〜東方外来録〜   作:歩向タカ

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第十六話「完治祝い」

## 【シーン1:紅魔館の廊下】

 

紅魔館の扉が、重い音を立てて開いた。

 

タカと妖夢はゆっくりと中へ入った。館の中は薄暗かった。赤い絨毯が長い廊下の奥まで続いていて、高い天井に夕方の残り光がぼんやり届いている。以前来た時と同じ場所のはずなのに、人の気配がないだけでまるで違う建物みたいに見えた。

 

「あれ……誰もいませんね」

 

「ええ。咲夜さんの気配もありません……とても不気味です」

 

妖夢は刀の柄に手を添えたまま、視線だけで周囲を確認していた。タカも自然と声を潜めた。

 

「美鈴さんも門にいませんでしたし……また、何かあったんですかね」

 

「また、かもしれません……異変?」

 

その言葉に、二人とも少し黙った。

 

前にこの館へ来た時のことは忘れられない。結界に吸い込まれて、美鈴と戦って、咲夜を突破して、レミリアとフランにボロボロにされた。右腕はもうほとんど痛まない。でも記憶の方はまだ、廊下の赤さを見るだけで少しざわつく。

 

「レミリアさん?」

 

呼んでみた。返事はない。

 

「タカさん、少し静かに。慎重に進みましょう」

 

「はい……どうか無事でいて下さい」

 

二人は廊下を進んだ。足音だけが響く。コツ、コツ、コツ。奥へ行くほど、空気が重くなる気がした。

 

「本当に誰もいないんですかね」

 

「いえ……」妖夢が足を止めた。「奥から、音がします」

 

タカも耳を澄ました。最初は何も聞こえなかった。でも少しして、遠くからかすかに声が届いた。一人じゃない。何人もいる。

 

「それはあちらです!」——咲夜の声だ。

 

「はい! こっちですね!」——美鈴。

 

「これどこ置くの!?」——フラン。

 

「フラン様、走らないでください!」

 

「……騒がしいわね」——これはパチュリー。

 

タカと妖夢は顔を見合わせた。

 

「……いますね」

 

「いますね」

 

さっきまでの緊張感が、音を立てて崩れていく。

 

「何してるんでしょう?」

 

「分かりません。ですが……」

 

さらに奥へ進むと、声はどんどん大きくなった。ガタガタ、ドタドタ。何かを運ぶ音。誰かが慌てる声。どう聞いても、異変というより準備だった。

 

「……普通に忙しそうですね」

 

「ええ。とても……声は楽しそうですね」

 

---

 

## 【シーン2:大広間】

 

大広間の扉の前まで来ると、中の声がはっきり聞こえた。

 

「サプライズって楽しいね!」とフランの弾んだ声。

 

「まだバレてませんよね?」と美鈴。

 

「おそらくは大丈夫でしょう」と咲夜。

 

「だから言ったのよ。毎日通っていた人間が急に来なくなったら、逆に怪しまれるって」とパチュリーの淡々とした声。

 

「パチェ、それは今言わなくていいの!」とレミリア。

 

扉の前で、タカと妖夢は固まった。

 

「……今、聞こえましたよね」

 

「聞こえました」

 

「サプライズって言ってましたよね」

 

「言っていました。それと、毎日通っていた、とも」

 

「入って良いと思いますか?妖夢さん」

 

「……知りませんよ。もう、聞いてしまいましたし」

 

タカが扉に手をかけて、ゆっくり押した。

 

ギィ。

 

扉が開いた瞬間、中にいた全員が固まった。

 

大広間は色とりどりに飾られていた。長いテーブルに料理が並びかけていて、赤いリボンと花があちこちに付いている。奥には大きなケーキらしきものまで見える。

 

咲夜は皿を持ったまま静止していた。美鈴は飾りを持ち上げた姿勢のまま止まっている。フランは椅子の上でリボンを掲げたまま固まった。パチュリーだけが本を片手に、まったく驚いていない顔でこちらを見た。

 

そして中央にいたレミリアが、目を丸くしていた。

 

数秒の沈黙。

 

「あっ……こんにちは」とタカが言った。

 

「…………」

 

「え……え〜っと」

 

「なんで来るのよーーー!!バカ!!」

 

レミリアの叫びが大広間に響き渡った。

 

「来なくなったからですって! 四日も!」

 

「タカさんは心配したんですよ!」と妖夢も続いた。

 

「だからって来る!? 普通!あぁー!もう!!」

 

「毎日来てた人が四日も来なかったら心配しますよ!」

 

「たった四日くらい待ちなさいよ!」

 

「美鈴さんも門にいなかったんです! 異変かと思うじゃないですか!」と妖夢。

 

「す、すみません! 準備で中に呼ばれてまして!」と美鈴が飾りを持ったまま頭を下げた。

 

「お嬢様のご命令でしたので、仕方ありません」と咲夜が静かに補足した。

 

「だから言ったのよ!」とパチュリーがページをめくった。「毎日神社に通っていたら、来なくなった時に不自然になるって。私の予測通りよ」

 

「パチェ!黙りなさい!」

 

「事実でしょう」

 

フランが椅子の上で元気よく手を上げた。

 

「サプライズ、失敗!お姉様のせいだよ!」

 

「フラン、それもわざわざ言わないで良いわ……私が一番ショック受けてるんだから……」

 

---

 

## 【シーン3:準備の理由】

 

タカは改めて大広間を見回した。

 

飾り、料理、ケーキ。どこからどう見ても、何かのお祝いの準備だった。

 

「これ……何の準備ですか?」

 

レミリアは腕を組んで、少し気まずそうに顔を逸らした。

 

「……あなたの完治祝いよ」

 

「僕の?」

 

「他に誰がいるのよ。この場にいる怪我人はあなただけでしょう」

 

「完治祝い……」と妖夢が呟いた。

 

咲夜が一歩前に出て、静かに説明した。

 

「三日前、永琳様から連絡がありました。経過が良好で、このままなら数日中に完全に回復するだろうと。それを聞いたお嬢様が、完治祝いの宴を開くと」

 

「永琳先生が知らせてくれたんですね」

 

「そうよ」とレミリアが腕を組んだまま言った。「だから急いで準備していたの。あなたが来る前に仕上げるつもりだったのに!サプライズが台無しよ」

 

「お嬢様、この三日間かなり張り切っていましたよ。飾りの色も三回変えて」と美鈴がにこにこしながら言った。

 

「美鈴!黙りなさい殺すわよ!」

 

「はい……すみません」

 

「でも、事実でしょうレミー」とパチュリー。

 

「パチェ!やめてよ!」

 

「お姉様、ずーっとそわそわしてた! 今日来るかな、まだかなって!」とフランが楽しそうに言った。

 

「フラン! あなたまで!」

 

タカは思わず笑ってしまった。

 

「笑うと殺すわよ!」とレミリアがむっとした顔をした。

 

「すみません。でも、嬉しくて」

 

レミリアが言葉に詰まった。妖夢も、隣で少しだけ表情を緩めていた。

 

「心配して来たんですけど、何もなくてよかったです。むしろこんな……ありがとうございます」

 

「……本当におかしな人間ね。サプライズを台無しにしておいて礼を言うなんて」

 

「よく言われます」

 

レミリアは深く息を吐いた。それから、少し諦めたような、それでいてどこか満足そうな顔になった。

 

「もういいわ。明日、改めて来なさい。もう腕も動くのでしょ」

 

「はい。本当にありがとうございます!」

 

「完治祝いよ。せっかくここまで準備したんだから、ちゃんとやるわ。中途半端は嫌いなの」

 

「パーティーだ!」とフランが椅子の上で跳ねた。

 

「楽しみですね!咲夜さん、美味しい中華よろしくお願いします!」と美鈴。

 

「中華はあなたが作りなさい。明日までには全て仕上げておきます」と咲夜。

 

「今度は先に来ないことねー。レミーが怒るから」とパチュリーが本から顔も上げずに言った。

 

「すみません……」

 

「明日は私も同行します」と妖夢が言った。

 

「もちろんよ。霊夢も魔理沙も呼ぶわ」とレミリアが頷いた。

 

「華扇さんも呼んでいいですか」

 

「呼べばいいわ。紅魔館が開く完治祝いよ。規模で驚かせてあげるわ」

 

「ありがとうございます」

 

「礼は明日、ちゃんとした場で言いなさい」

 

レミリアはそう言って、ようやく少しだけ満足そうに笑った。

 

---

 

## 【シーン4:翌日】

 

翌朝の博麗神社で、タカは永琳の最後の診察を受けていた。

 

縁側に朝の光が差している。永琳はタカの右腕を取って、関節の動きを一つずつ確認していった。

 

「問題なし。骨も完全に繋がっているし、血も戻っている」

 

「本当ですか? もう普通に動かして——」

 

「ただし」と永琳がタカの言葉を遮った。「完治した、と、すぐ無茶をしていい、は別の話よ。分かっているわね?」

 

「はい……」

 

「私が見張りますので」と妖夢がすかさず言った。

 

「完治しても見張られるんですね、僕」

 

「当然です。タカさんは完治した瞬間に無茶をする方なので」

 

「完治したそばから壊れたら、治した意味がないしね」と霊夢が縁側でお茶をすすった。

 

「特にお前はな」と魔理沙。

 

「信用がない……」

 

「たかちゃんの日頃の行いね」と華扇が微笑んだ。

 

「全員に言われるんですね、これー」

 

霊夢が湯呑みを置いて立ち上がった。

 

「それで、夕方に紅魔館に行けばいいのね?」

 

「はい。レミリアさんが皆さんも呼ぶようにって」

 

「宴会なら行くぜ。紅魔館の飯は良いもん出るんだろ!たらふく食うぜ!」と魔理沙が箒を担いだ。

 

「完治祝いなら喜んで行きましょう」と華扇。

 

「私ももちろん行きます」と妖夢。

 

「じゃあ、日が落ちる前に出るわよ。紅魔館へ」

 

---

 

## 【シーン5:完治祝い】

 

夕方の紅魔館は、昨日とは別の場所みたいだった。

 

門の前には美鈴がちゃんと立っていて、一行を見つけると大きく手を振った。

 

「お待ちしていました! 完治おめでとうございます!」

 

「ありがとうございます。今日は門番に戻ったんですね」

 

「はい! 昨日はすみませんでした」と美鈴が深々と頭を下げた。それから少し声を落として、「あの、今日は戦いませんからね?」

 

「僕も戦いません。絶対に!」

 

「戦いなら、私がやりたいわね」と霊夢。

 

「私は良いけどな」と魔理沙。

 

「私も楽しそうだからありよ」と華扇。

 

「絶対ダメです!」と妖夢。

 

「妖夢さんだけまともです……」

 

大広間の扉が開くと、中は昨日よりさらに華やかになっていた。長いテーブルに料理がずらりと並び、花とリボンが飾られ、キャンドルの灯りが赤い壁を柔らかく照らしている。

 

咲夜が入口で静かに一礼した。

 

「ようこそ、紅魔館へ。本日はごゆっくりどうぞ」

 

壁際ではパチュリーがいつも通り本を読んでいた。宴会場でも読むらしい。

 

フランはタカを見つけるなり、椅子から飛び降りて走ってきた。

 

「治った?痛くない?」

 

「治りましたから大丈夫ですよ。フランさん」

 

「壊れてない? どこも?」

 

「どこも壊れてません」

 

「よかった!今度は普通に遊ぼうね!」

 

フランは本当に嬉しそうに笑った。タカは少し驚いた。あの夜、腕を砕いた張本人が、誰よりも素直に完治を喜んでいる。不思議な子だと思った。

 

その奥で、レミリアが椅子から立ち上がった。

 

「ようこそ。今日は、タカの完治祝いよ」

 

「レミリアさん、この度はありがとうございます」

 

「それと」レミリアは霊夢たちの方をちらりと見た。「紅霧異変の後始末も兼ねているわ。迷惑をかけた分は、ちゃんと返すのが紅魔館流よ」

 

「後始末が宴会なのね」と霊夢が呆れたように笑った。

 

「幻想郷らしいでしょう?」

 

「間違ってないな!私は毎日これなら嬉しいぜ」と魔理沙。

 

咲夜がグラスを配っていく。タカの前にだけ、お酒ではなくお茶が置かれた。

 

「……お茶なんですね、僕だけ」

 

「当然です!絶対にお酒なんてダメですから」と妖夢。

 

「お酒ぐらい良いんだけど、妖夢先生はダメみたいね。フフフ」と永琳。

 

「永琳先生まで来てたんですか!」

 

「患者の経過観察よ。ついでに美味しいお酒も飲めるしね」

 

「私の分は渡さないからね」と霊夢。

 

「霊夢の方が先に潰れちゃうでしょ」

 

全員の手にグラスが渡ると、レミリアが前へ出た。大広間が静かになる。

 

レミリアはタカを見た。一瞬だけ、いつもの偉そうな表情が緩んで、柔らかい顔になった。

 

「タカの完治を祝って」

 

「パーティー!パーティー!」とフラン。

 

「乾杯だ!たくさん飲んでやる!」と魔理沙。

 

「はいはい、乾杯」と霊夢。

 

「完治おめでとうございます」と妖夢。

 

「無事で何よりね」と華扇。

 

「「「「乾杯!」」」」

 

グラスが鳴った。紅魔館に笑い声が広がった。

 

タカはその中心で、少し照れたように笑っていた。レミリアは満足そうにその様子を眺めている。妖夢はタカの隣に立って、レミリアを少しだけ睨んだ。レミリアはそれに気付いて、わざとらしく楽しそうに笑い返した。

 

霊夢はその一連の様子を見ながら、酒を一口飲んだ。

 

「本当に賑やかになったわね、幻想郷……本当に飽きないわ」

 

「あいつが来てから特にだぜ!」と魔理沙がタカを指した。

 

「僕ですか?」

 

全員が笑った。

 

キャンドルの灯りが揺れて、料理の湯気が立って、笑い声が絶えない。紅魔館の夜は、まだ始まったばかりだった。




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