【シーン1:白玉楼へ】
博麗神社を出た空は、まだ高かった。
白玉楼へ続く長い長い石段を、タカと妖夢は並んで上っていた。昼の日差しが石段を白く照らし、二人の影を短く落としている。いつもなら修行のために駆け上がる石段だ。けれど、今日は違う。妖夢との、一日。レミリアが言い出した、勝負のような勝負じゃないような、例のあれである。
「デート……なんですよね、これ」
隣の妖夢がいたので心の中で呟いてみると、思った以上に恥ずかしかった。誰に聞かれたわけでもないのに、足が勝手に早くなる。
石段を上りきり、門の前で、妖夢がくるりと振り返った。
「改めて、よろしくお願いします!タカさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
妖夢は、いつも通りの佇まい――に、見えた。ただ、よく見ると姿勢が固い。背筋が、定規でも入っているように伸びすぎている。
「……緊張、してます?」
「していません!」
「……本当に?僕はしてますよ」
「本当にしていません!切りますよ!」
短い間があった。それから、妖夢の肩が、すとんと下がった。
「……でも、少しだけ、緊張してます」
「正直で良いと思います。妖夢さんらしいです」
妖夢は、咳払いをひとつした。
「今日は、白玉楼での一日を見てもらいます。派手なことは、何もありませんが」
「妖夢さんらしくて良いと思いますよ、それ」
妖夢は少しだけ目を逸らして――それから、門を開けた。
「……では、行きましょう」
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【シーン2:白玉楼の仕事】
昼の白玉楼は、静かだった。
桜の枝が日差しを透かして、ゆらゆらと揺れている。庭のあちこちを、幽霊たちがふわふわと漂っていた。白玉楼の幽霊は、騒がない。ただ静かに浮いて、庭の景色の一部に収まっている。
妖夢は門をくぐるなり、迷いのない足取りで箒を手に取った。
「いきなり掃除ですか?」
「毎日の日課です。庭は、半日サボっただけでも分かりますから」
「あっ、僕も手伝います」
「今日はお客様ですから、座っていてください」
「働くお客様、ということで」
「……変なお客様ですね」
「よく言われます」
妖夢は少しだけ笑って、もう一本、箒を渡してくれた。
二人で、庭を掃いた。タカは落ち葉を一箇所に集めるだけでも一苦労だった。集めたそばから、風が来て散らしていく。一方の妖夢は、風の流れまで計算に入れているとしか思えない無駄のない動きで、広い庭をみるみる綺麗にしていった。
「妖夢さん、速いですね。僕の倍以上進んでます」
「毎日していますから。体が覚えているんです」
「白玉楼って、広すぎませんか」
「はい」
「はい、なんですね」
「とても広いです。事実ですから」
「毎日一人でこれをやるの、大変じゃないですか?」
「正直、大変です」
「そこも正直なんですね」
「嘘をついても、庭は狭くなりませんから。……でも、今日はいつもより早く終わります。……タカさんがいるから」
タカは箒を動かしながら、妖夢の横顔を見た。淡々としている。けれど、その表情は少し微笑んでいた。大変でも、これが妖夢の日常で、妖夢はそれを、ちゃんと大事にしている。手の動きひとつから、それが伝わってきた。
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【シーン3:幽々子様】
掃除が一段落した頃、屋敷の奥から、のんびりとした声が届いた。
「妖夢ちゃ〜ん」
「はい、幽々子様」
障子がすっと開いて、幽々子がふわりと現れた。昼寝から覚めたばかりなのか、まだ半分、夢の中にいるような顔をしている。
「私、お腹が空いたわ〜」
「すぐに昼食の準備をしますね。幽々子様」
「あら〜。フフフ」
幽々子の視線が、タカを捉えた。眠たげだった目が、すうっと細くなる。
「今日はタカちゃんもいるのね〜……2人でいるってことは、デート?」
「違っ――」
妖夢が言いかけて、止まった。頬に、じわりと朱が差す。タカも返事に窮した。
「えーっと……白玉楼の、案内です」
「ふふ。そういうことに、しておきましょうね〜」
「幽々子様……」
幽々子は楽しそうに笑って、そのまま、ふわふわと台所の方へ流れていった。
昼食の準備が始まった。妖夢は、手際よく台所に立つ。包丁の音が、一定のリズムを刻んで響いた。タカも手伝ったが、ほとんど妖夢の指示通りに動くだけだった。
「それは、そちらの棚へ。あ、火を少し弱めてください」
「はい!」
「幽々子様。そのお皿は、まだ完成していません」
「あら〜。何よ妖夢ちゃん」
「勝手に食べないでください」
「味見よ、味見〜」
「お刺身が三切れも減っています」
「気のせいよ〜」
「気のせいで三切れは消えません」
タカは、こらえきれずに吹き出した。
「笑わないでください、タカさん」
「すみません!でも――息、ぴったりですね。お二人」
「賑やかでいいわねぇ〜」
幽々子が、のんびりと言った。妖夢は困った顔をしていた。けれど、その困り顔の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
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【シーン4:午後の白玉楼】
昼食が終わっても、妖夢の仕事は終わらなかった。
庭の見回り。漂いすぎた幽霊たちの誘導。屋敷の拭き掃除。幽々子の細々とした用事。タカは、その全部について回った。
「妖夢さんって、休憩は?」
「取っています」
「いつですか?」
「今です」
「今、廊下を歩きながら雑巾を絞ってますよね」
「はい」
「それは休憩じゃないです」
「……動いてない間が休憩です」
タカは苦笑した。妖夢は、どこまでも妖夢だった。真面目で、忙しくて、少しだけ不器用で。それでも、この広い白玉楼の全部を、たった一人で、大事に守っている。
「すごいですね、本当に」
「何がですか?」
「毎日これを全部やってるのが、です」
「従者として当たり前のことですから」
「当たり前でも、すごいものはすごいです」
雑巾を絞る手が、一瞬、止まった。
それから、小さな声がした。
「……ありがとうございます」
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【シーン5:剣術稽古】
仕事がひと区切りついた午後。庭に、木刀の乾いた音が響いた。
「構えてください!」
「はい!」
いつもの稽古だった。――のはずだった。だが、向かい合って構えた瞬間に分かった。今日の妖夢は、纏っている気迫が違う。
「妖夢さん、いつもより気合入ってません?」
「気のせいです!」
「絶対、気のせいじゃないです。目が怖いです」
「……構えてください!」
「は……はい!」
妖夢が、踏み込んできた。
速い。
カン!と木刀が鳴る。二撃目。三撃目。一撃ごとに乗っている重さが、いつもと違う。タカは受けながら、じり、じりと下がった。
「下がりすぎです!」
「重いんです、今日!」
「もっと見てください。足!」
「はい!」
「目」
「はい!!」
「重心」
「見てます、見てますから!」
妖夢の剣は、厳しかった。けれど、雑ではなかった。タカを壊すためではなく、伸ばすための厳しさ。それはいつも通りだ。――ただ今日は、その上に、いつも以上の「何か」が乗っていた。
タカは、必死に受け続けた。腕が痺れ、握力が怪しくなってきた頃――妖夢の木刀が、タカの肩の寸前で、ぴたりと止まった。
「……そこまで、です」
「はぁはぁ……つ……疲れました」
「私も、です……」
「妖夢さんも?」
「はい……」
見ると、妖夢も珍しく息を乱していた。額に、汗が浮いている。
「やっぱり、気合入ってましたよね。今日は特に」
「……少しだけ、です」
「少し?」
「……かなり、です」
「正直で良いと思います」
妖夢は木刀を下ろして、小さく笑った。
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【シーン6:縁側の休憩】
夕方。白玉楼の縁側に、二人は並んで座っていた。
幽々子は、奥の部屋で昼寝をしている。庭を夕方の柔らかな風が渡り、桜の花びらが、時折ひらりと落ちてくる。その一枚が、タカの膝の上に、そっと乗った。
「綺麗ですね、ここの桜」
「ここの自慢です」
しばらく、どちらも喋らなかった。気まずさは、なかった。湯呑みから細く立ちのぼる湯気を、ただ眺めていられる。そういう時間だった。
「今日、楽しかったです」
タカが言った。
「本当ですか?掃除と仕事ばかりでしたが」
「妖夢さんの日常が見られました。それが、良かったです」
「私の、日常……ですか」
「はい。妖夢さんがどうしてそんなに真面目なのか、少し分かった気がします」
妖夢は、湯呑みを両手で包んだまま、少し目を伏せた。
「……真面目というより、そうしないと不安なだけ、かもしれません」
「不安?」
妖夢は、手元の湯気を見つめていた。それから、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「少しだけ、昔の話になりますが……師匠がいました。剣を教えてくれた人です。厳しくて、怖くて……でも、私は、その人に認めてほしかった」
タカは、黙って聞いた。
「だから、毎日剣を振りました。何度叱られても、何度倒れても。いつか、認めてもらえると思って」
妖夢は、少し笑った。口元だけの、力のない笑みだった。
「でも、ある日、師匠は白玉楼を出て行ったんです」
「出て行った……?」
「はい。理由を聞いたら、言われました。――お前には、まだ足りないものがある、と。そして、最後にこう言ったんです」
妖夢は、小さく息を吸った。
「『お前が一人前になったら、帰ってくる』と」
風が吹いた。桜が揺れて、花びらがひとひら、縁側の板の上に落ちた。
「それから、何年も経ちました。私は毎日、剣を振りました。幽々子様に仕えながら、白玉楼を守りながら、強くなろうとしました。でも……」
妖夢の頬を、一滴だけ、涙が伝った。
「何年経っても――帰って来ないんです」
タカは、何も言えなかった。
妖夢は、涙を拭おうともせずに、静かに続けた。
「だから、今でも分からないんです。私はまだ、一人前ではないのか。それとも……」
そこで、言葉が途切れた。
タカは、少しだけ考えた。軽い慰めの言葉では、この人には届かない。それだけは、分かった。だから、ゆっくりと、言葉を選んだ。
「僕は、刀のことは詳しくないです。一人前の基準も、分かりません」
妖夢が、顔を上げてタカを見た。
「でも、妖夢さんがずっと頑張ってきたのは、知ってます。毎日この広い庭を守って、幽々子様のお世話をして、剣を振って、僕にまで教えてくれて。それは全部、ちゃんと、本当のことです」
「……」
「一人前かどうかは、僕には判定できません。でも――妖夢さんは、すごい人です。それだけは、僕が保証します」
妖夢は、少しだけ笑った。頬には、まだ涙の跡が残っていた。
「……ありがとう、ございます」
「本当のことを、言っただけです」
「そう言ってもらえると……少しだけ、楽になります」
夕方の風が、もう一度吹いた。桜の花びらが、二人の間を、ゆっくりと通り過ぎていった。
――――――――――――――――――――
【シーン7:帰り道】
夜が、近づいていた。
タカは、白玉楼を後にすることにした。妖夢は、門まで見送りに来てくれた。空はもう藍色に沈み、白玉楼の桜だけが、薄闇の中でぼんやりと白く浮かんでいる。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。昼から晩まで、付き合わせてしまって」
「タカさん、楽しかったですか?」
「はい。本当に」
妖夢が、ほっとしたように、小さく息を吐いた。
「妖夢さん!」
「はい」
「また来ます!デートとか、じゃなくても。普通に」
妖夢の表情が、ふわりと柔らかくなった。
「はい。――いつでも」
タカは手を振って、石段を下り始めた。妖夢はその背中を、いつまでも見送っていた。
――数段下りたところで、タカの足が、ふと止まった。
「……あっ!」
「どうしました?」
「……レミリアさんに、感想聞かれるんでした。『詳細に』って……」
「……」
妖夢も、固まった。
「忘れて、いました」
「僕もです。……何て報告すれば……」
しばらく、二人とも黙った。
それから――どちらからともなく、同時に、笑ってしまった。
白玉楼の夜は、静かだった。
でも今日は、いつもより少しだけ、温かかった。
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