〜東方外来録〜   作:歩向タカ

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第十九話「白玉楼の一日」

【シーン1:白玉楼へ】

 

博麗神社を出た空は、まだ高かった。

 

白玉楼へ続く長い長い石段を、タカと妖夢は並んで上っていた。昼の日差しが石段を白く照らし、二人の影を短く落としている。いつもなら修行のために駆け上がる石段だ。けれど、今日は違う。妖夢との、一日。レミリアが言い出した、勝負のような勝負じゃないような、例のあれである。

 

「デート……なんですよね、これ」

 

隣の妖夢がいたので心の中で呟いてみると、思った以上に恥ずかしかった。誰に聞かれたわけでもないのに、足が勝手に早くなる。

 

石段を上りきり、門の前で、妖夢がくるりと振り返った。

 

「改めて、よろしくお願いします!タカさん」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

妖夢は、いつも通りの佇まい――に、見えた。ただ、よく見ると姿勢が固い。背筋が、定規でも入っているように伸びすぎている。

 

「……緊張、してます?」

 

「していません!」

 

「……本当に?僕はしてますよ」

 

「本当にしていません!切りますよ!」

 

短い間があった。それから、妖夢の肩が、すとんと下がった。

 

「……でも、少しだけ、緊張してます」

 

「正直で良いと思います。妖夢さんらしいです」

 

妖夢は、咳払いをひとつした。

 

「今日は、白玉楼での一日を見てもらいます。派手なことは、何もありませんが」

 

「妖夢さんらしくて良いと思いますよ、それ」

 

妖夢は少しだけ目を逸らして――それから、門を開けた。

 

「……では、行きましょう」

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン2:白玉楼の仕事】

 

昼の白玉楼は、静かだった。

 

桜の枝が日差しを透かして、ゆらゆらと揺れている。庭のあちこちを、幽霊たちがふわふわと漂っていた。白玉楼の幽霊は、騒がない。ただ静かに浮いて、庭の景色の一部に収まっている。

 

妖夢は門をくぐるなり、迷いのない足取りで箒を手に取った。

 

「いきなり掃除ですか?」

 

「毎日の日課です。庭は、半日サボっただけでも分かりますから」

 

「あっ、僕も手伝います」

 

「今日はお客様ですから、座っていてください」

 

「働くお客様、ということで」

 

「……変なお客様ですね」

 

「よく言われます」

 

妖夢は少しだけ笑って、もう一本、箒を渡してくれた。

 

二人で、庭を掃いた。タカは落ち葉を一箇所に集めるだけでも一苦労だった。集めたそばから、風が来て散らしていく。一方の妖夢は、風の流れまで計算に入れているとしか思えない無駄のない動きで、広い庭をみるみる綺麗にしていった。

 

「妖夢さん、速いですね。僕の倍以上進んでます」

 

「毎日していますから。体が覚えているんです」

 

「白玉楼って、広すぎませんか」

 

「はい」

 

「はい、なんですね」

 

「とても広いです。事実ですから」

 

「毎日一人でこれをやるの、大変じゃないですか?」

 

「正直、大変です」

 

「そこも正直なんですね」

 

「嘘をついても、庭は狭くなりませんから。……でも、今日はいつもより早く終わります。……タカさんがいるから」

 

タカは箒を動かしながら、妖夢の横顔を見た。淡々としている。けれど、その表情は少し微笑んでいた。大変でも、これが妖夢の日常で、妖夢はそれを、ちゃんと大事にしている。手の動きひとつから、それが伝わってきた。

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン3:幽々子様】

 

掃除が一段落した頃、屋敷の奥から、のんびりとした声が届いた。

 

「妖夢ちゃ〜ん」

 

「はい、幽々子様」

 

障子がすっと開いて、幽々子がふわりと現れた。昼寝から覚めたばかりなのか、まだ半分、夢の中にいるような顔をしている。

 

「私、お腹が空いたわ〜」

 

「すぐに昼食の準備をしますね。幽々子様」

 

「あら〜。フフフ」

 

幽々子の視線が、タカを捉えた。眠たげだった目が、すうっと細くなる。

 

「今日はタカちゃんもいるのね〜……2人でいるってことは、デート?」

 

「違っ――」

 

妖夢が言いかけて、止まった。頬に、じわりと朱が差す。タカも返事に窮した。

 

「えーっと……白玉楼の、案内です」

 

「ふふ。そういうことに、しておきましょうね〜」

 

「幽々子様……」

 

幽々子は楽しそうに笑って、そのまま、ふわふわと台所の方へ流れていった。

 

昼食の準備が始まった。妖夢は、手際よく台所に立つ。包丁の音が、一定のリズムを刻んで響いた。タカも手伝ったが、ほとんど妖夢の指示通りに動くだけだった。

 

「それは、そちらの棚へ。あ、火を少し弱めてください」

 

「はい!」

 

「幽々子様。そのお皿は、まだ完成していません」

 

「あら〜。何よ妖夢ちゃん」

 

「勝手に食べないでください」

 

「味見よ、味見〜」

 

「お刺身が三切れも減っています」

 

「気のせいよ〜」

 

「気のせいで三切れは消えません」

 

タカは、こらえきれずに吹き出した。

 

「笑わないでください、タカさん」

 

「すみません!でも――息、ぴったりですね。お二人」

 

「賑やかでいいわねぇ〜」

 

幽々子が、のんびりと言った。妖夢は困った顔をしていた。けれど、その困り顔の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン4:午後の白玉楼】

 

昼食が終わっても、妖夢の仕事は終わらなかった。

 

庭の見回り。漂いすぎた幽霊たちの誘導。屋敷の拭き掃除。幽々子の細々とした用事。タカは、その全部について回った。

 

「妖夢さんって、休憩は?」

 

「取っています」

 

「いつですか?」

 

「今です」

 

「今、廊下を歩きながら雑巾を絞ってますよね」

 

「はい」

 

「それは休憩じゃないです」

 

「……動いてない間が休憩です」

 

タカは苦笑した。妖夢は、どこまでも妖夢だった。真面目で、忙しくて、少しだけ不器用で。それでも、この広い白玉楼の全部を、たった一人で、大事に守っている。

 

「すごいですね、本当に」

 

「何がですか?」

 

「毎日これを全部やってるのが、です」

 

「従者として当たり前のことですから」

 

「当たり前でも、すごいものはすごいです」

 

雑巾を絞る手が、一瞬、止まった。

 

それから、小さな声がした。

 

「……ありがとうございます」

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン5:剣術稽古】

 

仕事がひと区切りついた午後。庭に、木刀の乾いた音が響いた。

 

「構えてください!」

 

「はい!」

 

いつもの稽古だった。――のはずだった。だが、向かい合って構えた瞬間に分かった。今日の妖夢は、纏っている気迫が違う。

 

「妖夢さん、いつもより気合入ってません?」

 

「気のせいです!」

 

「絶対、気のせいじゃないです。目が怖いです」

 

「……構えてください!」

 

「は……はい!」

 

妖夢が、踏み込んできた。

 

速い。

 

カン!と木刀が鳴る。二撃目。三撃目。一撃ごとに乗っている重さが、いつもと違う。タカは受けながら、じり、じりと下がった。

 

「下がりすぎです!」

 

「重いんです、今日!」

 

「もっと見てください。足!」

 

「はい!」

 

「目」

 

「はい!!」

 

「重心」

 

「見てます、見てますから!」

 

妖夢の剣は、厳しかった。けれど、雑ではなかった。タカを壊すためではなく、伸ばすための厳しさ。それはいつも通りだ。――ただ今日は、その上に、いつも以上の「何か」が乗っていた。

 

タカは、必死に受け続けた。腕が痺れ、握力が怪しくなってきた頃――妖夢の木刀が、タカの肩の寸前で、ぴたりと止まった。

 

「……そこまで、です」

 

「はぁはぁ……つ……疲れました」

 

「私も、です……」

 

「妖夢さんも?」

 

「はい……」

 

見ると、妖夢も珍しく息を乱していた。額に、汗が浮いている。

 

「やっぱり、気合入ってましたよね。今日は特に」

 

「……少しだけ、です」

 

「少し?」

 

「……かなり、です」

 

「正直で良いと思います」

 

妖夢は木刀を下ろして、小さく笑った。

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン6:縁側の休憩】

 

夕方。白玉楼の縁側に、二人は並んで座っていた。

 

幽々子は、奥の部屋で昼寝をしている。庭を夕方の柔らかな風が渡り、桜の花びらが、時折ひらりと落ちてくる。その一枚が、タカの膝の上に、そっと乗った。

 

「綺麗ですね、ここの桜」

 

「ここの自慢です」

 

しばらく、どちらも喋らなかった。気まずさは、なかった。湯呑みから細く立ちのぼる湯気を、ただ眺めていられる。そういう時間だった。

 

「今日、楽しかったです」

 

タカが言った。

 

「本当ですか?掃除と仕事ばかりでしたが」

 

「妖夢さんの日常が見られました。それが、良かったです」

 

「私の、日常……ですか」

 

「はい。妖夢さんがどうしてそんなに真面目なのか、少し分かった気がします」

 

妖夢は、湯呑みを両手で包んだまま、少し目を伏せた。

 

「……真面目というより、そうしないと不安なだけ、かもしれません」

 

「不安?」

 

妖夢は、手元の湯気を見つめていた。それから、ぽつり、ぽつりと話し始めた。

 

「少しだけ、昔の話になりますが……師匠がいました。剣を教えてくれた人です。厳しくて、怖くて……でも、私は、その人に認めてほしかった」

 

タカは、黙って聞いた。

 

「だから、毎日剣を振りました。何度叱られても、何度倒れても。いつか、認めてもらえると思って」

 

妖夢は、少し笑った。口元だけの、力のない笑みだった。

 

「でも、ある日、師匠は白玉楼を出て行ったんです」

 

「出て行った……?」

 

「はい。理由を聞いたら、言われました。――お前には、まだ足りないものがある、と。そして、最後にこう言ったんです」

 

妖夢は、小さく息を吸った。

 

「『お前が一人前になったら、帰ってくる』と」

 

風が吹いた。桜が揺れて、花びらがひとひら、縁側の板の上に落ちた。

 

「それから、何年も経ちました。私は毎日、剣を振りました。幽々子様に仕えながら、白玉楼を守りながら、強くなろうとしました。でも……」

 

妖夢の頬を、一滴だけ、涙が伝った。

 

「何年経っても――帰って来ないんです」

 

タカは、何も言えなかった。

 

妖夢は、涙を拭おうともせずに、静かに続けた。

 

「だから、今でも分からないんです。私はまだ、一人前ではないのか。それとも……」

 

そこで、言葉が途切れた。

 

タカは、少しだけ考えた。軽い慰めの言葉では、この人には届かない。それだけは、分かった。だから、ゆっくりと、言葉を選んだ。

 

「僕は、刀のことは詳しくないです。一人前の基準も、分かりません」

 

妖夢が、顔を上げてタカを見た。

 

「でも、妖夢さんがずっと頑張ってきたのは、知ってます。毎日この広い庭を守って、幽々子様のお世話をして、剣を振って、僕にまで教えてくれて。それは全部、ちゃんと、本当のことです」

 

「……」

 

「一人前かどうかは、僕には判定できません。でも――妖夢さんは、すごい人です。それだけは、僕が保証します」

 

妖夢は、少しだけ笑った。頬には、まだ涙の跡が残っていた。

 

「……ありがとう、ございます」

 

「本当のことを、言っただけです」

 

「そう言ってもらえると……少しだけ、楽になります」

 

夕方の風が、もう一度吹いた。桜の花びらが、二人の間を、ゆっくりと通り過ぎていった。

 

――――――――――――――――――――

 

【シーン7:帰り道】

 

夜が、近づいていた。

 

タカは、白玉楼を後にすることにした。妖夢は、門まで見送りに来てくれた。空はもう藍色に沈み、白玉楼の桜だけが、薄闇の中でぼんやりと白く浮かんでいる。

 

「今日は、ありがとうございました」

 

「こちらこそ。昼から晩まで、付き合わせてしまって」

 

「タカさん、楽しかったですか?」

 

「はい。本当に」

 

妖夢が、ほっとしたように、小さく息を吐いた。

 

「妖夢さん!」

 

「はい」

 

「また来ます!デートとか、じゃなくても。普通に」

 

妖夢の表情が、ふわりと柔らかくなった。

 

「はい。――いつでも」

 

タカは手を振って、石段を下り始めた。妖夢はその背中を、いつまでも見送っていた。

 

――数段下りたところで、タカの足が、ふと止まった。

 

「……あっ!」

 

「どうしました?」

 

「……レミリアさんに、感想聞かれるんでした。『詳細に』って……」

 

「……」

 

妖夢も、固まった。

 

「忘れて、いました」

 

「僕もです。……何て報告すれば……」

 

しばらく、二人とも黙った。

 

それから――どちらからともなく、同時に、笑ってしまった。

 

白玉楼の夜は、静かだった。

 

でも今日は、いつもより少しだけ、温かかった。




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