第十五話「来ない理由」
## 【シーン1:数日後】
紅霧異変から数日が経った。
博麗神社の境内には春の穏やかな日差しが戻っていた。石畳に木漏れ日が落ちて、風が吹くたびにゆらゆら揺れる。歩向タカは縁側に座って、固定の取れた右腕をゆっくり動かしていた。
まだ痛みはある。剣を振ることは禁止されている。華扇にも妖夢にも永琳にも、口を揃えて止められていた。
「右腕、少しは動くようになりました」
「動かさないようにしないと、治るもんも治らないわよ」と霊夢が横でお茶をすすった。
「はい!重々承知してます」
「タカは勝手に突っ走るからね」
「何も言えません……」
その時、鳥居の方から声がした。
「こんにちは、霊夢にタカ」
「あ、レミリアさん!こんにちは」
レミリアが日傘も差さずに石畳を歩いてくる。昼間の日差しの下を平然と歩く吸血鬼というのは、なかなか不思議な光景だった。
「昼間なのに大丈夫なんですか?」
「パチェが魔法をかけてくれたのよ。完全ではないけれど、この程度の日差しなら問題ないわ」
「便利な魔法ね」と霊夢。
レミリアは縁側まで来ると、タカの右腕を見た。
「私たちがやったんだけど……右腕はどう?」
「まだ痛いです。でも動くようにはなってきました」
「良かったわ……」
少し沈黙があった。レミリアは何か言いかけて、やめたように見えた。
「……確認に来てくれたんですか?」
「そうよ確認よ。貸しを返す前に死なれちゃ困るしね」
「あなたらしい言い訳ね」と霊夢が笑った。
「言い訳ではないわよ。失礼ね!」
「ありがとうございます、わざわざ」
レミリアは少しだけ目を逸らした。
「早く治しなさい……それだけよ」
その日は、それだけ話して帰っていった。
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## 【シーン2:さらに数日後】
数日後の昼下がり。
タカは華扇との修行から神社へ戻ってきた。右腕を使わない基礎練習だけだったが、それでも汗だくだった。
「ふう……ただいま戻りました」
「お疲れ、タカ」と霊夢。
「タカさん!右腕は使っていませんね?」と妖夢がすかさず確認した。今日も見張りに来ている。
「使ってません!って言うかまだ使えませんので」
「本当ですか?タカさんだから信用出来ませんね」
「本当ですって、華扇さんも見てましたから」
「あんた、本当に信用ないわね!」と霊夢が笑った。
「僕の日頃の行いのせいですか?」
「仕方ないわよ。タカだもの」
そこへまた、鳥居の方から声がした。
「来たわよ。タカ」
「こんにちは、レミリアさん」
妖夢の表情が少しだけ固まった。レミリアはそれに気付いて、楽しそうに笑った。
「あら、今日はいるのね、庭師さん」
「タカさんの状態確認です。無茶をしないよう見張っています」
「奇遇ね。私も状態確認よ」
「……」
「……」
「なんで睨み合ってるんですか、二人とも」
霊夢がお茶を飲みながら笑った。
「みんな仲良しね〜」
「これ、仲良しなんですか?」
レミリアは当然のようにタカの隣に座った。
「今日も右腕の確認ですか?」
「違うわ。暇だっただけよ」
「ほら、やっぱり遊びに来てるだけじゃない」と霊夢。
「違うわよ。暇なついでの確認よ」
「では、なぜ隣に座るのですか?隣じゃなくてもいいでしょ」と妖夢。
「だって空いていたもの。それ以上の理由が必要かしら」
「……」
「あ、お茶飲みます?」とタカが急須に手を伸ばした。
「いただくわ」
「あの人、自然に馴染んでいますね……」と妖夢がため息をついた。
「もう常連さんよ」と霊夢。
「違うわよ!腕の状態の確認よ!」
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## 【シーン3:また数日後】
また数日後の昼。
レミリアは当然のように神社へ来ていた。タカは縁側でお茶を淹れている。もう手慣れたものだった。
「今日は何かあったんですか?」
「パチェが本しか読まないのよ」
「いつものことでは?」
「そうなのよ。話しかけても生返事で、気付いたら夜になっているの」
「ですよね。じゃあ、咲夜さんは」
「忙しいわ。美鈴は門番だし。フランは壁を壊したから咲夜に怒られているところ」
「壁って……大変ですね」
「大変よ。あの子はすぐ壊すんだから」
「はい。レミリアさん、お茶どうぞ」
「ありがとう。いただくわ」
二人は並んでお茶を飲んだ。境内に鳥の声が聞こえる。のどかな昼だった。
霊夢が少し離れた場所からその様子を見ていた。
「もう、完全にあなたの日課じゃない」
「違うって言ってるじゃないの!」
「まだ否定するのね。あなた」
「良いでしょ。私の勝手よ」
「でも毎日来てますよね」とタカが言った。
「私の来たい時に来ているだけよ」
「ここ最近、毎日来てるじゃないの」と霊夢。
レミリアは返事をしなかった。お茶を一口飲んだだけだった。
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## 【シーン4:当たり前になった日】
さらに数日後。
タカは華扇との修行を終えて神社へ戻った。縁側に座る。お茶を淹れる。右腕の調子を確かめる。それから、鳥居を見る。
少し待つと、足音が聞こえた。
「タカ、来たわよ」
「お茶ありますよ。二つ淹れました」
「あら。気が利くじゃない」
「もう来る頃だと思ってたので」
「失礼ね。あなたは」
「えっ、違いました?」
「……違わないわ。でも、嬉しいわ」
霊夢が吹き出した。妖夢も今日はその場にいて、複雑そうな顔をしていた。
「あの人、完全に習慣になっていますね」
「何か悪い?庭師さん」とレミリアが妖夢を見た。
「悪いとは言っていません。ただ……近いです」
「何が近いのよ?」
レミリアはタカの隣に座っていた。いつもの位置だった。
「いつもここですよね、レミリアさん」
「ここは私の指定席よ」
「……」
「妖夢、顔がヤバいわよ」と霊夢が笑った。
「普通です!」
「あんた、普通じゃないわよ」
タカは困ったように笑った。
その日も、特別なことは何も起きなかった。ただ話して、お茶を飲んで、夕方になったらレミリアが帰る。それだけだった。
けれど、それがいつの間にか当たり前になっていた。
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## 【シーン5:一日目】
ある日、レミリアは来なかった。
タカはいつもの時間に縁側でお茶を淹れて、鳥居を見た。誰も来ない。石畳に木漏れ日が揺れているだけだった。
「あれ?」
「どうしたのよ」と霊夢。
「今日は来ませんね、レミリアさん」
「ああ」霊夢は特に気にしていない様子でお茶を飲んだ。「紅魔館も忙しいんじゃない?あそこも一応、大所帯なんだから」
「そうですね」
それで、その日は終わった。
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## 【シーン6:二日目】
次の日も、レミリアは来なかった。
タカは境内の掃除をしながら、何度か鳥居の方を見た。自分でも無意識のうちに見ていて、気付いてからは少し恥ずかしくなった。
「気になるの?」と霊夢が縁側から言った。
「いえ、来ないなって」
「吸血鬼なんだから、毎日来てた方がおかしいのよ、本来はね」
「確かに……そうですね」
妖夢も今日は神社に来ていた。
「何か用事でもあるのでしょう。紅魔館ですから、いろいろあるはずです」
「そうですよね。紅魔館ですもんね」
そう言いながら、境内は少しだけ静かだった。
いつもなら昼頃にはレミリアが来て、何気ない話をして、お茶を飲んで、妖夢と少し睨み合って、霊夢が笑う。それがないだけで、神社が少し広く感じた。
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## 【シーン7:三日目】
三日目、華扇との修行中。
タカの動きは少し鈍かった。
「コラ!集中しなさい!」
「はい!すみません!」
華扇の投げが来る。タカは受け身を取った。でも少し遅れた。背中がいつもより強く地面を打った。
「遅い。心がここにありませんね」
「すみません!」
華扇はタカを見下ろして、少し首を傾げた。
「何か気になることでも?」
「……」
「あの吸血鬼の子のことね」
「なんで分かるんですか」
「顔に出てるわ。分かりやすいのよ、貴方は」
「そんなにですか?」
「ええ」
タカは起き上がりながら、少し黙った。
「毎日来てたので。来ないと、その、変な感じがして」
「来ないと気になる?」
「少し……」
華扇は小さく笑った。
「なら、気にしないふりをして稽古を無駄にするより、確認した方がいいわ。心配なら見に行く。それだけの話よ」
「……そうですよね。はい」
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## 【シーン8:四日目】
四日目。レミリアは来ない。
タカは縁側に座っていた。お茶は二つ用意してあった。
霊夢がそれを見て笑った。
「もう二つ用意してるじゃない」
「あ……癖で」
妖夢は複雑そうな顔でその湯呑みを見ていた。
「そんなに気になるなら、行ってきたら?」と霊夢が言った。
「え?」
「あんた、レミリアのこと気になるんでしょ。顔に書いてあるわよ」
「でも、迷惑かもしれませんし」
「あのね〜。毎日こっちに勝手に来てた相手に、今さら遠慮するの?」
「……確かに」
妖夢が立ち上がった。
「タカさんが行くなら、私も行きます」
「妖夢さんも?」
「右腕がまだ完全ではありません。それに私は、タカさんの見張りですから」
「それだけじゃないでしょ?妖夢〜」と霊夢がにやにやした。
「それだけです!絶対にそれだけです!」
「怪しいわよ〜?」
「……うるさいです」
霊夢は笑いながらお茶を飲んだ。
「まあいいわ。行ってきなさい。何かあったらすぐ戻ること!わかった?」
「はい!」
「私がいるので何かあれば、すぐ戻ります」と妖夢も頷いた。
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## 【シーン9:紅魔館へ】
夕方、タカと妖夢は紅魔館へ向かった。
霧の湖のほとりを歩く。夕焼けが水面に映って、湖全体が橙色に染まっていた。風が水面を撫でるたびに、光が細かく揺れる。右腕はまだ少し痛むけど、歩く分には問題なかった。
「何もなければいいですね。妖夢さん」
「そうですね。ただの用事で忙しいだけなら、それで良いのですが」
しばらく歩くと、紅魔館が見えてきた。
赤い壁。高い屋根。大きな門。夕日を受けて、館全体が深い紅色に沈んでいる。
タカは足を止めた。
「……あれ?」
「どうしました?」
「門に誰もいませんよ!美鈴さんがいません!」
門番の姿がなかった。いつもなら門の前に立っているか、よくても居眠りをしているはずの美鈴が、どこにもいない。
妖夢の表情が変わった。
「静かすぎますね。……嫌な静かさです」
「中にいるんでしょうか?」
「分かりません。ですが……タカさん、気をつけて下さい」
門は開いていた。誰もいないのに、開いていた。
タカと妖夢は顔を見合わせた。
「慎重に行きましょう」
「はい」
二人は門をくぐった。庭も静かだった。手入れされた庭木が夕風に揺れているだけで、人の気配がない。花壇の横を通って、館の正面まで来る。大きな扉は閉じていた。
「こんにちはー。レミリアさん?レミリアさん、いませんかー?」
タカが呼んでみた。返事はない。風の音だけがした。
妖夢が刀の柄に手を添えた。
「妖夢さん……」
「気をつけて下さい」
その時。
ギィィ……。
重い音を立てて、紅魔館の扉がひとりでにゆっくりと開いた。
中は暗かった。誰の姿も見えない。ただ、暗い廊下の奥が、口を開けてこちらを待っているように見えた。
タカは息を呑んだ。妖夢が一歩前へ出た。
二人は静かな紅魔館の中へ、足を踏み入れた。
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