「……動くねぇ、これ」
大学の講義室のひとつ、教壇の前に差し出された、俺たちの共同制作扱いの簡易魔導コンロを見つめながら、小太りのボルス教授は丸い顎を撫でた。
「解読そのものは、まぁ、できてないね。ただ、古い刻印の記述をバラバラに組み換えて、とりあえず実験的に色々試して配置してみたら何故か動いてしまった……というところかい? かなり変わっている記述になっている、動いてしまっている以上破綻はない。解読ではないというのは微妙なところだけど、うん、約束通り単位はあげるよ。期末の実習も免除だ。満点扱いにして、望むなら研究室への推薦状も書いてあげよう」
教授はあっさりとそう言った。
予想通りだ。教授は再現性のない偶然のひらめきをわざわざ深く解析するほど暇じゃない。難読化によるカモフラージュは、今のところ問題なく機能している。
「それと、これを作るまでに、他に失敗した試作の魔石とかは残ってないかい? 研究の試料として貰えると嬉しいんだけど」
教授が何気なく放ったその一言に、俺の隣に立っていたアリアが、事前に打ち合わせていた通りのトーンで割り込んだ。
「あー、すみません教授。試作で失敗した魔石は、全部その場で刻印を削り落として、別の実験の練習に再利用しちゃいました。平民の私費じゃ何個も予備の魔石を買う余裕なんてないですし、大学の支給品もあるとはいえ個人がそんなに潤沢に使えるわけでもないですから」
「ええっ、捨てちゃったの? ……それは困るなぁ。実験なんだから、失敗の過程こそ残しておかなきゃダメじゃないか。……でも、まだ君たち一年生だしねぇ。予算の都合と言われたらそこまでだし、知らなくても…まぁ…。」
小言を言いながらも、ボルス教授はそれ以上の追及を諦めて、手元の管理簿に俺たちの満点評価を記入し始めた。これで証拠を追求しようという気もなくなるだろう。
序にもう一手、解読の可能性は消しておく。
「あの、教授。単位と実習の免除をいただけるのは大変ありがたいのですが……俺は、期末の実習には通常通り参加させていただけないでしょうか」
「……おや? 参加したいのかい? 免除なのに?」
「はい。今回の成果は、本当にただの偶然の産物です。今後もこの大学で学んでいく以上、俺自身の基礎的な彫刻技術や、型通りの刻印を扱う技量が足りないままでは、この先絶対に困ると思います。だから、居残りでも実習を受けさせてください」
教授は一瞬目を丸くしたが、すぐにいいねぇ、学徒の鑑だと満足そうに頷いた。
「いいよ、許可しよう。真面目な学生は大歓迎だからね」
講義が終わった後の、いつもの騒がしい食堂。
無料のスープをスプーンで掬いながら、向かいに座るアリアが、呆れたような、しかしどこか楽しげな瞳で俺を見ていた。
「君さぁ、そこまでするかい?わざわざ免除された実習に居残るなんて、そこまでしてバレないようにする?」
「当たり前だ。今回みたいな理由のわからない改善を毎回やっていたら、確実に怪しまれる。もしこれで教授の推薦を受けて、卒業時に高度な魔道具の制作や試験が義務付けられているような、ガチの研究室に囲い込まれたらどうするんだ。その時点で俺たちの詰みだ。だから俺は運は良かったけど、実技は人並み以下の不器用な平民という擬態を完璧に維持しなきゃいけないんだよ」
胃のチリチリとした痛みを思い出しながら熱弁すると、彼女はくつくつと肩を揺らして笑った。そして、急に手元のお茶のカップをこちらに突き出すようにして、身を乗り出してきた。
「おーけい、君のその生存戦略はよく分かったよ。……じゃあ、ここからは技術者としての話をしようじゃないか」
彼女の灰色の瞳の奥に、一瞬で狂気的な熱量が戻ってくる。
「私はね、一度彫った刻印の構造は絶対に忘れない。昨日、君が削り落としたコアの3割のロジックと、ダミーデータの配置……あの制約の重ねを思い出していたんだ。もし、あの効率化と、無駄な文字の難読化領域の切り分けを、私が今まで作ってきた過去の作品に応用したら、一体どうなると思う?」
そこからの彼女の語りは、まさに凄まじい密度だった。
「コンロ自体は実家の工房でもよく作っていたけど、その種類は千差万別だったよ。魔物狩りの探索者が使うように小型でかつ耐久性に全振りしたようなものから、貴族の使う実用とは違う食卓や部屋の設えを整えるようなものもね。
最低限必要な刻印が分かってしまった以上、どこまで削って同時にどこまで装飾を入れられるかはもう無限に組み合わせられる。耐久性を狙うならコアの形状も大きさもできるだけコンパクトにして取り外しも可能にした方が良いだろうし、それを踏まえてより細かく彫ることもできる。貴族用はあえて文字を極端に配置して装飾としての美しさを全面に出せる。機能のところを変えなくて良いなら、無駄な分の部分を本当に彩りとかある種背景に似たように配置して…---」
前世の優秀なシステムエンジニアが、新技術の仕様書を手に入れたかのようなマシンガントーク。
油断すれば置いていかれそうな専門用語と職人のアイデアが、圧倒的なスピードで彼女の口から溢れ出てくる。
冷めていくスープを前に、彼女の純粋な狂気に圧倒されながら、早くも自分の胃が次なる開発の予兆でキリキリと痛み出すのを、ただ静かに耐えるしかなかった。