〜東方外来録〜   作:歩向タカ

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第十二話「紅霧異変」

## 【シーン1:決断】

 

妖夢がタカを抱き止めた瞬間、その重さで状態の深刻さが分かった。

 

力が抜けきっている。右腕が明らかにおかしい角度になっている。服が血で赤黒く染まっていて、首筋に牙の跡がある。目は開いているのに、何も見ていない。

 

「タカさん……!」

 

返事がなかった。名前を呼んでも、指一本動かない。

 

霊夢がひと目見て、すぐに口を開いた。

 

「妖夢、早く永遠亭へ連れて行きなさい!」

 

「でも、霊夢さんたちは——」

 

「急いで!ここは私と魔理沙でやる」

 

霊夢の声に迷いがなかった。それがかえって妖夢の胸を締め付けた。

 

「……本当に、ここは任せていいんですか」

 

「任せろ!」と魔理沙が八卦炉を構えながら言った。「今回ばかりは本当にやばい状態だ!早く行け!」

 

妖夢は唇を噛んだ。レミリアを、フランドールを、この場を放っていくことへの葛藤があった。でもタカの体温が腕から伝わってくる。弱い。人の体温じゃないくらい、弱い。

 

「……絶対に死なせません」

 

霊夢が小さく頷いた。

 

「絶対に死なせるんじゃないわよ!」

 

妖夢はタカを抱き直して、崩れた壁から飛び出した。

 

---

 

## 【シーン2:永遠亭へ】

 

夜の竹林を、妖夢は全力で飛んでいた。

 

竹が左右に流れていく。月明かりが竹の隙間から差し込んで、地面に細い光の筋を作っている。普段なら迷う竹林も、今は目に入っていなかった。ただまっすぐに、永遠亭の方向へ飛び続けた。

 

腕の中のタカが、軽かった。

 

あまりにも軽すぎた。人一人の重さじゃない。血を失うと、人はこんなに軽くなるのか――妖夢はぼんやりと思った。

 

「大丈夫です。絶対に死なせません」

 

返事はない。でも声をかけずにはいられなかった。

 

「もう少しで着きます。生きるのを諦めないでください」

 

呼吸はある。確認するたびにそれだけが分かった。でも浅い。竹林を抜けながら何度も確認した。呼吸がある。まだある。

 

「もう少し……もう少しですから、タカさん」

 

竹林が開けた。永遠亭の灯りが見えた。

 

妖夢は庭に飛び込んだ。

 

「助けてください!」

 

---

 

## 【シーン3:紅魔館】

 

妖夢が飛び出した後、大広間には四人が残った。

 

崩れた壁から夜風が入ってくる。赤い霧が漂っている。床には血の跡が残っていた。タカが倒れていた場所に、小さな染みが広がっている。

 

霊夢はそれを一瞬見てから、レミリアへ向き直った。

 

レミリアは砕けた壁の前に立って、霊夢と魔理沙を見ていた。先ほどまでの楽しそうな顔から、少しだけ温度が落ちた表情になっている。

 

「随分と怒っているのね、霊夢?だっけ?」

 

「許すわけないじゃない……」と霊夢は静かに言った。「あの状態にしておいて……大切な私の仲間をね!」

 

「人間も肉を食べる為に動物を殺すでしょ。それと同じことよ」

 

「あんたをぶっ飛ばしてあげるわ!」

 

レミリアはしばらく霊夢を見ていた。それから小さく笑って、スカートの端を摘まんで優雅に礼をした。戦場でやることではないけれど、この少女には似合っていた。

 

「改めて名乗りましょう。私は吸血鬼のレミリア・スカーレット。この紅魔館の主で、今回の異変の主犯でもあるわ」

 

「吸血鬼かよ。そりゃ厄介なわけだぜ」と魔理沙が言った。

 

「隠す理由もないもの。それより——」レミリアの紅い瞳が霊夢を見た。「巫女と白黒の魔法使いが二人で私に勝てるのかしら。面白いじゃない」

 

「あんたが面白いかどうかはこっちが決めるわ」

 

フランドールが前に出た。

 

「フランドール・スカーレット。お姉様の妹だよ」それだけ言って、霊夢たちを見渡した。「何して遊ぶ?」

 

「遊びに来たわけじゃないわ」と霊夢が言った。

 

「じゃあ何しに来たの?紅白と白黒は?」

 

「異変を終わらせに来た。そしてあんた達をぶっ飛ばしに来たのよ!」

 

「つまらない〜遊びたい!遊びたい!」とフランドールが口を尖らせた。

 

「フラン」とレミリアが静かに言った。「せっかくの食料よ。行儀良くしなさい」

 

「食料として扱われたくないわね」と霊夢がお祓い棒を構えた。「話はここまで。異変は終わりよ、レミリア・スカーレット!」

 

「それはどうかしら、あなた達も美味しそうよ」

 

レミリアの翼が広がった。窓の外の赤い霧が揺れた。

 

---

 

## 【シーン4:紅魔館の主】

 

霊夢が札を放った。

 

レミリアは空中へ跳んで、天井に近いところまで一瞬で移動した。ただそれだけのことなのに、動いた瞬間が見えなかった。

 

「本当にすばしっこいな!」と魔理沙が言いながら八卦炉を向ける。

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」とレミリアが上から言った。

 

霊夢が結界を展開する。空間ごと押さえ込む形の結界だ。レミリアがそこに突っ込んできた。結界が軋む。普通の妖怪なら通れない。でもレミリアは力ずくで突破してきた。

 

「っ」と霊夢が体制を立て直した瞬間、

 

「霊夢!」と魔理沙が叫んで八卦炉を向けた。

 

「フルパワーでいくぜ!恋符マスタースパーク!!」

 

白い光が大広間を塗りつぶした。轟音。レミリアが後ろへ大きく飛び退く。煙が広がる。

 

「なるほど」とレミリアが煙の中から言った。「威力は凄いわ」

 

「弾幕こそパワーだぜ」

 

レミリアが笑った。今度は先ほどまでと少し違う笑み方だった。本気を出す相手に対する笑みだ。

 

その時、床が砕けた。

 

「私も!遊ぶの!」

 

フランドールが飛び出してきた。狙いが読めない。何をするつもりなのか分からない。それが一番厄介だった。

 

「おいおい、二人同時かよ!」と魔理沙が後ろへ跳んだ。

 

「思っていた以上に厄介ね」と霊夢が距離を取りながら言った。

 

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## 【シーン5:姉妹】

 

戦いの最中、フランドールが急に動きを止めた。

 

「……お姉様ばっかり!ズルい!ズルい!ズルい!」

 

「遊びじゃないわ」とレミリアが霊夢と向き合いながら答えた。

 

「お姉様、そのおもちゃたちと遊んでる!」とフランドールが言った。「私はずっと地下にいたのに。外で何かやってるのは気配で分かってた。でも私は呼ばれなかった。霧も出してなかったし、人間も来なかった。ずっと一人だった」

 

「フラン……」

 

「ズルいよ!お姉様ばっかり!」

 

霊夢と魔理沙は距離を取ったまま、二人のやり取りを見ていた。割り込む気にはなれなかった。

 

レミリアがため息をついた。戦闘中にため息をつける余裕があるのが、この少女の恐ろしいところだ。

 

「後でいくらでも遊ばせてあげる。今は大人しくしてて」

 

「本当、お姉様?」

 

「本当よ。だから今は下がっていなさい」

 

フランドールはしばらくレミリアを見ていた。それから、少し機嫌を直した顔で後ろへ下がった。

 

「姉妹喧嘩しながら戦うなよ……」と魔理沙が呆れたように言った。

 

「助かるから、そのまま揉めててくれない?」と霊夢が構えを作り直した。

 

レミリアが正面に向き直る。

 

「邪魔が入って悪かったわ。さあ、殺し合いの続きをしましょう」

 

「私はあんたをぶっ飛ばすだけよ」

 

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## 【シーン6:決着】

 

長い戦いだった。

 

レミリアは速くて強かった。フランドールは読めなくて危険だった。でも霊夢と魔理沙は、幻想郷でこれまで何度も異変を解決してきた。修羅場の数が違う。

 

霊夢の札が四方を塞ぐ。魔理沙が正面から光を叩き込む。レミリアがそれを弾いた瞬間、霊夢が動いた。

 

「今よ!魔理沙!」

 

「おう!恋符マスタースパーク!」

 

マスタースパークが広間を埋めた。同時に霊夢の結界札がレミリアを包囲する。逃げ場がない。轟音が続いて、紅魔館全体が揺れた。

 

煙が晴れていく。

 

レミリアは立っていた。服が傷ついていた。翼の端が焦げていた。それでも立っていた。でも、もう余裕の笑みではなかった。

 

「……私も、まだまだね……負けたわ」とレミリアが静かに言った。

 

「負けを認めるのね」と霊夢が言った。聞き返したわけではなく、確認だった。

 

「ええ。今日のところはね」レミリアは崩れた壁越しに窓の外を見た。「霧を消すわ。それでいいでしょう」

 

「あんたが条件を言える立場じゃないけど、まあそれで十分よ」

 

レミリアが手を一度だけ動かした。

 

窓の外の赤い霧が、ゆっくりと薄くなっていく。濃い赤から、橙から、透明へ。少しずつ、夜の空が戻ってくる。

 

「えー、もう終わり〜」とフランドールが不満そうな声を上げた。「まだ遊べたのに」

 

「フラン、また今度よ」

 

「本当に今度やる、お姉様?」

 

「やるわ。嘘はつかないわ、約束する」

 

フランドールは少しだけ考えてから、小さく頷いた。霊夢と魔理沙はそのやり取りを黙って見ていた。

 

異変は終わった。

 

---

 

## 【シーン7:永遠亭】

 

夜の永遠亭の廊下は静かだった。

 

月明かりが障子を透かして、廊下の板の上に薄い光を落としている。どこかで虫が鳴いている。でも妖夢にはその音も遠かった。

 

扉の前に立ったまま、動けなかった。

 

手のひらに乾いた血が付いていた。タカを抱えて飛んでいる間についた血だ。拭いていなかった。拭く余裕もなかった。

 

扉の向こうから声が聞こえていた。

 

「出血量が多すぎるわ!急いで!」と永琳の声。

 

「はい!」と鈴仙の声。

 

「右腕は後で処置する!まず止血を——」

 

それ以上は聞き取れなかった。

 

妖夢はゆっくりと壁にもたれた。力が抜けた。体が震えていた。いつから震えていたのか、自分でも分からなかった。

 

「ごめんなさい……本当、ごめんなさい……」

 

声が出たのか出なかったのか、よく分からなかった。「もっと早く……もっと早く着いてれば……」

 

霊夢さんが送り出してくれた。魔理沙さんも行けと言ってくれた。それは分かっている。でも。

 

自分がもっと早く動いていれば。紅魔館に踏み込んでいれば。タカが一人でいた時間を、もっと短くできたかもしれない。

 

廊下は静かだった。扉の向こうの声だけが続いていた。

 

月明かりが廊下に伸びている。妖夢はその光の中で、ただ扉を見つめていた。中から声が聞こえる限り、永琳たちが戦っている限り、自分にできることは待つことだけだった。

 

それが、今夜一番辛いことだった。

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