白色とトポロジー   作:朝凪小夜

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「いやはや、エヴェレット代表! 我が領の特等駅に昨日滑り込んできたあの特等列車、あれは本当に奇跡の宮殿ですな! 何より、車内で直に注いでくれたあの酒の数々! あの喜悦を知ってしまっては、もう従来の揺れるだけの馬車で運ばれてきた気の抜けたワインなど、豚の泥水も同然ですぞ!」

 

「まったくですとも! おかげで王都の村々から新鮮な生鮮食品が一滴の鮮度も落とさずに我が領の厨房へ届くようになった! 早速、この物流を利用して王都の最新の投資話にありったけの金貨を突っ込む計画を走らせております!」

 

「エヴェレット代表、いっそのこと、私専用のプライベート列車を一台、ヴィッセンの独占製造権で発注させてもらえないだろうか! 金ならいくらでも積む! あの最高級ウイスキーの樽を丸ごと車載した、私だけの動く世界が欲しいのだ!」

 

 城中のきらびやかな夜を彩る、とある有力領主の主催した鉄道開業祝賀会。

 豪奢なシルクの衣装をまとい、手元にクリスタルグラスを掲げたエヴェレット・ヴィッセンは、周囲を囲む貴族からの熱狂的な賞賛の嵐に対し、寸分の隙もない、完璧に整えられた営業スマイルを張り付かせていた。

 

「皆様、そこまで我が社の鉄道を評価していただけるとは、ただただ冥利に尽きます。専用列車のオーダーに関しては、また後日、弊社にて書類を通しておきますので、今宵はどうぞ、その琥珀色の液体がもたらす極上の時間をお楽しみください」

 

 流暢な、淀みのない完璧なプレゼンテーション。

 貴族たちはその言葉にまた賞賛と過熱をもって、満足げにウイスキーを喉に流し込み、再び市場の投資話についての議論へと戻っていく。

 その背中を見送った瞬間、エヴェレットの端正な顔から、全ての感情が文字通り落ちた。彼の目は、瞬時に死んだ魚のそれへと反転する。

 

 ダルい。マジで耳が腐る。どいつもこいつも、食品だの投資だの専用列車だの、強欲以外の何物でもねえ。なんで連日連夜、こんなクソ騒がしい祝賀会処理し続けなきゃいけないんだよ。

 エヴェレットは、手元のグラスのウイスキーを忌々しげに煽り、小さく舌打ちをした。

 社交界の大人たちは、彼を若くして国家規模のインフラを牛耳る、底の知れぬ実業家集団の中でも抜きんでたものと評し、畏怖の視線を向けている。だが、ヴィッセン一族の身内の重鎮たち、とりわけポール爺様や実家の親族たちが、エヴェレットを最悪と呼ぶ理由は、その政治的手腕の悪辣さとは全く別の事情に根ざしていた。

 幼少期のエヴェレットは、一族の徹底的な英才教育を従順な態度で受け入れ、脳内への暗唱も誰より高速で処理する、正統なる次世代の神童そのものだったのだ。誰もが一族の未来を彼に託すものと確信していた。

 しかし、大学へ入学した瞬間彼は突如として極限の怠惰へと突入した。

働くとは、この世界の仕様に自分の寿命を無償提供する最も愚かな行為である

 そう悟ってしまったエヴェレットは大学を落第ギリギリの最低限で通過し、卒業後も適当な転職と退職を五回も繰り返すという、大人たちから見れば最高の脳を自らドブに投げ捨てるような最悪の裏切りを敢行し続けた。今の社長業も、突き詰めれば一生二度と働かないための、

最初で最後の超大型作業に過ぎない。

 

「……さて。バカどもの接待はこれで終わりだ。次、次、と」

 

 エヴェレットは空になったグラスを給仕のトレイに置いて、喧騒のパーティ会場から滑るようにして姿を消し夜の闇が降りる特等駅のプラットフォームへと歩きだした。

 

 

 拷問馬車に脳髄をシェイクされながら王国全土を忙しく動き回り、最悪の面倒たる祝賀会に出席し続けるというコスト。それを支払いながらも、エヴェレットがこの過酷なロードマップを敢行しているのにはもう一つの目的が存在していた。

 エヴェレットの目的は、爆速で繋がりつつある線路網の利便性を擬態に使い、各地の要所に散っている一族の親戚と直接接触し、ジョセフから託されたある一通の書類を渡すことだった。

 

「王族も教会も、俺が鉄道の開通祝賀という名目で各地の新設駅舎を回っているとしか認識してねえ。国家公認の最高の大義名分だ。俺がどこへ行き、誰に挨拶しようが、そんなもんは単なる社長の通常業務としてしか記録されない。最早古典芸能だな」

 

 特等駅の裏手、微かな光が照らす建設中の巨大な中央管制室の現場。

 そこでは、表向きは地元の優秀な建築家や土木ギルドの監督官として働く一族の血を引いた男たちが泥にまみれて図面を睨みつけていた。

 鉄道インフラの最前線の土台には、駅舎の設計、土地の効率的利用、線路の構造計算の監督官として、ヴィッセンの血統が不気味なほど深くそして静かに入り込んでいた。彼らがいなければ何トンもの鉄塊が時速数十キロで走る路線など維持できるはずがなかった。

 

「エヴェレット代表、第三区間駅舎の設計確認、お疲れ様です」

 

 無駄にガタイのいい一族の従兄が、帽子を取ってエヴェレットに一礼した。周囲の一般の作業員たちからは、単なる若き社長と有能な現場監督の業務連絡にしか見えない一幕。

 

「ああ、ご苦労様。こちらにも挨拶に来たよ。……ほら、ジョセフからだ。周りのバカどもに見られないように、さっさと脳に納めて現物は廃棄しろよ」

 

 すれ違いざまに泥のついた作業仕様書の束の隙間に一通の極薄の羊皮紙を滑り込ませた。

 受け取った従兄の目がその書類の文面を見た瞬間、一瞬だけ鋭く見開かれ、すぐに何事もなかったかのように書類を懐に仕舞い込んだ。

 

「……なるほど。ジョセフの実験は、ついにここまで到達したか」

 

「そうだよ。だから爺さんたちにも共有して、一気に製造を始めろって伝えろ。世界が気づく前に、一族全体のスペックを、もう一段上の次元へ押し上げる」

 

 エヴェレットはそれだけを冷徹に告げると、再び気だるげな足取りで、王都へと引き返す馬車へと戻っていった。

 彼が世界中にばら撒き続けている、その1枚の書類。それこそが、実家の地下研究室でジョセフが到達した設計図だった。

 

 カチ、カチ、カチ……。

 キン。

 不気味なほどの静寂の中で、精密に噛み合わされたクロム鋼の歯車たちが、時折、冷たく澄んだ高い音を立てながら、滑らかに回っていく。

 実家の地下実験室。ジョセフ・ヴィッセンは、部屋の中央に鎮座する、高さ数メートルに及ぶ鉄とガラスと魔石の怪物の前で、静かにその動作を監視していた。

 

 ガチ、ガチ、ガチ、カチ……。

 ピカ。

 

 階差機関が一定の周期を刻むたび、その側面に配線されたいくつかのガラス管が純白の光を放って明滅し現在の演算シーケンスの状況を知らせる。

 そして、その巨大な構造体の最奥でエネルギーの外部供給ラインとして直結された巨大な魔石が、動力としての駆動を示す妖しい光を、薄っすらとしかし途切れることなく放ち続けている。

 魔石のパワー、機械式歯車のトポロジー、そして電気信号による明滅。

 

 3つの異質な機構が、一つの筐体の中で完璧に同期して稼働する、この世界における人類初の電子計算機のプロトタイプだった。

 

「……ふむ。増幅器による論理演算にまではまだ届かないが、このハイブリッド構造であれば、ミリ秒単位での多変数高次方程式の並列演算処理が正常動作する。…すり合わせは成功だな」

 

 ジョセフは、油と魔石の残熱が立ち込める室内で、手元のノートに数式を書き加えた。

 エヴェレットの前で灯した電球という光。それは、ジョセフにとっては電気回路が正常に導通し制御できるという事実を確かめるための、単なる初期テストに過ぎなかった。彼の真の目的は、最初からこの計算機のビルドにあったのだ。

 一族とて、過去の歴史の中で計算機を作ろうとしなかったわけではない。初代の遺した知識にはデジタル計算機の理論さえも格納されていた。

 だが、かつての先代たちがどれほど頭脳を絞ろうとも手に入る材料は不純物だらけの鉄であり、歪みだらけの歯車であり、品質の不安定な魔石の出力だった。どれほど美しい理論があっても、それを実行するためのハードウェアがゴミであれば、出力されるのは時代の限界を示す、粗末な機械の置物でしかなかった。知性が世界によって無惨に制約されるという絶望。

 それが今、エヴェレットがサボるために社会の欲望を煽り、鉄道インフラという超巨大プロジェクトを投入したことで世界中の町工場やギルドが金のためにネジの規格を統一し、金属の精錬品質を爆速でバージョンアップさせた。

 社会のスペックが、一族の蓄えてきた脳内理論の足元に追いついた瞬間ジョセフの計算機はついに稼働のもう一つの臨界点を踏み抜いたのだ。

 

「当然、この果実を、外の世界のバカどもに独占させる気もそのままばら撒く気もない。……だが、一族のネットワークへ一斉に投げかけたらどうなるか」

 

 発光する電球の光を瞳に映しながら、呟いた。

 ヴィッセン一族の人数は、今や、地方の主要都市を一つ丸ごと埋め尽くしても、まだお釣りがくるレベルにまで増殖していた。

 そしてその全てが、例外なく、高等数学、物理学、計算機科学の地力を、一切欠けることなく脳内にインポートしている、地上最強の知識集団。

 そんな化け物の集合体に、この計算機という外部演算器が与えられたらどうなるか。

 これまでは、原始的な徒歩や馬車の手紙という遅すぎる連結でバラバラに思考していた天才たちが、鉄道という超高速ネットワークで物理的に繋がりながら、この計算機を使ってさらに先の計算機や未来の数理シミュレーションを、現場と脳内で一斉に開始する。

 世界は、ヴィッセンの敷いたレールと共に加速する。

 だが一族は、この計算機という翼を得て、システムの遥か内側で、世界の認識の光すら置き去りにする超光速で自己進化を最大化させていくのだ。

 

 だが、その自己進化を安全に実行するためには、世界最高のセキュリティとして他者が絶対に介入できない暗号が必要だった。

 エヴェレットが、祝賀会の合間を縫って各地の一族のノードへ手渡し続けている、あの書類。それこそが血統そのものを鍵にした仕様書だった。

 

「回路図と設計論理の両方が、所々、不自然な空白で落ちている……欠損した設計図。これが俺たちの放った、世界の誰にも解読できない最強の暗号さ」

 

 深夜、辺境領の実家へ一時的に戻ったエヴェレットが、書斎の椅子にドサリと座る。広げた図面の前でジョセフは邪悪に笑った。

 その図面は、一見すると不完全な、配線が途切れたただのラクガキにしか見えない。いかなる高名な魔導学者や王立大学の教授が盗み見たとしても、ただの印刷に失敗したゴミとして廃棄するだろう。

 図面の空白部分を接続するためには、電気工学の配線知識を要求し、かつ、そこに書き込まれるべき論理ゲートのオン・オフの挙動にはブール代数を利用した真理値表、そしてド・モルガンの法則を利用した論理反転の数式を脳内に格納していなければ絶対に回路の正解のルートへと辿り着けない仕様になっていた。

 

「先の理論を最初から頭の中にインポートしているヴィッセンの人間なら、この空白を見た瞬間に、脳内で一瞬で答え合わせをして、図面を完全なものへと修復できる。……理論を知るがゆえの、逆算のハック。これ以上の暗号は存在しねえよ」

 

 エヴェレットはボトルを傾け、喉を鳴らした。

 

「鉄道の開通祝賀という最高の擬態の盾を使って、俺が王国のどこに現れ、誰にこの書類を渡そうが、誰もが挨拶回りとしか認識しない。…自己進化が走り出したな、ジョセフ」

 

「ああ。地上の線路を網羅する速度よりも速く一族の計算速度が世界を置き去りにし始める。お前が移動のコストを支払った甲斐があるよ、エヴェレット」

 

 ジョセフは、静かにノートを更新した。

 世界を裏から見つめ他人の欲望を利権の数字でコントロールして完璧な三つ巴の防壁を組んだエヴェレット・ヴィッセン。一族の大人たちは、彼を幼少期は神童、それでいながら自ら怠惰に身を落とした底の知れぬ最悪の天才と評し警戒している。

 だが、ポール爺様も、シヴィエも、そして王族のクリストフ卿すらも、ヴィッセン一族の本当の最悪さの核心には気づいていなかった。

 誰よりも世界が見えシステムを瞬時に構築できるエヴェレットと、全く同一の肉体、同一の遺伝子、そして同一の脳を持つ双子が、同じレベルの悪辣で完璧なハックを、数式と理論の側から実行できないわけがないという冷徹なファクトに。

 片方が前面で社会をハックし、もう片方が陰で計算機を回して、一族全体を加速へと導いていく。

 明滅する電球の白光に照らされた双子の顔は、全く同じ不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

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