汚泥の花   作:ゆゆみみ

4 / 21
第4話 Hの話-2

 

 兄さんは、いつも疲れているように見える。

 

 実際、疲れていたのだろう。

 突然両親を亡くし、まだ小学生だった私と二人きりになって。

 

 兄さんはいつも私を気遣ってくれた。

 慣れない家事をしてくれた。

 暗く沈む私の隣に寄り添って、優しく頭を撫でてくれた。

 寂しくて泣いた時は、包み込むように抱きしめて一緒に寝てくれた。

 

 兄さんだって辛かっただろうに。

 泣き言の一つだって言いたかったろうに。

 

 ──兄さんは、憔悴していった。

 

 あの柔らかい笑顔が好きだったのに、滅多に笑わなくなってしまった。私には笑みを見せてくれるが、取り繕ってただ貼り付けただけの笑みだった。

 

 だから、私は変わろうと思った。

 

 身嗜みに気を遣い、学校で積極的に友達を作っていった。兄さんにとって自慢の妹になれるように。

 

 家事を覚えた。

 料理も私が作れるようにしていった。兄さんの負担を少しでも軽くできるように。

 

 両親の死から三年がたった中学二年生の時、私は完璧に家事をこなして、学校での成績もよく、我ながら周りに好かれる存在になった。

 

 けれど、まだ兄さんに笑顔は戻らない。

 

 身長は中学に入ってから伸びず、私が追い抜いてしまった。誰にでも優しかったのに、塞ぎ込みがちになってしまった。

 

 私にはどうしていいか分からなかった。どうしたら兄さんを笑顔に出来るのか分からなかった。

 

 私にとって兄さんは全てだ。

 

 兄さんを幸せにしたかった。また笑えるようにしてあげたかった。それを出来るのは唯一の家族である私だけだ。

 

 私にしか、出来ないことだ。

 

 しかし、ある日を境に、徐々に兄さんは元の明るさを取り戻していった。私の大好きな、あの柔らかい笑みを取り戻し始めていた。

 

 でも、私は何もしていない。出来ていない。

 それなのに、何故。

 

 調べてみたら直ぐに分かった。

 誰とも話すことがなくなり、次第に友人の数を減らしていった兄さんに、新しく友達が出来たようだった。

 

 隠れて三年生の階に行き、こっそりと教室の中を覗いた。

 

 兄さんが見えた。

 ついつい口元が綻ぶ。

 

 その隣には一人の男子生徒がいた。

 兄はぎこちないながらも、楽しげな笑みを浮かべていた。私では、取り戻せなかった表情。

 急に心の中が冷えきっていくのを感じた。掌に爪が食い込む程に拳を握りしめていた。

 

 ──私以外の存在に、笑顔を見せている。

 

 こんなにも私は頑張ったのに。

 私では笑顔を取り戻せなかったのに。

 

 酷く、憎かった。

 あの男が。

 そして、兄さんが。

 

 これまで感じたことの無い、粘つく泥のような感情が湧き上がり、溢れる。

 

 兄さんを満たすのは私だ。

 兄さんを愛しているのは私だ。

 兄さんを理解しているのは私だ。

 全ては、私でなくてはならない。

 

 だから、私は決めた。

 元から抱いていて、けれども封じ込めていた感情を、欲求を、吐き出すことにした。

 

 その方が、兄さんは喜んでくれるに決まっているから。

 何故なら、兄さんも私のことを愛しているから。

 あんなにも、大切に想ってくれているのだから。

 

 ──私、もっと自分に素直になるね。

 

 そうしたら、兄さんはもっと笑顔になれるに違いない。もっと私のことで頭が一杯になるはず。

 

 その方が、幸せでしょう?

 

 大切な人のことで頭の中が満ちている方が良いでしょう?

 

 そうなれば、他のものなんて要らないでしょう?

 

 夢想する。

 (くら)い快楽に頭が痺れていく。

 体が火照りを帯びる。

 

 待っててね、兄さん。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。