汚泥の花   作:ゆゆみみ

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第23話 Rの話-11

 

「さて! 晴れて恋人同士となったわけだが、何かしたいことはあるかい?」

 

 朝からエレナのテンションは高かった。常に僕の席の近くにいることもあり、普段周囲にいる人たちもいない。しかも、登校早々に「私は蓮と恋人になった!」などと不必要な宣言を大声で行ったから尚更だ。

 こうして会話をしている間にも、ちらちらと視線が僕に寄せられる。それは仕方のないことだろう。僕に|恋人が出来て()()()()()()しまったのだから。彼らの懸念も尤もなことである。しかも、相手はあの(・・)エレナだ。

 僕も多少なりとも後悔はしていた。エレナ自体には何の不満もないどころか、僕には勿体ないほどの人物ではあるが、あの場の勢いに呑まれてしまった部分も否めない。僕には昔から、そういうところがある。

 

「おいおい、黙らないでくれたまえよ。まさか一日で愛想が尽きた、なんて言わないだろうね?」

 

「あっ……いや、そういうわけではなくて。まだ現実感がないというか……」

 

「分からせてあげるよ。これからじっくりと、ね」

 

 エレナが僕の耳元に口を近づけて、何処か湿っぽく囁く。ぞくりとした感覚が背中を走るが、それは決して負の感情ではない。妙に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 

「遊園地、とかどうだい? デートスポットの定番。でも、私は行ったことがない。そして、恐らく蓮も」

 

 その言葉の通りだった。両親のいない僕ら兄妹には、遊園地に行く時間もお金も共になかった。両親がいた頃にゲームセンターもカラオケも喫茶店も公園も行った経験はあったが、遊園地は結局行けず仕舞いになってしまっていた。

 もちろん、細かいことまでエレナは知らないだろうけれど。

 

「なら、決まりだね。二人だけ(・・・・)の思い出を作ろう、蓮」

 

 仰々しく、エレナは僕に手を伸ばす。

 エレナの言っていた通り、きっと僕の心は酷く消耗しているのだろう。実際、昔と違って感受性が低くなっている。物事に対して、何か興味を持つことは極稀なことだ。

 

 そんな僕が、変われるのだろうか。

 エレナは、癒してくれるのだろうか。

 そもそもこの手を取る資格(・・)が、僕にあるのだろうか。

 

 伸ばしかけた手が、途中で止まる。

 その手をエレナが無理やり握った。

 

「いいよ、まだ。ゆっくり、ね」

 

 そう言って、にっこりと笑った。その笑顔が、今の僕には眩しくて目を細める。繋がれた手は、温もりに満ちていた。僕の口元が僅かに緩むのを感じた。

 

「その内さ、心から笑わせてあげるよ。この私が」

 

 僕の手をぎゅっと握り、自信満々な口調でエレナは言った。その言葉は妙な説得力に満ちていた。エレナと、彼女と一緒に歩んでいけば、僕は幸せを得られるのかもしれない。そんな感覚に陥った。

 しかし、同時に寒気が襲う。この手を握ったままでいいのだろうか。艶のある黒髪が、光のない瞳が、僕の脳裏を過ぎる。震える僕の手に気付いたのか、エレナは目を細めた。

 

陽向(ひなた)ちゃん、かい?」

 

 びくり、と僕の体が跳ねる。

 

「ま、そうだよね。彼女の存在をクリアしない限り、安寧は訪れない。……ああ、大丈夫。君にとって、彼女は大切な妹であることは理解はしているよ」

 

 僕は、妹が怖い。

 でも、同時に大切な家族であるもの事実だ。妹もまた、被害者だ。両親を突然失い、頼りない兄と二人きりとなってしまったのだから。エレナは僕を幸せにすると言う。しかし、妹にも幸せになる権利がある。

 それはきっと、兄である僕が果たすべき役目。妹を、彼女なりの幸せを得られる方向へ。妹は、僕に依存しきっている。恐らく、妹にとって世界のすべては僕なのだろう。

 だから、あんなこと(・・・・・)になった。

 

「蓮。陽向《ひなた》ちゃんを救おう。それも私たちにしか出来ないことだよ」

 

 僕の思考を読んだかのように、笑顔のままエレナは言葉を続けた。エレナも妹のことを気にかけてくれている。あの、エレナが。エレナの言う通り、妹を幸せにすることは、しがらみから解放させることが出来るのは、やはり僕たちだけなのだ。

 僕は彼女の手を握り返す。エレナの笑みがより深いものになった。聖母のような、全てを包み込むような、笑み。きらきらと陽光を返す金糸と相まって、まるで絵画のように見えた。

 

「おっと、そろそろ授業の時間だね。私は席に戻るよ」

 

 エレナは握っていた手を離すと、僕に背を向け、ひらひらと片手を振って自席へと戻っていった。僕も席に座る、僅かに残っている彼女の温もりを感じて、手を握ったり開いたりと何度も繰り返す。

 

 最初の授業は数学だ。数学は苦手科目でいつも眠くなってしまうのだが、今日は頑張れそうな気がした。

 ちらりとエレナの席へと視線を向ける。綺麗に背中を伸ばして正面を向いていたが、こちらの視線に気づいたのか、僕の方を向いて微笑みと共に小さく手を振ってくれた。

 

 再び視線を前に向ける瞬間、口が僅かに動いていた。

 元々席が離れており、丁度チャイムも鳴ってしまったため、何を言っているのかは全く分からなかった。視線が僕から外れた後、笑みも消えた後だったから、僕に向けた言葉ではなかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

「救う。救済。心理的、肉体的苦痛からの解放。解放、してあげる。……ね?陽向(ひなた)ちゃぁん?」

 

 エレナは、僅かに痛む腹をさすりながら、醜く、しかしどこまでも愉しそうに、顔を歪めた。

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