〜東方外来録〜   作:歩向タカ

10 / 22
第十話「紅い館」

## 【シーン1:結界の内側】

 

結界の中は、外より空気が重かった。

 

歩向タカは地面に手をついたまま、しばらく動けなかった。手のひらに石畳の冷たさが伝わってくる。膝も痛い。転がり方が悪かった。

 

「……ここは?」

 

立ち上がって振り返ると、透明な壁があった。外の景色は見えている。木々も、道も、さっきまで自分がいた場所も。でも手を伸ばしても通れない。

 

「えっ、閉じ込められた……」

 

もう一度結界を叩く。ぱん、と軽い音がして弾かれた。霊夢に言われたことが頭をよぎった。調査だけ。中には入らない。危険なら帰る。

 

「入ったんじゃなくて、入れられたんですけど……」

 

言い訳を考えながら、タカは館を見た。

 

西洋風の造りで、屋根が高く、窓は全部閉まっている。赤い霧が館の内側からじわじわと滲み出していて、それが結界の中に漂っている。外より霧が濃い。空気まで赤みがかって見えた。

 

その時、館の門がゆっくり開いた。

 

ぎぃ、と重い音が静けさに溶ける。

 

タカは木刀を握り直した。門の向こうは薄暗い。でも誰かがいる。気配がする。

 

「行くしか、ないですよね……」

 

返事はない。仕方なく、タカは門に向かって歩き出した。

 

---

 

【シーン2:門番】

 

門の前に、一人の少女が立っていた。

 

赤い髪を緩くまとめて、緑の服を着ている。にこにこと朗らかな笑顔で、どこかのんびりした空気をまとっている。でも一歩踏み込んだ途端に気づいた。立ち姿に隙がない。足の置き方、重心の位置、手の位置。妖夢や華扇と何度も向き合ってきたタカには、その違いがすぐ分かった。

 

「いらっしゃいませ〜。ようこそ紅魔館へ」

 

朗らかな声だった。まるで普通の来客を迎えるような口ぶりだ。

 

「あ、えっと……こんにちは」タカは思わず礼儀正しく返してしまった。でもすぐに頭が追いついた。

 

「待って、ここに来たくて来たわけじゃないんですけど。結界に引き込まれたんです。帰してもらえますか」

 

「あら、引き込まれちゃいましたか……」と少女はあっさり言った。特に驚いた様子もない。

 

「残念ですが、お帰しすることはできません。お嬢様のご命令で、外からやってきた方はお連れするようにって言われていますので」

 

「お嬢様のご命令って……そもそも僕を引き込んだのはこの館ですよね? 自分たちで引き込んでおいて、帰せないって変じゃないですか」

 

「そう言われると……まあそうですね」と少女は少し困ったような顔をした。

 

「でも私は門番ですので。お嬢様のご命令には従わないといけないんです。私は紅 美鈴と申します。よろしくお願いします!」

 

「よろしくお願いされても困るんですけど」タカは木刀を握り直した。

 

「何か理由があって僕がこの結界内に入ったんですよね?教えてくださいよ」

 

「ああ、それは……」美鈴が少し言葉を選ぶように間を置いた。

 

「詳しくはお嬢様から直接聞いていただいた方がいいかと。私から言うと、その、余計に怖くなってしまいますよ」

 

「余計に怖くなるって何ですか。もう十分怖いんですけど……」

 

「大丈夫ですよ〜。あ、でも大丈夫じゃないかもしれませんが、でもお嬢様のところまで行けば全部分かりますから!」

 

「それは知りたくないですね……」

 

タカは後ろを振り返った。来た方向には結界の壁がある。前には門番がいる。選択肢がない。

 

「……とにかく、突破させてもらいます」

 

「それは困りますね〜」と美鈴が笑顔のまま言った。その瞬間、重心がすっと変わった。

 

「ではお相手しますね。手加減はしますが、あんまり暴れると大怪我しますよ」

 

「手加減しても強いやつじゃないですか!」

 

美鈴が踏み込んだ。地面が鳴る。笑顔のまま繰り出してくる拳が、どう見ても冗談じゃない速さで迫ってくる。タカは咄嗟に横へ跳んだ。風が頬をかすめた。

 

「速っ……!危ない!」

 

「ちゃんと避けられましたね、すごいですね」と美鈴が追いながら言った。本当に感心した口ぶりだ。

 

「避けないとあれは死にますよ! 褒められても嬉しくない!」

 

美鈴の動きは重く鋭い。それに加えて、体全体から力が無駄なく出ている。でもどこかに薄い遅れがある。タカにはその理由は分からない。でも一ヶ月間、妖夢と華扇に叩きこまれてきた感覚が、そのズレを拾っていた。

 

美鈴の右足が沈む。

 

「右……だ!」

 

タカは半歩引いた。拳が鼻先を通り抜ける。そのまま木刀を振り下ろす。美鈴は腕でしっかり受けた。

 

「良い動きですね〜。良い拳法の師匠がいるのですか?」

 

「今それを聞きますか!?」

 

「気になっちゃって」と美鈴が笑った。次の瞬間、蹴りが飛んできた。タカは受けきれず吹き飛んだ。

 

「ぐっ……!」

 

地面を転がって、すぐに立ち上がる。

 

「あ、立てますか。今の一撃で終わると思ったのですが」と美鈴がほっとしたように言った。心底安心しているように聞こえる。

 

「そんなに僕も弱くないですから。そっちが安心する状況じゃないですよ!」

 

「でもあなたが死んでしまったら、お嬢様に怒られちゃうので……」

 

「そっちの心配ですか!」

 

何度も打ち合った。タカは押され続けた。でも少しずつ美鈴の呼吸が乱れていく。疲労が積み重なっているのが分かる。踏み込みが一瞬だけ浅くなる瞬間があった。

 

タカはそこへ入った。木刀ではなく柄。美鈴の腹に突き込む。

 

「っ……!強いですね……」

 

美鈴が膝をついた。タカもその場に座り込んだ。腕が震えている。足が笑っている。

 

「勝った……んですか?」

 

「参りました〜限界です」と美鈴が膝をついたまま苦しそうに笑った。

「どうぞお通りください。本調子じゃなかったとはいえ、止められなかったので」

 

「本調子じゃなかったんですね、やっぱり……でも助かりました」

 

「そうなんです〜。最近ちょっとお嬢様の準備で忙しくて、あんまり眠れてなくて」と美鈴がけろっと言った。

 

「次は本気で戦いましょう!」

 

美鈴はくすっと笑った。

 

「その時はちゃんと万全でお相手します」

 

少し間を置いて、タカを見つめる。

 

「あなたは、不思議な方ですね」

 

美鈴はそのままのんびりした口調で続けた。

 

「良い目してますね、ちゃんとズレを読んでた。でも奥の方はもっと大変ですよ。気をつけてください」

 

「……ありがとうございます」

 

「いえいえ〜。あ、お嬢様には手荒にしないようにお伝えしておきますね」

 

「それは素直に嬉しいです!……でも先に進まないといけないんですよね……」

 

タカは立ち上がって、門をくぐった。背後で美鈴がのんびりした声で「ごゆっくり〜」と言うのが聞こえた

 

## 【シーン3:紅魔館内部】

 

館の中は、静かだった。

 

外では赤い霧が広がっているのに、館の内側は時間が止まったように静まり返っていた。赤い絨毯が長い廊下の端まで続いていて、高い天井には見たこともない装飾が施されている。壁には額縁に入った絵が並んでいて、どれも暗くて重い色をしている。窓から差し込む光も赤みがかっていた。

 

「本当に広いな……」

 

タカの足音だけが廊下に響く。人の気配がない。でも誰かがいる気はする。

 

「霊夢さん、魔理沙さん、妖夢さん……早く来てください」

 

名前を呼んでみたけど、返事はない。当然だ。彼女たちは白玉楼にいる。ここには一人だ。

 

「はぁ……帰りたい……」

 

廊下の奥に、人影があった。

 

銀髪で、メイド服を着た女性だ。指の間にナイフを挟んでいて、こちらをまっすぐ見ている。目が鋭い。美鈴とは違う種類の怖さがある。

 

「門番を抜けてきたのね」と女性が言った。落ち着いた声だった。

 

「えっと……事故で入ってしまったので、帰りたいんですけど」

 

「事故でここまで来るの? 門番を倒して」

 

「倒したというか、なんとかここまで来られたという感じで……。あの、帰してもらえませんか。本当に調査だけのつもりだったんです」

 

「帰さないわ」と女性はあっさり言った。「お嬢様がお待ちだから。私は十六夜咲夜。このお屋敷のメイド長よ。大人しくしてくれるなら、殺さないであげる」

 

「お嬢様って誰なんですか。美鈴さんも同じことを言っていたけど、ちゃんと教えてください!」

 

「会えば分かるわ」

 

「物騒ですよ、ここの人たち!」

 

「なら、ここで死になさい」

 

ナイフが飛んだ。タカは横へ跳ぶ。壁にナイフが深々と刺さる。

 

「危なっ!これおもちゃじゃないですよね……」

 

「次は外さないわ」と咲夜が少し目を細めた。

 

「やめてください! 本当に刺すつもりですか!?」

 

「そのつもりよ」

 

「ここの人たち本当に物騒です!」

 

咲夜は次々とナイフを投げてくる。タカは走る。転がる。壁を蹴って方向を変える。木刀でナイフを弾く。弾ききれなかったナイフが服の袖を裂いた。

 

「痛っ……!やっぱり本物だ……」

 

「抵抗するなら、容赦しないわ」と咲夜が言った。動きながらでも声が乱れない。

 

「止まりませんよ!死にたくないです! でもそれより、なんであなたも疲れてるんですか? 目の下が……」

 

「余計なことを気にしなくて良いわ」

 

咲夜の動きはやはり速い。でも美鈴と同じように、どこかにわずかな疲労がある。動きの隙間に、ほんの少しのズレがある。タカにはその原因が分からない。でも体が勝手にそれを読んでいた。

 

咲夜が前へ出た。タカは足を見る。次に目。狙いは右肩だ。木刀を上げる。

 

カン。ナイフを弾いた。

 

「……」と咲夜が無言で次を投げる。

 

「今のは見えました! でも——」

 

一瞬、咲夜の姿が消えた。

 

「え?」

 

背後に気配。タカは反射で前に転がった。ナイフが髪をかすめる。

 

「何ですか! 消えましたよね!?スピードが速い?」

 

「死ぬ人には教えない……」

 

「……でも負けません!」

 

「私のナイフ、全て避けられるかしら」と咲夜は涼しい顔で言った。

 

「避けます!絶対に避けます!」

 

咲夜の追撃が続く。タカは避け続けた。勝てる気はしない。でも目の前の廊下の奥に大きな扉が見えた。あそこまで行ければ、先に進める。

 

タカは走った。

 

「逃がさない」と咲夜の声がした。

 

「逃げてるんじゃないです、進んでるんです!」

 

床を蹴って扉へ向かう。咲夜がナイフを投げる。タカは木刀を横に振って弾いた。そのまま扉に飛び込む。咲夜の指先がタカの袖を掴んだ。

 

「すみません!逃げるが勝ちで〜す」

 

タカは体をひねって袖ごと引き抜くように抜けた。そのまま扉の向こうへ転がり込む。

 

しばらく追ってくる気配がした。でも扉の前で止まった。

 

廊下の向こうで、咲夜が小さく息を吐く声が聞こえた。

 

「……逃がしたわね。お嬢様、すみません……」

 

---

 

## 【シーン4:大図書館】

 

転がり込んだ先は、巨大な図書館だった。

 

天井まで届く本棚が何列も並んでいて、その全部にびっしり本が詰まっている。古い紙の匂いがする。さっきまでの緊張が、その匂いで少しだけほぐれた。

 

「すごい本の量だ……」

 

廊下の赤い雰囲気とはまるで違う。静かで、落ち着いた空間だった。

 

奥の机に、一人の少女が座っていた。紫の髪で、大きな本を開いている。タカが入ってきても顔を上げなかった。

 

「……あの、すみません」とタカが声をかけると、

 

「静かに」と少女が言った。目はまだ本に向いている。

 

「すみません。ここ、通ってもいいですか」

 

「好きにしなさい」

 

「止めなくていいんですか。侵入者ですよ、一応」

 

「知ってるわ」と少女がようやく顔を上げた。紫の瞳がタカを見る。「でも興味ないもの。咲夜が止めるでしょうと思っていたけれど、どうやら突破してきたのね」

 

「なんとか。えっと、あなたは?」

 

「パチュリー・ノーレッジ。ここの図書館の主よ。魔女をやっているわ」と少女——パチュリーが言った。「貴方が破れた服で息を切らして木刀を持っているのは分かったけれど、それで私と戦うつもり?」

 

「戦いたくないです。通してもらえれば何もしません」

 

「それが一番良いわ。私も読書の邪魔をされたくないから」パチュリーは本に視線を戻した。「レミィが相手をするでしょう。私は忙しいの、進みなさい」

 

「レミィって誰ですか」

 

「この館の主よ。強いわ。あなたが今まで会ってきた子たちより、ずっと……ずっとね」

 

タカは少し黙った。美鈴も強かった。咲夜も速かった。それより強い。

 

「帰らしてもらうことは……」

 

「それは無理ね。この結界からは出られないわ」とパチュリーが言った。でも視線は本に戻っている。「進む方が早いかもしれない。殺されないように頑張りなさい」

 

「雑なアドバイスですね……」

 

「読書の邪魔よ、早く行きなさい」

 

「すみません」

 

タカは図書館を抜けた。背後でページをめくる音だけが響いていた。

 

---

 

## 【シーン5:大広間へ】

 

図書館を抜けると、さらに長い廊下が続いていた。

 

赤絨毯の廊下。窓の外は赤い霧に包まれていて、太陽が見えない。昼なのか夜なのかも分からない。廊下の端まで光が届いていなくて、先が薄暗い。

 

タカは足を引きずりながら歩いた。美鈴との打ち合いで腕がじんじんしている。咲夜に何か所か切られた傷も痛い。体が重い。それでも進むしかない。パチュリーの言う通り、出口は結界で塞がれているなら、先に進む方が早い。

 

「霊夢さんたち、まだかな……なんとかなってるけど……」

 

独り言が廊下に溶けた。

 

やがて大きな扉の前に着いた。

 

扉の向こうに気配がある。美鈴の重さでも、咲夜の鋭さでもない。もっと冷たくて、楽しそうな気配だ。何かを待っている感じがする。捕食者が獲物を待つような。

 

タカは木刀を握り直して、深く息を吸った。

 

「ふぅ……行くしかないよね」

 

扉を押した。重い音を立てて、ゆっくり開いた。

 

---

 

## 【シーン6:レミリア】

 

大広間だった。

 

天井が高い。窓が大きい。赤い霧が窓越しに広がっていて、差し込む光が全部赤く染まっている。赤い絨毯が中央を貫いていて、その奥に椅子がある。

 

椅子に座っていたのは、小さな少女だった。

 

紅い瞳。小さな体。背中に黒い翼。タカより頭一つ以上小さいのに、なぜか部屋全体がその少女を中心に回っているような感じがした。

 

少女はタカを見て、くすりと笑った。

 

「へぇ。美鈴も咲夜も抜けてきたの。面白いわね」

 

「あなたが……このお屋敷の主ですか」

 

「ええ」少女がゆっくり立ち上がった。椅子から降りるとさらに小さく見えるのに、その瞬間に空気が変わった。重くなった。「私はレミリア・スカーレット。この館の主よ。よくここまで来たわね。褒めてあげるわ」

 

タカは息を呑んだ。名前を聞いただけで、何かが体に圧しかかってくる感じがした。幽々子と向き合った時とも、妖夢の刀と向き合った時とも違う。もっと根本的な何か。

 

「帰してもらうことは……」

 

「駄目よ」とレミリアが笑った。楽しそうだ。「せっかくここまで来たのに。それに、私のお食事の時間でもあるし」

 

「それ、どういう意味ですか……嫌な予感しかしないけど……」

 

「私の食事よ。私は吸血鬼だから、あなたの血を頂くわ」

 

「……吸血鬼」

 

「あなたの血、美味しそうだしね」

 

タカは木刀を構えた。足が震えている。自分でも分かる。でも逃げる場所がない。

 

「逃げないのかしら?それとも恐怖で動けないのかしら?」とレミリアが首を傾けた。面白そうに見ている。

 

「逃げる場所がないので。でも、大人しく血を飲まれるつもりもないです」

 

「良いわね、その顔。怖いけど立っている。私、そういう子を絶望に落とすの好きよ」

 

「好きになってもらわなくて良いです」

 

レミリアが声を立てて笑った。それから翼をゆっくりと広げた。窓の外の赤い霧が、その動きに合わせるように揺れた。

 

「じゃあ、少し遊びましょう。美鈴も咲夜も抜けてきたんだから、それだけの価値はあるはずよ」

 

「遊ぶつもりはないです。できれば話し合いで——」

 

「こんなに月も紅いから本気で殺すわよ。楽しい夜になりそうね」

 

「永い夜になりそうです。霊夢さんたちが来るまで、なんとか——」

 

「博麗の巫女?」レミリアの目が細くなった。でも怖がっている感じはない。むしろ、もっと面白くなったという顔だ。「誰かは存じないけれど、今夜はずいぶん豪華なお食事になりそうね」

 

タカが何か言う前に、レミリアの姿が消えた。

 

空気が動いた。どこだ。考える間もなかった。

 

背後に冷気を感じた瞬間、タカは本能で前へ飛んだ。




読んでいただきありがとうございます
感想や評価していただけると嬉しいです
誤字、脱字の報告など助かります
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。