理的に不可能。完璧な隠蔽が保証されてるはずだろ」

 

「ああ。電気という概念そのものを、文明が独自に発見して利用しだすのはまだまだ不可能だ。その壁は突破されない。……問題は、お前が鉄道を開業するために社会へばら撒いてしまった既存の魔石の刻印の方だ」

 

 ジョセフは、ガラス管の端に実証実験用の小さな魔石を近接させた。その瞬間、発電機も回していないはずのガラス管の内部が、不気味にピカピカと純白の光を放って明滅し始めた。

 

「……は? なんで魔石でそれが光ってんだよ!」

 

 エヴェレットの目が、初めて驚愕で丸くなった。

 

「魔石の仕様を、もう一度一から考え直そう」

 

 ジョセフは、明明と光るガラス管を指差しゆっくりと解析を始めた。

 

「世界において、魔石とは刻印を施した魔石と、そこへエネルギーを供給する魔石とを分離して運用する方式が一般に行われている標準だ。誰もが日常的に、刻印を彫り、魔石を繋いで魔法インフラを動かしている。……そして問題は、お前が鉄道の敷設にあたり、長く世界の研究課題であった難解な刻印を、ボイラーの圧力制御コードとして社会へ拡散してしまったことだ」

 

 エヴェレットは、自分の額に手を当てた。

 

「……待て。俺がばら撒いたあの鉄道用の制御刻印、まさか」

 

「その、まさかだ」

 

 ジョセフは、羊皮紙に書かれた未知の文字列、初代の時代から引き継がれてきた、現文明の人間には絶対に読めない英語の配列を指差した。

 

「世界中の技術者たちは刻印を読めない。一族以外には単なる文字列にしか見えていない。……だが、文字自体は露出しているんだ。そして、どこにだって、狙うかどうかはともかく、ほんの少しズレた発想で何かしらを書き換える奇才が一定数存在する。もし、世界の誰かが、お前のばら撒いた刻印を模倣する過程で文字を間違って記述したり、偶然コードの配列を書き換えてしまったらどうなる?」

 

 ジョセフは、魔石の刻印の、ほんの一文字のスペルをピンセットで指し示した。

 

「エネルギーをただ供給させるのではなく、フィラメントという細い金属線へ送り込み、循環させるという、ほんの少しの書き換え。それが発生した瞬間、発電機がなくてもこの世界にありふれた普通の魔石を使って、あの純白の光、電球と同じ発光現象が、この世界に作り上げられてしまう」

 

 エヴェレットの脳内メモリが一瞬で凍りついた。

 電気という未知の物理は真似できない。だが、今も当たり前に存在する魔石と刻印という既存の組み合わせの妙によって、誤記述による偶発的な電球の再現という最悪のリスクが、確率論的に跳ね上がってしまったのだ。エヴェレットが効率のために鉄道の制御コードを社会に公開したせいで、世界の魔導技術者たちが日常的にそのコードを弄び、偶然にも電球という一族の秘匿に到達してしまう臨界点の存在が、今牙を剥きつつあった。

 

「まだ、誰もその問題には気づいていない。世界の人間は、この光をまだ知らない」

 

 ジョセフは、魔石を離し、ガラス管の光を消した。書斎に再び初秋の不気味な暗闇が戻ってくる。

 

「だが、時間の問題だ。誰かが偶然、コードを書き間違えたその瞬間にこの秘匿は脆く壊する」

 

 双子の脳内に、世界の不条理な足音が、強烈なアラートとしてこだましていた。

 

 エヴェレットは、机の上のボトルを掴み、グラスに注ぐことすら忘れて、そのまま喉へと流し込んだ。

 芳醇な麦の香りと果物の甘みが胃壁を焼き、脳のプロセッサを強引に冷却していく。

 

「……あーあ。ダルい。マジでダルい。本当に、ただベッドで寝転んで一生を過ごしたかっただけなのに」

 

 エヴェレットは、ボトルをドスンと机に置き、死んだ魚の目に、かつてないほど邪悪な光を宿らせた。

 

「隠し通すのはもう限界だ。世界が俺たちの技術の足元に、魔石を使って勝手に追いつき、ハックしようとしてる。……だったら、ジョセフ」

 

 エヴェレットは、隣国の王国からの敷設依頼書を指差した。

 

「世界がその偶然から本質に至る前に、こっちから鉄道網を、王国全土、そしてあの隣国の王国まで爆速で敷き詰めてやるよ」

 

「……世界の速度を、まださらに上げるというのか?」

 

「逆だよ。この魔石発光の現象そのものに世界が気づく前に、ヴィッセンが独占する鉄道の内側に強制的に取り込んで、デファクトスタンダードの壁の中にもう一回隠す。線路の横に電線を張り巡らせ、この光の明滅を信号としてインフラそのものに組み込む。そうすれば、世界のバカどもが偶然光らせたとしても、これはヴィッセンの鉄道信号の真似事かと、勝手に誤認して擬態の盾になってくれる」

 

 エヴェレットは立ち上がり、懐中時計の蓋をパチンと閉めた。

 

「…仕方ない。ああ、しゃーないぜ。そのために、隣国までの政治交渉も、土地の泥臭い調整も、あの拷問馬車での移動の地獄も……全部、俺の命を削ってでも最速で片付けてやる。世界を、俺自身のこの手で、さらに加速させてやるよ!」

 

「不労所得のため、だな」

 

 ジョセフが、不敵に笑った。

 

「そうだ!当ったり前よ! 一生サボるためのシステムを守るために、俺が死ぬほど働かなきゃいけないなんて、どんなクソ仕様だよ! この世界は!」

 

 エヴェレットの愚痴とともに辺境領にて、世界全体の技術レベルを押し上げる、アクセラレーション・レースが宣告された。

 夜の静寂の向こうから実験線を走る鉄の怪物の地響きが聞こえてくる。

 双子は、電球の妖しい明滅を見つめながら世界に向かって静かにその牙を研ぎ澄ませていった。

 

 

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