白色とトポロジー   作:朝凪小夜

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System; A_Star_5

「発射まで、十秒。…各担当、シーケンス準備」

 

 中央の指令台に立つケイ所長が、冷徹な手付きで秒読みのシグナルを全回線へ送出する。

 

 その言葉を合図に、室内の全員が息を呑む。

 真鍮の歯車が噛み合う階差機関のオペレーターは油の匂いに塗れながらクランクを固定し、壁一面の磁気コアメモリを監視する若手たちはチカチカと点滅するステータスランプの配列を凝視する。数ヶ月の結晶の行方を、そしてその結末を確かなものにするためにその視線は揺るがない。

 

 「…時間だ。ミッションを開始する。…発射!」

 

 レバーが引き絞られる。

 地平に赤の波が湧きたつ。次第に白煙を伴って大きくなるその火は少しずつ轟音となり鉄の塊を世界から押し出す。

 

 巨大な影は次第に遠ざかり、垂直の空へと消えていった。

 

「大気圏外到達を確認! 分離過程、…成功!」

 

 通信兵の絶叫が響いた瞬間部屋は爆発的な歓喜の渦に包まれた。技師たちは手を取り合って跳ね回り涙を流して抱き合っていた。

 ロケットは大気圏を越え、そして一つの信号を送る。それは分離と世界を記した一つのデータの記録の印。もうすぐ地上にそれを納めたカプセルが落ちてくる。

 つまり、最高高度への到達とそこからの情報記録という二つのミッション。どうあっても一つは達成しもうすぐもう一つの結果さえわかる。喜びの理由はそこかしこにあった。

 

 

 あの日から、数月の時間が流れた。

 世界は狂気的な熱狂の中にあった。隣国との緊張、ひいては垂直方向の絶対的支配権という原初的な恐怖に突き動かされた国家は、際限なく予算をこの研究所へと流し込み続けていた。学者や魔導師たちは刻印文字の解読が進むたびに、それが軍事力を何倍にも跳ね上げる究極のコードであると信じて疑わなかった。

 だが、その恐慌と熱の裏側で世界を見つめその動きを押さえ続けるのは依然としてヴィッセン一族だった。

一族の構築した電子の戦士を内包した無骨な鉄の怪物は次々と大気圏外へと射出され、すでに2基の人工衛星が暗黒の宙域で静かにスタンドアロンの待機ループを走らせていた。

 そして今日。すべてを終わらせるための最後の回線、3基目の人工衛星を積んだロケットの打ち上げミッションが終わった。

 

 ニコラスは、最奥の秘密計算機室でソフィアを伴ってただ画面を見つめていた。

 

Initializing...

Satellite 03: Orbit Injection Sequence...

 

 明滅する緑色の文字列。世界を完全に包み込むための最後の一辺、三角形の回線が今まさに閉じようとするその瞬間を前に、室内の空気は破裂しそうなほどの緊張感で満たされていた。

 200年を超えて世界の崩壊を防ぐために擬態と隠蔽を繰り返しながら積み上げてきたすべての課題がこの1タスクに懸かっている。

「……3基目、相互観測プロトコルを開始」

 

 ニコラスが静かにキーを叩いた。その瞬間、画面のログがゆっくりとスクロールを始めた。

 

Satellite 01: Awaiting Link...

Satellite 02: Awaiting Link...

Satellite 03: Online.

 

 画面の上で、3つの緑色の光点が、互いに向けて不可視のレーザーパルスを送信し、捕捉し合う動的なシーケンスが開始された。星を囲む巨大な球と中心点による大三角。それぞれが互いを絶対的な基準点として同期し、3点測量によって惑星内の時空の曲率をリアルタイムにデバッグしていく、一族が夢見たセキュリティネットワークの構築。

 

/

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Link Establishing...

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Satellite 01 <--> Satellite 02: Connected.

Satellite 02 <--> Satellite 03: Connected.

Satellite 03 <--> Satellite 01: Connected.

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Three-Point Handshake: ALL GREEN.

 

「繋がった……」

 

 ニコラスの口から、掠れた声が漏れた。

 3基の衛星による相互観測が完全に確立された、その瞬間だった。液晶モニターに、驚天動地のシステムアップデートが自動的に実行された。

 これまでの通信による階段状にカクカクと歪んでいたジャギーだらけの不格好な近似絵が一瞬にして消滅した。

 

 代わりに画面の上に展開されたのは、単なる滑らかなグラフィックではなかった。

 

「……数式…?」

 

 ソフィアが、息を呑んでモニターに一歩近づいた。その大きな瞳が、緑色の光を反射して怪物の輝きを帯びる。

 画面全体を埋め尽くすように高速で記述されていくのは、空間の歪み、高度依存の非線形重力、および天体の近日点移動のあらゆる補正値を内包した、膨大なパラメータの並ぶテンソル・マトリクスそのものだった。

 3基の衛星がリアルタイムで同期して走らせた、時空曲率の計算結果。その美しく整った数式そのものが、ある規則性を持って画面の上に配置され、動的に変数変化を繰り返しながら、光の線となって収束していく。

 そして、その数式の連なりそのものが現実の惑星の境界線、青い海と大地の織り成す曲線を完璧な輪郭として画面の上に直接描き出していったのだ。

 

「……あの方程式が、現実の世界を記述している……」

 

 ソフィアの指先が、液晶モニターの表面をそっとなぞった。

 そこにはもう離散値は存在しなかった。数式というこの宇宙で最も純粋で美しい言語が、離散化された数字の壁を突き破り、彼女が脳内だけで孤独に描いていた滑らかな無限小の世界を電子の光のなかに完全に物質化させていた。

 

「…ただの絵じゃない。世界そのものを、リアルタイムに数式として再定義しているんだよ」

 

 ニコラスはモニターを見上げたまま、呟いた。

 

 画面の最末尾には、全惑星規模の監視回線が完全に導通し、1ビットのロスもなく常駐ループへと移行したことを示す、眩いばかりのステータスが点灯している。

 

Global Security Scanner: Runtime Active.

Status: ALL GREEN.

 

 空間の曲率も、そしてそこから必然として導かれる時間の遅れまでもが、寸分の狂いもなくリアルタイムに処理されていく。

 ニコラスの網膜には、かつて祖父ジョセフが知識としてエミュレートしながらも、世界の限界ゆえに決して見ることのできなかった世界がまばゆいばかりに見えていた。

 

「……数式の精緻化」

 

 

「……相互観測」

 

 200年の執念と、ソフィアの知性がマージされた、完璧なアーキテクチャ。

 

「そして、観測による、繰り込み」

 

 3つ目のステップを口にした、その瞬間だった。

 

「……ふっ、くく」

 

 ニコラスの口元から、堪えきれない歪な笑いが漏れ出した。肩が小さく震え、それはすぐに、明確な嘲笑と歓喜の混ざり合った笑い声へと変わっていった。

 

「はは……、ははははは!」

 

 ニコラスは両拳を天に向けて突き上げ、その喉を引き裂くような狂気的な歓喜の絶叫を、深夜の秘密計算機室に響き渡らせた。

 

「見たかじいちゃん!! 届いたぞ!! 近似なんかじゃない、これが俺たちの、本物の宇宙だ!!」

 

 その絶叫は、一族が200年の間、裏で背負い続けてきた孤独なデバッグタスクからの完全解放のカタルシスだった。

 

 絶叫するニコラスの横で、ソフィアは静かにモニターの光を見つめていた。

 ニコラスたちの歓喜が響く秘密計算機室から、さらにもう一枚ぶ厚い防壁を越えた、一族のサーバーファームの最奥。

 巨大な電子計算機の筐体群が並び、不気味なほどの熱気と静寂がこもるその部屋に、一人の男が立ち尽くしていた。

 研究所の所長であり、ヴィッセン一族の現世代の長、ケイ・ヴィッセン。

 ケイは、手元のマスターコンソールに次々と表示される、3基の衛星網の完全同期を告げるステータスログを、ただ静かに見つめていた。

 

System Firewall: Armed.

Anti-Gravity Bug Protocol: Operational.

 

 3基の衛星による相互観測網の完成。それは、ニコラスたちの目指した宇宙の観測と同時に、一族の真の最大目標、世界の安全防壁が全地球規模で構築されたことを意味していた。

 上空から世界中の魔力粒子を常時監視し、地上のいかなる国家や魔導師が、前文明を滅ぼしたあの重力兵器の刻印を起動しようとした瞬間に上空の衛星がそれをミリ秒単位で検知。3方向から逆位相のパッチを流し込みその暴発コードの引数を強制的に書き換え無害化する。世界最強のサイバーセキュリティシステム。

 初代カイの魂がこの世界に流れ込んで200年を超える。

 一族の万を超えた知識が、紙に一切の記録を遺さずに狂気的な擬態と隠遁の規約を守りながら技術加速の納期に追われ続けて背負い続けてきた、世界の調律という過酷極まりないバックエンド・タスク。

 それが、いま、ニコラスとソフィアという二人の規格外の天才によって、完全に、永続的な安全として落着した。

ケイは、ゆっくりとコンソールから手を離した。

 誰にも知られない、世界の救済。

 

「……これで終わったな」

 

 ケイの口から漏れた声は、ひどく静かで、しかし途方もない歴史の重みが融けていた。

彼の目から、一筋の涙が静かに溢れ、電子計算機が放つ淡い白光に照らされてきらめいた。

 

「…終わったよ、父さん。親父たちの世代が手を伸ばした、世界は俺たちが掴んだ。……たった今、世界は、安定を手に入れたんだ」

 

 

 

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